(8)
「あ、ど、土間さんですか。ぶ、無事に、う、生まれました。ぼ、母子ともに、げ、元気です。はあ?」
ハルオがちらりと香の様子をうかがい、コソコソと部屋を出ていく。どうやら香に聞かせたくない話らしい。
あー、ワイヤレスマイク、持ってれば良かった。ハルオや礼似さんから借りてばっかいないで、今度自分でも用意しておこう。すぐ、ハルオの身に付けられるように。香はハルオのプライバシーが、一層失われそうな事を考えながら、廊下に出てハルオを目で追った。
ハルオは奥にある自分の部屋の中に入ってしまう。さすがに追って行くのは、はばかられた。
しばらく待っていたが、ハルオの出て来る気配はない。もう、会話は終わっているだろうに。
仕方がないので香は部屋の前に行き、扉をノックした。
「ハルオー? 私、そろそろ帰るけど?」
もうすぐ夕方。礼似さんが病院より先に、部屋に戻るかもしれない。
「そ、そうか」そういいながらハルオはすぐに扉を開けた。
「電話、終わったんでしょ? 何してたの?」
「こ、これを、ど、何処に、し、しまって、お、置こうかと」
その手にはあのお守りがあった。しかし、それだけとは思えない。
その瞬間、ハルオは自分の腰回りに、スッと風が通る気配を感じた。香が眉間にしわを寄せる。
「あんた、ドスは?」
「ふ、普段、ひ、必要、な、無い物だから」と、ハルオがとぼける。
「いくら私でも、あんたが身を守るのに持ち歩くドスを否定したりしないわよ。そう、振り回す機会がある訳じゃないんだし」
自分で言いながら、香は気づいた。
「なんか、そう言う事がありそうなのね? さっきの電話、なに?」
「なんでもない」ハルオは即答した。どもらずに。
答えられない電話か。あんまりいい話じゃないわね。ハルオの身に危険が起こる警告だったかもしれない。あんなに刃物が嫌いだなんて強調しなきゃよかった。ハルオの事だからどんなに危険が迫っても私の前じゃ、ギリギリまでドスを握らないようにするに違いない。
「そう。じゃ、私もう、帰るから」ハルオは結構頑固なところもある事を知ってしまった。いざとなれば押し通す強さもある。追求したって無駄だろう。
「お、送るよ」
「いいわよ。なんか、今のハルオじゃ、かえって危なっかしいから」
そういいながら香は真柴組を後にした。ハルオを危なっかしくしたのは自分だと思いながら。
香は真柴組を後にした直後、突然若い男に声をかけられた。
「おい、ここって真柴組だよな? お前、ここの人間か?」
「誰? あんた? いきなり失礼な奴ね」
香の質問を無視して男はさらに注文を付けた。
「ちょっと、どもりのハルオって奴、呼んで来てくれないか?」
「先に質問に答えなさいよ。それに私、ここの人間じゃないわ。ハルオになんの用なの?」
香は身がまえた。
「分かったよ。俺は智。お前だって、その刃物の傷に気配、堅気じゃないだろ? この組の奴の女か?」
「余計なお世話よ」なったと言えばなったけど。コイツに答える義理は無い。
ははあ。これがさっきの電話の件かな? ハルオも変なのにつけ狙われたもんね。
「なんでもいいから、おとなしくハルオを呼んでこいよ」
智がそういいながら懐に手を伸ばしかけると、香は一瞬にして、智のナイフをスリ取ってしまう。
香の手に自分のナイフがある事に気づいて、智が香を睨みつけた。
「堅気じゃないって、分かってたんでしょ? そういう相手に懐の見当をつけさせるなんて、鈍い奴ね。あんたの動きじゃ、ハルオの足元にも及ばないわよ。私より、トロいんだから」香はせせら笑って見せた。
「俺のナイフだ。返せよ」
「もう、この辺に近寄らないって誓うんなら、返すわ」
「そうは行くか。俺はハルオに勝って見せるんだ」
「あんたが? 無理、無理。痛い目に会わない内にあきらめなよ」
「女のくせに舐めやがって。腕ずくって手だってあるんだぞ」
そういいながら智は香につかみかかろうとするが、香だって、ハルオに護身術は習い続けてきた。智のやみくもな動きは香に軽くいなされ、バランスを崩した所を背中に体当たりされ、みっともなくも地べたに突っ伏してしまう。
「ど、どうしたんですか? か、香さん」
そこにハルオが飛び出してきた。表の騒ぎに気付いたらしい。
「ハルオ。こいつ、あんたを狙ってるみたいなんだけど?」香は智を見下ろしながら言った。
「だ、大丈夫? け、怪我は?」ハルオが香を気遣ったが、
「全然平気。よくこんな程度でハルオを狙う気になったもんだわ。私にさえ、あしらわれるくせに」
智は顔を真っ赤にしながら起き上ろうとする。その目の前に香はナイフを放り投げた。
「返してあげる。でも、二度とこんな真似するんじゃないわよ。ハルオ、ホントに強いんだから」
そう言って香はさっさと歩きだした。