第6話 ホッケンハイムで芝刈りを
タイヤとは何であろうか、実生活においてそんなことを考える人間は極めて少数だろう。しかしレースを行う人間において、それは非常に重要な疑問である。その基本的な役割は大きく分けて四つある。一つ目はドライバーを含めた車体の荷重を支えること、二つ目は推進力や制動力を路面に伝えること、三つ目は舵を切って進路を制御すること、そして四つ目は路面からの衝撃を吸収することである。特にレースの場合、二つ目と三つ目が問題となり、そのためのタイヤ運用が必要になってくる。もちろん、その是非は直接勝敗にも関わることとなる。
かつてF1においては、ゴムというよりもガムテープを想像した方がわかりやすいというレベルのタイヤが使用されていた。熱を入れることで表面が溶け、それによって生じた粘着力が高い摩擦力へと繋がり、より高速でもマシンをコントロール出来るという仕組みになっていた。現在のFIでは、オフロード区間やウエットコンディションといった路面状況に幅のあるコースを走破する都合上、そこまでのタイヤは使用されていない。しかしもちろん、そういった中でギリギリの摩擦力を獲得するための工夫は模索されていた。
タイヤという物体はその構造上、熱が入るまではグリップ力が弱く、その後最も良い状態を迎え、タイヤの磨耗が一定レベルを突破した時点から状態が低下していくというプロセスを辿ることになる。この一定レベルの突破というのは、同時にタイヤ交換を余儀なくされる状況と大抵等しく、インターバルとなるカーゴ移動のタイミングを迎えるまではタイヤ交換をしないというのが、昨今のFIの基本的な戦略だった。すなわち、周回数が終盤へと差し掛かるほどに、各マシンは無理な挙動をするだけの余裕がなくなることになるのだ。
実際、タイヤを新しくした北嶋の走りは、次元が違って見えた。
森へと連なるロングストレートで、あっさりとフェテルに追いつき、シケインで煽るようなテールトゥノーズを展開する。本来ならそのシケインの出口で別ルートへと逃れるフェテルだったが、トップを走っていたパウルのマシンが途中でリタイアしてしまったために通行止めとなり、入ることは出来ない。そして、そこから続く大きな半径の右カーブでストレートに強い、しかもニュータイヤを履いたカブトガニを抑えるだけの余裕は、今のフェテルが操るロッソのマシンには残されていなかった。途中で折れる分岐点を待つことなく、簡単に追い抜いていく。
「よしっ、これで8位!」
順位もタイム差も、決して磐石の状態とは言い難い。しかしそれでも、戦闘力の高いマシンで追い上げていく感覚は気持ちの良いものだ。小難しいことは何も考えずにプッシュ出来るというのも、北嶋にとってはありがたい。
「お、サリス発見!」
二つ目のシケインを抜けてしばらくの地点、最初の合流ポイントを迎えたところで、フェテルの前で復帰していたサリスが、2番ルートから現れる。先程抜いたフェテルの姿はまだ見えない。北嶋のペースとフェテルのペースには、この時点でかなりの開きがあると考えて差し支えない。しかし次の相手であるサリスは、北嶋と同じようにタイヤを交換している筈である。条件が五分のトップクラスのマシンでは、そう簡単には抜かせてもらえない。
(オフロードでも、直線なら!)
それでも北嶋は、勢いそのままにアクセルを踏み込んでいく。サリスは立ち上がりに失敗でもしていたのか、その差は見る見る縮まっていった。ブロックすらされぬまま並走した二台のマシンは、その状態のままオンロード区間へと戻り、緩やかな右コーナーでアウトにいた北嶋が前に出る。見ている側にとっては極めて鮮やかな、爽快感のあるオーバーテイクシーンである。
ところが、左に折れて灼熱区間に突入した北嶋の表情はあからさまに渋い。昨日食べずにとっておいたショートケーキを食べようと思ったら何故か天辺のイチゴだけなくなっていたかのような顔だ。
「……なぁ、ツクモ」
『どうした?』
「サリスって、何かトラブルでも抱えてるのか?」
アンドレ・サリスというドライバーは、比較的荒いレースをすることで知られている。自分のマシンも他人のマシンもよく壊すことから『壊し屋』の異名すら持っている。むろん相応の実力を認められているからこそ、何年もドライバーという職業を続けてこられたワケだが、彼の父親が大手スポンサーの重役を勤めており、しかもそのスポンサーが彼の移動と共についてきていることから、彼をシートから外せない理由があると揶揄されることも多く、それがマシンやチームを省みないドライビングに繋がっているという噂もある。
いずれにせよ、仮にもチャンピオンのかかったレースで、ポイントにおけるライバルに抜かれようとしている局面で、ブロックの一つもせずにアッサリ抜かれるなど、サリスというドライバーとしては極めて『らしくない』行動であると言わざるを得なかった。
『……いや、今のところそういった情報は入っていないな。もっとも、ウイングを交換して見た目上は戻っているが、サリスは接触している。何かトラブルを抱えていたとしても不思議じゃないがね』
「そっか。まぁいいや。これで7位、まだまだ行くぞ!」
『もちろんだ。ガブリエルとの差は3.5秒、ただし3台連なっているから、そう簡単じゃないぞ?』
「大丈夫、一台ずつ抜いていくさ」
トップとの差はまだ30秒を切った程度だ。あと5周で何秒縮められるのか、それによって最終サーキットでの展開が違ってくるだろう。いくら順位が上がったところで、タイム差が縮まらないことには意味がない。追い抜きに気を取られ、もたつくことは許されなかった。
「……厄介だな」
ツクモは呟かざるを得なかった。
ここ2周以上、北嶋の順位は変動していない。いや、順位の変動がないというだけなら、さほど大きな問題でもないのだが、トップを走るシュマックとのタイム差が一秒以上開いていることは由々しき問題だった。
その原因は端的に言って前を走るガブリエル、フランク・グランプリのマシンにある。この程度の上位になると、いかに直線無敵のフォーチュンベルでも簡単に抜くことは出来ない。それでも直線速度に圧倒的な差異があれば強引にでも抜くことは可能なのだが、フランクのマシンはフォーチュンベルとデニスに次いで直線に強く、しかもガブリエルはチームメイトのマイオールと違ってストレートに強いセッティングを選んでいた。そのためルート選択も北嶋と被り、直接ブロックを受けてしまう。こうなると、よほど上手く近付いて加速し、スリップストリームを活用しないとオーバーテイクは難しい。不可能ではないが、手間がかかることは間違いなかった。
『くっそー。もうちょっとなんだけどなー!』
直線で並んだもののシケインの入り口で内側を押さえられ、渋々後方に戻った北嶋がボヤく。その声に悔しさは宿っているものの、あまり切迫した雰囲気は伝わってこない。現時点で重要なのは、あと何周で目の前のマシンを抜けるのかではなく、トップとのタイム差をどれだけ縮められるかという一点のみである。北嶋にその重要性が理解されていないなどという道理はないが、それでも目の前のマシンをどうにかしないことには始まらないという意識が強いのは、彼の立場が現場に居るドライバーであるからだろう。
ツクモは頭の中で、この状況を打開する方法を模索してみる。
まずは違うルートを選択してみたが、今度は3台並んだ内の前2台が邪魔をする。しかも直線の少ないオフロードでは、そもそも抜くという行為を行うこと自体が難しい。むしろタイムを落とす結果となるだろう。それではと、今度は少しペースを落としてガブリエルとのバトルを止め、ペースを落ち着かせることによりペースアップを図ったらどうなるだろうかと考えてみる。しかしこれも、3台が並んで走っている状況では大して意味がない。北嶋が後ろから突かなくとも、ガブリエルのペースは前の2台に抑えられてしまうだろう。結局、一台ずつでも確実に抜いていく方が間違いない。
最悪の事態も考慮に入れようと、モニターで現在の状況を確認したツクモが、小首を傾げる。抜かれたという状況がなかったにもかかわらず、北嶋の順位が8位に落ちていたのだ。
『ツクモ、サリスって今何位だ?』
「サリス?」
問われて咄嗟に下位を探すが見当たらない。しかしもしやと思いつつ上位へ視線を転じた瞬間、その名はアッサリと見付かった。そして、いつの間に抜かれたのか記憶を辿り始めた矢先、佐藤から映像資料が届く。
その映像、生い茂る深い森の只中を疾走する一台のマシンを上空から捉えた映像に、さすがのツクモも驚いた。自分もFIにおける常識に囚われていないつもりだっただけに、この発想に至らなかったことを意外に思うことは悔しかったのだろう。思わず指を噛むツクモからは、強い怒りに似た激情が感じられた。
「……3台の前にサリスがいるんだな?」
『あぁ、何か横から出てきたような気がしたけど』
「間違いない。奴は4位だ。最短コース、誰も選んでいない例のルートを抜けてきたんだ。特殊なウイングと完全オフロード仕様のタイヤを使ってな」
ピットアウト後の挙動を見て気付くべきだったという言葉を、ツクモは危ういところで呑み込んだ。後悔するのはレースが終わってからのことだ。今すべきなのは、前を走る相手が増えたという純然たる事実と向かい合うことである。
一度大きく息を吸って深く吐き出すと、視界が広がるような感覚が起きる。このような時、自分が緊張や焦燥によって冷静さを失っているということを、彼は経験から知っていた。
そして、ツクモが冷静さを取り戻したことを察したかのようなタイミングで、一つの資料が佐藤から送られてくる。それはサリスを中心に、トップのシュマックと北嶋のタイムを区間ごとに比較したものだった。特に注目すべきは第4ルートの入口から出口までを比較したもので、北嶋とシュマックが同程度のタイムで走っているのに対し、十秒以上短いタイムで走っていることだ。そこから先、灼熱区間とホームストレートを中心としたオンロード区間では四秒以上遅れているものの、全体としては五秒以上稼いでいることになる。ここまでの差異が存在しようとは、さすがにツクモも思っていなかった。恐らくサリスのマシンは、ある程度このルートを選択することを想定してセッティングがなされていたに違いない。そうでなければ、幅があるだけのモトクロスロードを高速で駆け抜けるなど不可能である。
もしも現状のカブトガニが同じルートを選んだらというシミュレートを開始した瞬間、北嶋の声が邪魔をする。
『さっきもそうだったけど、前に出た割にはずいぶんアッサリ抜かせるなー。ブロックする気配もないぞ』
モニター上で確認してみると、合流ポイントから僅か二つ目のコーナーで1台に抜かれている。いくらショートカットで稼げると言っても、築いたマージンをこうもアッサリ譲ってしまうことには違和感を覚える。ここから約2周、それでホッケンハイムは終了するのだ。ガチガチにブロックをして守る方が、むしろ自然であるように感じられる。
(いや、それが出来ないくらいギリギリのセッティングを組んでいると考える方が妥当か? それとも何か他に、例えばタイヤを温存するような理由でもあるのか?)
オフロード用のタイヤは柔らかく、オンロードには向いていないばかりでなく磨耗も早い。しかもタイヤを痛めるために存在しているような灼熱区間まで潜り抜けなければならないという都合上、そう長く走り続けることは出来ない。とはいえ、無理して1周や2周は我慢する程度のことなら可能な筈だし、そうして然るべき局面でもあるだろう。
『うわおっ!』
悲鳴にも似た北嶋の声がインカムから響く。彼の順位は相変わらず変わっていない。ただ、サリスの順位は彼の直前、7位にまで後退していた。
「どうした?」
『いや、今まで素通りさせてたのに、オレの時だけブロックしてきやがった。前の時やけにアッサリ抜いたもんだから、気に入らなかったのか?』
「そんなこと――」
ある筈がないと言いかけたツクモは、不意に一つの可能性に気付く。いや正確には、サリスのブロックが気付かせてくれたものなのかもしれない。
『まぁとにかく、ホームストレートに入ったらさっさと抜いてやるさ』
「いや待てっ。抜かなくて良い!」
『は? ツクモ、何言ってんだ?』
「……一つ聞くぞ。優勝するつもりはあるか?」
『そりゃもちろんだ』
「なら、少しくらいの危険なら乗り越えてくれるよな?」
『何が言いたい?』
「次の周、サリスの後にくっ付いてショートカットルートを使う。本来ウチのマシンはオフロードに強くないが、サリスの通った道をそのまま辿れば、比較的安全に抜けられる筈だ。幸い、タイヤの状態にもまだ余裕がある」
こうなると、あのタイミングでのタイヤ交換も決して無駄ではなかったのかもしれない。
「もちろん、最終的な判断はお前に任せる。現場で無理だと判断したらやめ――」
『面白そうだな』
呟きと含み笑いが、ツクモの発言を遮る。
「言っとくが、かなり危険な賭けだぞ?」
『だから面白いんだろーが。それに、優勝するつもりならこの程度のことは成功させておかないとな』
ツクモと同様、北嶋も前を向いて走っている。何よりもそのことが、チームの勝利を目指す戦術監督として心強かった。
いずれにしても残るは2周のみ、先頭を走るシュマックもタイヤの状態が苦しいのかペースが上がってこそいないものの、三十秒という差異に大きな変化はない。これを何秒縮めて最終サーキット――シルキュイ・ド・スパ=フランコルシャンへと向かうことが出来るのか、極めて大きな岐路に立っている。だからこそツクモは冷静であり続け、北嶋は熱さを維持し続けなければならないのだ。
ふと見上げれば、1台の重力ホバーが何かを待つように空の一点で止まっている。その下には、ホッケンハイムの深い森がある筈だった。
『おおっと、サリスに続いて北嶋も第4ルートに突入っ。これは無謀なチャレンジかぁ!』
そろそろ次のサーキットへ向かう頃合のため、シートに腰を下ろしての観戦をしていた三人が、前のめりになって腰を浮かせる。その表情は驚愕というより恐怖に近い。とはいえ、オンロードのロングストレートを最も得意とするカブトガニが、未開にすら見える森林を駆け抜けるオフロードルートへと突入したのだ。このチームを良く知る者であればあるほど、この事実を意外に思うのも無理はない。
「間違ったんじゃ、ないですよね?」
「さすがにそれはないだろう。ツクモくんの指示か北嶋くんの独断か、いずれにしても優勝するためには必要と判断したのだろうな」
朱里の問い掛けに、総合監督の富田が応じる。レース中は傍観者でしかない彼だが、それでも現状が異常事態であることは明確に理解していた。握り締めた拳が、じっとりと汗ばんでくるのがわかるほどだ。
「ホームストレートで抜かなかったのは、このためですね」
秘書の高千穂が逸早く冷静さを取り戻し、シートに座り直しつつ分析を加える。
「そっか。わかってやってるんだ。そっか……」
とりあえず突発的な事故でないとわかったのか、逆立っていた朱里の柳眉も落ち着いた。途端に力が抜けたようで、崩れ落ちるようにシートへと沈む。
『細かく折れる森の道を、右へ左へとサリスのマシンが揺れ動くっ。ジリジリと引き離される北嶋は、そのテールランプを追いかけるのがやっとだ!』
『さすがにこの状況では、カブトガニに分はありませんね』
実況の熱さと解説の冷たさが一段と激しい。
『それにしては島宮さん、サリスの動きは後方から付いてくる北嶋を警戒しているようにも映るのですが?』
『これは警戒しているのではなく、単に安全なルートを選択しているだけだと思います。他のオフロードルートと違い、この第4ルートは全く整備されていません。そのため木片や尖った小石などはもちろん、大きな段差や自然に穿たれた穴も放置されているような状況です。だからこそ、どのチームもこのルートを選択しなかったのです』
『しかし、サリスは実際に走り抜けましたよ?』
『その通りです。ですが、それは彼が相応の装備をしているからであって、偶然ではありません。このスローモーション映像を見ればお分かりいただけると思いますが、このフロントウイングは極めて特殊です。明らかに空力パーツとは思えない部分が複数存在しています。恐らくはこれで伸び過ぎた草を刈ったり、障害物を弾いているのでしょう。もしかしたら、センサーやシールドも備えているかもしれません』
『つまり、路面状況を把握し、それを改善しながら走っているということですか。ずいぶん思い切った作戦を立ててきたようですね』
『ただ、タイヤまで含めてかなりオフロードに偏った装備のため、オンロードでは全くタイムが伸びません。それでも毎周五秒以上縮めているのですから、作戦としては成功と言えるでしょうね』
『なるほど。しかし、そんな状況に明らかなオンロード仕様の北嶋が飛び込んで大丈夫なのでしょうか?』
『もしも単独で飛び込んでいけば、確実にマシンやタイヤを痛めているでしょうね。それどころかリタイヤしていたかもしれません。そしてだからこそ、ホームストレートで抜かなかったのだろうと思います。サリスの後方を走ることで安全な路面を選択出来るだけでなく、障害物を取り除いてくれるのです。それでももちろん危険な賭けには違いありませんが、勝算はずいぶん違ってくるでしょうからね』
『さすがは北嶋――いや、この場合は戦術監督ツクモの策でしょうか。いずれにしても、もうすぐ森を抜けます!』
深いホッケンハイムの森を、細かな枝葉撒き散らしながら2台のマシンが抜け出てくる。綱渡りをするような状況の中であったにもかかわらず、2台の差は一秒程度しか開いていない。そして飛び出した2台のすぐ後方には、すでに加速を開始していた青地に白いラインの入ったフランク・グランプリのマシンが迫っていた。
『何とマイオールの前で合流したっ。8位から4位にジャンプアップだ!』
「よっしゃ!」
朱里が再び立ち上がる。しかし今度は先程と違い、その表情には明確な喜びだけが宿っている。
『しかし問題はここからですね。サリスと違って北嶋のマシンはあれほどのオフロードを想定していないでしょう。特にタイヤへのトラブルが起きた場合、リタイアの可能性すらあります。とはいえ残すは1周のみ、この局面でピットインは出来ません』
『サリスを先頭に3台が数珠繋ぎに灼熱区間へと入って行くっ。この時点でトップを走るシュマックとのタイム差は……20秒ですっ。コレはかなり縮めてきました!』
『とりあえず走りを見る限り、大きなトラブルはなさそうですね』
大きく曲がり込むコーナーの続く灼熱区間を抜けた瞬間、加速と同時にカブトガニがレコードラインから外れる。
『おっとぉ、北嶋加速っ。マシンの好調を誇示するかのようにサリスを猛追っ、そして今……並んだぁ!』
ホームストレート半ばで抜け出た北嶋は、そのままイン側を抑えて最初のコーナーへと消えて行く。そして見る見る差を広げながら、得意なロングストレートへと突き進んでいった。その途中にある最初の分岐点――第4ルートへ入口には見向きもしない。
『どうやら北嶋がショートカットを利用するのは一周のみのようです。もう一周行けば、トップとの差をかなり縮められるようにも思うのですが?』
『いえ、正しい判断だと思います。北嶋のマシンにとって、あのルートはあまりに危険が大きいですし、それにもしかしたら――』
『おっと2台連続リタイアだっ。一体何があった!』
画面が切り替わり、森の中に頓挫しているマシンが映し出される。2台が2台共、似たような場所で停止を余儀なくされていた。
『そうです。こうなってしまった場合、ただでさえ狭いルートが更に狭まり、下手をすれば通り抜けることすら不可能になってしまいます。何の準備も無しに抜けられるほど甘いルートではないのですよ。もちろん、実際に抜けている二人がいる以上、その確率は0パーセントではありませんが』
『しかしこれは、やはりと言いますかリタイアが確定した時点で第4ルートは通行が禁止となりますが、すでに入っているサリスは潜り抜けるしかないっ』
順調に森林の間を走っていたサリスのマシンが、大きな障害物を前にして急減速する。
『……やはりてこずっていますね。極めて自然に近い環境ですから、上空からの見た目以上に走れる場所は少ない筈です。そういったことまで考慮に入れたマシンであるならともかく、そうでなければ抜けることすら不可能でしょう』
何とかリタイアしたマシンを避けつつ合流ポイントへと加速を始めるサリスだが、失ってしまったタイムは決して小さくない。このルートのリスクを考えれば、短縮できない時点で失敗である。
『二つ目のシケインを抜けた北嶋が加速してくる。どちらが早いんだ。北嶋かサリスか、ここで前を抑えれば残る中低速の灼熱区間のみ、順位はほぼ確定しますっ。と、ここでサリスが森を抜けるっ。北嶋は……北嶋が来たぁ!』
合流を果たしたサリスが加速を開始した刹那、その左側を風のように北嶋が疾走していく。
「やったぁ!」
ピョンピョン飛び跳ねる朱里を、二人の大人が笑顔で眺めている。画面上にいる北嶋がピットに戻って来次第次のサーキットへ出発することになる。そろそろ座っていなければならない頃合だ。しかし今は、そんな注意を口にすること自体が野暮である。
『これで3位、トップとのタイム差は18秒にまで縮めました。いよいよ射程圏内、北嶋の優勝、そしてチャンピオンロードがこれで見えてきましたっ!』
まだ道は半ば、何一つ終わってはいない。
だからこそ、希望は大きく膨らみつつあった。