五章 蠢く者
ヤシェ・トルクは夕食を終え、宿の自室のドアへと戻ってきた。
と同時に、隣からゾロゾロと若者達が出てくる。中にはすっかり出来上がっている者もいるようで、辺りに臭いがたちこめる。
「あれ、お嬢ちゃん?」
「あ」
最後に出てきたのは、昼間の三人組の一人。娘は前の男に「先に行ってて」と言った。
「何だ、同じ宿だったんだねぇ。これからどっか行くのかい?」
「あ、はい。お兄ちゃん達ってば、部屋のビール全部空けちゃって、仕切り直しでバーに。私は一応付き添いで」
「あははは、若いねぇ。ま、ぶっ倒れない程度にやらせときな」
少女は水色のカーディガンを羽織っている。薄手なので遅くなると冷えるかもしれない。
「ウィル様達は別のトコかい?」
「ええ。ヤシェさんは、もう寝るんですか?」
「いや、今日の写真だけ見とこうと思ってさ。メシの前に取ってきてたんだ。……ちょっと待ってな。見せよう」
ヤシェは部屋に入り、机の上にある写真の入った袋を手に取った。
「…………うん?……これ、中身無いじゃないか!?」
慌てて部屋中を探し回る。異常事態に娘も入り、二人で十分程捜索した。
「無い………無い無い無い無い―――っ!!!!!!」
「ヤシェさん、誰かに盗られたんじゃ」
「あああの中にはコンシュ家の取材写真全部入ってたんだよっ!!このままじゃ原稿落としちまう!あああああたしの写真返せ―――っ!!!!」
絶叫に驚いたのか、宿の主人が上がってくる。
「お、お客さん。他の人の迷惑………」
「うるさいうるさいうるさいっ!!!」
主人は手加減ナシの平手打ちで、哀れ壁に激突した。ぶはっ、と鼻血を出して気絶する。
船は宇水両用なのでしっかりした造りになっている。振動がないので陸の生活と変わらない。
風呂から出たばかりのアタシは、ロビーの電話を使っている男に気付いた。ウィル、と言ったか。どうやら家に掛けているようだ。
プルルルルルッ。
「はい」
「ああ、爺。俺」
「御主人様でしたか。どうかなされましたか?」
「……いや。二、三日帰んない。それだけ」
「…………はい、分かりました。ごゆっくりしてきて下さい」
「それと」
「はい」
「まーくん達もこっち来てるから。心配しなくていい」
「はい」
受話器を置くと、向こうもこちらに気付いた。
海は真っ暗だ。街の方と言えば灯火が赤々と点いている。もう一時間もすれば徐々に消えるだろう。
「やあ。ここの居心地はどうだい?中々のものだろ」
「ああ、そうだな」そっけなく頷いた。
「商船としては中くらいさ、これで。これ以上大きいとメンテ代が馬鹿にならなくてね」
実際、清掃費削減のため年二回従業員総出で修理清掃点検する。
「……………」
「……………」
元来無口な性質なのか、うんとも寸とも言わない。しかし昼間は普通に喋っていたように思う。
「あのさ」
「……この事件は」
「え?」
「……ヤバイんだろうな、やっぱ」
隣の奥さん病気で死んだ、みたいに淡々と口にした。
「あ、ああ。そうだね」
「死人まで出てやがるんだ。これはもう立派な警察沙汰だよな」
ウィルはこちらを凝視した。
「……あんたの左手にも悪い物が見える。用心しろよ」
「は……ああ、ご忠告有り難く」
「いや……やっぱり忘れてくれ、独り言だ」
そういや、エルが社会不適合者って言ってたっけ。
「ああ、そう言えばね。街で聞いた話なんだけど」
スーパーで近所のおじさん達が、酒のつまみの塩辛片手に言っていた。
「人が、海から来た化物に飲まれたんだって。身体ドロドロに消化されて、エグイ話だよね」
「人間を……消化する化物?そうか、それで“第七”か……」
「不死族?そいつ“も”?」
そこに、廊下から誰かが歩いてくる。
「ああ、二人とも。夕食が出来たってさ」
エルシェンカだった。そんな時間だった、と気付く。
「そうか」
「早く行きなよ」
歩きかけたその時、手が掴まれた。囁かれた言葉に思わず、「ウソでしょ?」と返す。
「本当」
「何か言った、お兄ちゃん?」
「いや、何も」
時刻は十時を回っている。ビールを二本空けた俺は(はたから見ると少々千鳥足になりながら)妹の後をついていく。
「それにしてもあの姉さん、スゲえ呑み方してたけど。大丈夫かな」
結局写真は見つからなかった。新聞記者は同じバーに入り、一番強い酒をカウンターの隅で空けていた。正に牛飲、といった風に。
「でも犯人の奴、何で写真なんか持っていきやがったんだ?パーティーしか撮ってないんだろ?」
「うん。あと屋敷の外観と、プルーブルーの町並みと、私とウィルさんと誠君が一緒に写った写真」
「昼間誠が言ってた殺人事件とカンケーあるのかな?その犯人が、写真のどこかに証拠が入っているのを知って、盗んだ」
「うーん……ヤシェさんが撮った時は、特に何も気付かなかったって言ってたけど」
宿まで後五百メートルという時、前方の海沿いの道の端に金髪の娘がいた。しかし何か様子が変だ。
近寄ってみると、娘の足首に白い物が絡んでいる。
手だ。細い指の手が、ガッチリ掴んでいる。真っ暗な海から生えた。
娘は平然として海に引きずり込もうとする力に抗っている。しかし、形勢は少々彼女に不利のようだ。
「このヤロ、離しやがれ!!」
彼女が尻餅をついた(下着は見えなかった)と同時に、バッと跳び付いて手を引き剥がしにかかる。
ところが手には深緑の鱗が生えていた。それがヌルヌルして非常に掴みにくい。
「うわっ!もう一本出やがった!!」
二本目は娘のスカートを掴み、さらに強い力でグイグイ引っ張る。俺も服と腕を掴んで耐えるしかない。
「お、お兄ちゃん!!」
「リーズ!サツでも何でもいいから応援呼んできてくれ!一人じゃ後何分も保たねえ!!」
「わ、分かったよ!すぐ戻るから頑張ってね!!」
妹はすぐさまテレポートした。
「随分遅くないか」
四回目の発言。
「そう?普通だと思うけど」
「そうか……そうだよなぁ」
イライラしているのが、こちらにまで伝わってくる。
「待つのが気に入らないなら手伝ってくれば?」
見ている自分まで落ち着かなくなる。
「そうもいかないだろ?一人でするから休んでてくれ、って言われてる」
こんな時だけ妙に義理堅い。
「兄上でも気になる?人間が嫌いなのに」
「知ってるだろ。俺は」
「聞かなくても分かってるよ」
沈黙。普通の兄弟なら、もう少しマシな会話をするんだろうけど自分達には無理難題だ。離れていた時間が長過ぎる。
兄は人が傷付くのが恐い、と言う。下手に“運命”が視えてしまう目が嫌で嫌でしょうがない、とも。その感情は分からなくもない。
けれど―――
「兄上」
「ああ?」
「あんた、人魚は知っている?」
「一応知識としては」
「……コンシュ家は人魚を喰っていたんだ。およそ三十年前にね。借金の末、彼らは乱獲した人魚の肉を親類に金で売り渡した。不老長寿の薬として」
ふぁーっ。面白くなさそうに欠伸する兄。
「プルーブルー周辺を住処とする一族は絶滅した、と言われている」
「違うのか」
「ああ。……そして現代になり呪いが発動した」
すう、と息を吐いた。
「――それだけなら、調査の必要は無かったんだけど」
「?どういう意味だ」
「同時に別の問題が持ち上がったのさ。
……兄上。“腐水の呪”という言葉を知っているかい?」
首は横に振られた。元から期待はしていない。
「人魚が管理していた二つの呪いの内の一つさ。『幻海の水、けして腐る事無く身を潤し。海龍となりて神なる』
――これはヤバい術でね、まず例外なく取り返しがつかなくなる」
「ふうん」
「体系としては魔方陣を用いた高度魔術。水を媒介とする。そしてこの呪があるのは――コンシュ家の真下なんだ」
「下?今まで気付かなかったのか?」
「政府で確認はされてたさ。封じてあった、だがもし使用されていたら……手に負えないかもしれない」
“宇宙協定第百七十二条”を適用する緊急事態になる。
それなのに目の前の男ときたら、まるで興味が無いようだ。……既に無関係ではなくなっているのに。
「ここ一ヶ月、街でそれらしい失踪事件が起きてる。コンシュ家の親類も、そうでない者も両方」
「可能性は高い、か……なあ、エル」
「なあに?」
「両、とかいう男とオリオール。いつ帰ってくるんだ?」
意図はすぐに察せた。
「大丈夫だよ、あれは」
「でも……万が一ってあるだろ!?早く家に帰してやって……もし怪我でもしたら」
怪我、ねえ。僕は内心笑った。
「屍体で怖気づいた?」
もしそうなったら兄上、あんたは正気でいられるのかい?
「かもな。本物見りゃ分かるさ、殺人犯は常軌を逸してる。シャーゼも仮説立ててたが“第七”なんだろ犯人は。残忍な化物、人喰いだぜ?……あいつは普通の人間よりずっとずっと弱い。これ以上事件に関わったら……殺されちまうかもしれない……」
「だから、そのためにあんたはいるんだろ」
「っ……」
「守ってやればいいんだよ、あんたの剣で。元からそういうつもりだろ?」
僕も随分な嘘吐きだな。
「船に到着するまでの時間で決断しているはずさ。ただ、気恥ずかしいとか柄じゃないとか……思ってるだけ。心では九割九分九厘決定しているんだよ」
「だが……っ……」
「あいつはね、あんたを信用……いや信頼している、とてもね」
「……し、んらい……だって?本当に?」
「僕はまどろっこしいのは嫌いだ。嘘を吐く意味がない。
――好きなら守ってやれよ。男だろ、一応はさ」
やっと納得したらしい。
「……ああ、そうだな。俺もまだ帰る気しないし、な」
ああ疲れる。何てまどろっこしい兄を持ったんだ、僕は。
「さてと、そろそろ終わった頃か。見に行って―」
きゃああああああああああああっっっっっっ!!!!!!
「悲鳴……厨房の方からだ!」
言った時には、隣の兄は既に廊下に走りこんでいる。置いていかれないよう慌てて後を追う。
バタンッ!!
「……うん、分かった……あ、ウィルさん」
「何だ、リーズか。さっきの声はお前か?」
「う、うん。四さんが包丁研いでて、いきなり私ってば目の前に……驚いちゃって」
「え……でもリーズ……」
(誠君。さっきまでの事、しぃーっ、だからね)
(う、うん)
二人が目配せで会話しているが、概ねこういう内容だろう。
「それでリーズ。僕らに何か用事でも」
「そ、そうなんです!!」
彼女は手短に話をした。
「分かった。案内してもらおう……ああ、そう。誠は留守番してて。夜道は危ないから」
「え……大丈夫だよ?」
「お守りも残していくから、後よろしくね」
「おもり……?」
ひょいっ、と彼の手を掴む兄。勢いで誠の身体が数センチ地面から持ち上げられる。
「っさあ、まーくん。部屋行って遊ぼ?あ、本読む?ロビーの雑誌一緒に見ようか?」
「う……うん」
「じゃ行って選ぼう」
二人が去った後、少女は僕を見て、
「あ、ああの……本当に、そうなんですか?」
「僕が見た限り、まず間違いない」
「……だ、大丈夫です。早く、お兄ちゃんを助けに行きましょう」
四氏の首が縦に振られた。
訳が分からない。
「助けてくれぇーっ!」と叫んでいるのはケルフ・オーキス。リーズの話では手に掴まれているのは金髪の娘の方だったはずが、今は正反対の立場にいる。髪結い用の青いリボンでケルフの腕と街灯を結び、自分も手を引いている。
で、この何の説明も無いコン畜生。青年の足を掴んでこれでもか、と言わんばかりに引く。
「……さて、どうしたものか。魔術だと手も足も出ないし……アイザの腕力で引っ張るにしても、逃げられたらアウト。二度と捕まえられない可能性もある――」
怪力は残念ながら右手にしかない。片手であのヌルヌルズベズベをちゃんと掴めるか……両手でも多分無理だろう。滑り止めでも持ってくればよかった。
「ケルフ君。黒焦げになってもいいなら十秒で救出できるけど」
「ぜってーヤダ」即答。
「あ、そう」
「くそーっ。こんな時に限って、義父さんは何やってんだよ!?」
まさか子守なんて言える訳ない。笑いを噛み殺したね。
「まあ、あの剣技なら……うん、四氏。それは……」
四が懐から取り出したのは二本の幅広ナイフ。ただ、その表面は深緑色にネットリと輝いていた。どこに隠していたのだろう。
「龍の鱗で作った武器か。こいつは……凄いよ。半端ない殺傷力が期待できる」
エルは二、三度頭を振った。
「―よし、アイザと四氏は合図で手の甲を思い切り刺せ。地面に繋ぎ止めておくんだ。
リーズは周りの水を操っておいて。逃げられたら厄介だからね」
魔術使い二人が同時に精神集中に入る。アタシ達はそれぞれ持ち場につく。
「あとちょっとだよ、お嬢ちゃん」
「はい」澄んだ声で娘は応えた。
「頑張ってくれよ」
「任せときな」
海水が不自然に渦を巻き、海中の何者かを閉じ込める。そして、
「……矢よ、我が敵を射抜け!」
エルが右手に現れた光を投げた。猛スピードで何者かの身体に突き刺さり、苦悶の声がくぐもって耳に届いた。両手が、離れた。
「今だ!」
「いやあっ!!」
グサァッ!
ほぼ同時にナイフは刺さった。手の甲を貫通し、じたばたともがく指。
「……ふぅ。これで大丈夫なのかい?」
「ああ、とりあえずはね」
リボンが解かれうーん、と背伸びをするケルフ。その後ろに金髪の娘が立っている。
「お嬢ちゃん、どこも怪我してないかい?」
「……ええ。ありがとう、皆様」
リーズの方を向き、杖を持った手をそっと包んだ。
「もういいわ、リューベレ。ありがとう」
「は、はい……うん、魔術解いたよ」
“リューベレ”とは何の事だろう。エルは納得しているようだが。
奴は恭しく会釈した。
「こんばんは、お嬢さん。僕はムスリム、名をエルシェンカと。“腐水の呪”の調査にこの地へ来ました。
本来なら事前連絡が必要でしたが場合が場合だけに……失礼いたしました」
「いいえ、私こそ御免なさい。お出迎えするのが遅れてしまって。今頃挨拶なんて無礼だわ」
「そんなことありません。あなたの目的は……まだ達せられていないのでしょう?」
「ええ。ふふ、敬語はやめて下さいエルさん。他の方々もお困りですもの」
「……そうだね。君は目的のため尽力すればいい。僕らは所詮部外者だ。
ただ、色々尋ねたい事がある。例えば、“もう一つの呪い”の事とか」
「まあ?今更私に訊いてどうするの?」
「呪い本体はどーでもいいんだ。僕らの誰にも止める権利は無いからね。
ただ、君が呪いについて誰かに言ったなら教えて欲しい。それが、“腐水の呪い”に手を出した原因かもしれない」
「……残念でした。私は誰にも言ってないの」
その時、ケルフが「ああっ!!」と叫んだ。
「お嬢さん、昼間俺と会ったよね!?馬車に乗ってる時にさ」
「お兄ちゃんナンパしてたの?あの忙しい時に。信じられない、謝ってよ!」
娘はあはは、と初めて笑った。
「リューベレ、大丈夫よ。それは私じゃないから」
「え?そうなの?」
「シャーマンシー、僕らの仲間の一人です。君の名前や姿形を借りたことを詫びなければならないな」
「じゃこの娘は」
ブジュジュジュジュゥ。
異様な音と共にナイフに貫かれた手が外れた。とんでもなく強い力で引っ張られた手は掌中で真っ二つに壊した。骨が鈍く光を反射し、血がどばどばと溢れる。
「待てっ!!」
叫んだのも徒労に終わった。よく考えれば相手は海中、聞こえるはずもない。
「くそっ!」
とその時、向こうから誰かが歩いてきた。
「あっれ~。でんかぁ、今夜はお~ぜいで~ぇ」
アタシと同年代の女、真っ赤っかの顔で足取りが危なっかしくてしょうがない。
「ヤシェ、みっともないぞ。そんなへべれけに酔っ払って、一体どうしたって言うんだ?」
「ううっ、よくぞ訊いてくれまし~た~。語るも涙ザメザメの物語~」
「前置きはいらん。一分でまとめろ」
「と~その前に~、わたくしめの生い立ち~始まり始まり~」
「おいおい。この姉さん回りだしたぜ?」
ケルフが呆れ半分、驚き半分に言った。
「ああ。こうなると十分はそのままだ。ったく」
「あの、エルさん。ヤシェさんは撮ったお屋敷の写真を盗られちゃったんです」
「屋敷の写真?今日の取材分だね。ふぅん。
しかしそんな物、何の価値も無いただの写――――なんだって!!?」
「う、うん。そうだよね、ヤシェさん?」
「あ~い~」
「ちょっと待てよ……それって、ものすごくマズい展開だろう?………ヤシェ!酔っ払っている場合じゃないよ!!」
「な、何、殿下!?一発で酔いが冷めちまった」
「他のカメラマンは……この星の連中ばかりか?」
「あ、ああそうだねぇ。プルーブルーの新聞記者が数人で、カメラマンが一人だけ。新しいカメラでね、とても綺麗に撮れたのに……ううっ」
「そいつのカメラはお前と同じような奴か?」
「いや。えーと、今流行のデジタルカメラって奴さ。ほら、すぐ画像が確認できるアレ。私のはフィルム式」
「他には?家族写真撮ってたとか」
「うーん、あたしの記憶には無いねぇ。旦那に訊いてみれば?」
「――よかったな、ヤシェ。命拾いしたぞ」
「?どういう、事だい?」
「明日になれば分かるさ」
だが、そう言う奴の表情は暗い。
(アンタ、何隠してるんだい?)
小声で尋ねる。
(多分死んでるよ、そいつ)
いきなりなんて縁起でもない事言うんだ、こいつは。
(だって生かしておく理由が無い)
(事件の真相が解った?)
(―――“人魚と人と死と”の輪舞なんだよ、これは)
それだけ言って、奴は沈黙した。
「あれ?よく見ればマリア・アンサブ嬢!こんなトコで何をしているんだい?」
マリアはヤシェを奇妙そうに一瞬眺め、極めて上品に笑った。
「ああ、新聞記者さん。昼間はどうもありがとうございました。記事が出来ましたら読ませていただけますかしら?」
「う……まぁ、写真の分コメントで埋めるか。そうだアンサブ嬢、インタヴュー受けてくれませんか?今日のパーティーに参加した感想喋ってくれれば。謝礼は三万。増刊されるごとにもう一万出します」
「ヤシェ。やめときなよ」
「どうせなら俺らの特集にしてくれよ」
「うちは社会派なんだよ。バンドは守備範囲外」
「ちえっ」
「……残念ですわ。私個人はすごく興味ありますの。でも彼はそういう事が嫌いなんです。ごめんなさい」
「彼氏不許可か。それじゃ仕方ないねぇ。ま、気にしないでよ」
「はい」
新聞記者は、ふと洩らした。
「ところでさ、気を悪くするかもしれないけど、マリア嬢昼間と雰囲気違うねぇ。こう、何と言うか……光と影、みたいなさ。いや、ただ緊張していただけだろうとは思うけどねぇ」
「うふふ。沢山人が集まっていましたもの。声も満足に出ないぐらいでしたわ」
「そうだよねぇ。あたしでさえ緊張したぐらいだ」
くっくっ、と笑う。この女にその二文字があるのか不思議でならない。
「さて皆さん。あたしはそろそろ帰るよ。明日の午後に“黄の星”へご帰還さ」
「ヤシェ」
エルが口を開いた。
「“『人魚』連続失踪事件”の記事は書くな。命が惜しいと思うならな」
「……ご忠告、痛み入るねぇ」
宿の方へ引き返していくヤシェを見送る。
もう随分遅い。ウィル達はもう寝ただろうか。
「ケルフ、お嬢ちゃん連れて宿に帰りなよ。これ以上遅くなると皆心配するよ」
「そうだな。……明日もあるしな。リーズ、帰ろう」
「うん」
「またな」
「また明日」
二人は小走りに宿へ向かっていった。初春とはいえ、あの薄着では少々寒かったのだろう。
「……あれ、四は?」
「先帰ったかな。アンサブ嬢、案内したい所がある。かまわないかな?」
「ええ」
「お茶ぐらいしか出せないけど、このデカ女に免じて許してくれ」
「分かったわ」
「分からないでよ、もう……」
三人は夜道を歩き出した。
ことことこと……。
薄暗い部屋の中、小晶 誠は耳をそばだてていた。
こと……ことこと……。
おそらく甲板からしているであろう、誰かが歩くような音は五分以上続いていた。
ソファの隣には背凭れに身体を預けて眠っているウィルがいる。その手には先程まで見ていたプルーブルーの観光雑誌。氣には異常なかったが、疲れていたのだろう。ぐっすり寝込んでいる。
起こさないよう慎重に立ち上がり、ドアノブに手を掛けた。
「………ぁ」
ビクリ、とした。振り返って見る。ただの寝言だった。
静かにドアを開け、廊下に出て閉めた。
何だろう、この異様な空気は。さっきは楽しい感じだったのに。
「ヤバくないか、この雰囲気」
いつの間にか例の青年が隣にいる。いつこちらに来たのだろう。
「静か……何か、おかしい感じ……」
甲板は二階上だ。ここから五分も歩けば着く。
廊下を進む内に、異変が目に飛び込んできた。通路の中央に男の人が倒れている。
「だ、大丈夫ですか?」
仰向けになった顔に見覚えがあった。昨夜の怪我で汚れてしまった服を洗ってくれた人だ。
頬を叩いても反応は無い。氣に異常はなく、普通に眠っているだけだ。
「瘴気に当てられてやがる……ごく微量だな。問題は無い」
こと……ことことことこと。
「また…?」
「奴さん、上で何してるんだ?」
「行って、確かめてくる」
「ああ、俺が先行くぞ。お前じゃ危なっかしくて仕方ない」
風邪を引かないか心配だったが、この気温なら多少は平気だろう。とにかく先に進むことにした。
それから行く道で二人の急性睡眠者を発見した。どちらもだた寝ているだけだった。
ようやく甲板に辿り着いた。
「誰か……いますか……?」
辺りにそれらしい人影は無い。くまなく調べてみることにした。音はしなくなっていた。
出てきた所の丁度反対側、船の舳先を調べている時だった。
ガタンッ!
「っ!」
床が揺れた、そう感じた瞬間。
べちゃり。
何か、いる。自分の真後ろに、確かな悪意を発散する何者かが。
「だれ……ですか……?」
「化け物だ。不死に下手に手ぇ出しやがった大馬鹿者」
正面にいる彼が解説してくれる。
「動くなよ……野郎、完全にお前を射程内に入れてやがる。ちっとでもアクション起こしたら殺る気」
潮の臭いと腐臭が交じり合ったものが流れてくる。それはしゅぅ、と息を吐いた。
「教えなさい、君の知る所を」
「え?」
「教えろぉっ!!この船に乗ってる連中がどうなってもいいのかぁっ!!!」
激昂と同時にガボガボ口腔から泡の出る音がした。
「お前の弟はふてえヤロウだ。相棒が泣こうが喚こうが一向に吐かねえ。正に“人でなし”さ」
恐怖。身体が硬直して逃げる事を許さない。
「だから言ってやったのさ」
怪物は嬉しそうに泡を吹いた。
「お前の兄貴をこうしてやるってな!!」
ボコボコという音が恐ろしく鋭敏に聴こえてしまう。二人で太刀打ちできる相手ではない。
「おいおい、俺は別に平気だぜ?こんぐらいの相手」
しかし、化物は彼の声を無視して、囁く様に言った。
「そしたらあのガキ、可哀相なぐらい震えてたぜ?」
「……オリオールは、両さんは無事なんですか?」
「一応は、な」
「いち、おう……?」
「真に受けるな。コイツ、ココ完全にイカレてる」
頭を人差し指でコツコツ叩いて青年が言う。
化物はゲゲゲェ、と笑った。
「あぁ。……さあ、大人しく来るんだ。ヤベルみたいなボロ雑巾になりたくなきゃあな」
おぞましい粘液を出し続ける触手が身体の前に伸ばされる。これで捕まえる気なのだ。
「観念するんだシャーマンシー。おっと、悲鳴はやめてくれよ。可愛い弟に聴かせる分が無くなっちまう」
「やめ……っ……」
「動くんじゃねえ!!」
走って逃げ出そうとする自分を、彼は語気強く諌めた。
ヒュウンッ!バシュッ!
「うおっ!?」
触手がほぼ根元から切れた。ドサッ、と落ちてぐずぐずの粘液に戻る。
「誰だ!!」
人影は無い。
ヒュンッ!ヒュンッ!…………ブスッ!ドスッ!
大型のナイフが月の光に反射する。高速でそれらは背後の化物に突き刺さった。
「くそっっ!!回復が追いつかねえ!“腐水”め、役立たず!!」
ズルズルズル……………ドボンッ!
化物が海中に没して、しばらくして氣が付近を離れた。
安心したと同時に歩き出した。マストが立っている辺りは、甲板より二メートルほど高い。向こう側まで行くには大回りしなければならない。
青年はいつものように唐突に消えていた。いなくなるならせめてお別れの挨拶ぐらいして欲しい。
「四さん」
彼は反対側に立っていた。手には濡れた長い包丁が一本。彼は首を僅かに動かした。
「大丈夫。ありがとう」
四さんは微笑んで頷いてから、また首を動かした。さっきより大きい振りだ。
「?」
初めて意味が分からない事に当惑する。
「四さん……えっ?」
背中に誰かの体温を感じる。潮風で冷たくなった手に、誰かの手が重なった。
彼は目尻を下げ、また微笑んだ。
家に帰ると、父が怖い顔をして待っていた。
「お父様…どうなさったの?」
「マリア…連中が、コンシュ家の人間どもが爺様を…大勢の同胞を連れて行った」
優しい笑みをして昔話をしてくれた祖父の顔が脳裏をよぎる。
「私は遅すぎたが今日決断した。コンシュ家とそれに加担する人間を残らず根絶やしにする。それしか我々の生き残る道は無い」
「お父様、本気ですか?」
「ああ。だからマリア。巫女のお前は代々続く秘術を。万が一我々が滅びそうになった時には使ってくれ。お前にしか出来ない事なんだ。頼む、マリア。アンサブ家の、ヤーシェの未来のために」
「……分かったわ、お父様」
父は安堵の表情を浮かべた。
「――ちっ、ヤバイなこりゃ」
ラキス・フォナーの呟きが壁に吸い込まれる。
聖族達は捜査のためと屋敷の数室を借りて宿泊している。代金は全部向こう持ちだ。コンシュ家が是非にと申し出たからだ。こっちは行方不明事件を極秘捜査している身、まあ当然の待遇だ。
だが、マズい状況に変わりはない。いや、一層悪い方向に動いている。
シャーゼは既に“腐水の術”について知っているようだ。下手をすれば全てオジャンになる。
「エルが帰ってくれば少しはマシか。だが……」
期待し過ぎるのも酷だろう。彼にも手に負えない事はある。
夕食前と後に携帯に電話したが電源は切られていた。
「――そろそろ潮時か……」
それきり沈黙した。