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「でも、それじゃ」
「ごめんなさい、礼似。これだけは私じゃどうしようもない。街と共に名を掲げ、街と共に朽ちていく。これが華風組の理念。この理念を曲げるくらいなら、華風は無くなった方がマシ。この感覚をこてつ組がどこまで受け入れるかで、ウチの運命は決まるんでしょうね」
土間は礼似の言葉をひったくりながらも、その視線をそらした。苦悩が深い事をうかがわせる。今の華風組がこてつ組に立ち向かっても、力の差ははっきりしている。それでも交渉が決裂すれば、華風組は黙ってはいないだろう。そして大谷は、全力で華風を潰しにかかる……。
「こてつ組だって、そうそう無茶はしないわ。せっかく三つの組がいい協力体制で成り立っているのに、わざわざ壊したくはないし。この事業を速やかに進めるためにも、無駄な騒ぎは起こしたくない。今までの苦労が水の泡になるもの。きっとお互いに落とし所を探り出すわ。でも、ギリギリまで互いに粘る事になりそうね」
「そうね。しばらくは緊迫した状態が続くでしょうね」
「組長なんて、そんな役回りね」礼似がポツリと言った。
会長なら。こてつ会長なら、もっと華風のプライドを理解し得たのかもしれない。こてつ組もその昔、国に見放されかけたこの地を自衛し、発展させてきたプライドがあるはず。華風とやり方は違っても、街を守り続ける心は会長も親の代から肌で感じている。こてつ組が今時の裏社会にあっても、この街にこだわるのは、人々の信頼と、確かに受け継がれてきた想いがあるからだろう。それが拡大し、複雑化している組織を一つにまとめ上げて来た。
人って案外、全くの欲や利益だけでは本気で動いてくれない。それに、やはり私では器が足りない。大谷でさえ、難しいに違いない。
「とにかく、私はこてつ組の人間が単独で余計な事をしないように目を光らせるわ。土間も、華風の動揺を抑えてくれる?血気にはやって事を起こせば、そこから事態が悪化する恐れもあるから」
「そうね。こてつ組がもう、動いているなら、関係者に噂は立ち始めているだろうから。若いのなんかは、こてつ組に一矢報いれば、自分が次の組長候補だなんて、言い出しかねないし。ウチの若い奴等は不思議と肝心の組の存続への危機感って、持たないものなのよね」土間が頭を抱える。
「それ、私、ちょっと分かるかも」礼似が意外な事を口にする。
「え?」
「あんたはすでに華風の一族になってるからピンと来ないかもしれないし、真柴は組そのものが一つの家庭のようになってしまっているけど、私は違う。私達は、組を失ったら、本当に寄りかかるものが無くなっちゃうのよ。心を置いておく場所が無くなるって言うか。それを失う事は考えられないし、考えたくもないの。現実逃避なんだけどね」
「そんなにこだわるかしら? 他の組織に平気で鞍替えする奴だって沢山いるでしょう?」
「鞍替えできるのは、その先に自分のしがらみを作っているからよ。それが無いまま放りだされたら……意外と人はもろいんじゃないかな?」
土間はぴたりと黙り込んだ。大抵の人間は行き場を失った挙句、この世界に飛び込んでくるのだ。
「だからこそ、会長は絶対的権力でこてつ組を支配してきた。烏合の衆をまとめ上げるためにね。でも、私はお飾りのような組長になって、一体何ができるんだろう?」礼似の視線が遠くなる。
「あんたがお飾りで終われるもんですか」
「今度ばかりはどうだか」
礼似は両手を軽く上げて肩をすくめた。外国人のジェスチャーのようなしぐさ。
不意に土間が立ちあがった。話しはこれで終わりだと言うように。部屋を出ようとする。
「どこに行くの?」
「やっぱりお酒、呑んだ方がいいんじゃない?」
「何だか悪酔いしそうだけどね」
礼似はやるせなさそうに笑った。
翌日土間は、朝早くに一足先に帰って行った。寄るところがあると言っていたから、さっそく入札関係者と会うつもりに違いない。
土間には申し訳なかったが、こてつ組もすでに華風側の企業にある程度の圧力はかけてあった。それで単純に折れてくれれば苦労は無いが、実際にはこれから交渉のための根回しに入るだろう。
まずは土木業者の出方次第なので、こてつ組は今、動かない。礼似はこてつ会長の命令通り、由美の護衛を続けることにした。
由美達は朝食を済ませると、地元の祭りをのぞきに行くらしい。これが本来の目的なのだろう。浴衣を無理やり着せられ、迷惑顔の犬達と違い、実に楽しそうにはしゃいでいる。温泉街の一角にイベント会場が設けられ、次々と催し物が繰り広げられる。人混みを避け、犬達によりそっているが、飼い主たちもそれなりに祭りを満喫してご機嫌だ。このまま平和に旅行は済みそうだな。私も香に土産でも買って帰ろうか? ハルオと仲直りは出来たんだろうか?
そんな事を考え始めた時、それまで晴れていた良い天気が、突然、黒雲に覆われ始めた。遠くに雷鳴が聞こえて来る。犬達がそわそわと落ち着きを失い始めた。
「大変。こてつは雷が大嫌いなの。早く車に戻らないと」
由美がそう言い終わらない内に、まばゆい雷光と激しいガラガラという音が由美の言葉をかき消してしまう。こてつが悲鳴を上げて飛びあがった。