(9)
「や、やっぱり、お、送るよ」ハルオも慌ててその後を追う。
「く、くそっ!」智はそう叫んで拾い上げたナイフを地面にたたきつけた。
どうやらあいつ、ハルオの女らしい。そいつにいいように叩きつけられた無様な姿を、よりによってハルオに見られるとは。最悪だ!
やっぱり今のままじゃ、ハルオに敵うどころじゃない。華風の組長は俺の動きが荒いと言っていた。荒くない動きって奴を身につけないと、まるでお話にならない。狙った奴の、女の方にやられるなんて、喧嘩以前の問題だ。
自分だって仲間内じゃ、なかなかの腕前だと思っていたが、堅気相手のユスリやタカリとは訳が違う。これでは名の通ったハルオのような奴を相手になんて遠い話だ。
強くなりたい。何としてでも。でも一体どうすれば?
そんな事の答えは決まっていた。強い者に荒くならない動きを教わる以外に手立てはない。
そして、確実に強い人間は、華風組の組長だ。どうにかして華風組に入れてもらうしか、自分には方法が無い。
「土間さんからの電話、あいつの事だったの?」結局ハルオに送られながら、香は聞いた。
「う、うん」ハルオはそう返事をしたが、香は何か、納得がいかない。
あの程度の奴が狙っているからって、ハルオがこんな踏ん切りの悪そうな顔、するだろうか?
「他には?」
「ほ、他にって」
「ちょっと。いきなり隠し事は無しにしてよ。黙ってるなら直接土間さんに聞くわよ」
「わ、分かった。い、言うよ。お、俺の、う、噂が、た、立ってるらしい。あ、あんな奴が、こ、これから、ふ、増えるかも、し、しれない。そ、それに、は、華風で、お、俺が、ど、土間さんの、こ、子だと、う、噂がある、らしい」
「噂も何も、ホントの事じゃない」
「そ、それは、ひ、秘密に、な、なってる。あ、あそこは、ち、血筋に、こ、こだわるんだ。お、俺が、く、組長の、こ、子だと、し、知れたら、は、華風に、つ、連れ戻される、かも」
「それって、土間さんがあんたに華風組を継がせたいって事? 今更?」随分都合のいい話だ。
「ど、土間さんに、そ、その気は、な、無い。そ、そう言う奴も、い、いるって、は、話だ」
ハルオが先々組長になる可能性がある? しかもハルオの名前が噂になって上がってきている。これはハルオの身には結構危険な事じゃないの?
「ハルオ。あんた、ドス、身につけてないでしょ? そんな噂が立ってる時に、丸腰で歩いてどうすんのよ」
「た、ただの、う、噂だし」
「自分でも危険だと思ってるんでしょ? だから部屋でグズグズしてた。ドスを身につけるかどうか、迷ってたんでしょ? 今までだったらちゃんと、持って歩いていたじゃない。私のせいでその身を危険にさらすつもり?」
「ち、ちが」
「違わない。だから言ったじゃない。二人ともいつまで無事か分からないって。だから腹をくくるって。なのに、なんであんたってそうなのよ。私、あんたに刃物を持たせて死ぬほど後悔してんのに。なんのためにあんたのドス、砥いだと思ってんのよ。あんたがためらったり、怪我したりしないためでしょ?」
「そ、そういう無理、し、しなくて、いい」ハルオが珍しく言葉をさえぎる。
「無理なんかしてない!」
「ド、ドスを、も、持つのは、お、俺の意思だ。む、無理しないで」
「してないってば。もう、あんたが刃物を握ったくらいで脅えたりなんかしないわよ。あんたに丸腰でいられる方が、よっぽど怖い。私の覚悟がそんなに信用できないの?」
「そ、そうじゃ、な、無くて」
「私の事、勝手に決めないで。これでもそれなりの度胸はあるんだから」
そういいながらも香は、内心、ハルオがドスを持たない事に自分がムキになっている事に気が付いた。ハルオが判断しているのだから、任せればいいような物なのに、刃物が絡むとつい、意識がそこに行ってしまう。口でどう言っても怖がっているのが見え見えに違いない。
強くなるって、言ったのに。意外と自分の心は思うようにいかない。
刃物使いが怖いなんて言わなきゃよかった。ハルオといると何故か、こういう後悔ばかりする羽目になる。ハルオの事だから、私がこんなだといよいよ刃物を握りにくくなるだろう。
ハルオが心配そうな顔で自分を見ている。バカ野郎。心配してるのはこっちの方よ。なんで私達、いつもこうなっちゃうんだろう?
ハルオがすうっと、軽く深呼吸した。どもらないようにゆっくりという。
「俺達は、大丈夫」
精いっぱい安心させようとしているのが分かる。分かるけど。
「もういい、一人で帰る」
ドスの一つも持たないで、何が大丈夫よ。香はハルオを振りきって、一人、もう目の前に迫った部屋へと駆け出した。