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終章 母なる海


 黒髪の椋鳥が指差したのは“私”だった。その瞳には哀れむような光がある。

「犯人はあなたですね」

「……じょ、冗談じゃない!俺が犯人だって!?何を馬鹿な事を言っているんだ?」

 “私”は動揺を隠し、呆れた感情を前面に出して言い放った。

「いいえ。確かにあの部屋で会いました。あの人を殺したのはあなたです」

「論理的に矛盾している。なら俺は、どうしてお前を置いて出て行ったんだ?目撃者なら一緒に殺してしまうのが常套だろう。それに何故、俺はたった数分で戻ってきたんだ?ほら、説明してみせろよ誠」

 彼は小さな吐息をついた。

「もう止めて下さい」

 彼はしっかり“私”を見て静かに、

「あなたはウィルじゃない。あなたは――」

 言う。


「クアス・コンシュさんです」



「イエリさんが困っています。本当の事を言ってあげて下さい」

「な……兄貴?坊や、真面目に言ってるのか?」

「イエリ、彼の持っている鏡を使え。真実はそこにある」

 イエリが恐る恐る手鏡で私を映す。そして「あっ!」と呟いた。

「兄貴……どうして?」

「ばれてしまったのなら仕方ないですね」

 腕に描いた紋章を海水で洗い落とす。縛り付けていた魔力が拡散する。

「上手く化けたつもりだったんですけどね」 

「何が目的なんですかクアスさん?あなたは何が訊きたいと言うのですか?」

 恍けても無駄なのに。

「分かっているはずだ。君の知っている事をだよ。正確には」

「誠は何も知らないよ。記憶が無いんだ、訊くだけ無駄」

「戯言で私を騙せると思っているのですか?」

「馬鹿はそっちだ。君のやろうとしている事は、湖面に映る月を捕まえるようなものさ」

 その時、弟が私に駆け寄ってきた。

「兄貴……」

「離れるんだイエリ。こいつはもはや“人間”を辞めた」

「な、何だよそれ!?」

「“もう一つの呪い”に恐怖する余り、“腐水の呪い”に手を出した。ここにいるのは最早君の知っている兄ではない。クアス・コンシュの皮を被った“死肉喰らい”さ!」

 よく知っている。私が文献で調べた程度なら、この男はあっさり説明してしまうだろう。やはり、居場所が分かった時点で喰ってしまった方が良かった。ここまで面倒にならずに済んだろうに。

「その様子だと皆さんご存知だったようですね。魔術は完璧だった、誰も鏡を使っていないというのに」

「誠は氣を視る。僕のを盗んだとはいえ変身の術ぐらいで誤魔化せるものか。それに……そうでなくても分かる」

「ほう?」

「君の態度は全然兄上“らしく”なかった……決定的なのは、あの壁を開けた事実さ」

「あの壁画か。でも、その青年が手伝ったなら出来たかもしれませんよ。ちゃんと単語の説明も求めました。マリア嬢も一度ならず口にしたはずです。それでも、と仰られるのですか?」

「百パーセント無理だね」

「?」何だと?

「無理なんだよ、完成は。それをいとも簡単に解いた君は兄上で有り得ない」

 その時、私の頭に仮説が一つ閃いた。その余りの突拍子の無さに思わず苦笑してしまう。

「ま、まさか……ひゃははっ!そうか、“ソウイウ”コト。だから解けないわけか」

「あ……兄貴?」

「君は門で何も言わなかったな。ここまでの道中でもだ。何故って――偽者だからさ。君は変装する相手の行動パターンを知らなかった。君が演じていたのは屋敷のパーティーに出ていた男だった」

 すっかり騙されていた――というわけか。

「成る程ね。いやあ黒衣の探偵殿。あんたは大した奴さ、賞賛に値する」

 パチパチ、一人分の拍手の音が虚しく響く。

「それで……私をどうするつもり?やっぱり殺す?殺せるならの話だが」

「“百七十二条”により、クアス・コンシュ。君を処罰する」

「“不死族、ならびに不死の術を行った者、協定範囲内において発見された場合は直ちに”黒の星“へ送還す”か。随分お優しいことで」

「拘束しようとしたが抵抗。結果、誤って死亡させてしまった」

「筋書きはとっくに決まってんだ。じゃあ……キャストの暴走もありだよなっ!!」

「イエリ下がれ!」

 しかし弟は私の前を離れない。どころか縋り付いてきた。

「兄貴……俺は」

「豚の子はやはり豚」

「え?」

「豚親父もよく抱き着いてきやがった。私が一人の時、野郎はいつも“あの男”の名で呼んだ」

 今思い出してもムカつく。

「爺ィは“あの男”が家を出た事を死ぬまで悔やんでいた。自分でそう仕向けたのに、失った才能は惜しいとか何とかぬかして。あんまり腹立つから呼吸器を外してやった」

「な!?」弟は目玉が飛び抜けんばかりに驚いた。「それは……それは兄貴じゃない!お前は……まさか」

――何故だ……何故お前が……?こんな事をして何の得が……―――

「豚野郎の告発文は燃やしちまったよ。はっ、あいつめ、私に敵うとでも思ったのか!そうだろうイエリ」

―――……ぐっ、がああぁぁぁぁっ!!!!―――

「はは、あのババァの肉はイマイチ硬かったなあ。もう年だったから仕方ねえか。

そして全てはあの小娘、人魚のせいだ!あいつが親族を喰い合う呪いさえ掛けなければ」

「それでも、“腐水の呪い”は遣り過ぎだ。罪は償わなくてはならない」

「へえ。しかしそいつぁ……えこひいきだろ?こっちは駄目なのにそっちはアリ、ってのはよ」

「そいつは簡単。お前は野放しにしておいたら危険だ。この街の人達を殺す、だろうからよ。俺のお客さんがいるからさ、止めてくれよ」

「微力だけど、私もやるよ」

 心のお強い連中だ。今の私は完全だ、不死の力を思い知らせてやらねば。

「写真を盗ったのは、誠の姿の矛盾を隠すためだな。写真には実像しか写らないから」

「ああ。でも結果的には良かっただろ?誰にも正体バレなかったんだからよ」

 私は両手を掲げた。

「じゃあ即席パーティーさん!私を裁けよ、裁けるものならな!!」

「や、やめろ!!」

 弟の腕の力が強まる。私はゆっくり、四本の腕を背中から生やした。

「イエリさん離れて!悪い氣が膨らんでいる、危ない!!」

「兄貴!手前、どういうつもりだ!?俺等の目的は」

「やめてぇっ!!」絶叫が石壁に響いた。


 バシュウッ!


「あ………に」

「ひゃぁはははははっっっっ!!!!」

 消化液の出続ける手が弟の四肢を捥ぎ取る。支えを失った醜い身体が床に崩れ落ちる。

「不逞の弟よ、お望み通り喰い尽してやろう」

「ちぃっ!光よ!」

「水流よ!」

 小賢しい。熱を持った矢と、水圧の糸が腕の何本かを切断する。しかしすぐさま回復し、絶命しかけたモノに喰らいつく。血溜まりから抜いた腕先はまだ獲物を持っていて、ベチャベチャ音をさせて咀嚼している。身体に吸収した物が流れ込み、同化した。

「さぁて……一気に全員殺ってやろうか――いや、まずは」

「皆、散れ!!」

 総数二十本の腕が全身から伸びる。上半身の服は破れたが、身体はこれからのショーへの期待で火照りだしている。

 いいぜ、いいぜいいぜ―――最高の気分だ!!!!!

「お前からだ、探偵さん!!」

「っの野郎!!」

 銃口が火を吹く。



「って、あのヤロ。思い切りやりやがって」

 先程オリオールに蹴られた尻が痛む。

 剣を取りに戻って、爺に一言言って帰ろうとしたら。何と船はメンテナンス期間だと言って全便終日運行停止。当然戻れない。嵌められた事にようやく気付くが後の祭り。

 幸い家で茶を飲んでいた男、誠がメシを奢った行き倒れ、の船に便乗させてもらえた。乗り心地もまあまあで、時間に三十分遅れたが屋敷の門を潜れた。つくづく助けられている。

 床に等間隔で落ちていた蛍光塗料を塗った小石を拾い(何だかんだ言って小細工はしてくれる弟)、地下室からさらに下った。途中、向こうから話し声のする壁を発見して二人を助け出した。両という奴はかなり酷い怪我をしているので、一端引き返して街の病院まで連れて行くそうだ。

 それにしても、弟君があれほど凶暴だとは思わなかった。誠の話でもっと優しいイメージをしていたが、本物は見た目通りのガキだ。

 妙な壁に空いた穴を抜け、さらに加速をつけ走る。

(置いてけぼりにしたんだ。絶対無事でいろよ――)

 とうとう辿り着いた、最後の扉。この向こうに―――呪いの張本人がいる。

「扉……ちっ、閉まってやがる。おーい!」

 叩けど蹴れど一向に開かない。向こうではかなり白熱した戦いをしているらしく、ドンバンひっきりなしに聴こえてくる。

「てめぇ、開けやがれ!!」



シール!」

 透明な壁が間一髪腕の侵攻を抑えた。

「誠。無茶をするな!下がれ!」

 聖族の言葉に探偵殿は首を横に振った。よろめく脚に力を入れ、ガシャン、と慣れない手付きでベレッタの弾を補充する。

「今は下がれない……大丈夫、まだやれる。早く皆の傷を」

 両手で銃を構え直し、真っ直ぐこちらに狙いを定める。

「尽力してるさ……リーズ、動ける?」

「う……」

 少女の顔は蒼褪めている。あれだけ床に腹を叩きつければ当然だ。おそらく内臓が損傷している。

「アイザ、ケルフの足は止血できた?」

「取り敢えずは。……動かせるかい?」

 ジーンズの裂け目に合わせて包帯が巻かれた男が呻き声を上げる。

「いっ、てぇ……何とか。リーズ、大丈夫か?」

「平気……エルさん、私はいいからお兄ちゃんを」

「まだ無理だ。ケルフ、弾はまだあるか?誠の援護を頼む」

「ああ」

 男の撃ってくる弾は俺にかすりもしない。明らかに痛みで集中力を欠いている。

 聖族は脱臼しかけた腕の痛みに耐えながら娘に術を施し続けている。

 パシッ!顔に弾が当たる。痛みは無く、頬を一筋血が伝う。

「……ああ、坊やも銃持ってたんだっけ」

 訓練を受けていないど素人のくせに、氣術で大幅に命中精度補正して撃つ。二人が後衛に下がってからは坊やだけが俺を攻撃してくる。大女は消化液で出来た左手の火傷を庇いながら他の三人の守備、聖族は癒しの魔術を使っている。

 とは言え、後ろの連中は眼中に無い。後でいくらでも捻り潰せる。目下俺の敵は、健気に銃を構えた坊やだけ。

「ひゃはははっっっ!楽しくないか、ええっ坊や!!」

 口を開け齧り付こうとした三本の腕の根元を見事に打ち抜く。だが俺には分かった。奴の疲弊が。

「おらっ!!」

「うあっ!」

 続け様の攻撃にバランスを崩し、転倒。手からべレッタが落ち、床を三メートルほど滑る。

 動けないように腕を全身に巻き付け、身体を扉に押し付けた。衝撃に苦しそうな呻きを上げる。

「やめろ、化物」聖族が俺を睨む。

「外野は黙ってろ。……さぁて」

 舌なめずりしながら、俺はゆっくり近付いた。

「ほお……可愛い顔してるじゃねぇか。どれ、もっとよく見せてみな」

 前髪を引っ張り、こちらに視線を合わさせる。怯えた眼を見て思わず「いいねぇ」と洩らした。

「……ぃやっ……やめっ……」

「何恐がってるんだ?坊やは喰わねぇよ。まぁ、じっくり楽しませてもらうけど」

 耳の穴に息を吹き込むとビクッ、と身体が跳ねた。その所作は顔こそ違え“あの人”にそっくりだ。

「そうだ坊や。取引しようじゃないか」

「誠君、聞いちゃダメだよ」

「お嬢ちゃんにもいい話だと思うんだけどなぁ。

取引ってのは単純さ。坊やがあの聖族の兄ちゃんの頭撃ち抜いたら、そうだ。他の皆は無傷で助けてあげよう。だってこのまま殺り合っても負けるのは坊や達の方だ。なら、一人でも多く助けたいだろ?」

 助ける方に坊やは入っていないんだけどね。

「誠、んな取引に乗るな!」

「……誠、君に任せるよ」

「あんた何言ってるんだい!?」

「皆を巻き込んで怪我させておいて、責任取れないなんて言えないよ。その化物が約束を守る保障はどこにも無いけど……誠が撃つなら僕は避けない」

 坊やはしばらく沈黙していたが、顔を上げて皆の方へ向いた。

「……帰る時はみんな一緒……パーティーは、誰が欠けてもいけないから」

 俺の目を強い眼差しで見る。

「……だから、撃たない」

「なら徹底的に壊してやろうじゃないか。一人ずつ、じっくり苦痛に悶える様を見せて。大切なお仲間の肉を喰わせてやろう。最後の一片まで残さずにな!!」

 俺のセリフで黒い目が盛り上がり始める。

「泣けよ――己の無力を嘆きなよ」

 その時、扉がドンドンと音を出した。

「誰だ?関係ないか、どうせ開かないし」

「…………ぃる……」

「あ?坊や、誰がいるって?」

「うぃる…たす…けて……」

 さっきまでの気丈は消え、幼子のように小さくしゃくり上げ始める。

「そうか。扉の向こうにいるのか……」

 既に頭にはある考えが浮かんでいた。

「おい!聞こえているか聖族様、今からこの坊やを嬲ってやる!てめぇはそこで悔しがっていやがれ!!」

 聞こえるようにワザワザ大声で言ってやった。

 扉から少し離れ、ゲゲッと嗤う。ざまあみやがれ。

 刹那、閃光が起きた。

「なっ…………!?」

 腕が全て切り落とされたと認識したのは、慌てて離れた数秒後だった。



 寸での所で逃げられた。流石に一筋縄ではいかない相手だ。

「てめぇ!ナメた真似してくれやがって、この化物野郎!!!!」

 ズルズルと触手が再生していく。だが、全部を一度にとはいかないようだ。五本が復元して構える。

「ウィル……本当に来てくれたんだ」

 左手同士はしっかりと繋がっていた。扉の向こうから、このほの白い手が俺を引き寄せた。

「ああ。紆余曲折あって遅刻したけどギリギリセーフ、だろ?」

「うん。ありがとう」

 奇跡を起こした手を離す。

「おい、エル!さっさと殺るぞ、こんな奴!」

「兄上、いきなり出てきて仕切るな。君はただの下僕だろうが」

「お前のじゃねえからオッケーなんだよ」

「……一理あるね。リーズ、立てるか?終わらせるよ」

「うん。何とか、頑張る」

「化物も全員で掛かりゃ何とかなるってか?」

「行くよ」

 化物はさらに触手を増やす。

「いい気になるんじゃねえ。おいお前、不死に憧れて何が悪い?誰でも生きたいと思うだろ?」

「……分かんねえよ。俺は不死なんか嫌だ。“第七”の存在さえ、考えただけで胸が悪くなる」

「ああ、そうかい。常人の事なんぞ分からねえって訳か……いいぜ、てめえを一番に殺ってやる」

「上等!!!」

 剣を構える。

「兄上。こっちは相当消耗している。どれだけスピーディーに片付けられるかが勝負だよ」

「弱点は?」

「水袋。“腐水”の場合はそれを破れれば……ただ場所が分からない。攻撃を仕掛けて反撃不能になった所で探すしかないね」

「まどろっこしいなあ。とりあえず総攻撃って事?」

「ああ。無理はするなよ。援護射撃頼む」

「オーケー」

 不意に懐かしい暖かさが襲った。この、高揚する感じは……。

「……皆が頑張れますように……」

 両手を捧げるように組んで、氣を解放する。

「大丈夫。すぐ終わらせてやるから……後ろに下がっていろよ」



 熾烈な戦いに幕が降りようとしていた。

 奴はもはや触手の再生ができなくなっているようだ。攻撃を受け続けた手足ももはや原型を無くしている。

 バシュッ!剣の一閃が最後の一本を落とした。

「諦めろ。お前の負けだ」

 剣の切っ先を喉元に突きつけ、俺は言った。

「勝った……の?」

「……ええ。あなた方の勝利です」奴は穏やかな顔をして終戦宣言をする。

「い……やったぁ!!」

 皆が集まってくる。全員ハイタッチと抱擁で喜びを噛み締め合った。

 クアスの身体はゆっくり崩壊を起こし始めていた。透明な粘液が際限なく床を濡らしていく。

「クアス・コンシュ。君は出生の、呪いの事を誰に吹き込まれた?」

「この辺りでは見た事の無い方です。金髪碧眼……“黒薔薇”を胸に挿した女性」

「……く、ろ……薔薇か?……あいつ……何のために……!!」

 エルは握った拳を激しく戦慄かせた。

「フン、まあいい。兄上、止めを」

「ああ」

「少し……待ってくれませんかウィル様。最後にあなたと話がしたい。こちらに来て下さい」

 俺と?どういうつもりだ?

「行ってやりなよ」

 水溜りに靴を突っ込む。いつの間にか隣には誠が立っていた。

「クアスさん。……ごめんなさい」

 深々と頭を下げた。

「これで良かったんです、誠君。朧げな記憶の中で、私は随分酷い事をしてしまったようです。どうか許して下さい」

「い、いえ。大丈夫です」

「ああ……これで呪いから解放されるのですね」

「そうだな」

「天国で家族は許してくれるでしょうか?」

「さあ?行ってみないことには」

「きっと……大丈夫。だって、クアスさんは優しい人だから。呪いでちょっと、おかしくなってただけ」

「そう、ですね」

 奴はうっすら笑みを浮かべた。今まで戦っていたとは思えないほど、穏やかな顔をしていた。

「ウィル様、頼みが。私の……脚の鱗をマリア嬢に。亡き恋人の息子の形見として」

「ああ。分かった」

 破れたズボンを上げる。鱗は…………………………………………無い。


「馬鹿め!!!!!!!」


 逃げろ、誰かが耳元で叫んだ気がした。

 奴の胸板から一本の太い触手が伸びる。真っ直ぐ、俺の心臓目掛けて。


 バシュッ!


 目の前は真っ黒だ。顔に飛沫が…………滴り落ちる程掛かった。

 全身に被った液体は………………………………あかぁい。

 手も、足も、顔も、胴体も、髪も、服も、赤赤赤赤赤赤赤あかあかあかあかあか――――――

「っの野郎ぉっ!!!!!最後まで邪魔してくれやがってぇ!!!!!」

 誰の事を言っているんだ?狂った化物は誰に向かって――――――。

 ……………まーくん………?………………ドウシテ、ソンナトコロニイルンダ?


 バタッ!


 血塗れの剣を持った。剣技もへったくれもない。


「ぐぁうううっ!!」

 ズブリ。


 額を割る。抜いたそばから頬を刺す。鼻。目玉。顎。口腔―――

 衝動の過ぎ去る時には、奴はとっくに絶命していた。何撃目かで“水袋”を割っていたらしい。顔の原型すら留めてはいない肉の塊。彼を壊した物体。

「と………義父さん………」

「う……」

 血で剣が手から滑り落ちる。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」


 その場に崩れ落ちた。目が勝手に液体を流し続ける。

 死が――俺をまた追いかけてきやがった。奪って奪って奪い尽くしていきやがる―――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌――――!!!!!!!!!!!!























「……だい……じょうぶ……だよ……」

 誰の、声だ……?

「……もう……あなたを……傷付ける人は……いないから……」

 うそ……………だ。

「だから……泣かなくて……いいんだよ………」

 幻聴だ…………俺は、とうとうおかしくなってしまったに違いない。

「……やめろよ………」

「え……?」

「もう沢山なんだよ!!!!さっさと俺を殺してくれ!!!!!」

 忘れかけていた思慕が噴き出す。どうしようもなく甘美な誘惑が心を支配しかけた。しかし、

「……どうして?」

 不思議そうに質問する声に思わず後ろを振り返り…………視点が固定したまま動かなくなった。

「あ、ああ、あああ―――」口からは「あ」しか出ない。

「ねぇ……どうしてウィルを……殺すの……?」

 胸から腹にかけての大きな傷口。大量の血液が床に血の池を形成している。所々にはブヨブヨとした固形物が沈んでいた。……その中心で上半身を起こし小首を傾げる青年。

「ただの寝言だよ、誠。……なあ、兄上?」

「あ、ああ……」

 幻覚だ。マジに正気を失ってしまった、としか考えられない。

「……寝不足なの……?もう終わった……ゆっくり休んで……いいよ……」なのに幻は何度瞬きしても消えてくれなくて、切ない程優しい言葉で直視させようとする。

「そうじゃない……そんな事が問題なんじゃない!!」

 分かった!こいつが現実なのは充分過ぎるぐらい理解したさ!!

 靴が汚れるのなんざ構わなかった。どうせ中身はもっと穢れている。

 細い両肩を掴んで思い切り引き寄せた。シャンプーの芳香と相俟って鉄錆の臭いがした。

「……殴って、くれよ」

 自分が惨めで仕方なかった。一体、俺の無知は何度彼に傷を作った?

「……ごめんね……腕……上がらない……」

 見ただけでも身体に対して血を失い過ぎている。両腕は傷口を押さえたまま動かない。

「それに……ウィルが……誰かが傷付くのをもう見たくないから……」

「だからって……まーくんが傷付いてどうするんだ……」

「平気だよ……死なないから……ゲホッ!」

 吐いた血が肩を伝い落ちていく。それですら――この汚濁した精神を浄化する。

「ゴホッ!ゲホゲホッ!……」なおも唇は朱に染まる、あれほど貧血で白かったのに。

「ご……めんね……すぐ治るから…………先に行って」

「できないよ、誠君」

 リーズが屈み込んで言った。

「あたしも、賛成できない。……その傷、塞がらないよ」

「再生のための血液量が不足しているんだ。屋敷まで戻って薬を――待つしか」

「義父さん……立たせてやってくれないか?」ケルフが言った。

「ウィル……歩けるから……支えてて……」

 見て分かるだろ?立てる力なんか残っちゃいない。この骨と皮だけの身体のどこにも。

「………え――わっ!」

 背中に冷たくなり始めた液体が伝う。ボタボタ……と後ろから音が間断無く続く。

「……お前ら先に行け」

 手に当たったズルリとした感触の物を穴に押し込め、俺は歩き出した。



 最後の一撃を父に加えた後、隣室で眠るマリア嬢を書斎に引き込んだ。

 仮面を脱ぎ捨てた獰猛な目が、ドレスを着た憎っくきマリア嬢を射抜く。そして、


 グサッ!


 持っていた包丁が半分以上腹に埋まり、段々生地が赤に染まっていく。

『―――っ!』

 半開きのドアから覗く弟と目が合った。恐怖をふんだんに含んだ視線――。

『――どうして……!?』

 可笑しかった。何をそんなに怯える必要がある?

 変だと気付いたのはその時だった。致命傷を与えたはずの彼女がずっと呼吸をし続けている。

『ここにいなさい』

 彼を残し急いで部屋を飛び出した。あの化物を捕まえれば完全に不死になれる。



 地下から脱出し、手近な部屋に寝かせた頃には夜半を過ぎていた。

「まーくん……まーくんっ!!」

「マズいな、意識が無い……」

 脈と呼吸を確かめる弟。

「――呼吸は無いけど脈は一応ある。だが……仮死状態に陥ったらどうなるか……」

「どういう意味だよ……それ……?」

「長い間血液が回らないと……不死族でも完全に元に戻らないかもしれない。たとえ再び巡ったとしても、人間みたいに植物状態になる可能性もある」

「そんな……っ!」

「前例が、無いんだ。ゴメンよ兄上。僕は……多分こうなるだろうって、君の運命の目を使わなくても分かっていた。相手は死肉喰らいで自壊を起こさない制御ができてて……強いと判断できてた。星警察なんてお話にならないぐらい。

だから、皆が怪我するのは目に見えてた。いや、死ぬ事だって視野に入れざるを得なかったさ」

「言わなかったのは、あたし達が怖気づくと思ったから?」

「違うよ。思い込みで士気を落としたくなかったんだ。それに君らは言って聴くような人種じゃない」

「まあ、確かに」

「僕は誠にだけ、その事を言った。『僕が死んだら皆を連れて逃げろ。例え一人になっても足を止めるな。君の命は前を歩くためにしかない――』って、説教みたいなことをね」

「それで……?」

「否定された、完璧に。『躊躇わずに皆を助けるのが仲間』と、言ったんだ。だから……」

「……こんなになるなんてあんまりだ」

 また一筋、涙の痕が作られる。

「どうすればいいの?」

「僕とケルフは病院へ。薬の入っていない血液があるかもしれない。

リーズとアイザは精肉場に行って。獣の血がこの段階でも効くのかは分からないけど」

「分かったよ。行こう」

 四人がドアへ向かう後姿を見て、

「俺は……どうすりゃいい?」

 弟は厳しい顔で振り返った。

「御主人様の様子を診てなさい。兄上にしかできない、仕事なんだから」

「ああ」



 皆が出て行って一時間ぐらい経っただろうか。

「………ぁ……」微かな声に、ベッドにうつ伏せていた俺は飛び起きた。

「まーくん!」

 うっすらと目を開けた彼は――虚ろな眼で辺りを見回した。

「……みんな……どこ………?」

「もう大丈夫だからな。すぐに血が」

「……こわい……みんな………どこいっちゃったの……?」

「え?」

「くらいよぉ………さむいよぉ……みんな…おいていかないでぇ………ひとりにしないで……!!」

「まーくん!しっかりしろ!!俺はちゃんとここにいる!!!!」

 声を張り上げて肩を叩きながら何度も言う。だが、届かない。

「やだ……どうしてみんないなくなっちゃったの……?でてきて……おねがいだから……!」

 血と五感を容赦無く奪われた彼は泣きじゃくる、幼子のように。

「たすけて………だれか……ひっぐ……えぐっ……」

 そうっ、と涙を舐め取った。頭の両側を優しく掴み、頬をすり寄せる。

「大丈夫だから……お前は一人じゃない」

 彼の頬の筋肉が、僅かに笑みを作った。

「………ぃる…………そこに……いてくれたんだ………よか………た……………」

 目を閉じた。慌てて手首を掴む。脈が止まっていた。

 心臓がバクバクしている中、右手は剣を取った。


 ザクッ!……ブシュッ!


 左手首から呪われた血が半開きの口に流れ落ちる。笑んだまま、美味しいとでも言っているかのようだ。

「……さあ、下らない聖族の血よ。全部流れちまえ」

 数分後、血小板の働きで血が止まる。生理現象を無視し、俺はもっと大きな傷を付けた。


 ブシュッ!!


 痛みは始めから無い。感情が振れ過ぎて身体の感覚は麻痺してしまったのだろう。

「まーくん……早く起きろよ……お前は生きなきゃいけないんだから………」

 段々眠くなっていく。………最後か………光を与えられるなら……悪かぁ…………ないな…………。



「………おい」

 重い瞼を開けると、彼の青年がベッドの淵に立っていた。

「あ、あなたは………どうして?」

「決まってんだろ?忠告しに来たんだよ」

「ちゅう……こく……ですか?」

「まだ寝てんじゃねえのか、頭?――まあいい。

おい、お前のする事は三つだ。一つ、隣のアホを喰う。二つ、病院に行ってガキと合流する。三つ、この星から逃げる。どうだ、分かったか?」

 青年がいるのはベッドの左側。右側を見てみると、全身血塗れの彼が横たわっていた。

「――――っあ!!早く手当てしないと―――」

「無理だな、こいつはもうじき死ぬ。出血多量で」

「……し………ぬ……の?」

 この人はどうして平然と言うのだろう。死ぬって、何も無くなるって事なのに。

「当たり前だろ。……まぁいいじゃねえか、こいつも死にたがってたしさ。結構満足そうな顔してるんだぜ」

 突っ伏した頭を仰向かせる。最上の夢を見ているかのような笑顔。

「だからさ――きっちり最後まで片付けて」

「……嫌……です」

 呆れたのか頭を振る青年。

「あのな坊や。物事にはどうしようもない事があるの。いくらお前が駄々捏ねたって駄目なモンは駄目」

「でも……」

「大体、どうやって助けるんだよ?純血聖族って奴は輸血できないんだぜ。不死の血なんて論外だしな――」

「……増やせば、いいの?」

「は?」

「まだ残っている血が増えれば助かるの?」

「お……おいまさか!!!」

 腕を取り、まず傷を治そうと氣を練り始める。

(ゆっくり……周りと自分の氣を高めて……)

 初めてで力を制御できない。

「――治れ、傷よ塞がって……!」

 光が掌から照射され、一瞬で跡形も無くなった。一気に氣が消失する。

「……ぁ」

 休む間もなく集中を始めると、青年が腕を掴んだ。

「離して!!」

「阿呆!気付いちゃいないかもしれないがな、お前の残存血液量は十七パーセントだぞ!?二割にも達していないんだ。このまま無茶をしてみろ、今度こそホントに死ぬぞ!!」

「それでも……助けなきゃ」

「いいか。今やろうとしている馬鹿事は治癒魔術の領域を完全に逸脱している。ほとんど蘇生に近い。普通の状態でも生死を賭けなきゃできないだろう。今のお前じゃ成功しても失敗しても確実に」


「“私”はウィルに死んで欲しくない!!!!!!」


「……っ」

「お願いだから黙って見てて下さい」

「……こいつとお前は似た者同士だよ。すっげぇ気違いとどうしようもない阿呆」

 手が外れた。すう、と息を吐く。

「いちおー、横にいてやるよ。見てるだけだけど」

「ありがとう、ございます」



 ガツッ、ガブッ、クチャッ………


 遺跡の最深部。サルタは残った死体の肉片を啜り尽くした。

「ああ……私は生き残った……人魚の若さも力も私だけの物……」

 ドクンッ!心臓が激しく脈打った。

「?」

 開け放した入り口の扉の向こうに、彼女がいた。

 マリア・アンサブ嬢。

 娘は金髪を弄びながら自分を見て微笑んでいる。

 姿を認めた途端、脚が彼女の方に向いた。

「な……?」

 サルタの意志とは関係なく歩き始める。道を戻ってゆく嬢を追うように。

(な……何なの……?私の脚………)

 マリア嬢は道の真ん中で立ち止まった。一度こちらを振り向き、えもいわれぬ妖美さで笑った。

 そして湧き上がる海水へと飛び込んだ。飛沫が顔を濡らす。

 数秒後、躊躇い無く自分の身体も没した。

(そうだわ……マリア嬢も……喰べなきゃ)

 グングン加速をつけていく身体。しかし一向に追いつかない。

(人魚だから泳ぐのが速いのね……………何?今ピリッと腕が)

 次の瞬間、腕の皮膚が水圧で剥がれた。

(え……?)

 ボロボロ……と身体のあちこちが崩れ始める。

(な、な、なっ!!!―――いやぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!!!!)


 ブチビチビチビブブブブブビビュブチュ――――


 女の意識は海に漂う肉片と同化した。そして、

 “内から出でたモノ”は水面に大きく跳ね出でた。


 バシャンッ!!!




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