横山君とせいやくん2
「一之瀬さん?」
はっと、した。
横山君が、壇の前でこちらを心配そうに見ている。どうしたのだろう、と顔を上げると頬に冷たい感覚があった。
「ごめん、聴き入っちゃって、感動しちゃった。」
恥ずかしくて赤くなりながら、涙を拭った。
「あのね、横山君、伴奏引き受けてくれてありがとう。本当に助かったし、嬉しかったの。」
椅子に残されたままのタオルと保冷剤を持って、横山君に近づいた。まだ痛むだろう左手首にタオルを巻いて冷やす。今日、散々無理をしたから、2・3日は安静だろうなあ、とも思った。
ちょっとだけ、タオルを握る手に力が入った。
―やっぱり、手、大っきいな―
今度は、ステンドグラスからの光があたしの後ろから入る。右では祭壇の奥に飾られた聖母子画が、左では壁に掛けられた絵から笑みを浮かべた天使達が私たちを穏やかに見守っていた。
結婚式の新郎新婦とは真逆の立ち位置で、横山君と向い合った。逆光であたしの顔が見えないのが幸いだけど、やっぱりうつむいてしまう。
一度、深呼吸をした。
「あと、あたし、横山君の事が好き。正直、ピアノ弾いている横山君以外をあんまり知らないんだけど、でも、それだけ一生懸命になってる横山君のことが好きなんだ。」
言ってしまった後は、思い切って顔を上げて、横山君を真正面から見つめた。
いつかの曲を、心をこめて弾く。
2年ぶりに弾く曲は、うろ覚えな部分や、指が追いつかない部分もあった。 でも、最後の音が消えた瞬間、一緒に僕の中にあった意地とか、わだかまりとか、あるいはトラウマとか、そういう物が全部一緒に消えた気がした 。
立ちあがって一之瀬さんに声をかけようとして思わず止まってしまった。目を閉じて聞き入っていたようだが、ステンドグラスからの光で照らされた右頬に筋が一本見えた。
「一之瀬さん?」
ためらいがちに声をかけた。
一瞬、不思議そうな顔をしたが、涙が出ていたのに気がついたのだろう、聴き入っちゃって、と、恥ずかしそうにしなが涙を拭う。
そこまで聴き入ってくれると、嬉しいと同時にもう少しまともに演奏したかったとも思ってしまう。左手が治ったら、ちゃんと練習しよう、と決意する。
保冷剤とタオルを持って一之瀬さんが近づいてきた。タオルで巻きながら左手首をとられる。
「あのね、横山君、伴奏引き受けてくれてありがとう。本当に助かったし、嬉しかったの。」
―手、結構小さいのに、よくあんな風に弾けるな―
一之瀬さんの後ろからステンドグラスからの光が差し込み、礼拝堂という場所も相まって、天使みたいだと柄にもないことを思った。
そんな風に少し違うことを考えていたせいだろうか、それともあまりに思いにも寄らない事を言われたせいだろうか。次に一之瀬さんが口にした言葉が、まるで知らない言語を話されたのかのように、ただの音になって頭の中を通り抜けて行った。
「あと、あたし、横山君の事が好き。正直、ピアノ弾いている横山君以外をあんまり知らないんだけど、でも、それだけ一生懸命になってる横山君のことが好きなんだ。」
とっさに何も返せなくて、まじまじと一之瀬さんを見てしまった。逆光のせいで、その表情は良く見えなかった。僕の左手首に回されたタオルがギュッときつくなって、はっとした。言葉の意味を理解して、きっと真っ赤になっている一之瀬さんの顔を想像した。
口走ってしまったあとの沈黙の間、あたしの体は石化したかのように身動き一つとれなかった。
―言っちゃった。言っちゃったよ。せいやくんの顔、見れない!!どうしよう、何にも言ってくれない。っていうか、好きって言っただけじゃ、反応に困るよね。付き合ってとか、なんとか言わないと...―
と、そこまで考えた瞬間、先週の金曜、同じような事があったことを急に思い出した。
ただし逆の立場で。
一之瀬さんから好きと言われてうれしいというか驚いたというか、ただこういう時にどう返して良いのか分からず、固まってしまった。
口を開こうとした瞬間だった。
「あーっ!!!!!!!!!!!!」
一之瀬さんが弾かれたように顔を上げる。
「どうしよう!!!立花君から、月曜日に返事聞かせてって言われて。月曜に、相場先輩の怪我があってすっかり忘れてた!!!」
何の話だろう?
いや。
なんとなく、わかった。
多分、立花君に告白されて、返事を延ばしていたら、伴奏者の怪我でドタバタしていて返事するのを忘れていたんだろう。そして、自分がその立場になって、それを思い出した。そんな流れな気がする。
―なんというか、本当に一生懸命な人だ―
そう思ったら、急に笑ってしまった。すると、挙動不審になっていた一之瀬さんが、ぴたりと動きを止めてこちらをじと目で睨んでいる。
「ごめんごめん、一之瀬さんのそういう一生懸命なところ好きだよ。」
―どうしよう、どうしよう!!
あたし、酷い子じゃない!!
今日だって、立花君が話しかけてきたのは、横山君の調子が大丈夫なのかを聞きたかったというより、合唱部の演奏が終わるまで待っててくれたんだろうな。
忘れてた、なんて言えないけど、忘れてたってばれてるよね。
あー、もう!!!!―
ぷっと、噴き出す音が聞こえて、我に返った。
思わず、横山君を恨めしげに睨んでしまう。
「ごめんごめん、一之瀬さんのそういう一生懸命なところ好きだよ。」
幻聴だろうか。
じと目になっていた目を見開いた。優しい顔をして横山君が笑う。
―もっさりモードならともかく、今の眼鏡なし、無造作にかき上げた髪のイケメンモードじゃ、その顔反則でしょう!!―
もう一度、顔が火照ってきた。
「一個一個のことにそうやって一生懸命になれるところ、僕には中々できないことだから、羨ましいよ。」
―なにそれ?―
「え?それ、褒めてるの?馬鹿にしてるの?」
思ったより、冷たい声になってしまった。
「気、悪くしないで。本当に羨ましいんだよ。」
でも、イケメンモードで微笑され、毒気を抜かれてしまう。
「でも、正直、付き合うとかはできないんだ。」
緊張がほぐれた体がもう一度、足元から凍りついた。それが顔にも出ていたのだろう。横山君が慌てて弁解してくる。
「一之瀬さんを嫌いとか、付き合いたくないとかじゃないから。そんな顔しないで。ピアノ辞める前もずっとピアノばっかりであんまり人と上手くやってこれなかったし、辞めた後も、知っての通り人から距離を置いてたせいで、多分、一之瀬さんに限らず、誰かと関わっていく距離がいまいちよくわからないから。だから、今は、リハビリ期間にしたいんだ。」
横山君の言いたいことが分かっていくにつれて、体の緊張がゆっくり解けていった。
「せっかく、言ってくれたのにごめんね。でも、本当はすごく嬉しい。」
そう言って横山君はまた柔らかに笑った。
振られちゃった、とは思ったけれど、なんだかその笑顔を見たらそんなことがどうでも良くなって、あたしまで笑ってしまった。だけど、ちょっとだけ悔しかったから、笑いながらも言ってやった。
「嫌いとか付き合いたくないとかならともかく、一部分でもあたしのこと好きで、しかも嬉しいなんて言われたら、諦められないじゃない。だから、リハビリ終わったと思ったら、勝手にするから。覚悟しててね!」
やっぱりちょっとだけ恥ずかしかったので、びしっと指差して宣言すると、くるっと入口の方を向き礼拝堂から逃げ出した。
後ろで、横山君が笑っているのが聞こえたけれど、振り返らなかった。




