(2)
華風組の車で由美の(実際にはこてつのための)車の後を追うと、平日の事なので高速道路もスムーズに流れている。途中、サービスエリアによって、こてつを休ませていたが、それ以外は特に寄り道する事もなく、順調に目的地に向かっている。どうやら飼い犬仲間とは現地集合のようだ。
目的地の温泉ホテルに着くと犬連れの二人組が由美を出迎え、まるで女子高生のような歓声を上げる。普段は会えない顔ぶれなのかもしれない。こういう瞬間たいていの女性は少女の頃の感覚に戻る。手を振り、笑顔で「久しぶり」だの「元気?」だのとはしゃいでいる。
ところが飼い犬達の方はそうはいかないようで、互いが慎重にけん制し合っている。この中でどの犬が上に立つのか、見極めようと匂いを嗅いだり距離を測ったりしているようだ。
普段から由美にべったりで、やたらと人間臭いこてつは、一体どんな反応になるのだろうと、土間と礼似はこっそりながらも、興味シンシンで様子をのぞいていたのだが、意外にもこてつは、唸り声一つで他の二匹をあっという間に黙らせ、まさに、親分風を吹かせてその場に「デン」と、君臨していた。他の犬は全く近づけない。
「ごめんなさいね。この子、結構犬見知りが激しくて」と、由美は恐縮しているが、これは犬見知りと言うより、礼似達から見れば、さすがは会長の飼い犬。親分気質満点だわ。と、思い知らされてしまった。
こてつがデレデレと子供のような顔で甘えるのは、おそらくこの世で由美、ただひとり。こてつのなかなかの代わり身の見事さに、土間と礼似は目を見合わせてしまった。
由美は、せっかくの温泉地だからと、犬達に手作りの浴衣を用意してきたらしい。さっそく部屋で着せようと、意気揚々と部屋に向かって行った。その隙に礼似達もチェックインする。
部屋にたどり着くと、礼似はとりあえず何も知らせていなかった香に電話をかけた。帰宅は明日の夕方になる事を告げ、一樹に宿題を持たされた愚痴をこぼしたりもする。すると香から御子の出産が始まりそうだと聞かされる。すでに入院したと言う。
「えー? 立ち会い損ねたあ。残念」
うんうん痛がるようなら、後でからかってやろうと思ってたのに。
「御子、出産が始まるのね。ところで宿題って何?」聞き耳を立てていた土間が聞いてきた。
「これよ」礼似は自分のボストンバッグからファイルを取り出してみせた。
「そんなもの、持って歩いてるの?」
「下手に記録媒体に入れて持ち歩かない。この世界じゃ常識でしょ?」
うっかり簡単にコピーでも取られては大変な事になる場合もあるのだ。
「そうじゃなくて。そんなかさばるもの持って、奥様達の後をつけるつもり?」
「ああ、これはおいて行く。大丈夫。ただの新聞記事や雑誌の事件記事をまとめただけのものだから。なんの秘密もないわ。組が起こしたここ数年の事件を読み返しておくだけ」
「組がらみの事件。こてつ組の幹部会って、もうすぐだったっけ?」
「そう、だからおさらいね。あら?」
礼似が耳をそばだてる。隣の由美達の部屋から、人が出てきた気配がする。わざと自分達の部屋の戸を、わずかに開けてあったのだ。
「奥様達、出かけるみたいね。ついて行かなくちゃ」
二人は姿を見とがめられぬように、タイミングを見計らって、後を付けた。
由美達と犬の一行は、それぞれ浴衣姿で温泉街を楽しんで探索していた。犬連れなので店などにはあまり入れないが、それでも景色を堪能したり、足湯に足を浸してみたり、あちこちで記念写真を撮ったりしている。
「今回は穏やかに済みそうね?」土間が礼似に問いかけた。
「そうね。今回の護衛は会長の口実っぽい事は分かってんでしょ?」礼似も意味ありげに答える。
「私達が二人で話す時間を作ってくれたわけね。礼似ったら香をのせてる間に自分が会長にのせられてるのね」
「土間、あんたもでしょ?」そういいながらも礼似は、むっつりとした顔で、その通りだと思った。
由美達は食事、温泉と堪能した後、飼い犬達と共に部屋で呑もうと言う事になったらしい。ホテルのお土産売り場で買った地酒を呑もうと、ガラス細工の棚で土産を兼ねてぐい呑みやグラスを物色する。
犬達は旅の疲れですでに眠り始めているらしい。乾杯と高らかに声が上がるのを聞き届けると、礼似達も部屋の戸を閉め、一息ついた。
「私達も、お酒、いる?」土間が尋ねた。
「いらない。呑んだって酔えないだろうから。私から先に質問していい?」礼似が尋ね返した。
「どうぞ」
「華風組って、地元の土木企業のつながりと、彼らを御得意にしている歓楽街の店が、シマのほとんどを占めてるわよね?」
「そうよ」
「これ、華風組長として、無理に答えなくてもいいけど、土間個人としては、組の収入、最近の不況でかなり響いていると感じる?」
「ウチはそっちの実務はアツシさんに任せているの。でも、帳簿を見る限りでは、あまり芳しくは無いわね」
「こてつ組も、これから実務は大谷が握るわ。私は看板みたいなもの。正直、こてつ組だって地元企業とのつながりと、娯楽施設の収益から来る上納金が一番安定した収入源になってる。でも、企業も今は厳しい時代だから……。これからは観光業に力を入れていくと思う。これも今、厳しいんだけどね」