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三章 潮風の街


 いやに心地よい春の潮風に当たりながら、俺は屋敷への道を歩いていた。パーティー用の白いタキシードが窮屈で仕方ない。勿論貸衣装。

 誠と一緒に来ようかと思ったりもしたのだ。聖族も人間の貴族連中も退屈な話しかしないだろうし。社会見学兼ねて案内して回った方が楽だし。留守だったけど。

 今日の懇親会は“蒼の星”首都プルーブルーに住む人間のコンシュ家が主催だ。“蒼の星”一番の名家で、何代もの貿易により莫大な財産があるらしい。主人のハチャ氏は相当豪華な持て成しをしてくれることだろう。他にも貴族連中が多数自由参加するらしい。

 聖族の方と言えば、聖王以外の身分の高い者達である。純血の双子の弟、聖王代理のエルシェンカと政府員数人、そして一人身の自分。数にすれば十人ぐらいだろう。面識があるのは弟だけだ。

「全く、ご苦労なこった」

 数百年前、役職を自ら蹴った自分にはもはや何の関係もないのに、事あるごとに呼び出す弟。何かと話しかけてくる聖族達。それが嫌で聖族の本拠地である“黄の星”には殆ど行かない。彼らの九十パーセント以上がその星に定住していて、そこにさえ行かなければ接触を極力回避できる。

 聖族という人種は、一言で言ってしまえば“自分を神の使いだと思い込んでいる”狂信集団である。確かに純血聖族には不老が備わっているし、種族的に魔術を使いこなす資質は高いだろう。

 しかし、それだけだ。人間や獣族の方が体力的に優れていると調査報告にあるし、混血ならば寿命は人間と同じぐらい。妖族や龍族のような変態をとるわけでなく、幽族のように精神体でもない。まして第七種のように“忌まれる”―――

「……ああ、そーいや……」

 昨日の説明がまだだったことを、はたと思い出した。と同時に愛らしい寝顔を思い描いてドキッ、とした。送ってからどうしたのか。弟と病院に行ったのだろうか。金も持たずに?

(今日は早めに帰ろう……病院訊いたら)

 あれこれ考えている内に、大海原を目前に聳え立つ真っ白な大屋敷が見えてきた。大空の青と相俟って一層美しく荘厳である。この街一番の高台にあり、門の前からはプルーブルーが一望できる。

 角砂糖のような家が立ち並び、その向こうには見渡す限り蒼い海。船舶が何艘も航行し、白い波飛沫を描いていた。

 入り口の前には既に何台かの豪華な馬車がいた。どれもこれも精悍な顔立ちの馬が引いている。彼らはビシッ、と姿勢を正して主人の帰りを待っていた。

「金持ちの臭いがしてきそうだ……」

 早々に退散できるだろうか。



『おはようございます。私は小晶 誠です』

 そこまで打ち終えて送信のボタンを押すと、一分ぐらいで返事が来た。

『いい名前ですね。私の友人にも同じ名前の人がいます。彼は真実の真と書いてまことと読みます。まこと、というのは女の子(♀)にも使われるポピュラーな名前なんですよ。君は可愛らしい雰囲気があるからお姉様方によくモテるのでは?』

「もてる………って何ですか?」口頭で尋ねる。

『説明するのは難しいなぁ。うーん』考え込む相手。

「四さんも、“もてる”の?」

『私は四十超えてますから無理ですよ。昔も女気の無い生活してましたし』

「とまあ、こういう風に僕と四氏は会話していたんだよ、三年前から」

 誠の隣で食後のウインナーコーヒーを飲んでいた僕は、向かいの四氏の隣で頬杖をついているアイザに目をやった。彼女はまだ納得できないのかぷう、と頬を膨らませる。

 ラウンジに二台のノートパソコンを持ち込んで、四氏と誠がチャットをしている。四氏は常に無口だが、パソコンの中ではとても饒舌でユーモラスに話す。たどたどしくキーを触る誠に優しくアドバイスを与え、時に己が動いて操作説明。パソコンの初心者教室が開けそうなぐらい上手く教えている。

「あんたが四の友達なのは分かったよ。でもね、誠はともかく、何で聖族“なんか”をアタシ達の船で送らなきゃいけない訳?これから店に帰って昨日の伝票確認しなきゃいけないし、燃料費だってバカにならない」

「だからその分は聖族政府で出すって。宝氏もいいって言ってたじゃないか」

 一体何が不満なんだ、この女。昨晩助けてやった恩を忘れたのか?

「良くないよ。とにかくアタシは反対。って言うか、今すぐ叩き出してやりたいんだけど」

「いいね。もう着水してるから落ちても大丈夫だし。いいぜ、来なよ」

 同時に立ち上がった僕らに不思議そうに呼び掛ける声。

「エルとアイザは仲がいいんだ。とても楽しそうにお話してるもの。ねえオリオール?」

「いや……どうなんだろ」誠の隣の椅子に座っているオリオールは困ったような顔をした。野菜ジュースを手元に置いている。

「混ぜてもらおうか?ねぇ、二人とも。一緒にお話してもいい?」

 僕らは互いの顔色を伺った。先程までの険悪空気はすっかり消失していた。

「デカ女、僕は疲れた」「偶然。アタシもよモヤシ男」

 同時に席に座り直す。

「ところで、誠」

「うん」

「君はこれからどうするつもりだい?プルーブルーに着けば船に乗って家まで帰れるよ。僕らにはそれを止める権利は無い。薬屋は……諦めた方がいいかもしれない」

 ここ数日、警察はパーティーのため不法行為の摘発を強化していた。誠に効く薬というのは法律外のブツで、少なくとも今手に入れるのは極めて困難だ。裏の情報に詳しい部下のラキス辺りなら入手法を知っているだろうけど、せっかく明日まで自由を確保したんだ。無理に拘束の道を選ぶことはない。

「そうなの?エル、ありがとう」

「どういたしまして………うん、四氏?どうかしたのか」

「四?――薬屋のサイト?へぇー色々ある。この街にもあるみたいだけど、場所は書いてないね」

「ふぅん、探してみるだけの価値はあるかも」

「あ、でも今日定休日だ」

「じゃあ、探すなら明日からって事?」

「そうだね」

 四氏はキーボードを素早く操作し、情報収集を始めた。任せておけ、と言う事だろう。

「どっちにしろ、兄様には薬が必要だよ。手に入れるまでは帰れない」

 子供らしくない硬い口調。

「天宝の方は?港に着いたら店に帰っていいけど」

「それが……運悪く仕事入ったみたい。今朝から大勢いないでしょ?海向こうの孤島に美術品鑑定しに行っちゃった。高い奴は改めてこの船で回収しに行くんだってさ」

「アイザは行かなくていいの?」

「うん。アタシは力仕事する時現場入りするの。それに誠達がいるからね。お世話役って訳、何でも訊いてよ」

「つまりもう一泊しても支障ないって事。体調が良いなら街を見学してくればいい。初めてかな?」

「うん、えへへ!一緒に行こうね、兄様」

「……うん」

 兄弟は素直に喜んでいる。

 言いにくいけど、僕は口を歪めて「それと」と話題を変えた。

「君の近所のウィルという男には、もう会ったかい?老人と二人で森に住み着く変人、にして一応僕の実兄」

「うん」

「あいつには近付くな。あれは……人を厭うている、最悪の社会不適合者だ」

「しゃかいふてきごうしゃ……?」

「人の役にも立たぬ人間ってことさ」

「――ちがう、ちがうっ!!―――エル、どうしてそんな酷いこと言うの!?」

 初めて声を荒げる彼。大変驚いた。

「にい、さま……?」

「ウィルはお医者さんに連れて行ってくれた、とってもいい人だよ?お水を入れてきてくれたし、村の案内もしてくれた。謝って―――謝ってよ、エル!!」

 滅茶苦茶な激昂。僕は頭を下げた。

「……ゴメン。僕の方が誤解していたようだ。本当ゴメン」

 ただ、と僕は続けた。

「そうなると誠、君はあいつと相当仲が良いってことになる。あれは人嫌い、だが君に限っては……待てよ……うん」

 僕はしばし考え、懐から真新しい手帳を取り出した。そして、

「オリオール、今誠が履いている靴は何センチだ」と尋ねた。



(天井たけーな……)

 屋敷の大広間には既に二十人ほどの人間がたむろしていた。皆自分と同じように着飾っているが、四分の三は似合っていない。その内四分の一はむしろ醜悪という言葉が正しい。

 流石、街一番の家だけあって広さは半端でない。調度は超一級品、床は全面絨毯張り、天井には両手を目一杯広げても届きそうに無いシャンデリア。柱は全て大理石で、その場の空気まで玄関の外とは隔たっている。

「ウィル様、おはようございます。ようこそパーティーへ」

(うわ、また醜いナマモノが…)

 前から近付いてきたのは四十後半の男。髭は豊かだが他は貧相で、滑稽な印象を拭えない。

「ああ、おはよう。頼むから朝からヒドイもの見せるな。俺のつぶらなお目目を潰す気か」

「ははは、相変わらずですな」

 名前なんか知ったことではない。だが目的は分かっている。聖王になるための推薦が欲しい、だからこうして自分にも媚を売りに来る。彼だけではない。他の連中も多かれ少なかれそういう欲を身体から昇らせている。

(……吐き気がする)早く帰りたい。

「我らは前王の意向を尊重しているだけですよ。全ては聖族繁栄のためです」

 さらりと言ってくれる。この態度が他種族との溝を際限なく深めているのだ。

(バカバカしい…)

 前王は自分の嫌いな要素全てを詰め込んだような女だった。行方不明になって清々しているのは一人や二人ではないだろう。

「ところで、エルはまだなのか。人を呼び出しておいて」

「はあ、それがですね」

「都合が悪いから来ねえって、昨日連絡してきたぜ」

 階段の踊り場から声が降ってきた。見上げてみると、二十四、五の青年がこちらを向いている。スマートに白の礼服を着こなし、白薔薇を胸に、片眼鏡モノクルを左目に嵌めている。格好がスポーツ刈りによく似合っている。

「ラキス・フォナー。貴様のこのこ現れおったな」オッサンが蛇眼で睨み付けた。

「ふん。エルが来なくて内心安心していたアンタには悪いがな」

「お前の尻尾などすぐに掴んでやる。覚悟して待っていろ。……ウィル様、ではこれで」

 挨拶もそこそこにそそくさと立ち去るオッサン。変わって青年、ラキス・フォナーが降りてきた。

「やあウィル、久しぶりだな。何年ぶりか、何十年ぶりかな。変わってなくて安心したぜ」

 ははは、と笑う。髭と比べれば随分マシで、やっとマトモに話をする相手に会えた。

「お前こそ。今いくつだ」

「四十ちょうど。それにしちゃ結構若いだろ」

「ああ。二十代で充分通る」

「へへ。サンキュー」

「別に褒めてないぞ。有りのままをいったまでだ」

 この青年はエルシェンカの数少ない部下の一人、一番のパシリである。自前のライフルによる狙撃を得意とし、主に他星への偵察の任を負っている。弟の呼び出しの際、何度か顔を合わせている。

「生憎、肝心のエルはどっか行っちまったけど。ま、ウィルの好きなスイーツも出るらしいし、気分転換と思って楽しめよ」

「何だ、来ないのか。人を呼びつけておいて、どうしようもない奴だ。こっちも訊きたいことがあったんだがな」

「珍しい。てっきりあんたら兄弟は絶縁状態だと」

「徹頭徹尾その通りだよ。だけど“黄の星”のことはあいつの方が詳しいからな」

 俺は優秀な、そして良心的病院を探している旨を話した。

「参ったなあ……俺もここ数年行ってないから、全然役に立てそうもない。エルも似たようなもんじゃねえの?あいつ常備薬で治す性質だからなぁ。でもその子具合悪いんだろ。だったら何とかしてやりたいし……うーむ……どうしたものか」

 ラキスはしばらく考え込み、そして、

「――よし、ウィル。医者は無理だが、代わりにとっときの奴を紹介してやる。この街にいる薬屋で、非合法も含めて大抵のやつならあるはずだ。多分まだ摘発はされてない。場所は中央商店街」

「随分人通りの多い所だな」

 木の葉を隠すなら、という事か。

「ああ。店の名前は――――うん?玄関が騒がしいな。見てくるか、じゃあまた」

 そう言って、ラキスは駆けていった。

(元気いいなあ)

「そこのお前」

 呼び止められて振り返ると、銀髪の若い男がこちらを見ていた。黒いスーツにカスミソウの小さな花束を無造作に胸に挿している。しかも、普通に似合っていた。

「誰だ、お前?」

「第七対策委員会のシャーゼ・フィクスだ。聖族一のろくでなしのウィルベルク殿」

 いきなりボロくそに言うか普通。

「俺に何か用か?」

「くれぐれも人間どもの反感を買わぬよう行動しろ。言いたいのはそれだけだ」

「……ああ。分かったよ」

 男はふん、と鼻を鳴らしてその場を立ち去った。

「ん?第七対策だって……?」

 何故そんな奴がここに?



 その少し前。

 俺、ケルフ・オーキスは中央商店街を南北に走る大通りで壁を背にして立っていた。缶コーラを飲みながら、横行する人々をずっと眺めている。ライブまではあと四時間以上ある。

 やけに馬車が多いと思ったら、今日は南の丘の屋敷で金持ち同士のパーティーがあるらしい。見ているだけで十台以上が通り過ぎた。

 缶を捨てて戻ってくると、丁度他より数段質素な馬車が目の前を走っていく所だった。馬も痩せていて遅いし、馬車自体どことなくボロい。魔が射したのか、歩いていって馬車戸を軽く叩いた。前にいた小悪党っぽい御者が注意をする。

「いいじゃんか。ちょっとぐらい止めてくれよ」

「ヤダよ。急いでるんだ」言い方までチンピラだ。

 すると中から「開けてくれる?」と可愛らしい声がした。御者は慌てて二頭の馬を止める。

 中には金髪の(かなりタイプの)娘と青髪の男が座っていた。彼女は俺の顔を恥ずかしそうに見て、「あなたは?」と問うた。

「ただのしがないミュージシャンさ、美しいお嬢さん」薔薇を差し出す仕草をしておどけてみせる。娘は困り顔。どうも通じなかったようだ(がっくし)。従者は怒り目、御者なんて忍び笑っていやがる。

「お嬢様、早く行きませんと間に合いませんよ」従者が眉間に皺を寄せて言った。

「そうなの、オリオール?」娘は純真無垢の笑顔で尋ねた。

「そうですよお嬢様。コンシュ家の方々に挨拶して、聖族の方々に挨拶して、それから他の貴族の方々に挨拶するんですから。往路でお兄さんと喋っている暇などありません」

 推測するにこの娘、貴族の中でも貧乏な家の出なのだろう。パーティーに出席するのも結婚相手を探すためなのかもしれない。だとしたら可哀相な話だ。目の前の娘は十七、八、俺と年は変わらない。恋も知らぬ娘に結婚しろなんて、なんてヒドイ世の中だ。

 首を竦めて「それじゃ仕方ねえな」と言った。

「でもさお嬢さん。もしパーティーの後暇なら、俺達のライブ見に来てくれよ。クリーミオって“赤の星”だと少し名の売れたバンドなんだけど、絶対面白いからさ」

「“赤の星”には友達がいます。その子も来てるかな」

 娘はえらく興味を持ったらしい。「どこで?」と訊いた。よっしゃ、喰いついた!

「海岸淵の学校のグラウンド。この道を戻って、郵便局の角を左に曲がって真っ直ぐ。……そうだ、どうぞ!」

 ジャジャーン!と懐から取り出したのは二枚の黄色い紙。黒印字で“クリーミオ ライブチケット”とある。定価二千四百の代物だ。

「ありがとう、みゅーじしゃんさん」妹と同じぐらい細い手が差し出され、紙切れを大事そうに両手で持った。

「それじゃ、早く行ってきなよ」

「さようなら」

 はいよーっ、御者は掛け声を上げ馬を発進させた。対向車も人も無く、あっという間に見えなくなった。

 これで準備のサボリがバレても充分言い訳できる。おまけに目の保養にもなった。内心も外ヅラも俺はにんまりとした。



「よくお越し下さいましたウィル様。ささ、どうぞこちらのお席に」

 五人掛けテーブルについたのは、入り口に近い方から時計回りに長女のサンチャ、叔母のサルタ、主人のハチャ、その妻のマラー、そして俺。

 家の者がティータイムに使う部屋だけあってこじんまりとしている。俺としては広間の喧騒から逃れられただけで有難い。

 茶髪のサンチャの淹れた紅茶が皆に配られた。高そうな茶葉だと言うと、

「ウィル様が紅茶好きと聞きまして、特別に取り寄せましたの。お口に合うと嬉しいのですけど」

 この一杯で庶民の一ヶ月分の給与が消えるだろう。しかし淹れ方がマズいのかそれほど美味くない。自宅の安物の方が数倍いける。

(コップを先に温めないと……ああ、それに茶葉を入れてから注ぐまでの時間が短過ぎる)

 シフォンケーキが台無しだ。

「それにしても、全くめでたい日ですなあ。聖族政府の方々が我が家に来てくださるとは。大したおもてなしはできませんが、どうぞ心ゆくまでおくつろぎ下さい」

 パンパンのグレーの礼服を着た(謙遜して)ややハゲのハチャ氏が揉み手をしながら言う。その手はまるでソーセージだ。

(別に俺は政府の人間じゃないんだがな)媚られても困る。

「ウィル様、この街は気に入って頂けましたか?」

「ああ。海も街も綺麗で、とても良い所だと思う」

 “蒼の星”の産業は主に漁業。魚は勿論、真珠や珊瑚もよく採れる。コンシュ家もそう言った海洋資源で財を築いたグループの一つだ。

「ええ。海は今の時期が一番綺麗なんですよ。もう二、三ヶ月しますと台風。冬になりますと流氷で閉ざされます」

「不思議な光景ですよ。遠くの島まで氷が続いていて、歩いて渡れそうなんです。当然、駄目ですけど。毎年それで大勢の観光客が警官に止められています」

「へえ」

 十年ぐらい前に一回来たが、その時は馴染みの菓子屋の閉店セールで明け方から行列に並んでいて全く見なかった。

「ウィル様は女性にはご興味ありませんか?サンチャなど親の私が言うのも何ですが、レディの名に相応しい娘に育ってくれたと思います」

 その持っていき方は唐突すぎやしないか?まあ、男性から見れば見栄え・経済的・社会的に上玉だろうが、あくまで一般論だ。少なくとも紅茶をマトモに淹れられない女をもらう酔狂はできない。

「そうだな。……さっき玄関が騒がしかったが、あれは?」話題をさりげなく変える。

「御覧になられていないので?」

「ああ、全く」

「まあ!勿体無いですわ。大層美しいお嬢さんが先程いらして。今息子のクアスとイエリがお相手していますの。ウィル様も後で見に行かれたらいいですわ」ごく平均的な中年のマラーが、大仰に驚いてみせた。

「へえ」興味は沸かなかった。女は自分と無縁の者だ。男も、だが。

「儂が若ければ放っておかないでしょうな。こう金の巻き毛がクルクルッとして、大きな群青色の瞳がまた何とも愛らしく」

「同性から見ても大人しくて可愛らしい子ですのよ。どこの貴族の方かしら?」

 紫のドレスに白のショールを纏ったサルタはふふ、と笑う。

「ああ、そうだわマラー。後であなたの部屋へ連れてってもらえない?」

「姉さん。もう何度も家に来ているんだから、私の部屋ぐらい覚えてよ」

「だってこのお屋敷物凄く広いでしょ。私生まれつき方向感覚無いもの。狭い我が家でもしょっちゅう迷うんだから」

「まあ。旦那様も大変ね。いい年したオバサンが迷子なんて」

「そこがいいのよ」口元を隠してホホホ、と笑った。



――お嬢さんは本当にお美しい…――

「何やってんの?」

 四の部屋でラジオカセットのような機械のボリュームを操作するエル。同時に片手でノートパソコンのキーを叩いている。時折メールが入り、その度二言三言で返信する。

「四氏と共同で調べ物。……それにしても、四氏の情報網は凄い。宇宙最高峰の龍商会に勝るとも劣らないレベルだ。薬屋をあっさり見つけたのも頷ける」

 本気で感心しているらしく、言葉尻にいつもの余裕が消えている。

「隣と同じ!?マジで!!?」

「ああ、こんな貧乏商店にあるのが惜しいぐらいだ。たまに調査費用を払って仕事してもらっているけど、こんな化け物並みのネットワーク持ってたとは……今の料金だと割に合わないな。追加費用払ってもいいぐらいだよ」

「無茶苦茶だね。いつの間に……というか、無理にウチにいることないじゃん。もっと使えるトコに行けば」

「実行したら天宝は三日と保たない」

 言葉に詰まった。全くその通りだったからだ。四の情報力に何度助けられたことか。

『よし、四氏。もういいよ、材料は揃った』最後のメールを打つ。

――さあ、可愛らしくなりましたよ。マリア・アンサブ嬢――

「これ、盗聴器?」

「うん。これで音量最大なんだけど、どうも聞きづらい。建物の中だからかな」

「悪趣味じゃない?」

「本人には了承取ってるよ。……どうやら来たらしい」

―――ああ、ウィル様。この方は――

「僕が直々に試してやるよ、兄上」



 大広間に戻ると、長身のピアニストが優雅なセレナーデを奏でていた。人々はお喋りをしたり食事をしたりして寛いでいる。

 その片隅で件の娘、だろうを二人の男が口説いている。周りにいる人々の会話から、コンシュ家長男のクアスと次男のイエリと分かる。

 “頬に傷を持った”男、クアスは真っ赤な薔薇を一輪彼女の髪に挿した。

「さあ、可愛らしくなりましたよ。マリア・アンサブ嬢」

 やや幼さの残る青年、イエリが彼女の手を取った。

「お嬢様。あっちのバルコニーから見える景色は最高ですよ」

 先程、だろうと思ったのは理由がある。すなわち、

(どう見たって金髪じゃねえよな……真っ黒だぞ)

 “運命視”の影響か、一人だけ違う像を描いているらしい。

 ついでに言うなら、カールなどなくストレートだし、瞳も漆黒で―――

「!?そこの……」

「ああ、ウィル様。この方は」

 走り寄ってまじまじと見る。やはり、そうだ。

 娘は至近距離で凝視されて照れた顔を見せ、「ああ、ウィル」と言った。

「おや?お知り合いですか、ウィル様」

「あ、いやその……知り合いと言えば、まあそうなんだろうが」

 何でこんな所にいるんだ?

「こんなカワイイ彼女がいるなら、最初から一緒に来ればよかったのに。誰も冷やかしたりしないって」

 イエリがにやにやと俺を見る。

「ずっと不安そうなんだ。こういうトコ初めてらしくて、な?」

「は、はい……」

 手品を見せられているようだ。

「……少しお話しても……かまいませんかウィル、様?……あの……ご迷惑、ですか?」

 不自然にならないよう慎重に喋っている。とちらないか、共犯であるこっちの心臓までどきどきしてしまう。

「あ、ああ喜んで。……はは、それじゃ俺でよければ案内役を買ってでましょう、可愛いらしいお嬢様。お二人さん、いいかな?」

「どうぞどうぞ。俺達は他の姫君をナンパしに行きましょう、クアス兄さん」

 おどけた様子で肩を竦める弟を兄が片手で制す。

「不謹慎だよ、イエリ。ウィル様、マリアお嬢様、ごゆっくり」

 兄弟は立食している人群にゆっくり歩いていった。イエリが振り返る。

「お嬢様!今度一緒に遊びに行きましょう!」



 壁に凭れて客の様子を窺っていると、後ろから肩を掴まれた。

「シャーゼ、何してるの?」

 姉のアムリが、片手に料理の山を持って立っていた。

「ほら。折角こんなお金持ちの人が招いてくれたんだから、食べよ」

 辺りを見回して、悪戯っぽく笑う。

「そんな仏頂面だと、テロリストと思われて警備員さんに摘み出されちゃうぞー。ただでさえ、シャーゼ浮きまくってるんだから」

「……分かった。食べる」

 近くのテーブルに移動する。

「ほらほら。血の滴るステーキ!……(もぐもぐ)、うん!美味しい!」

 何故姉はこんなに明るいのだろう。私達は“腐水の術”について調べているはずなのに。

「アムリ、もう少し落ち着いて食え。悪目立ちしている」

 周りの紳士達が横目でパクつく姉を見ている。だが姉はお構い無しにもぐもぐ。

 数分後、鐘の音と共に彼らは立ち上がり大広間へ行った。部屋には給仕の者が一人と、私達だけになる。

「社交ダンスだって。食後の運動って所かな」

「しかし、あんなに素早く出なくてもいいだろうに」

「奥さんが急かしたんじゃない?」

 姉はにっこり笑って、「話、しよ」と言った。

「“腐水の術”は、この家の地下のどこかにあるんだよね?」

「ああ。少なくとも入り口はここにあるはずだ」

「と言う事は……今街で起きている失踪事件が“腐水”の影響だったら、犯人はコンシュ家の人かも」

「確率は高いだろうな」

 要請を地元の警察から受けたのは四日前。呼ばれた先で見せられた物。

『他言無用でお願いします』

 アクリルケースに厳重に入れられていたのはぶよぶよとした白い何か……いや、はっきり言えば頭蓋骨だった。ただ、まるで豚の背脂のように柔らかく、ぐにゃりと変形して一目では分からなかった。

『昨晩失踪した男性の遺体の一部です……』

 署長は項垂れたまま書類を読み始める。

『昨晩十二時半、この男性は海岸ぶちを酔っ払ったまま歩いていました。彼の歌は五月蝿く、近くに住んでいた女性が彼を注意しようとベランダに出ました。その時、』

 書類を持つ手が震えた。

『女性の証言では、海から体長五メートル程の“大きなゼリー状の何か”が上陸し、恐怖で酔いの覚めた男性をあっという間に飲み込んだそうなのです』

 海の生物を何種類か思い浮かべる。当然、どれもそんな凶暴な訳がない。強いて想像するなら馬鹿でかいクラゲだろうか。

『女性は慌ててスタンガンを……あんな化物に効くわけないのに何故持っていったのか、と調書の際に言っておられましたが、それが役に立ちました。彼女は全速力で浜まで降りて行き、男性を救出しようと最大出力のスタンガンを押し当てました。化物は水をゴボゴボ吐き出し海に帰って行ったそうです。後には……これを残して』

『化物の体組織は?』

『いいえ。吐き出した水は全て海水でした』

『海水………?』

 政府に帰り、文献を当たったところ浮上したのが“腐水の術”だ。水を媒介とする、“死肉喰らい”を生み出す禁忌の術。宇宙協定第百七十二条に違反する、私の専門だ。

 “不死族、ならびに不死の術を行った者、協定範囲内において発見された場合は直ちに”黒の星“へ送還す”。“第七”にはこの両方が含まれるが、“死肉喰らい”は不死族と区別される。本家と違いその多くが不完全体となり、理性を失いただ己の欲望のまま人を喰う。

『恐らく最近プルーブルーで頻発している行方不明事件は奴の仕業……』

 署長は頭を抱え、堪え切れなくなったのか嗚咽を漏らし始めた。隣にいた副署長が済みません、と頭を下げる。

『最初の行方不明者……署長の娘さんなんです。夜家を出たきり一ヶ月近く……』

「詳しい事は分からないが、“腐水”は自らの身体を水によって生かし、命を得る。水を循環させる事で新陳代謝を行っているわけだ。ただ問題は、必要な水が通常の人間の持っているより遥かに多く、維持するために多くの生き物を喰らわねばならないことだ。特に自らに最も近い、人間を」

「その人、自我はあるのかな?」

「さあ?進行の度合いにもよるだろうが、人間を手当たり次第襲うようでは」

 カナッペを摘む。

「手遅れだろうな、もう」

 姉が息を詰めた。

「じゃ、じゃあ……シャーゼはその人を」

「殺す、当たり前だ。何のために来たと思っている?」

「あうあう……で、でもどうやって戦うの?こんな大っきいゼリーなんでしょ?」

 両手を目一杯広げて表現する。実際はそれよりももっと大きいのだが。

「アムリ。相手はたかが水だぞ?それに無理にゼリーの時に戦わなくてもいい場合もあるだろう」

「え?」

「コンシュ家の人間の中に“腐水”がいるなら、そいつは今人間に戻っている。特定さえ出来ればガソリンをかけるなり、色々やりようはある」

 “第七”の弱点は炎や光。特に今回の場合相手は殆ど水で出来ている。

「ほえ……流石シャーゼ。頭いい」

 医大で万年主席だった姉に言われても……。



 プルーブルーが眼下に見渡せ、その向こうの海原はキラキラ日光で輝いている。バルコニーから見える景色は小晶 誠に深い感動を与える物だった。

 匂いのある風は心地よく、借り物のドレスをパタパタとなびかせる。

 こんなに遠くからでも感じ取れる、あの蒼い水からの多くの生命力。風で運ばれるこの街の、そして遙か遠くの人の生き生きとした氣の力。“碧の星”で感じた穏やかさとは違う、飛んでいきそうな開放感。

「気持ちいい」

「は?……ああ、氣か。まあ確かに、俺でもこの場所に立ってるだけで何か“きてる”、って分かるもんな」

 隣ではウィルが中から椅子を持ってきて座っていた。左手で持った皿に隙間なく入ったケーキを外側からフォークで攻めている。

「まーくん、もうかれこれ三十分は突っ立ってるぞ。まあちょっと座れって」

 もう一つの椅子を勧められる。少々脚がだるくなっていたので、向かい合わせで腰掛けた。

 水平線の向こうは雲一つない青空へと繋がっている。この星では陸でないものは一つなのか、それとももっと視野があれば境界が区切れるのだろうか。

 分かる範囲の事情は全て説明していた。と言っても、自分の拙い話でウィルは理解しているのだろうか?熱心に聴いてもらったのに申し訳なく思う。

「……あの……もしかして額さ、その時に怪我した?」

 口籠りながら尋ねる。両さんが自分達を不審者と間違えて銃で撃った時の話だ。

「え……うん。エルが治してくれて。痕、まだ残ってる?」

 傷が深かったから、治りが遅いのかもしれない。

「全然……ああ、よかった。俺はてっきり――」

 死んじまうかと思った、ウィルは笑ってそう言った。

「死ぬ……って?」

「もういいんだよ。他に傷は見当たらないし、当分は大丈夫だろ」

 彼は安堵の表情を浮かべている。そう重要な事ではないらしい。

「ありがとう」

「何、礼を言われる程の事じゃないさ」

 ケーキの皿を渡された。まだ半分残っている。

「腹減ってないか?ちっとは食わないと……あの野郎は病気の事何にも言わなかったのかよ?昨日よりはマシに見えるけど、早いとこ病院に」

 ショートケーキを一口。甘い。

「病気じゃないからお、医者さんには、掛からなくていいって。頭診てもらった時に」

「病気ではない、のか?」

「美味しい」

 治癒の魔術をかけている間、エルは色々と教えてくれた。

「よく、分からないけど――――」

「あらあら、ウィル様ごきげんよう」

 振り向いた先にいたのは閉じた扇子を持った女の人。情熱的な赤のドレスが鮮やかで綺麗だ。

「……あ、こんにちは」

「サルタ・コンシュさん。さっきの兄弟の、お母さんの、お姉さん」

「初めまして、サルタさん。マリア・アンサブ、と言います。よろしく……お願いします」ゆっくり会釈する。

「こんにちはアンサブ嬢。お邪魔だったかしら?」

 丁寧に礼を返される。いい人だ。

「いや、平気。丁度退屈してた所さ。あんたは?」

「それが……また迷っちゃって。ええと、玄関はどっちだったかしら?御者に今夜は泊まるって言い忘れてしまって」

「後ろ向いて左の壁伝いに進んで行けば出口だ」

「まあ、ありがとう。そうだわ、もうすぐ広間でダンスが始まりますの。私も本来なら主人と踊るのですけど、今日は仕事で来られなくて」

 だんす、とは踊るものらしい。踊るって何だろう?

「ああ、そりゃいい。行こう、アンサブ嬢」

 手を引かれて広間への道を行く。サルタさんはウィルの言う通り、壁に手を付いて歩いていく。あれなら迷わずに玄関まで行けるだろう。

 それにしても、

「お屋敷の中、悪い氣が滞っているけど……誰も気付かないのかなあ、エル」

 襟のとうちょうき、という石に向かって小声で呟いた。



 屋敷の地下通路を二人の人間が歩いていた。

「証拠……かあ。ホントにこの奥にあるのか?」

 懐中電灯をかざしながら男の一人が呟いた。普段使っていないらしく、通路は湿った埃が積もっている。

「知らないよ」

 青い髪の男は憮然として答える。

「“第七”に関するって言ってたよな?あの男」

「どうせ似非物でしょ」

 頬を膨らませる。

「どうして僕らが聖族の言う事なんか聞かなきゃいけないの?」

「坊主はいいっていったじゃないか」

「兄様は人が良過ぎるの。誰が困ってたって、そんなの僕らに関係ないじゃない」

 オリオールは両手を上に伸ばした。

「あーあ……折角静かで空気の美味しい所見つけたのになあ」

 半分獣族の両の耳が何かを捕らえた。

「水の音だ……下はすぐ海か」

 ほんの微かな音であったが、床に耳を付けるとはっきり聞こえる。

「お前も獣だろ。一緒に聞いてくれ」

「一角獣。……うん。所々変な音がしてるよ。海水だけって訳でもないみたい」

 オリオールが床を踵で蹴り、反響音を調べる。部屋の隅に差し掛かると、他より幾分軽い音がした。

「お兄さん、ここ。動かせる……よっと」

 石の床を持ち上げると、さらに地下へと続く階段が現れた。両が懐中電灯で照らす。

「――通路だ。この奥か?……よし、降りるぞ」

 二人はさらに地下へと潜っていった。



――バタンッ!―――

「あ、倒れた」

 一瞬遅れてワルツが止まり、人々のざわめきが盗聴器を通じて部屋に入ってくる。

――おい、しっかりしろよ!――

 兄が悲痛な叫びを上げる。

「やっぱりあの程度じゃ駄目か」

 傍目には完全に回復しているように見えたのだが。

――病気持ちだったの……可哀相に……――

――この中にお医者様いるかしら……?――

 雑多な音に混じって複数の靴音が近付いてくる。

――どうしたっていうんだ?――

――ウィル様、マリア嬢の容態は?――

 クアスとイエリの対照的な声。

――脈と血圧が弱い。どこか横になれる場所があるなら貸して欲しい――

「兄上、慌て過ぎだって。ただの貧血なんだから」

――それなら私の部屋の隣を使って下さい。すぐにご案内します――

 ハチャ氏の声だ。

 それを聴いてから、僕は今日三杯目のコーヒーを淹れに調理場へ行った。



 私は三度目にして彼の名前を知った。

 ラベルグ。

 偶然、彼を訪ねていた男の口から聴いた。

「兄さん。ラベルグ兄さん。いい加減帰ってきてよ――」

 男は小太りで、彼より十センチ以上背が低い。お金持ちらしく、金のレースの入った上着を着ている。

「兄さんってば」弟は強情に言い寄る。

「嫌だ」

 ラベルグとは全然似ていない。血が繋がっていないのだろうか。

「父さんも母さんも心配しているんだ」

「ああそう」

 殺気すら籠もった目で、「二度と来るな。仕事の邪魔になる」と言った。

「ふ……ふん、そうかい!でも僕諦めないから!また来る」

「勝手にしろ」

 男が去った後、彼は振り向いて私の方へ歩いてきた。

「かくれんぼ御苦労様」

 樽の裏に隠れていた私をあっさり見つけた。何で?

「通行人皆ギョッとしてたぞ」

 嘘!恥ずかしさで顔が火照る。

「メシの時間まで後四十三分か。今日は俺が決める番だな」

「あの人は、あなたの弟さん?」

「忘れろよ。腹が立つ」

「ご、御免なさい。ラベルグ」

「……………もう一回」

「え?」

「もう一回言えって」

 真剣な目。口から心臓が出そうになる。

「……ら、ラベルグ」

「発音いいな、お前」

「そ、そう……かな」

 そう言えば自己紹介の類を全く素っ飛ばしている。二度も食事を共にした、というのに。

「えっと、今更なんだけど」

「マリア」

「え?」

「しめ鯖定食だ。後三十七分で準備運動してこい。五分で行く」

 唐突過ぎる。心の準備ぐらいさせて欲しかったのに。

「どうした?また俺におぶらせる気か、マリアお嬢様」

 その日、やっと彼の顔が綻んだ。



「どこで間違えてしまったのだろう……」

 沸き上がるのは後悔と、憤怒。

 死ぬ事など怖くはなかった。だが、奴等に報いを与えないまま呪いで死ぬのは御免だった。

――どうか救ってやって下さい――

 そこまで書き終えた後、ハチャ氏はペンを置いた。自らの考えに没頭していた彼は、背後のドアが開いた事に全く気付いていない。

(この手紙を聖族達に渡せば呪いを解く方法を探し出してくれるかもしれない)

 ハチャ氏は元々小心者で、事業で成功できたのもその慎重さが功を奏したからだった。心配事の度に睡眠薬を使用しなければ瞼を閉じることさえ困難なほどだ。なのにここ数日一粒の世話にもなっていない。腹の底で煮え滾る物が不安や恐怖を焼き尽くしてしまったのだ。

(奴等だけは私が自分で始末しなければならぬ!!)

 鈍重な身体だ、返り討ちに遭う危険は重々承知の上。

(……さん。私に力を)

 衣擦れの音で、ようやくハチャ氏は振り返った。

「ああ、お前か。何か、用か――」




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