七章 変わる者変わらぬ者変わりつつある者
―――地元新聞記者溺死。所持品のいくつかが不明。動機との関連か――
新聞を読みながら俺は紅茶を飲んでいた。昨日のパーティーで見かけた顔だった。大広間で何枚か二人連れ立っての写真を撮られた。随分押しの強い、煙草臭い男だった。
コンシュ家の人々は安全第一で警察署に護送される事になった。準備に立って一時間になる。
「ムスリムのお兄さん」金髪の娘が食堂に入ってくる。
「ああ、マリア。屋敷を歩き回ってたのか?」
「ええ。向かい席、いいかしら?」
いいとも悪いとも言わぬ内に座る。
「さっきね、彼の部屋に行ってきたの」
「彼?」
「日記盗み読んできちゃった。帰ってきたら隠しちゃうもの」
「悪趣味」
「メモ帳みたいなのばっかり。『明日旅行』とか。三ヶ月ぐらい空いてる時もあるし」
「無精者だな、お前の彼氏」
「いなくなる前のページ見て驚いちゃった。『マリア、人の日記を勝手に見るな』だよ。それが一番長い文」
結構鋭いのよ、と彼女は言った。
「お前の彼氏ってコンシュ家の?」
「――違うわ。ここは彼の物を置いてあるだけの場所」
「ふうん。もうすぐ帰ってくるのか?」
「明日の朝。楽しみだわ、とても久しぶりなの」
複雑な事情があるようだ。それ以上は訊かなかった。
「帰って来たらあの」
「た、大変だ!!?」
バタンッッッ!!!
「どうしたの?」
走りこんできたのはラキス。慌てた彼の後ろからエルとリーズが入ってくる。
「れ、連中がいなくなった!窓が開いてて……海に逃げやがった」
その台詞にマリア嬢の表情が一瞬固まる。
「騒ぐんじゃない、ラキス。想定の範囲内じゃないか」
「エル、お前最初から知ってたな。呪いが成就するには」
「ああ。……で、どうする?」
「屋敷の警察官を解散させろ。金目の物を金庫に集めて、夜までに警察署で保管してもらう手続き。騒ぎに乗じて泥棒が入らないとも限らないからな。九時にはここを無人にしておいてくれ。決着をつけてやる」
「九時……分かったよ」
「宜しい。
さて兄上。ちょっと思い出したんだ。行ってくれるかい?」
「何だよ?」
「戻って武器を取ってきて。あれは確か破邪の剣だろう。“第七”にも有効だ」
「家にか?でも時間が」
「はは、大丈夫だって。時刻表でも充分余裕あるもの」
確かに自分の獲物があればいざと言う時対処もしやすい。しかし万が一時間内に戻ってこられなければ……ああ、大変危険だ。
「分かったよ。出てくる、後は頼んだ」
不安を振り払い、玄関へ一直線に走り出だした。
売人との交渉の帰り、浜で貝を拾っていこうと思った。この辺りで採れる紫貝は大層綺麗な色合いと有名だ。なるべく大きいのを見つけ、小物入れとして四にプレゼントしたいな。
浜に到着して妙な女を見た。全身ずぶ濡れで何か探している。
「何探してんの?」
砂塗れの女はビックリしてアタシを凝視したが、すぐに笑みを浮かべた。
「巻貝をあげる約束をしていたの。今朝まですっかり忘れてて」
「一緒に探そうよ。アタシもね、紫貝見つけようと思って来たの」
「紫貝は、そう小さい時一回見つけたわ。砂の下の方に埋まってた」
「巻貝は小さい奴?」
「あなたの手ぐらいの大きさ。白地に焦げ茶色の斑点が付いてる。それのもっと成長した物よ」
しばらく砂をまさぐりながら他愛も無い話をする。
「……お、あった。これ?」
手の中の貝を見せる。女は大きく頷いた。
「ええ。大きさも丁度だわ、ありがとう」
「紫貝は無いな。絶滅したか」
「海向かいの無人島に沢山あるって聞いたことあるわ」
「いや。そこまでは行けないよ。諦める」
「そう。残念ね」
「ただの思いつきだったしね。次に期待する」
肩を竦めた。贈り物はまた今度。
「アンタは誰に持っていくつもり?」
「宇宙で一番大事な人よ。ずっと昔だから、本人はもう覚えていないかもしれないけど」
彼女は寂しげに笑った。
「私、身内を沢山無くしたの。お父様もお母様も……皆いなくなっちゃった」
「アタシもいないんだ」
「そう」
「お母さんは天涯孤独で七歳の時に死んだ。お父さんは仕事で家に帰ってこられなくて……今どうしてるか分かんない。両方ともとっても優しくて温かくて……いい親なんだよ」
「素晴らしいご両親ね」
「今でも大好きだよ。お父さんは小さい頃に電話でしか話したことないけど……凄くお母さんとアタシを愛しているの」
幸せな思い出が甦ってくる。
――アイザ、お誕生日おめでとう。一緒に祝ってやれなくて……本当にごめんな。――
父は泣いていた。電話の向こうで何回も何回も詫びた。子供心にジン、としたものだ。
――お父さんありがとう。大事にするね、テディベアのクマちゃん。赤いリボン着けて可愛いね。――
――アイザ、それお母さんが選んだのよ。クマちゃんもお洒落したいかなと思って。――
――わあ。お母さんありがとう!――
――お前の声が聞けて、お父さん幸せだよ。来年は三人一緒に祝おう。――
父も母も自分も、とても幸せだったあの頃。心の原風景に残る、大切な思い出。
「あなたと話せてよかったわ。いつか優しいお父様に会えますように」
「ありがと」
「ドジった…」
貸している肩が痛い。けど離すわけにはいかない。
「マリア、もういい。自分で歩ける」
嘘。脇腹の傷から血が流れ続けている。
「ここまで来れば誰も来ないの。聖域だから」
辿り着いたのは大広間。儀式をするためだけの場所。
祭壇の前に仰向けに寝かせる。その隣で座った。
「…………マリア」
血の気の失せた青白い顔。
「あなたの言った通りだった。お父様は聞く耳を持たず、それどころかあなたを殺そうとした」
「済んだ事だ。気にするな」
「言う通り逃げればよかった……そうすればあなたは」
声が出なかった。温かい物が唇を塞いでいた。
「止めろ」
「うん……」
「俺は奴を赦せない。お前を犠牲にしようとしている」
「私は直系だからしょうがないわ。それが定めだった……ラベルグが現れてくれるまでは」
「昔の事だ。もう忘れろ」
あかぁい物がとめどなく溢れてくる。開いた傷に無理矢理手を押し付けた。
「くっ……このポンコツが動けば……あいつを殺れるのに……」
「やめて……あなたの気持ちは充分なの……もう安静にしていて」
「嫌だ、俺は……死ねない……死にたくない……!」
彼の生命力がどんどん低下していくのが分かる。焦点の合わぬ目で私を見た。
「マ……リア」
「ラベ……」
終わりの時が来たのだ。
「お前と……海原を泳いでいけたらなぁ……ただっ広い海を……二人で……」
目が閉じられる。呼吸がどんどん弱くなっていく。
「お願い……私を……一人にしないで……」
龍王様、神様、彼を助けて――。
「……悪い……」
脈が止まり、身体中の機能が停止する。
「あぁ……見てみろ、マリア……。海が……蒼くて……綺麗だ………………」
三人が船に帰ってきた時には、既に昼の二時になっていた。
「ただいまーっ」
「おかえりなさい皆。あれ、ウィルはどうしたの?」
「ちょっと家まで剣を取りに行ったの。九時までには戻ってくるって」
「そうなんだ」
少し残念だった。昨日の雑誌の続きを読もうと思っていたのに。
「さて……皆いいかい?今夜九時に屋敷に乗り込む」
「うん」
「“腐水の呪い”を解くためにね。そこで兄妹、参加してくれない?」
「な、何で?」
ケルフは驚いている。リーズは逆に冷静で、「力が足りないんだね?」と尋ねた。
「ああ。僕と兄上、アイザに誠じゃ明らかに不足さ。しかも一人は自分の身を守れない。時間の都合上他を当たる訳にもいかない。それに……説明が面倒だろ?今更」
「………それって、“あの”」
何だろう?
「知ってるなら話は早い。何か獲物は使える?」
「拳銃。後は昔格闘術習ってたぐらい」
「上等。リーズは水の魔術が得意だったね。期待してるよ」
「うん。分かった」
バタンッ!
「ただいま。…あれ、ウィルは?」
アイザはミネラルウォーターのペットボトルを提げて入ってきた。
「帰省中」
「そっか。早く戻ってくるよね」
「それよりどうしたんだい?砂だらけじゃないか」
「あはは。ちょっとそこで貝探してた。あ、そうだマリア。紫貝、この街ならどこにあるか知ってる?」
「ええと……島の東かしら。でも、今は時期から外れてるわ」
「何だ、そうなの。ありがと」
「どういたしまして」
雑誌で見た貝殻はとても綺麗な色をしていた。時間があれば一つ拾ってお土産にしよう。
「エル」
「誰かに襲われた?」
「え…どうして分かるの?」どこかで見ていたの?
「分かるさ。で、知ってる人?」
「うん」
「ふぅん。成程。で、置いてきたんだ。正しい判断だね」
「ええと……どうしたら、いい?」
「また現れるさ。必ず今日中には出てくる」
彼は我が耳を疑った。
「何だって?」
目の前の人物の吐息が耳朶を翳める。
「でも……助けてくれる?マジで?嬉しいな」
心の底から笑みが零れる。
「いいぜ。何もしなくていいんだ。下手な事喋らなきゃオッケーか」
彼の足元には粉々になった貝殻が散らばっていた。
儀式の間で、私は本を読んでいた。
人魚姫を人間の騎士が助ける、甘く優しい御伽噺を。
ガタンッ!
「マリア、一体どういうつもりだ!?」
父が顔を真っ赤にして怒鳴りながら入ってくる。私は本を祭壇に置いて「まあ」、と言った。
「お父様どうなさったの?もうお年なんですもの。お身体に触りますわ」
「しらばっくれるな!お前が持たせた薬を飲んだ奴等は次々倒れた。あれは……毒薬か」
「いいえ。違います」
「じゃあ何だ!?あの赤い粉………………まさかっ!!」
面白いぐらい顔色が真っ青になる。
「お、お、お前―――もう一つの呪いを――!!!」
「お父様が悪いの。早く人間達と仲直りすればよかったのに……一族の宝物庫を空にすれば、きっと彼らも手は出さなかったわ」
「ば、馬鹿を言うな!何故我等が許しを請わねばならぬのだ?元々“蒼の星”は我らヤーシェのものなんだぞ」
「関係無い……お父様、見苦しいですわ。もうやめて下さい」
「マリア、今からでも遅くない。解呪しろ。さもなくば……お前を殺して呪いを止める」
「まあ、お父様。遅くないですって?」
私は淡々と続けた。
「ラベルグは死んでしまった。遅過ぎたの、全てが」
「わ、私が悪いのか!?私を責めてどうなる?あの男は我等の敵だったんだ。知っているだろう、奴はコンシュ家の男だぞ!」
「それが如何かしました?」
「一族を滅ぼす気か!巫女ともあろう者が……お前の命は我等を蘇らせるための」
「聞きたくないっ!!あなたの言っている事はただのエゴよ。呪いは巫女のあらゆる物をを殺していったわ。使命のせいでお母様がどれだけ苦しんで死んでいったか、忘れたとは言わせない!」
脳裏に焼きついているのは臨終の母。両目は潰れ、耳は削がれ、髪は一本も無くなり頭皮はボロボロに崩れ、若い頃美しかった四肢は右腕を残し無くしていた。――自ら達の命を長らえさせる、ただそのためだけの犠牲。
「あ、あれは病気だったんだ。呪いとは関係な……」
「お母様と、たった一人の異母兄妹を……よくも殺してくれたわね!!」
バタンッ。
扉から入ってきたのは父の親友。装飾屋の主人で何回か遊んでもらった。だけど彼もまた、母の命を吸った憎むべき仇。
「ムラカ、何故ここに……やめろぉっ!」
彼は乾き切っていない血の付いた槍を両手で持っている。虚ろな目をしたまま、それを父に向ける。
「マリア……赦してくれ……頼む、私を殺さないで」
「嫌」
「私は父親だ。お前をここまで育ててやった恩人だぞ」
「だから?」
「私が死ねば同胞は途方に暮れるだろう……助けてくれ、この通りだっ!」
「……彼は命乞いする間も与えられなかった」
父は走って扉へ行こうとする。その後ろ姿を見ながら、冷たく言った。
「やって、ラベルグ」
彼は槍を構え、一直線に背中へ突き刺す。心臓ごと貫き、周辺に赤の華が咲いた。
八時五十分。
月が辺りを照らす中、五人は寄り添い合いながら屋敷へと向かっていた。
「さっき電話があった。薬は明日の朝に到着するそうだ」
地下、それも水路を行くので、皆防水性の下着と靴に着替えている。夜は冷えるからプラスパーカーや薄めのジャケットを着用。誠は持っていないが、本人が寒くないと言っての格好である。
「薬飲めば皆に迷惑掛けない?」
「まぁ、当面は」
「ありがとう」
「でも朝って大丈夫か?間に合うのかよ」
「それは」
「しっ!……門に誰かいる」
人影を確認しながらアイザが低く言った。
「暗くてよく見えないな」
「……イエリさん」
「ほら、やっぱり現れた。――おーい!」
人影が立ち上がる。
「行こう」
皆が門の前に集まる。イエリは人数に圧倒されたのか、一歩後ずさった。
「エルシェンカ様、こんな大人数で何をしに?家を解体でもする気ですか」
「聞いてないのか?君も一緒に来い。呪いを解いてやろう」
「……分かった。口は割らないが付いていく」
「結構」
全員腰を下ろし、最後の一人を待つ。
「後五分も無いよ。本当に来るのかな?」
「来るさ。来ないはずがない」
「イエリさん……あの、頭大丈夫ですか?強く打ったみたいだから……ごめんなさい」
青年はそれまでムスッ、としていたが、急に困った顔をした。
「おいおい坊や。それはオフレコだろ?人が知らない振りしてるんだから、ちっとは合わせなきゃ」
「??」
「誠君は本気で心配しているんです、イエリさん。痛いなら痛いと正直に言って下さい」
「……別に傷にもなってねえよ。一応鎮痛剤飲んできたし特に問題ない。兄ちゃん、人殴るならもっと思い切りやれよ。いざとなったら死ぬぜ」
「昨日の疲れが残ってただけだよ。ライブが無かったら、今頃お前は海鳥の餌だ」
「お兄ちゃん。それだと負け惜しみにしか聞こえない」
「ははっ、妹の言う通りだ」
その時、下の道から誰か歩いてきた。
「待たせたな」
月光が全員を照らしている。
ウィルは渋めの色のジャケットを羽織り、腰に長剣を差している。
「……ああ、待ったよ。
さあ行こうか。“人魚と人と死の”呪いを解きに」
ゴゴ……。
「壁が動いてる」
一定間隔で起きる振動。
「誰かが隠し扉を押して開けようとしている」
「奴、か?」
「分からないけど、多分」
「チャンスだ。逃げるぞ」
「うん。両さんは怪我してるからすぐ脱出して。僕が引きつける。隙を見て入り口へ走るから、その間に開閉装置を探しておいて。閉じ込めて時間を稼ぐ」
「分かった……来るぞ!」
扉が開かれた。
「それっ――――あ、あれっ?」
素っ頓狂な声が上がった。
地下室の床を上げ、更に地下へと潜っていく。魔術で明かりを灯すランプを掲げながら、一行は両脇に海水の流れる通路を歩いていった。二人しか並べないため、前からケルフとウィル、リーズとアイザ、イエリと誠、最後尾にエルがついた。
ケルフが壁をランプで照らす。びっしりと象形文字が描かれている。
「これは何だよ?」
「人魚の文字さ。発祥初期の物だね、ざっと六百年前かな」
「宇宙暦百年か。随分古いな」
カツン、カツン。靴の音が反響して、ゴウゴウと鳴る水音と交じり合った。
「ここは人魚達の儀式場だ。彼らにとって禁断の、“腐水の呪い”を封印するための場所」
「エルさん。こう言っては失礼だけど……勝算はあるの?相手は死なないんでしょう?」
「所詮は紛い物。勝てるさ、リーズ」
エルは口の端を僅かに持ち上げて少女を安心させる表情を作った。
「そうだよね……」
「そうさ。必ず勝てる」
ウィルが確信を持って断言した。
「そいつの言う通り。だからしっかりサポート頼むよ、奇跡使い殿」
「う、うん!」
地下に入って五分経っただろうか、七人の前に道一杯の壁が現れた。
「どうやら仕掛けらしい。皆、ちょっと来てくれ」
壁には縦に並んだ七つの絵柄。その隣に同じ数だけの窪み。右手の壁端に蓋の開いた石の箱があり、中に文字を刻んだ石版七枚。
「近海の魚の名前……だな」
図は上から剣を持った人、杖を持った人、人魚、狼、妖精、黒い羽根の怪物、頭蓋骨を持った人。
「要は、穴に正しく石版を入れればいいんだね」
エルは腕を組んで、「よし」と呟いた。
「兄上とケルフやって。他の皆は適当に休んでて」
「な、何で俺もなんだよ?」
「一番消耗してなさそうだから。五分もあったらできるだろ?早く開けてね、じゃ」
壁を突破してさらに数分後、大きな石の扉が現れた。高さ三メートル、幅五メートルは優にある。
ギィィィィーーーーーッッッッ…。
七人が入ると、扉は音もなくゆっくりと閉まった。
屋敷の大広間の五倍はあるだろう部屋。中央に石床に朱で刻まれた巨大魔方陣が見える。奥には書棚が約十。調べると、いずれも分厚い魔術書がギッシリ詰まっている。人魚語の本に混じって、赤黒い表紙をした不死族に関する書籍が見える。
「ここで終わりだな」
「誰もいない……ね」
「エルシェンカ様、こいつは一体どういう事ですか!?犯人捕まえて呪いを解くんじゃなかったのかよ!」
「待ちなよ……椋鳥が答えを告げてくれる」
「死呼ぶ鳥が?」
「さあ椋鳥よ。殺人犯を告げるが良い」
静寂を打ち破ったのは静かな声。
「……犯人は」




