横山君と一之瀬さんの学園祭2
いよいよ、本番の日。少し手を慣らしておこうと思い、早めに登校する。僕達の教室はクラスの模擬店の会場になっているので、荷物置き場になっている最上階の教室へと向かった。荷物を置いて楽譜だけを持ち、音楽室へ向かうため一旦階段を下りていた。
下から、加瀬君が階段を上がってきたのとすれ違う。何となく目が合い、階段の真ん中で二人とも立ち止まった。何か言うことが有った訳ではないが、目をそらすのもはばかられてそのまま動けない。
沈黙を破ったのは加瀬君だった。
「なんなの?お前、一之瀬と付き合ってんの?」
「いや、そんなことはないよ。」
「しかも、最近、急に髪変えたりして調子のってんじゃねえの?」
「わざとではないんだけど。でも、別に加瀬君にそれについて何か言われる筋合いはないと思うんだけど。」
僕が言い返すのが予想外だったのだろう。頬が僅かにぴくりと動く。
「うるせえな、そういうの調子乗ってるって言ってんだよ。」
と言って、僕をドついて上がっていく。
とっさに、手すりの金属を左手で掴んだので、バランスを崩しただけで済んだ。まさか、僕まで落ちて腕を折る訳にいかない。
何ともないと思っていたが。
「あ、まずい、これ。」
ねん挫ほどではないが、軽く筋を伸ばした感じがする。日常生活だったら支障ない程度に動く。
だけども。
左手首を押さえて、これからの事を必死に考えていた時。
「はよっす。」
立花君がやってきた。
珍しいくらいに高速回転をしていた僕の頭は、とっさに彼に声をかけた。
「立花君って、バスケ部だよね?」
僕が声をかけるとは思っていなかったらしい。弾かれたように、立花君はこちらを向いた。
「え?ああ、そうだけど。」
「テーピングってやったことある?あと、大事な物じゃなかったら、そのリストバンド今日一日貸してくれない?」
多分、僕がこんな早口で長い文章をしゃべっているのを聞いたことがなかっただろう立花君は、僕の勢いに負けて首を縦に振っていた。
音楽室では人目につくので、教室棟とは別の棟にある男子トイレでテーピングをしてもらった。
「これ、今日大丈夫なんか?本番だろう?」
「まあ、今日一日、というか1時間くらいもてば何とか。」
「これ、リストバンド、貸すのは良いけどどうすんの?」
「ブレザー着るんだけど、ちょっとだけ手首出ちゃうんだよね。何となく合唱部の人たちには見られたくなくて。」
なるほど、と立花君が頷く。はい、と言われ手首を見ればきれいにテーピングをしてくれていた。
「ありがとう、急にお願いしたのに、助かったよ。」
そういうと、立花君は少し困った顔をした。
「ああ、まあ。気にしなくていいって。」
一瞬だけ沈黙が降りてきた。
「横山って、一之瀬と付き合ってんの?」
そういう風に見えるのだろうか、最近この質問多い気がする。
「いや、そういうのではないけど。」
「そうなのか?だって、…」
立花君は、なにか考え込むがその考えを忘れるように頭を振る。
「悪い、何でもない。じゃ、頑張ってな。それ、返すのいつでも良いから。」
立花君は屈託のない笑顔を向ける。
―こういう男子、カッコいいよな。話が面白くて、バスケ部でも人気があって。顔だってカッコいいし、僕みたいなヤツにも分け隔てない―
そこまで考えて頭を振った。立花君と自分を比べて落ち込んでいる場合じゃない。
音楽室へ行くと、幸い誰もいなかった。簡単に引いてみるが、思ったほど、痛くない。少し力が入りづらいが、今日一日弾くだけなら問題なさそうだ。
無事に本番を迎え、僕の担当の1曲目が終わる。後は、裏で5曲目まで休憩だ。多少、かばう様な弾き方になり、何となく音の重さに不足を感じるが仕方がない。
ふと気配を感じて隣をみると、いつの間にか篠原先生が立っていた。
「横山、ありがとうな。皆、練習の時は面倒だとか文句言ってても、やっぱりやりたかったんだよ。」
篠原先生が、いつものちょっと意地悪な顔ではなく、先生らしい顔をして、嬉しそうに僕のことを見ていた。
「それに、お前もなんだか楽しそうで良かった。いつも何を我慢してんのか、つまらなそうというか、不完全燃焼っていう顔してたからな。」
改めてそう言われると、ちょっとだけこっぱずかしい。
「そうでしたか?」
自分で、そう聞き返していたが、そういえば、最近、溜息をあんまり付いていなかったかもしれない、と思い当たる。前は、何かするたびに面倒というか沈鬱な気分になっていた。どうやら、多少は不完全燃焼から脱出しているようだ。
思わず、ふっと笑う。
「そうでしたね。」
その言葉に篠原先生は、僕の頭をくしゃっとして居なくなった。前だったら盛大な溜息をついていそうな所だが、今回も漏れたのは苦笑だった。やはり、多少は燃焼効率が良くなっているようだ。
ふと、流れてくる曲が耳に入った。4曲目だ。これは、この学校の創立記念のために練習した讃美歌らしい。「誰が青空を作ったか」もちろん、讃美歌なのだから神を讃える歌なのだが、校訓の「空の雲、掃うは学の風」にもちなんでいるらしい。要は色々学ぶことで視野が開けるということだ。
校訓を思い出して改めてふと自分の気持ちの変化に気がつく。
今までのようなどんよりとした憂鬱な気分ではなくなっていた。いつの間にか、目の前の雲が晴れていた。
―やっぱり、ピアノ、もう一回やって良かったな―
何かと構ってくる一之瀬さんを煩わしいと思う時もあったけれど、一之瀬さんみたいな人がいなければ、僕はもう一度動き出すことはなかっただろうな、と率直に感じた。
4曲目の演奏が終わる。無意識のうちに顔を上げて、顎を引いた。
一之瀬さんが入れ替わりで下がってくる。
高等部の部員もステージに整列する。僅かな休憩時間だが、一之瀬さんは3曲目からずっと弾いているのだ。この間に僕は、自分の合う高さに椅子を調節し、次の曲の楽譜を開く。一之瀬さんが戻ってきた。
―ありがとうって一之瀬さんに伝えないと―




