カップラーメンの3分間を、いかに有意義に過ごそうと熟考している間に、最初、一体どんな内容を考えていたのかを全て忘れてしまい、結局、この3分間にどんな意義があったのかどうかが、分からなくなった状態の考察
3分間。
カップラーメンを待つこの3分間、何ができるのだろうか。
それは、愛を育むこともできるだろう。
そして、子を慈しむこともできるだろう。
さらに、宿題の1問でもできるだろう。
短い作品であれば、きっと小説だって書けるだろう。
でも、それでは、何か足りない。
まるで、肉無しチャーシューメンのように、足りない。
そうか、その何かを考えればいいのか。
なら、どんな感じに足りないのだろうか。
私的には、この3分間について、足りないと考えるべき要素が見当たらない。
だからこそ、暇になるためのこの3分間をどのようにして過ごすのかということが問題となるのだ。
そう言えば、ここ最近は待たずに食べられる即席めんもあるそうだ。
さらに5分待つ物も発売されている。
それほどの長い時間に、いったい、何を考えればいいのか。
私には、いくつかの案がある。
そのうちの一つが、これからのことを考えることである。
これからのことを考えていると、どうやって過ごすかという問題につながり、また、テストをどうするか、そういえば、資格試験ももうすぐだったということにつながっていく。
そういや、資格試験もしなけりゃならなかったということもあり、なんとなくブルーナ気分となる。
これで、やっと1分ぐらい。
さらに、考えは巡り続ける。
勉強をしなきゃならないということもあり、どれをするべきかという優先順位をつけようとする。
優先順位と言えば、勉強もそうだけど、他のこともまとめて考えた方がいいんじゃないのだろうか。
だとすれば、何があるだろうか。
そう考えが続いていく。
その考えで行けば、何をするべきなのだろうか。
勉強は当然として、でも、勉強以外と言えば、作品を書くと言うことにたどり着く。
作品と言えば、連載をどうしたらいだろうかという話へと発展をしていく。
連載は今 (2011年8月7日)のところ16作あって、それぞれの話は、つながってもいるし、つながっていない話として、独立しているものもある。
というか、独立している方が多い。
それぞれの話を、どうやって統合させるかという話へとつながっていった。
考えれば考えるほどに、どんどん泥沼になっているような気がして、最初に考えていたことに戻ろうとする。
最初って、何考えていたのか分からなかったので、勉強の話へと戻る。
テストを受けなきゃならないのは、大学生として、単位を得るためには必要な通過儀礼として考えているから、仕方ない。
そして、ここで残りは1分となった。
さきほどまでの1分と、これからの1分は、期待の度合いが違う。
なにせ、さっきまでは、まだかな、まだかなと思いながら待っていたが、これからは、もうすぐ、もうすぐとワクワクしながら待つことができるのだ。
そのワクワクの為に、ここまで待っていると言っても過言ではないだろう。
私はそう感じている。
勉強の話とか、作品の話とかは、ここまでくると全て忘れている。
あるのは、これからの諸局と、うまいものが食えるという感慨が主であり、他には、次はこれを食べようとか、あれをしようといった、やはりこれからのことを考えてしまう。
ええい、そんなこと考えている間にも、時間となっただろう。
多少時間が早くてもかまわんから、食べてしまおう。
と言った感じで、3分間の間にも、さまざまなことを考えているわけである。
このことから、3分間は、有意義に使えるかどうかではなく、何かを考えるための時間と、私は考えている。
今回の反省としては、その時思ったことを直接書けなかったことである。
このことは、次、カップラーメンを買って食べる時に、メモ帳を横においておくことによって解決できるだろう。
次はそのようにする予定である。