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F・∞  作者: 栖坂月
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第2話 Qualify

 フォーミュラ・インフィニティ・グランプリというカテゴリが立ち上がって、すでに三十年近い時間が経過している。当時は宇宙空間を舞台にしたシャトルレース、あるいはヨットレースが盛んな時期で、今更地べたを這いずり回るレースカテゴリなど迫力に欠けると揶揄されていたものである。しかし現在、単調でドッグファイトにならない宇宙空間でのレースは衰退の一途を辿り、ごく一部の伝統競技を除いて存続の難しい局面にすら立たされている。むろん、かつてF1やF0と言ったカテゴリも衰退によって終幕を迎えており、現在盛況であるからといってFIが安泰であるなどという保証はどこにもない。強いて言えば、現在の専門委員会コミッションであるFIA(Fédération Interplanétale de I'Automobile=星際自動車連盟)の姿勢が技術向上と娯楽追求をバランス良く行っていることが、現在の成功を生んでいる原動力となっているのだろう。もちろん、宣伝費に莫大な投資をしていることが、顧客を取り込む大きな要因になっていることは言うまでもないが。

 いずれにしても、現在のFIAは過去の成功と失敗を貪欲に吸収し、模索している組織であり、そのためにか世界規模で成功していたF1の競技モデルに準じている部分が数多く存在している。一周のラップタイムを競って出走時の順番を決める『予選決勝方式』も、その当時のシステムを参考にしていた。

「……何とか抜けたか」

 続々と順位やタイムの表示されるモニタを睨みながら、ツクモが低い声で呟きを漏らす。思わしい状況でないのは、整った眉毛の間に寄っている皺の数を見ただけでもわかる。チャンピオンのかかっている最終戦、予選の順位が重要なのは言うまでもないことだ。

 F1同様FIも、技術向上や時勢の変化に伴って競技ルール(レギュレーション)を変えるのが伝統芸になっている。予選方法も変更されることが多かったが、ここ三年間は大きな変更もなく『ノックアウト』方式で固定されていた。

 登録台数33台の内、予備予選(シーズン前半は前年コンストラクターズポイントの下位4チーム、シーズン後半は前半同ポイントの下位4チームによって争われる)で脱落した3台を除いた30台で一度目の予選が行われ、18位までが二次予選へと駒を進める。その後二次で10台に絞られ、最終予選のタイムで出走順位スターティンググリッドが決められることになる。

 ちなみに北嶋のタイムは17位、何とか一次予選はくぐり抜けたものの、二次予選を突破するには難しい局面だ。二次予選開始までのインターバルは約10分、マシンのセッティングを劇的に変えるには難しい。いや、仮にそれが可能な時間であったとしても、予選一発のタイムを押し上げるには至らないと、少なくともツクモは感じていた。

 彼は近くに陣取っている無口なデータマン、佐藤拓也に細かな修正点を伝えると、ストゥールから立ち上がってガレージへと向かう。ここまで来たら頼りになるのはデータや策ではない。北嶋という人間の資質であることを、ツクモは分かっているのだ。時が過ぎ、人が地球という惑星から飛び出してからすでに数世紀、自動車は文字通り自動で動くことが社会では当たり前になっているが、それでもレースにおいて主役を張るのはドライバーである。細部における補佐的なプログラム制御はもちろん介入するが、決定的な操作と判断を人間が行うことに変わりはない。そしてそうである以上、人間の有する感情が勝敗を決することは珍しい話でもなかった。

「駄目だー、やっぱ地球だとあいつ等に分があるわ」

 ヘルメットを外し、湿った天然パーマを掻き揚げながら北嶋が愚痴る。

「でも、二次予選には進みましたよ」

 皆の雑用係、シン・中根なかねの差し出したタオルを受け取って、顔と頭をガシガシと拭く。しかしいつもなら頭皮が傷付くのではないかと思える習慣に、その日は全く切れが見られなかった。

「ギリギリ過ぎる。セカンドグループと張り合うのがやっとだ」

「やっぱり、大気のせいですかねぇ」

「どう考えてもそうだろ」

 言いつつ、北嶋の視線が愛車、FB2-03へと注がれる。今までその特性に助けられていたが、今度はその特性こそが厄介な障害になっていた。とはいえ、そのことで恨み言など並べるつもりはないのだろう。通称『カブトガニ』と呼ばれる単純な流線型のマシンから視線を外した北嶋の眼差しには、後悔や落胆など見られなかった。

 しかしながら、彼の反応は殊更珍しい物でも殊勝なものでもない。環境や経緯を考慮すれば、むしろ当然のことだ。そもそもチームとして立ち上がって五年、FIという舞台に参戦してから三年という新参弱小チームが、開幕三連勝などという偉業を為し得たのは、間違いなくカブトガニの特殊な性能があったればこそである。ほとんどのチームが二台体制で臨む中、資金繰りの関係から一台のみのエントリーをしている彼らが、つい先日までポイントリーダーの座にあったことの方が、むしろ前代未聞の珍事なのである。

「それだけじゃないさ」

 ピットウォールから到着したツクモが、ニヤリと笑いながら登場する。レース戦術家として現場を取り仕切る彼の言葉は、時として監督のそれよりも遥かに重い。

「ここモンテカルロは、かつての市街地コースに倣った造りになっている。コース幅が狭く、ストレートが極端に少ない。中低速メインのテクニカルサーキットだ。ウチのマシン向きのサーキットとは言えないだろう」

「わかってるさ、そんなことは」

「いや、お前はわかっていない」

 ずいと一歩近付き、左手で熱気の取れていないマシンに触る。

「確かに予選の順位は軽視すべきことじゃない。だが、我々の目的はポールポジションを獲ることか? 違う。決勝で表彰台の真ん中に立って、文句なく銀河チャンピオンを決めることだ。そのために絶対に避けなければならないこと、それはリタイアだと思わないか?」

「まぁ、そりゃそうだ」

 完走しただけでも一ポイントが加算されるが、リタイアをすればそれすらも貰えない。

「まずは頭を冷やせ。このサーキットで無理をしてマシンに負担をかけて、結果として前回のようなトラブルを引き起こしたのでは元も子もないだろう。お前は、今のお前に出来るパフォーマンスを示せば良い。予選は、所詮予選だ」

「……そうだな。うん、わかった」

 表情と肩から、余計な力が抜ける。その様子を見て安堵したのか、ツクモは笑顔で踵を返した。しかしそれも僅かな時間でしかない。ピットロードを渡ってピットウォールに戻ってくる頃には、元の渋面が復活していた。ドライバーもマシンも、可能な限りの状態は維持している。それでもやはり、状況が思わしくないことは事実だった。

「ここでベストラップを競うのは、やはり不利か」

 アスファルトの熱気を取り込んだ不快な風を浴び、ツクモは独りごちた。異星の風も散々浴びたが、この地の風はやはり独特だ。生まれてから数えるほどしか浴びていないというのに、今感じているような不快な熱風ですら、どこか肌に合うような感覚に陥る。やはりここは人類の発祥した惑星だと、明確な実感として脳裏に刻まれていた。

 ふと気付いたように背後へ視線を巡らせると、ガレージから覗く様々な色をした鼻先――フロントウイングが並んでいる。あと数分もすれば、無機的な灰色のサーキットをカラフルに彩る筈だ。その光景は、かつて地球上のみで開催されていたF1と、さほど大きくは違って見えないことだろう。

 細かな仕様は技術の進歩もあって変貌を遂げているFIのマシンだが、その見た目は意外なほど変わっていない。密閉型コクピットやタイヤなどの支給部品、最低重量や限界全長などの制約はもちろん存在するが、取り立てて形を制限する規則はない。かつてF1がハイテク規制を始めとする画一化によって人気を後退させ、それが結果として消滅へ繋がったと分析されており、マシンの構造に選択の幅を持たせようというのが昨今の風潮である。しかしそれでも、限界を求める上での切磋琢磨は自然に方向性を収束させ、現在は可変ウイング全盛期と呼ばれている。いかに大気の流れを掴み利用するのか、それこそがチームの優劣を決していた。

 しかし今期、正確には前期から始まっていたのだが、そういった空力競争と一線を画したマシンが台頭してきた。それがフォーチュンベルのFB2-03、通称『カブトガニ』である。このマシンはフロントウイングもリアウイングもない実にのっぺりした外観をしており、他のマシンとの差異は説明するまでもない。しかしそもそもどうしてこんな形をしているのかについては、少しばかり説明の必要があるだろう。

 ポイントは二つ、ダウンフォースと慣性制御である。

 ダウンフォースというのは路面との摩擦力を確保するために下へ押し付ける力のことで、FIマシンの場合は主にコーナーを曲がる時に必要とされている。速く走るための車になればなるほどウイングの必要性は増加するが、大きなウイングはコーナーをより高速で走るために必要ではあるものの、それは同時に直線における空気抵抗を生む。速い車=直線速度の速い車と思い込み、大きなウイングがあるほど直線が速いと思うのは大きな間違いである。むしろ直線でのスピードを重視するなら、ウイングなど無いに越したことはないのだ。そのため、コーナーでウイングを立て(空気抵抗が上がりダウンフォースが大きくなる)直線ではウイングを寝かせる(空気抵抗が下がりダウンフォースが小さくなる)可変式のウイングが一般的なのである。

 では、もしもウイングが無ければどうなるのだろうか。確かに余計な抵抗を生む要素が無くなった分、直線は速くなる。しかし同時に、コーナーにおける旋回速度が遅くなる。旋回速度が落ちるということは、結果として直線での立ち上がりやコーナーに入るまでのブレーキタイミングに影響を及ぼし、タイムが落ちることになる。そこでフォーチュンベル、更に言えばツクモが目を付けたのが、コクピットのドライバーを守るために搭載されていた慣性制御装置である。Gコントローラーとも呼ばれるこの装置は、加減速の際に生じる縦Gやコーナーリングの際に生じる横Gを軽減するために存在している。簡単に言えば生じたGと反発するGを発生させているのだが、この機構を利用して下向きの力、つまりダウンフォースにしてしまおうと考えたのである。とはいえ、これが説明するほど万能な装置ではなく、かなり大雑把なGのやり取りしか出来ない代物だった。元々ドライバーにかかるGを軽減できれば良いという程度が目的なので、細かな調整の出来ない装置だったのである。実際昨シーズンなどは、安定感が無い上に故障が多く、しかもコーナーであまり効果を発揮しないという散々な結果に終わっている。他チームの中に追随して模索しようという動きもあるにはあったが、絹ごし豆腐を重機で食べるとすら表現された試みは、どのチームも割に合わないとアッサリ退いてしまった。

 しかしそこは独自性と魔改造を得意とするヤマトの人間である。大雑把なGのやり取りをケースバイケースのプログラミング制御によって補い、一年間のデータ蓄積を経ることによって戦えるマシンへと昇華することに成功した。こうして現在、慣性制御装置を二つ搭載している世にも稀なFIマシンが、世間を賑わせているという事実へと繋がるのである。

 実際、非力なエンジンであるにもかかわらず、直線速度で劣ったことはほとんどない。レース中のマックススピードは、3戦を除いて全てフォーチュンベルが記録している。その3戦とて、早期のリタイアがなければ彼らが更新していただろう。中低速のテクニカルセッションでも、上位チームには及ばないものの中堅チームとは互角の戦いが出来るレベルにある。コーナーは何とか付いていき、直線で一気に追い抜くというスタイルのカブトガニは、決勝に強いマシンとして認知されていた。

「この好機は、何とか生かしたいものだな」

 オクターブの高いエンジン音を響かせてピットロードを駆け抜ける色とりどりのマシンを横目に見ながら、ツクモは緊張した面持ちで呟きを口にする。

 活躍を見せているとはいえ、彼らが弱小チームであるという事実に変わりはない。資金的にも体制的にも、名門や大手の比ではない。一歩リードした技術も追いつかれるのは当然のことだし、そもそも今回の活躍で慣性制御を利用したシステムに何らかの制約が設けられる可能性も低くない。来年もまた同様の活躍が出来る保証など、どこにもないのだ。

 だからこそ、この最終戦は千載一遇の好機と位置付けている。恐らくチーム内で最も緊張しているのは、ドライバーの北嶋ではなくツクモの方だろう。

『おーい、まだ出ないのかー?』

 インカムを耳に当てるなり、最初の予選よりは幾分リラックスしたような北嶋の声が聞こえてくる。良い意味で単純なのが、北嶋の何よりも大きな長所だ。

「もう少し待てって。こういうのはタイミングが大事なんだ」

 不意に緩みそうになる頬の筋肉を引き締めて、フォーチュンベルの総合戦術監督は予選に臨む。ゆっくりと、だが確実に進む時間の中で、最良の結果を求めることは難しい。しかしそれが、彼に課せられた仕事だ。

 結果、北嶋は最終予選にこそ進めなかったものの、12位というグリッドを手に入れた。不満はある。反省もある。だが同時に、まだまだ希望が見える順位であることも確かだった。



『お疲れ様でしたー!』

 四人の声が重なり、グラスが涼しげな音を立てる。

「とりあえず、予選12位おめでとうってことで」

「正直、祝杯を上げられるような順位じゃねーけどな」

 鈴本朱里の言葉に、北嶋が苦笑いで応じる。優勝を目指そうというチームとしては、シングルグリッドは確保しておきたかったところだ。サーキットとの相性があるにしても、この順位で成功したとは言えない。

「それと、ちなみに言っとくと11位な」

「え、何で?」

「ハミルの奴がギアボックス交換で5グリッド降格でさ、アイツが12位。正直これはラッキー」

 ギアボックスというのは変速機のことで、マシンをコントロールする上で極めて重要な装置であるが、構造上消耗が激しく、故障の多い部位でもある。

「そっか、一つでも上がって良かったね」

「いやいや、そんな単純な話じゃないんだゼ、お嬢さん」

 右手の人差し指を横に振りながら、気障な仕草でシャンパンを流し込んで喉を潤す。

「明日のスタートがレコードラインになったんだ。これでシャンプアップも期待できる」

「レコードライン?」

 スタッフの一員に名を連ね、何度かピット内でのレース観戦をしている朱里だが、レースそのものの認識は一般人と大差ない。むしろピット内で使われている機材の方が詳しいくらいだ。ちなみにレコードラインというのは、ライバル車などがない状態で走った際に通る場所のことであり、一般的に直線ではアウト側、コーナーではイン側となる。多く走られる路面というのは埃が少なく、タイヤの糟が残留することによってグリップ力が増し、走りやすい環境になっていることが多い。そのため、特に車間距離の狭いスタート時においては、レコードラインから走り出す奇数列の方が優位になることが多かった。

「まぁ、レースのことは一先ず置いておきましょうよ」

「オー! シンが珍しくイイコト言ったねー」

「珍しくは余計ですよ、コウさん」

 がはははと豪快に笑いながら、虎柄という派手過ぎるスーツに身を包んだコウ・タイガーウッドが、すでに二杯目となったワインをグビグビと飲み干す。名は体を現すとは言うが、茶髪に金色のメッシュまで入れるのは、流石にやりすぎだろうと誰もが思うところである。

「あんまり飲み過ぎないでくださいよ、虎さん」

「わかってマース!」

 少しもわかっていないとしか思えない返事に、朱里は困ったように溜め息を吐くものの、その表情に不安は見えない。何だかんだ言って、このフォーチュンベルのスタッフは仕事熱心だと知っているからだ。ちなみにコウは、こんな風に見えて慣性制御や重力制御の専門家である。かつては重力エレベーターの設計技師だったこともある。

「ところで、ボクなんかが参加しちゃって良かったんですか?」

「どういう意味?」

 朱里は小首を傾げた。

「だってこれ、北嶋さんのための食事会でしょ? まだ片平さんも仕事中なのに、ボクなんかこんな豪華な料理を食べているだなんて、良いのかなーって……」

「片平さんは何て?」

「いや、明日は大変だから、今の内に羽を伸ばしておけとか何とか言われましたけど」

「なら、それで良いじゃない。それとも何? 私のオゴリじゃ食べられないとか?」

「いえそんなっ」

 意地悪く笑う朱里に、一つ年上のシンが慌てふためく。とはいえ、シン・中根はテストドライバーを兼ねる皆の雑用係だ。特にチーフメカニックの片平に可愛がられている。その彼が片平を始めとした忙しそうに動き回るスタッフ達を差し置いて食事会に参加するとなれば、落ち着かない気持ちになったとしても責めることは出来ないだろう。

「シン、いくら気にしたって、明日のことは明日にしか出来ないんだ。とりあえずこのピザ食え。スッゲー美味いぞ」

「いや、北嶋さんはそうでしょうけど……」

「お前だって明日は大変だぞ。どれだけこき使われるかわかったもんじゃねーんだ。わかったらそっちのナゲットこっちにくれ」

「そうデース。戦士には、休息が必要なのデスヨ」

「いや、アンタはもう少し働いてくれ。今日の予選、前後のバランスが少し悪かったぞ。ちょっと前のめりになる感じがあった」

「人間前向きになるのが一番デース!」

 がはははと笑いつつ、三杯目のワインもガブガブと喉に流し込む。一見すると駄目なオッチャンだが、こう見えて仕事はキッチリするものだから、なかなかに侮れない男である。

「うーん……」

 そんな会話を、朱里が眉間に皺など寄せて眺めている。

「どうした? お前のオゴリなんだから、好きなもん注文しろよ。この状況でパフェとか頼んでも怒らないぞ?」

「誰が食い物で悩んでるんだコラ」

「だったら何だよ。まさか、一人二枚の計算だったピザを三枚食ったことを怒ってんのかっ?」

「違うって」

 こういう会話をすると、余計に彼女の謎は深まる。

「あのさぁ、アンタって時給1200円じゃない?」

「不本意ながらな」

 車に乗るバイトと誘われて、まさかFIのマシンに乗せられるとは思ってもみなかった北嶋である。当時電動単車でメッセンジャーを自給1000円でしていた彼は、富田に突然スカウトされて200円アップという条件提示に喜び勇んでサインしてしまったのだ。

 どれだけアホだったんだと、少なくとも百回は記憶の中の自分を叱りつけたものである。

「チームにお金ないから安く済ませようってのは当然だし、馬鹿なアンタがアッサリ引っ掛かっちゃったことにも納得できるんだけど――」

 ナゲットを頬張る北嶋の眉間に、不快感を示す縦皺が寄る。

「いくら何だって、その辺に転がってる素人に出来ることじゃないでしょ、FIドライバーってさ。でも今のアンタは、少なくとも私の目にはまともなFIドライバーに見えるし、結果だってちゃんと出してる。優秀なメッセンジャーだったってのは知ってるけど、それだけが理由なの?」

「いや、それだけじゃない。オレも後から聞いたんだけど、監督にオレを推薦した奴がいるらしい」

「それってツクモさん?」

「いや、ハミル」

「ハミルって……え、ルース・ハミルのこと? デニス・レーシングのハミル?」

「そう、そのハミルだ」

 そう言って、北嶋は苦々しく笑う。

「アイツとはスクール時代の同期でさ。試験ではいつも一番を争ってた。まぁ、勝率はオレの方が上回ってたけどな」

 ちなみにハミルも、少しだけ自分の方が勝っていると思っているらしい。更に付け加えるなら、公式記録のみを並べた場合、二人の勝率はキッチリ五分五分である。

「ちょ、ちょっと待って。スクールって何?」

「ドライバーやっててスクールって言ったら、ヤマトドライバーズアカデミーに決まってるだろ。オレもハミルも、そこの生徒だったんだよ。まぁ、オレは中退してるんだけどな」

 ドライバーズアカデミーというのは、FIAによるドライバーの安定供給を目的とする育成プログラムの一つである。ヤマト以外にも20の惑星で開校しており、自宅にサーキットを有しているような大富豪でもない限り、大抵のドライバーはアカデミーを卒業することになる。かつてF1において、コネクションやスポンサー力ばかりがドライバーの条件となった時代があり、その反省を踏まえ、より多くの才能を発掘しようというのが、そもそもの始まりとなっている。

「そうだったんですか。やっぱりスクールの生徒だったんですね。初めて聞きました」

 同じくスクールに通っていたシンが、その細い目の奥で瞳を輝かせる。

「でも中退って?」

「あぁ、15の時に両親が交通事故で死んじまってな。それなりに蓄えはあったから、スクールに通うことは出来たんだけど、正直あの頃は、車に乗りたいとも思えなくなってな」

「あ……ゴメン」

 珍しく殊勝な面持ちで、朱里は素直に頭を下げる。

「気にすんなって。オレは今こうしてFIのドライバーやってるんだし、そのことを喜んでいるんだ。むしろ感謝しなきゃな。やっぱ、男は夢に向かってる時が一番楽しいと思うね!」

「夢?」

「アルトニー・シルバって知ってるか? 今でも最速と色んな人が認めている伝説のドライバーだ。オレはあの人の走りを見て、ドライバーやってみたいって思ったんだ。途中で諦めて、もういいやって思ってたけど、こうして追いかけ始めると、やっぱり身体が疼くんだよな」

「オウ! シルバ最高デース!」

 三十代のコウにとっては、リアルタイムに見たヒーローの一人であろう。走れば伝説になると言われるほど、多くのエピソードを残しているドライバーである。銀河中にまだまだファンも多い。

「聞いたことはある気がするけど、私は良く知らないな。でもそんな理由でアッサリスクールに通わせてくれたんだから、良いご両親だったんだね」

 感心する朱里に、パタパタと左手を振る。

「いやいや、当時は親父もFIドライバーでさ。一応ライバルだから、あんまり誉めると怒られたんだよな。だから、表向きは親父の後を継ぐためってことになってる」

「え、アンタのお父さんってFIドライバーだったの?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いてません」

「ボク知ってますよ。北嶋一志きたじまかずしですよね?」

 シンが割って入る。

「あぁ、交通事故があったから、結局一年ちょっとしかFIには出てなかったけどな。チームも弱かったから、あんまり目立ってなかったし」

 当時を思い出す北嶋の表情に、憂いの色はない。

 だが、明日には銀河チャンピオンが決まるという局面で、何も思わないなどということは有り得ないだろう。コウの父親が設計士であったように、シンの父親がシャトルレーサーであったように、母親の母校に朱里が通っているように、何かしらの繋がりを持って現在という時間は成立している。だがそれは、繰り返すためにあるのではない。むしろ越えられなかった壁を越えるために、達成できなかった目標を掴むために、未来という時間が存在しているのだと思うべきだ。

 過去を振り返るのは構わない。だが北嶋は、もう過去には囚われないと決めた。

 予選とは、スタートラインのポジションを決めるためのものである。過去はどうであれ、未来のチェッカーフラッグはまだ振られていない。スタートする位置が前でも後ろでも、チャンスはあるのだ。

 決勝とは、そのためにある。


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