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六章 再度の襲撃


 起きた直後、ここがどこだか分からなかった。十分ほどして、

「あぁ、船か……」

 ひたすら眠い。昼まで寝ていよう――。

「おーい、兄上ー!」


 ドンドンドンドン!


 無視。布団を引っ被って目を閉じた。

「兄上ー、誠が」

「なっ!ちょっと待ってくれ」

 反則だ、と思いつつ飛び起き着替えを済ませ、ドアを開けて廊下に出た。

「どうしたって?また変な奴が出たのか!?」

「まだ寝てるから起こしてきて。朝食はもうすぐ」

 五秒の沈黙。

「……それだけか?」

「うん」

「んだけで俺を起こしたのか?」

「御主人様を起こすのは下僕の大切な日課だろうと思って“わざわざ”言いに来て“やった”」

「今すっごく妙な単語を聴いた気がするが、寝起きの頭は半分夢の中だからな。聞き流しておいてやるよ」

「早く行け下僕。口答えするな」

 やはり寝惚けているようだ。まあ、どうせ様子を見に行くつもりだったのだし。ここは一応感謝すべきなのだろう。

「あ、召使い。ちょっと待って」

「何だよ?」お前の召使いじゃねえよ。

「昨夜の事、船員の寝落ちは魔術のせいだ。相手は“腐水”を使い、さらに魔術に長けている。注意しておいてくれ」

「分かった。ありがと」

「あと兄上の寝落ちは」

「ああ」

「糖分の過剰摂取だ」

 三つ隣が件の主人が寝ている部屋だ。

 まずは軽くノックしてみる。が、返事は無い。

「まーくん、開けるぞ」


 ガチャッ。


 朝日は薄いカーテンで三十パーセントほど遮断されている。来客用の部屋は綺麗に掃除されている。

「朝だ」

 奥のベッドで行儀よく眠る彼に囁くように言う。反応は無い。

 余程昨日が堪えたのだろう。もうしばらく寝かせておこうか。

(朝飯は後から運んでもいいしな……可愛い)

 そう考えながらベッドの淵に腰掛ける。額に手を伸ばし、顔に掛かった細い黒髪を払う。


 目が開いた。


「……うぃる……え…?」

 状況が把握できないのか、キョロキョロと困惑した眼で辺りを窺う。小動物のような仕草に我知らず頬が緩む。

 やがて、「あぁ……」と呟いた。

「起きなきゃ」

 ゆっくり上半身を起こそうとする。だが直に元の位置へ倒れこもうとした。何とか片手で背中を支えて起こし直す。

「ごめんなさい。手、離していいよ」

「まだ駄目だ。気分は?今日は寝てた方がいいんじゃないか?」

「ううん、大丈夫。いつも、すぐ良くなるから」

「そうか。本当、無理するな」

 心配でおちおち目も離せやしない、そう心の中で続ける。

 胸元がはだけている。痩身の身体にやや余るバスローブの前をさりげなく整えてやる。

(あん……?)

 手首の傷が増えている。前の分の少し手前、五センチぐらい大きい。

「どうしたの?」

「あ、ああ……傷が」

「あるの?」

「もう一つできた。二つとも左手首の内側」

 こう、と指で幻を示す。

「怪我する場所が見えるの?凄いなあ」

「あ、ありがと……でも、こんな所切ったら痛いじゃ済まないよな」

 自殺の傷じゃないのか、これ。気味悪。

「いたい?」

 不思議そうに小首を傾げる。

「まーくんも頭怪我した時すごく痛かっただろ?」

「そう……なのかな。血が沢山出て頭がぼーっ、としたのは覚えてるけど」

「意識が混濁してたんだ、それ。寝起きの感覚と一緒だよ」

「ああ。そうだね」

 頭部を損傷して病院にも行かせないのはマズイ気がする。脳溢血等は衝撃を受けて三日前後で発症する可能性が最も高い。最低レントゲンは撮るべきだろう。

「……ま」

「ウィル、不死族って悪い人なの?」

 不思議そうに問いを放つ。

「どうして、そんな事を訊くんだ?」

「滅べばいい、昨日そう言ってたから」

「ああ……あの時か」

 シャーゼと話した時、つい口から零れた言葉だ。

 温かい水が手に落ちた。

「まーくん……?」

「……悪くないよ。誰も傷つけたりしないのに……」

 彼はなおも辛そうに嗚咽を洩らす。

「でも、お前を襲った奴は」

「あの人は……怖かったけど、違う。違うよ」

 首をブルブルと振る姿が痛々しい。

「でも不死は……いなくなった方がいいんだよね?」

「そんな事ないさ。奴らだってきっと、意味があってこの世界にいるんだ」

 こんなに堂々と嘘を言っている俺は、きっと地獄に落ちる。

「本当?」

 心にもない事を騙って。

「ああ。だからまーくん、その気持ちは大事に胸に仕舞っておくんだ」

 彼の気を引こうとしているのだから。

「……うん」

 優し過ぎる。

「そうだ、朝飯に行かないと」

「皆には……すぐ行くって言って」

「ああ」

 部屋を出ると、丁度館内放送が朝食の時間を告げていた。

 一人で食堂に行くのも面倒だ。出てくるまでドアの横で待っていることにした。

 考えを廻らせてみる。

(昨日は何があったんだ?)

 雑誌片手に居眠る間、妙な化物が船に乗り込んできたらしい。海に逃げたそれは恐ろしい声音と強烈な異臭を持っていたそうだ。

 館の地下に行った二人を人質にしている、とそいつははっきり言ったそうだ。“腐水”と最後に発したとも言う。つまり化物は“腐水の呪”を使っている可能性が非常に高い。

 分からないのは目的だ。誠を連れて行って、一体どうするつもりだったのだろう。

 もう一つ。ケルフ達が遭遇したと言う白い手。そしてそれを引き摺っていった姿無き者。時間的に見て船の化物とは別口だろう。どちらも危険には違いない。

 がたん、後方の扉が開いた。



 食堂には既に五人ばかりが集まっていた。

「まぁ、シャーマンシー。顔色が悪いわ」

 マリアが向かい席の誠に言った。

「え……そうですか?」

「ええ、とても」

 僕も覗き込んでみる。頬が白いのは昨日と同じ。目が充血している方がむしろ気になった。

「よく、言われます。でも大丈夫です、いつもこうですから」

「そう?調子が悪くなったら言ってね」

 彼女はリボンの付いた白いスカートと淡い黄色のブラウスを着ている。

「さて、これから屋敷に乗り込むよ。マリアと兄上と僕の三人で。アイザは別の場所に行って欲しい」

「別の所?」

「この手紙を持って、中央商店街へ行ってきて。遅くとも昼過ぎには船に帰ってこられる」

「商店街?」

「そう。『深遠の謎掛けをしよう』と言い回るだけでいい。封書の名前を見せれば話は通る。頼んだよ」

「う、うん。解った」

 その時、バタンッと扉の一つが開いた。

「やっほー、おっはよう!」

「おはよう皆」

 朝らしい明るい声でケルフとリーズが入ってくる。

「難しい顔して、何の相談?」

「――二人は今日暇だったっけ?」

「うーん。まあ暇と言えば……多分」

 昨夜の事を思い出したのか、やや曖昧な返事をした。

「私は明日までお休みもらってます。お兄ちゃんも当分仕事ありませんから、遠慮なく使って下さい」

 事情を察してくれた妹は力強く言ってくれた。

「お、おいリーズ……」

「分かった。それじゃ僕らと一緒に屋敷に来て。ケルフはここで誠を見ていてくれ」

「は?そんな簡単な事でいいのかよ?」

「難しい仕事だよ。君のフットワークと度胸の良さを見込んで頼む」

「オーケー。ばっちりやってやる」

「誠、後で僕の鞄に入っている鏡を出しておいて。小さめの手鏡で、薔薇の絵が彫ってある奴。できれば手元に置いておいて欲しい」

「うん、分かった」

 彼は素直に頷いた。



 闇の中、二人は背中合わせに横になっていた。

「なぁ、オリオール」

「何?」

「腹減った」

「もう十三回目」

「減ったものは減ったんだ。身体中痛いし」

 両の手足にはいくつもの裂傷があり、動かす度にじくり、とした。

 床は潮の臭いが染み付きジメジメして寝心地最悪。何時間いるのか分からないが一向に慣れない。

「あの化物、俺らをどうするつもりだ?捕って喰っちまうとか?」

「それが一番ありそう。ま、僕はさっさと逃げるけど」

「薄情者」

「本業は兄様を守る事ですから、何とでも」

 余裕の笑みを浮かべ、青髪の男は目を閉じた。

「だけどあの化物、物騒な捨てゼリフ残していったぜ。マジだと思うか?」

「嘘を言う理由は無いよね。エルさん達が助けてくれるといいけど……そうならなかったら」

「そしたら?」

「僕はどっちも赦さない。全部殺してやる」

 静謐な声で言う。怖くなったのか、「お、俺は殺さないよな、な?」と両は言った。

「考えとく」そっけなく言ったのを最後に、オリオールは発言を止めた。



「兄上」

「うん?何だよ」

 真っ直ぐ行くのかと思いきや、俺達兄弟はベンチで休憩していた。女達はマリアの家でアクセサリーを選んでいる。普段着なので、せめて装飾品でおしゃれしたいらしい。

「警察と一悶着起こしたのってここ?着ぐるみがいたとかいなかったとか」

「ああ、ここ」

「惜しいなあ。折角薬屋を捕まえるチャンスだったのに」

「――薬屋?着ぐるみがか?でも見てないって」

「見てたよ、ちゃんと。お薬くれたって」

「んな訳あるか。あいつが嘘なんて」

「そりゃそうだ。訊き方が悪い」

「どういう意味だよ」

「『着ぐるみを見たか?』で質問しても無駄なんだ。着ぐるみ自体知識として無いんだから」

「……知らなかった?」

「ああ。見たのは昨日が初めてだ。認識の差で事実が曲がることもあるって事」

 エルは立ち上がって周りを見回した。娘達の姿は確認できない。

「“第七”も知らない……まーくん、何も覚えていないのかな」

「いや。常識なんかの固定記憶はちゃんとあるよ。ナイフ・フォークの使い方とか、文字の読み書きとかね。むしろ一般より高いんじゃないかな。結構難しい単語も意味分かってるし」

「というと……どうなるんだ?」

「………………兄上、誠は……いや、何でもないよ」

 エルはベンチに背中を預け直した。

「しかし兄上もやるね。司法権力に楯突くとは。

困っている所へ颯爽と登場し、華麗に倒していったんだろ?」

「そう言ってた?」

「いや。缶ジュース当てたり、大して偉くないのに聖族とか言うのやめて。子供の教育に悪い」

 五分ほどして二人が戻ってきた。お揃いのブルーサファイアの髪留めを着けていた。

「何だ、二人とも同じじゃないか」

「違うわ。私が着けているのは私が生まれた時に造った物、リューベレのはお母さんが生まれた時の物だもの」

「でもデザインは全く一緒だよ?」

「造った人の創作意欲が無くなったからですわ」

「おいおい。そんな限定的な」

「本当の事ですもの、ムスリムのお兄さん。本人に聞きました」



 暇潰しにトランプを始めて一時間。

(おかしい……)

 ババ抜き全戦全敗。もう十五回戦目だ。

「――あ、上がり」

 スペードとハートのエースが捨てられる。

「くっそー、誠強ーな。どうしたらそんな勝てるんだ?」

「えっと……氣が集中したり拡散したりで何となくこのカードがいいのかなって分かるんだけど。ケルフは違うの?」

 ごくごく当たり前のように種を明かす。

「いや……俺どころか、多分誠以外の奴は分からないと思う」

「じゃあ、ケルフはどうやってばば抜きしているの?」

「カンで」

「勘は氣とは違うの?」

「頭の中の閃きだな。アテにならない時の方が多い」

「そうなの?あ、他のゲームしよう。ばば抜きはケルフに不公平だから。いい?」

「あ、ああ……そうだ、ブラックジャックにしよう。ルール簡単だし、沢山ゲームできるからな」

 何より氣が当てにならない。

「うん」

 さらに半時間後。

(ぜってーおかしいって……)

 誠は飲み物を取りに行った。暇なので部屋中を物色する。

 手鏡が机の上に放置されている。ピカピカに磨かれた上等品だ。身嗜みを整えてみたりする。

(うん、今日もカッコイイな俺♥)


 バタンッ。


「ケルフ。コーラ無かったからオレンジジュースにしたけど」後ろから声が掛かる。



 屋敷の入り口で警官と聖族が何事か話し合っていた。

「やあ」

 二人は顔を見るなり敬礼した。

「ああ、頭を上げろ。私達は当主の事件を調査しに来た。ここを通せ」

 聖族の方が最敬礼し、大広間まで案内してくれた。

「ありがとう。下がっていい」

「はいっ」

 広間にはさらに警官が二人いる。

「さて……まずは」

「エルシェンカ」

 階段の上から凛とした声。

「――シャーゼ、伝言通り来たよ。失踪事件の進展はあったかい?」

「当たり前だ。この事件はほぼ百パーセント“第七種”の仕業だ」

 彼は無表情に断言した。

「現場検証の結果、ハチャ氏は“第七”が喰ってしまった、としか思えない」

「ほう。それで犯人は誰だと言うんだ?」

「私の口から言っていいのか?」

「ああ。是非拝聴したいね」

「殺人犯は……あんただ、マリア嬢」

 男は真っ直ぐ金髪の娘を指差した。

「あんたは“第七”、それも“死肉喰らい”だ。“宇宙協定第百七十二条”により、“黒の星”へ強制送還する。なお異論は反逆と見做す。いいか?」

「……証拠はあるのか?」

「何だ?」

「この娘があのデブを殺して喰ったとお前は言うんだろ?そこまで言うなら、さぞご大層な証拠があるんだろう。間違っていたら……名誉毀損じゃ済まない」

「なら他に説があるのか」

「確かめてみれば?」

 エルは懐から果物ナイフを取り出した。

「兄上、不死族の前提は?」

「一度死んだ者。痛覚が無く、傷は幾度でも短時間で回復し、どんな致命傷でも死ぬことは有り得ない。人を喰うことで生前の姿を保ち決して老いない」

「そう。要はマリア嬢に付けた傷がすぐ治れば黒、治らなければ白だ。失礼するよ」

 ナイフの切っ先がマリアの人差し指の先を浅く掠めた。

「っ……」

 赤い玉が見る見るうちに大きくなり、床に一粒落ちた。

 一分。

 二分。

 三分。

「―これで分かっただろう。彼女は“第七”じゃない」

「――ふ、フン。初めから分かっていたさ。犯人が平然と現場に戻ってくるわけないからな」

 マリアは血で汚れた指を舌で舐めた。

「マリアさん。すぐ手当てしなきゃ」

「大丈夫…………蒼い水の加護よ」

 左手で指をなぞる。青白い光が患部に当たり、傷をほんの数秒で塞いだ。

「さて、私達は独自に調査する。異論は無いな」

「どうぞご自由に」

 四人は奥へ進んだ。

「まず兄上。ハチャの部屋に案内して」

「ああ。このまま真っ直ぐ行って階段を昇った所だ」

 やがて目的の部屋に辿り着いた。

「ここだ」

 部屋の中は綺麗に片付いていた。あの惨劇が嘘のようだ。

「なるほど。巧く隠したな」

 エルは何度か部屋の中央で足踏みし、入り口に戻ってカーペットを剥ぐよう言った。

「剥いだら反対側に巻いていくんだ」

 手を掛けると下にもう一枚あった。上の物が五ミリほどの薄さだったので気付かなかったのだ。

 家具が少なかったので中央まで巻くことができた。広範囲に渡る血の跡。顔を近付けると鉄錆の臭いが鼻を突いた。

「これが後から入ってきた連中がしたことさ」

「死体を隠した……何のために?」

「確認したかったのはこれだけだ。さ、広間に行こう。コンシュ家の面々に会う」



 例の暗号は三回目で効果を見せた。

 フードを被った男の後についていって、あるビルの地下に辿り着いた。

「少しお待ち下さい。手続きをします」

 男は一分ぐらいで戻ってきた。ノートパソコンと一枚の書類を持っている。

「封筒を検めさせて頂きます」

「どうぞ」

 数十秒後。

「――はい。ではこの通り手続きをさせて頂きます。こちらに保証人として必要事項をお書き下さい」

 アタシは自分の名前と住所をボールペンで書いた。その間に男はパソコンに素早く封筒の中身を打ち込んでいく。署名された書類を確認し、鱗の見え隠れする指で一つ一つ丁寧に確認した。

「はい、問題ありません。お帰りの道をご案内させて頂きます。こちらへ」

 龍の男が手を取り、礼儀正しく案内する。

 引き返す道中、好奇心で一人でやっているのかと尋ねた。

「昨日任期切れで帰りました。現在は私一人です」

「大変じゃない?」

「今週中に一人派遣されます。天宝こそ大変でしょう。本日はお仕事でこちらに?」

「まあ……あんた、どこの店の?」

「龍商会の者です。“蒼の星”支部長などを僭越ながら務めさせていただいております。本社へ報告の際、時々そちらに立ち寄らせて頂いています」

「隣!?ここが?」

「ご存知ありませんでしたか?」

「だって非合法――」

「困っているお客様のための龍商会ですから。“信念で法律無視”がわが社の基本理念です」

「あ、ああ……すごいね。頑張りなよ」

「お心遣い感謝します」

 男はフフッ、と笑う。

「一応アイザさんとも何度かお会いしていますよ。まあ商売柄、嗜み程度の変装をしていますが」

「えっ?」誰だろう?

「よく硝子器を買う、三十代の眼鏡を掛けた男、と言えば分かりますか?」

「あ―――あ、そうなんですか!いつもありがとうございます!」

「いえいえ。アイザさんこそ、これからも気持ちのいい接客を続けていって下さい」

 元の商店街へ戻ってきた時、目の前にいた男は煙のように消えていた。



 食堂には三姉弟と叔母の四人、それにラキスが座っていた。

「エル。お前やっと帰ってきたのかよ」

「待ちくたびれたか?安心しなよ。僕が来たからには解決だ」

 彼は全員を見渡し、「さて」と言った。

「コンシュ家の方々、初めまして。聖族政府委員会の一人、エルシェンカと申します。以後よろしく」

「エルシェンカ様、母もいなくなってしまいましたわ。どうか見つけて下さい、お願いします」

「サンチャ嬢、あなた方の父母は残念ながら亡くなっています。犯人はまだこの近くにいる。

そこで我々はあなた方を保護したい、と考えているのですが。如何でしょう?」

「それは構いません。願ってもいないことです」

「ありがとうございます。それでは皆さん、一人ずつ質問に答えて下さい。まずサルタさん」

「はい。何でしょう?」

「あなたはコンシュ・マラーさんの姉ですね。御主人は商社の重役、子供は無し。あなた自身の職業は?」

「家の一室で華道を教えております。ダンス教室とテーブルマナー教室も時々」

 彼は大きく頷いて兄の方をチラリ、と見た。

「結構。知り合いのごく潰しにも是非見習って欲しいものです。……ところで、御主人の方ですが。今どちらにいらっしゃいます?」

「仕事で出張しています。行き先は――」

「嘘ですね」

「っ!?」

「失踪なされたのは、一昨日ですか?」

「え、ええ……突然家を飛び出してそのまま」

「分かりました」

 三人の子供はそれほど驚いてはいない。事前に聞いていたのだろう。

「次にクアスさん。あなたは将来家を継ぐ方ですね。ハチャ氏との折り合いは良かったのですか?」

「え……ええ。普通の親子程度には。母はイエリの方が親しかったですけど」

「ほう。イエリさん、本当ですか?」

「ああ。小さい頃に小児喘息起こして、それからもちょくちょく体調崩してたから。親父には……うーん、そのせいであんま好かれてなかった。自分は神経症持ちのくせにね、男が病弱とは何事だと」

「神経を患っておられたので?」

「はい。定期的に病院へ通っていました。そこでいつも抗不安剤と睡眠薬を戴いて」

「いつ頃からですか、それは」

「ええと……私達が生まれる前からと聞いておりますが。伯母さん知っていますか?」

「子供の時からと本人は言っておりました。でも……そう彼が十五、六の頃に初めて病院に掛かったと。お爺様が何かの折に言っていましたわ」

「お爺様と言うのはハチャ氏の父上、アルバ氏ですね。十年前に病死した」

「はい、この子達がまだ小さい頃でした」

 部屋の隅に掛かった絵にはハチャ氏をスリムにしたような老人が描かれている。

「ところで」

「はい」

「ハチャ氏の幼少時代を知りたいのですが、誰に訊けばよろしいですか?」

「父の……それはどうして」

「彼の神経が薬を必要とし始めた時期と、コンシュ家が事業を拡大させた時期がほぼ同一だからです。三十年前はアルバ氏の全盛期、ハチャ氏はまだ学生のはずだ。問題はそこにこそあると、思うのです」

「その頃からの使用人はいません。全て父が跡目を継いでから雇い入れたと聞いております」

 エルはさして残念そうでもなく、「そうですか」と言った。

「それでは質問は以上にします。今夜には全ての決着がついているでしょう」

「犯人が分かったなら今すぐ捕まえればいいだろ?」

「犯人とは何のですか、イエリさん?人殺しの犯人ですか、遺体を魔法のように消した犯人ですか?それとも――一族に呪いをかけた犯人ですか?」

「全部さ、どうして俺ん家だけこんな目に遭わなくちゃいけないんだよっ!!?」

 激昂する彼を片手で制すクアス。

「イエリ、やめなさい。嘆いてもどうしようもないだろう」

「……分かったよ」

「済みませんでしたエルシェンカ様。ただ弟の言う事も一理あります。イエリ、下がりなさい」

「兄貴、サンチャ、伯母さん部屋行ってるよ。寝て頭冷やしてくる」

「ええ。お昼は?」

「いらね」

 わざとらしく欠伸をして、食堂を出て行こうとするイエリ。

「――約束するよ。最小限被害で終わらせてやる」

 その後ろ姿にエルは言った。



 戦いは一方的だった。仲間は段々減っていき、人間の力をまざまざと思い知らされた。

 そんなある日、私は街に単身出ていた。夜闇に乗じて向かった先はコンシュ家の屋敷。地下水路から泳いで侵入し、天井を押して中へと入ろうとした。構造から言って地下室の床に繋がっているはず。

 作戦は無かった。ただ、何とか当主に会って話をしようと思った。争いを止めるためなら、あらゆる条件を飲むつもりで。

「誰かいるぞ、この下だ!!」

 上から強い口調の声がした。どこかで聞き覚えのある。

「止めてっ!私は話を――」

「早くここを持ち上げろ!お前は父さんを呼んで来い!」

 強い力で腕を下に引かれ、たちまち水の中へ落ちる。鰓呼吸が働き始める。

「馬鹿」

 シャツとパンツを着た彼がいた。その隙間から自分と同じ鱗が覗いている。

「逃げるぞ」

 ガコンッ。天井が開いて、ランプの光が海水に差し込んでくる。

「早く行け」

 姿を晒さないようにしながら、元来た水路を辿り始めた。

 私が先になって夢中で泳ぐ。彼は二メートル後ろをピッタリついてきた。十分で近くの浜、門の外に脱出できた。屋敷から追っ手が来るにしても二十分は掛かる。

「ラベルグ」

「どうしてだ?」

「だって……嫌なの。私は人間と共存したい。コンシュ家の人達だって、私達と争いたい訳ないわ。

私達ヤーシェの、王だってそんな事望んではいない」

「龍王は助けに来ない。連中は食い物としか見ていない。和解の道は無い」

「そんなの……どうしても無理?」

「ああ。人魚の方も、大勢の犠牲者が出たまま降伏なんかできないだろう」

「でも――血で血を洗うだけだわ」

 彼が動いた。

「ら……」

「逃避行でもするか。星の裏側か、別の星か。コンシュ家も人魚も追ってこられない遠くまで」

 砂に落ちる液体は常夜灯に照らされて――あかぁい。

「犬も食わない喧嘩は大人に任せておけばいいのさ」

 彼は私を緩く包んだ。――あたたかい。

「足、手当てしなきゃ……血が」

 あの時、彼等は武器を持っていたのだろう。逃げる彼の頭上から闇雲に突き回し、偶然傷を負ってしまった。ここまで泳いでくるだけで出血量は相当な物のはず。

「魔術で塞いで……それからどこか休憩できる所に」

「――良かった」

「え?」

「お前が怪我しなくて」

 優しく髪を撫でてくれる。



 外に出て、その道で一番大きい店に入った。

「何を買うの?」

「決めてない」

「いいの?」

「買う物決めなくても店は入れるさ。手ぶらで出たら冷やかしだけど」

 入口の黄色い籠を持って歩き始める。スーパーマーケットと言う店らしい。左右にズラーッと色々な食品が並んでいる。籠に自由に入れ、店の人の所まで持って行ってお金を払う仕組みだと説明された。

「何だ誠。スーパーは初めてか?」

「うん。“碧の星”にはこういうお店無かったから」

「ははあ。田舎だろ、あの辺。義父さんが居ついてるぐらいだ」

 ケルフは指を折り曲げて顎の下につけた。

「でもま、療養するなら最適だよな。空気は美味しいし、水は綺麗だし、静か。俺の所なんて埃っぽくて五月蝿くて」

 にっ、と笑う。

「それでもまあ結構好きだけど」

 言いながらレモンを一つ籠に入れる。

「コーラの代わりに食ってんだ。リーズには内緒だけど、この間新しい虫歯ができてさ。これ以上の銀歯はアーティストには致命的なんだよな、奮発してプラスティックにしてもいいんだけど」

「虫歯って?」

「そうか……誠はならないよな、多分。毎日三回食事の後に歯磨きしないでいると、口の中に悪い菌が繁殖するんだ。これが虫歯菌。で、そいつは歯に穴を空けちまう。歯は使い物にならなくなり、奴らに侵攻されたせいで歯茎が腫れる、物凄く痛い。歯を治す歯医者ってのがまた凄くてな、ドリルで残った歯をガリガリ削っちまうんだ。口の中血だらけだぜ」

 背筋に悪寒が走る……歯磨きはちゃんとしなきゃ。

「ちょっと待ってて」

 ケルフの口元に手を当てて、氣を集中させる。

(ええと……歯が治りますように)

 氣を送った後、彼は口の中をもごもごさせた。

「痛みは無くなったかな。うん、ありがとう誠」

「どういたしまして」

 野菜売り場を通り過ぎる。

「あ、お魚」

 セールと書かれた紙が売り場のあちこちに貼られている。

「あ、あったムスリム。わあ羽が生えてる」

「へぇ、種類多いな。……ヤベル、リューベレ、ヴェバ、ヤーシェ、ムスリムにタロガ……それにシャーマンシーか。どっかで聞いたような名前だな。説明がある、読んでみようか」

 一番上に飾ってある魚を指差した。目がつぶらで小柄、鱗はあまりない。

「ええと……シャーマンシー、『深海二百メートルに住む魚です。性格は臆病で主に海藻や他の魚の死骸などを食べています。繁殖能力が低いため星内天然記念物に指定されています。本品は調査用に特別に養殖された物です。刺身や酢の物などで淡白な味をお楽しみ下さい』一尾三万!高っ!!」

「そうなの?」

「それだけあったら昨日のバーガー百個は食えるぜ」

「お肉を分けるのが大変そう。ケルフ食べてくれる?」

「いや、普通そんな頼まないって」

 そのすぐ下に三匹の説明書きがあった。

「ムスリム。『海面を飛び回る魚です。小魚を食べて、二年に一回の繁殖期には腹子が美味。身は揚げ物、卵はヴィネガーソースでお召し上がり下さい』。

その隣がヤベル、『回遊魚で脂の乗った魚です。寿司や刺身にすると絶品。コレステロール注意』

ヴェバ、『極めて凶暴。但し鰭に薬効がありお肌にメキメキコラーゲンが入ります』なるほど」

 そのさらに下、二匹の並んだ棚を見ながらケルフが話す。

「ちっちぇえな。タロガ、『色々な魚の子供です。傷みやすいので早めにお召し上がり下さい』だとさ。こっちはヤーシェ、『温厚な魚ですが頭がいいので釣られにくいです。身は何にでも合います』か」

「リューベレは置いてないのかな……?」

 探してあちこち見て回っていると、

「あ、あった」

 水槽の中に七色の鱗をした手の平ぐらいの魚が泳いでいた。

「ああ、これだけ食用じゃないんだ。観賞用らしい」

「綺麗だね」

 リーズ、と呼ぶとこっちを向いた。つぶらな目が可愛い。

「わ、綺麗な奴だな」値札を見ると五万とあった。

 結局レモンの他におやつとしてポテトチップスとキャラメルを買い、店を出た。

「どうしよっか、これから」

「ねえケルフ。向こうの通りに行こう」

 歩き出して数分、なるべく小さな声で話し掛けた。

「後ろに誰かいる」

「マジで?」

「スーパーの入口からずっと。一人で五メートルぐらい後ろにいる」

「了解。その曲がり角で別れよう」

 そのまま真っ直ぐ進み、ケルフは右に曲がった。

 数メートル歩いた所で、突然追跡者が走ってきた。振り返ると顔中に包帯を巻いた男が突進してくる。

「うぁっ!!」

 避けられずまともに喰らい、床に身体を強く打ち付けられた。

「……………」

 無言のまま、首にナイフを突きつける男。

「…………!?」

 彼は驚いたのか息を詰めた。

「ああ、ごめんなさい。色々もらったのに」

「………な」

 その瞬間、男の後頭部に衝撃が走った。激痛でナイフが落ちる。

「て…め………」

 ゆっくり倒れた男は完全に気絶していた。

「大丈夫か?」

 背中を支えて起こしてもらう。

「平気。それより……この人、どうするの?」

「警察に突き出すか。船に連れてくのも手か。何か吐かせれば」

「……このままにして帰ろう」

「え、マジかよ?」

 信じられない、とケルフが言う。

「悪い氣を感じない。多分……この人は利用されただけ。

それに連れて帰ったら、お家の人が心配するよ。警察に言っても家にすぐ帰るだろうし。うん、もうすぐ意識は戻るよ。行こう」

「あ、ああ」

 やや速足でその界隈を脱出した。




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