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序章 海の底で
あかぁい、一本の糸。
どこまでも。あかぁく、あかぁく。己の手を離れて。
周りを取り囲むは蒼い水。生物の無い、死者の世界の海。
ああ、この先にはいる。“人魚と人と死の”呪いの遺した、永遠に神に救済されぬ者。
禁忌を犯した己の願いは一つだけだった。
―――どうか光を……。
深い水の底。最早住む者の無い石の住居がひっそりと建っている。陽光は辛うじて届き、廃墟を淡々と照らし出す。
村とも言えぬ場所の外れに、彼女はあった。心にあるのは哀惜、よりもずっと軽い感情。絹糸のように細い金髪が時折波でゆらりと揺れる。
彼女は知っているのだ。それがいかに無駄か。
命を育む母なる海は、大切な者を還してくれる。不条理に奪われた訳ではなく、ただ摂理のままだと。
再会の時計は動き始め、一秒一秒確かな時間を刻んでいる。
戻ってくる、あと数日で。
彼女の腰まである長い石に、色とりどりの花で作った輪を掛けた。
「………あさん」
言葉は泡となって海に溶けた。