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F・∞  作者: 栖坂月
1/9

第1話 リタイアと最終戦

本作は空想科学祭参加作品です。

九万字近くになる長編になると思いますので、いつもの短編とは少しばかりノリが違うと思います。

レースというジャンルを題材にした以外はさほど申し上げることもございませんが、一話では話の都合上英文が挟まります。英語が苦手な私は、当然のことながらエキサイト先生の助力をお願いしておりますので、不自然な点がありましても笑って許して下さいませ。


『おおーっと、北嶋が止まっているぅー!』

 フジ銀河ネット(F・G・N)の名物実況が絶叫を上げると同時に、タイヤバリア近くの砂地へとカメラが切り替わる。白煙は上がっていない。しかし見る者が見れば、その車台シャシーが僅かに傾いていることがわかるだろう。

『あー、左のフロントサスですね。ブレーキに耐え切れなかったんでしょう』

 解説の島宮氏が冷ややかとも受け取れる冷静な分析を添える。画面上ではカウルの中央が大きく開き、ヘルメットを被った小柄な男性が姿を現す。黒地に青いラインの入った『カブトガニ』から現れる様は、さながら古代に想像されたUFOから人型の何かが現れ出でたような風情すらある。シュールというか、非現実的な光景だ。

『シーズン終盤に来てこのリタイアは痛過ぎるぅ! 銀河最速フリーターの快進撃もここまでなのかぁっ!』

『まだです。ここで決まることはありませんから、最終戦に期待しましょう』

『そう、そうですっ。我々の希望はまだ潰えた訳ではありません。来る最終戦、人類発祥の地で行われる最終戦に、彼の大和魂が燃え上がることを期待しましょう! あのカブトガニが、揺らめく陽炎を背景にチェッカーフラッグを舞わせる様を、我々は待っていますよ。頑張れフリーター!』

「やかましいわっ!」

 手近にあったクッションを、まるで親の仇にでもぶつけるかのような勢いで壁に掛かった大型モニターへと叩き付ける。

「落ち着けよ、最速フリーター。自分に当たってるぞ」

 冷静な指摘に画面へと視線を戻すなり、明らかに不貞腐れていることが分かる歩みを隠そうともしていない自分の姿が目に飛び込んできた。愛用している黄色いヘルメットに赤いパイロットスーツが、放っている不機嫌のせいかくすんで見える。その瞬間は悔しいばかりで何も頭に入ってこなかったが、こうして時間を置いて冷静になってみると、その様は情けなく映る。こういう時こそ堂々として現実を受け止める人間こそ一流だと、かつて画面を見る側だった自分も思ったことだ。

「……なぁ」

 すでにトップ争いへと移行した画面を、さながら死んだ魚みたいな眼差しで眺めながら、銀河最速フリーターといういささか不名誉な異名を冠する北嶋聡きたじまさとしは、相棒に向けて言葉を発した。

「結局、原因は何だったんだ?」

「疲労破壊だよ。解説が言った通りさ。まぁ、この一戦だけで蓄積したワケじゃないけどな」

 一般レベルの機器では問題にもならないような傷や亀裂が原因となるのは、フォーミュラレースにおいて珍しい出来事ではない。過酷な環境を耐え抜く品質こそが、何よりも求められる競技だ。それでいながら実際のレースでは接触や路面の不確定要素に事欠かないのだから、メカニックを始めとした裏方にとっては頭の痛い話である。

「やっぱブレーキを酷使し過ぎたか……」

「仕方ないさ。そうしなければポイントは稼げない。そもそも、資本力に乏しいウチが交換を渋った結果だからな。誰もお前のせいには出来ないさ」

「けど、ノーポイントは痛ぇよなー」

 レースを終えて二十四時間が経過している。昂ぶっていた気持ちも次第に治まり、攻撃的な疑問に替わって自嘲的な後悔が押し寄せる頃合だ。まだ若い彼に、そういった感情を自在にコントロールしろと要求するのは酷だろう。

「ずいぶん弱気だな?」

「だってよー」

 ソファに転がり天井を見詰める。何度も網膜に焼き付けた筈の白いタイルが、今は始めて見る色をして見える。自分でも自覚できるほど、彼は今落ち込んでいた。

 手を伸ばせば届く所に、夢があったのだ。今その右手を突き出しても、掴めるものは何一つない。

「幸い、リタイアしたとは言っても左のフロントサスペンション以外に損傷はない。何より次は最終戦だ。後のことを考えてパーツの温存を図る必要もなくなる。思う存分走って決着を――」

「コーヒー飲まなーい?」

 不意にドアが開き、笑顔の少女が現れる。

「おう、飲む飲む」

 先程までの落胆はどこへやら、バネ仕掛けの人形よろしく立ち上がった北嶋が、ドアの脇に立ってトレイを抱え持った少女を迎え入れる。銀河系でも有数のお嬢様学校に通っている彼女は、どんな場所においても我が校の名を背中に背負うものと心掛けるべしという校訓に従って、今日も制服を着込んでいる。ベージュを基調としたブレザータイプの制服は、無骨で安全性重視の船内服ばかりの環境では眩しいほどに目立ちすぎる。スカートの丈が膝上なので落ち着いて見えるが、これがミニだったりしたら色々と問題である。

「スポンサーの娘さんを小間使いとは、監督も良い度胸ですね」

「違うよツクモさん、私が勝手にやってるの」

「そうでしたか。これは失礼」

 部屋に入るなり飛んで来た少しばかり棘のある発言に、彼女は表情一つ変えることなく自然な素振りで応じた。とはいえ彼女が鈍い訳ではない。レース戦術を組み立てて前線で指揮を振るう現場責任者であるツクモ――ショーリ・ツクモの立場を理解しているばかりでなく、その人となりを察する程度に親しくもあったからだ。元々は別の仕事をしていたツクモをFI(エフアイ)という舞台に引き上げたのは彼女である。当初、手を出し口を挟む彼女に対して反感を持つスタッフも少なくなかったが、今では誰もが認める一員である。実際、彼女の果たす役割も決して小さくはない。

「あ、ビデオ見てたんだ。フジネット?」

「そうそう、ここの実況は相変わらず無駄に賑やかで疲れるわ」

 盛大に激しく落胆されたことがやはりショックなのか、小さな溜め息を吐きながらテーブルに並べられたカップを持ち上げる。そんな北嶋を見て、硬さや渋さが表情から抜けていることを実感したのか、彼女は小さく微笑んだ。

「まぁ名物実況だからね。人気あるらしいし」

「見る立場ならオレも笑ってたんだけどなー。あと、あんなにヤマトヤマトうるさかったか?」

「それはホラ、ウチに期待してるってことでしょ。ヤマト出身のドライバーは五年ぶりだっけ? それが去年まで無名だったヤマト資本のチームから出て走ってるんだもん。そりゃ連呼もするって」

 ヤマトは日本の資本がベースとなった日系人の多い惑星である。星間連絡流通の観点から見ると端に当たる惑星だが、宇宙開発に遅れたハンディキャップも今はないに等しい。文化のガラパゴスと称された和の心は、銀河という舞台に移っても健在である。その独自性からか、Only in Yamatoは一繋がりの単語として認識されている。

「それだけじゃありませんよ」

 ツクモが静かに、しかし張りのある声で割って入る。

「地球時代のF1から数えても、大和民族のドライバーズチャンピオンは一人も居ません。しかもマシンはヤマト資本の設立五年目というまだまだ若いチームです。クォーターの私でも熱狂する人達の気持ちは理解できますよ」

「そうだよ。私だって純正ヤマトだったから好きになったんだし」

「いや、朱里ちゃんはマシンが可愛いからって言ってたじゃん」

「そんな昔のことはもう忘れた!」

 エヘンと無い胸を張って堂々と嘘を吐く。この明るさと過ぎるほどに前向きな思考回路こそ彼女――鈴本朱里すずもとあかりの真骨頂と誰もが認めるところだ。愛嬌のある笑顔が周囲を和みの渦に巻き込む高校四年生である。ちなみに彼女の高校は五年制であり、決して落第したのではない。ただ、背と胸だけはどうにも成長が至らず、そういう意味では落第生と言われても反論できない19歳である。

「ところで朱里さん、他の方の様子は知っていますか?」

 ここに居る二人ばかりでなく、スタッフ全員が彼女をファーストネームで呼ぶ。鈴本運輸というスポンサーの娘であるという扱いを、何よりも彼女が嫌っているためだ。

「うん、とらさんとウェイさんは富田とみたさんの部屋で会議みたいなことしてたよ。来年のことを話してるみたいだったなー、アレは」

「気が早いな、オイ」

「そういう配慮があったからこそ、我々が今気兼ねなく走れているんだ。ありがたい話さ。それで、他の方達は?」

 ドライバーの素直過ぎる発言に釘を刺してから、ツクモは続きを促す。

片平かたひらさんはシン君と一緒にマシンを弄ってたよ。すぐ近くに佐藤さんもいたけど、違う仕事してるみたいだった」

「アイツはデータ解析だろ。いつものことだ」

 北嶋のバッサリとした物言いに、ツクモは苦笑と共に頷いた。北嶋の思考はいつも短絡的で直情的だ。しかし同時に、それはかなりの確率で的確でもある。これも恐らくは彼の持つ資質なのだろうと、ツクモは密かに分析していた。

「あ、そうそう」

 コーヒーを並べて質問にも応じ、ようやく自分の席を確保して人心地ついた鈴本が、ふと気付いたように声を上げる。

「あと五時間……じゃなくてもう四時間半後か、ワープホールに入るから、それまでに雑務は片付けておくようにって、富田さんから伝言があったよ」

「我々はビデオを鑑賞する程度しかすることもありませんが、片平さん達には伝えたのですか?」

「うん、もう言ってあるよ」

「それにしても、次に寝て起きる頃には人類発祥の惑星ほしか。いつかは行きたいとか思ってたけど、まさかこんな形で実現するとはね。人生ってのはわからんものだ」

 すでに飲み終わったカップをテーブルに滑らせ、ソファにゴロリと横になる。中型ミドルクラスとはいえ、さすがに運送屋の用意したキャラバン船だけあって、その乗り心地は重力圏と遜色が無い。むろん、名門といわれるチームの中には豪華客船も真っ青という規模のキャラバン船を所有している所もあるので、彼らだけが特別という訳でもなかったが。

「さっちん何だかオヤジ臭~い」

「誰がオッサンだ。お前とはこの先ずっと五歳しか違わねーよ!」

「私まだ十代だもーん」

「くそっ、何かムカつく! というか、いい加減『さっちん』とかいう呼び方やめろっ」

「いいじゃん。可愛いし」

「良くねーよ!」

「はいはい、そこまで」

 パンパンと手を叩いて世間の注目を浴びるFIドライバーとスポンサーの社長令嬢の間に割って入ったのは、金髪青目のクールガイである。ツクモにも四分の一ほど大和の血が受け継がれているが、外見からは全く窺うことが出来ない。周囲にはその容姿を羨ましいと口にする輩もいるが、子供の頃からヤマト文化の只中で育った彼としては、周囲に難なく溶け込める黒髪や黒目に何度と無く憧れたものだ。だから、彼へと注がれる四つの眼差しの内の二つ――カラーコンタクトによって鮮やかに染まった朱里の赤い瞳は、好き嫌い以前に理解出来ないレベルの嗜好であった。

「止めるなよ、ツクモ。今日こそコイツの無礼な態度に一言物申してやらねば気が済まん」

「まぁ、元気が出て何よりじゃないか。それに――」

 左手の親指を立て、未だにレースの中継を行っているモニターへと向ける。

「お前がいきり立つべき相手は、彼女ではなく奴らだろう?」

 視線が、流れるようにモニターへと向けられる。と同時に、宿る輝きが鋭さを増した。そこに在るのは三人の男達、表彰台という地位を獲得した者のみに認められる勝利者インタビューの様子だった。

『今日はマシンの調子も良くなかったし、優勝出来たのは正直言ってラッキーだったね。次は最後だし、楽しいレースにしたいものだよ』

 流暢な英語が同時翻訳されてスピーカーを通る。その言葉は北嶋の耳をくぐって頭の中で再構築された後、そこに宿る感情や思惑すらも炙り出した。

「楽しいレースだと?」

 馬鹿にしている、そう感じたらしい彼の奥歯がギリリと鳴る。

「そりゃ、勝って決められればさぞかし楽しいだろうな」

 悔しいが、敗者に言えることは何も無い。どんな台詞も、勝利という説得力があってこそである。そしてモニターは、更なる厳しい現実を遠慮なく表示してくれる。

『それでは、現在のドライバーズランキングです。ここまで辛うじてトップを守ってきた北嶋が、最終戦を前にまさかのリタイア、ノーポイントに終わりました。代わりに今シーズン低迷に喘いでいたマイケル・シュマックが、今期三度目の優勝で四位から一気にジャンプアップしてのポイントリーダーです』

 レース中は酔っていたとすら思える実況のテンションも、落ち着いているというよりは落ち込んで聞こえる。

『現在現役最強と名高いマイケルだけに、ここ一番のレース運びはさすがの一言ですね。ですが、北嶋選手も追い抜かれたとはいえ7ポイント差の二位につけています。以下四位までは団子状態、五位のサリスにも可能性はありますから、誰が優勝するかは全く予想が出来ませんね』

 冷静な島宮氏だけに、事実の響きは重い。北嶋は今年、ポイントリーダーを続けてきた。一時は優勝確実とまで言われたこともある。それが最終戦を前に陥落し、残すは一戦のみだ。運もある。流れもある。しかし実力というものを誰よりも痛感しているのは、誰でもない北嶋だった。

「くそ……」

 何とかしなければならないという意識はある。ない筈がない。

『最終戦の舞台は人類発祥の地、深淵の闇に輝くブルーダイヤ、我々人類の心の故郷である地球での開催となります。頑張れ北嶋っ。時給1200円が伊達ではないことを証明してくれ!』

「うるさいわっ!」

 二度目のクッションボムが炸裂すると同時に、室内が笑いの渦に飲み込まれる。

 兎にも角にも、FIに旋風を巻き起こした弱小チーム『フォーチュンベル』の面々は、和やかな雰囲気を維持したまま太陽系へと乗り込んだのである。



 時代が変わり、人類の居住地が深遠なる闇の向こう側に移った今でも、やはりモナコは金持ちの楽園である。歴代のF1レーサーがこよなく愛したこの地は、FIレーサー達に対してもフレンドリーである。FIという規格が立ち上がった時、いち早くの支持と支援を名乗り出たのが、このモナコ公国だった。地球での開催は毎年あるが、使用するサーキットの中にモンテカルロが入っていない年でも、モナコで何かしらの式典を行うのが恒例となっている。

 そしてこの日、最終戦の予選を翌日に控えた開戦前夜、ドライバーとチーム監督を一堂に会してのセレモニーが行われていた。会場を行き来する無数のフォーマルウェア、値札を下げたら財布が幾つあっても足りなさそうな高級料理、ステージには恐らく有名なオーケストラであろう集団が喧騒の中で演奏している。

「ほぇー」

 間の抜けた顔で唖然としている北嶋にとって、ここは絵に描いた金持ちの集いそのままの世界だった。圧倒されるというか、もはや現実感がない。もちろん彼とて一年間FIのドライバーとして色々な星系へと足を踏み入れ、初めての経験に戸惑いながらもこなしてきた人間である。セレモニーと呼ばれる式典にだって何度も参加している。最初は慣れなかったフォーマルな衣装を着ても、不自然な動きはかなり減っている筈だ。だが各星系での式典がフレンドリーな、良くも悪くもフロンティア的気質に溢れていたせいか、あまりフォーマルな印象を受けなかったこともあり、近所で行われるパーティの大きいバージョンくらいの認識になっていたようである。彼は今期初めて、自分が場違いな所に立っていると感じていた。

「はっ!」

 ふと気付いて周囲を見渡すが、そこに目的の人物は見付からない。FIはF1時代と違い、英語を話せることが必須の条件ではない。彼の所属する『フォーチュンベル』は日本語の会話力が必須だし、他にも英語以外の言語を必須にしているチームは少なくなかった。それでも、複数のチームを渡り歩くことを考慮に入れている大半のドライバーは英語を含めた複数の言語を習得するのが普通である。彼のように日本語しか話せないドライバーは極めて稀な存在だ。

「おい、何をキョロキョロしてんだ?」

「あ、ルース発見!」

 背後から声を掛けてきた黒人男性にダッシュで駆け寄り、袖をガシッと掴む。

「おいこら、何掴んでるんだよ」

「許せ。緊急事態だ」

「緊急事態?」

「監督とはぐれた」

「それの何が緊急事態なんだよ。子供か、お前は」

 激しい天然パーマと大きな黒目が特徴的な黒人ドライバー――ルース・ハミルは呆れたように肩を竦めた。その反応が気に入らなかったのだろう。ハミルほどではないながらも自由にカールしている天然パーマを逆立て、数少ない特徴的なパーツである太い眉毛を吊り上げると、北嶋は空いている右手をブンブン振りながら口を開いた。

「七ヶ国語とかしゃべれるお前と一緒にするな! 今のオレが英語とかで話し掛けられてみろ。間違いなく顔面に一発入れて逃げるね」

「やめろ、アホ」

 軽く罵りつつも、その表情には笑顔が窺える。シーズン前シーズン中と何度か顔を合わせて話をする機会があったものの、所詮はライバルチームの人間だ。こんな風にレースを忘れて会話するのは、ずいぶんと久方ぶりである。

「ここにはマスコミも入ってない。端っこで大人しくしてれば話し掛けてなんぞこないさ。皆明日のことで頭が一杯だしな。それと、俺が話せるのは八ヶ国語だ」

「ウザッ!」

「ウザいとか言うな! 振り切って逃げるぞ」

「すまん。悪かった。もう思っててもウザいとか言わない」

「……まぁいい。だがさっきも言ったように、ここは純粋な社交の場だ。端に居れば無理に話し掛けられるようなことはないさ。そもそも他人に気を配れるほどの余裕は誰にもない。わかったらホラ、手を離して壁際で大人しくしてろ」

「何を言うか。それだとせっかくの高級料理が食べられなくなる」

「メンドクサイ奴だな、お前は。そのくらい我慢しろ」

 そう言われて簡単に離してしまう北嶋ではない。生まれてから今まで裕福と縁のなかった彼にとっては、今こそ千載一遇の好機なのだ。そもそも地球産の食材は小麦や米すら高級品である。ここに並んでいる料理など、今を逃せば一生食べられない可能性もある。

「ここで食べまくるのは、スゲー重要なことなんだ。まぁイギリス人のお前にはわからんだろうがな」

「やかましいわ。ゲテモノ食いのジャップが」

 生活の舞台が一つの惑星から一つの銀河系に移っても、こういった国際ネタは何故か健在である。

「Hey! Do you enjoy it?」

 睨み合う奇妙な二人組に、一人の男が声を掛ける。色の濃い白人という印象のオッサンだ。三十代半ばの筈だが、両側に派手なドレスを纏った女性二人を侍らせている様は、ドライバーというより趣味の悪い事業家という印象である。それでも相手に嫌味な印象を与えないのは、彼が先天的に有しているラテンの血によるものだろう。

「Of course. However, it is not you.」

ルースが流暢な、北嶋から言わせると聞き取りにくい英語で返す。二人はしばし話した後、時計を見たオッサンが女性の肩を抱くようにして立ち去っていく。別れ際、北嶋にもわかるような発音でグッドラックと言い残し、陽気な笑い声と共に去っていった。

「相変わらず元気だねぇ、あのオッサンは」

「ネルさん、何て言ってた?」

 会話の内容が気になった北嶋が、ルースの肘を突付く。

「ジャップは嫌いだから地獄に落ちろと言ってた」

「嘘吐くなっ!」

 繰り出した緩い左ストレートを鮮やかなスウェーバックでかわす。

「つーかさ、何でこんな状況で翻訳機付けてないワケ?」

「仕方ないじゃん。スーツに気を取られて忘れてたんだよ。んなことより、ネルさんは何だって?」

「言うほどのことでもないよ。明日は頑張ろうとか楽しもうとか、そんなことだ。あ、明日頑張るから今日は彼女達とこれでお別れだとも言ってたな」

「ホントにどうでも良い話をしてったな、あのオッサン」

 ネル・マイオールというドライバーは苦労人として知られている大ベテランである。現在も歴代最強と謳われるアルトニー・シルバや北嶋の父親といった一昔前のドライバーと張り合った経験を有する古参の一人でもある。年齢こそ十歳程度しか違わないが、その経験値は雲泥の差だ。ちなみに付け加えると、各開催地ごとに愛人が居ると噂される色ボケでもあり、抱いた女の数でも雲泥の差がある。

「まぁいいや。ネルさんはもういいから、とりあえず中央のテーブルにゴーだ」

「だから、一人で行けっての」

「そう言うなよ。友達だろ」

「ともっ……おいバカ、こんなとこでそういう恥ずかしい発言するな!」

 やっぱりイギリス人はツンデレだと、北嶋はいつも思う。

 もっとも、彼が日本ではなくヤマト出身であるように、ルースの出身もイギリスではなくニューロンドン出身だ。

「いつも、仲良しですね。二人は」

 そんなじゃれ合う二人に、背筋の伸びた白人男性が近付いてくる。

「シュ、シュマックさん!」

「Nice to meet you! Mr. Schumach」

 背筋を伸ばし、敬礼でもしかねない勢いで応じる二人に、現ポイントリーダーのマイケル・シュマックは吹き出した。

「硬いですよ。私、怖いですか?」

「とんでもないっ」

「I respect you!」

 二人とも完全に我を失っている。もっとも同じドライバー同士、普段はこれほど緊張したやり取りはしない。サーキットで出会えば軽口を叩くこともある。特に少し怪しいながら日本語を使ってくれるので、北嶋にとっては現場で会話することの多い相手の一人でもあった。しかしそうは言っても銀河チャンピオンに三回上り詰めた経験を持つ名実共に現役最高のドライバーであることは事実である。ルーキーの北嶋や二年目のハミルから見ると、纏っているオーラが違って見えるのも不思議なことではなかった。

「ところで二人は、昔からの友達ですか?」

 という至って普通の質問に、お互いを凝視する二人はようやく我に返る。

『腐れ縁です!』

 そして綺麗にハモった。

「HAHAHAHAHA! 仲が良いのは事実のようですね。だけど、友人とはいえ明日は敵同士、二人とも良いレースを」

「はい、ありがとうございますっ」

「Thank you. Good luck,Michael」

 片手を挙げて笑顔で立ち去る紳士の背中を、二人は呆然と見送った。自分達も同じ舞台で戦うドライバーであるという自覚はもちろんあるが、それでもシュマックは役者が違う。結果がどうなるにしても、彼が偉大なドライバーであるという事実に一片の揺らぎもないのだ。そして現場に居る彼らは、その偉大さを間近で目の当たりにしている。敵として、これほどやりにくい相手は居なかった。

「……流石だな、あの人は」

 ルースが溜め息と共に呟きを漏らす。

「あぁ、相変わらず顔が長いな」

「待てコラ」

「いや、別に悪口じゃないぞ。あの長さはギネス級だと思う」

「お前なぁ、そういうこと本人の前で言うなよ? さすがのあの人でも怒るんだからな。実際、チームメイトとは仲悪いらしいし」

 シュマックのチームメイトは素行の悪さと毒舌で有名である。

「と、スマン。ちょっと呼ばれた。悪いがここで待ってろ」

「あ、あぁ……」

 曖昧に頷く北嶋を置いて、ハミルがステージの方へと近付いていく。彼の進む先には小太りの男性が待っていた。北嶋にも見覚えがある。アレはハミルのチーム――デニス・レーシングの監督だった。

「というか、別に無理してオレに付き合わんでも良いんだがな」

 アレだけ嫌がっていた割にしっかりと面倒を見てくれる辺り、ハミルという人物の人となりが分かるというものだ。思えばスクール時代もそうだった。成績を巡って張り合うことも多かったが、それ以上に互いを認めていたという実感がある。ただのやんちゃ坊主だったレーシングスクールのライバルが、今やFIという舞台で肩を並べて走っている。考えてみれば感慨深い話だ。

「Hey」

 そんな懐かしい記憶に沈もうとしていた意識に、無粋なアルファベットが割って入る。その野太い声に思わず振り返った北嶋は、上から覆い被さってくるほどの巨体に半歩身を引いた。

「アンタは……」

 精悍な顔立ちの白人男性だが、色の薄い茶髪と同色の瞳が感情を希薄に見せる。その上彫りが深いものだから、ただ立っているだけで異様な迫力を周囲に放っていた。

「I am your fan.」

 それだけを呟くように言い放つと、口元だけでニヤリと笑って背を向ける。どう見てもドライバーよりはマフィアの方が天職に思える風貌だが、これでも銀河チャンピオンになる権利を有するチャレンジャーの一人でもあった。とはいえポイント差から考えると、辛うじて小指一本がかかっているレベルだ。彼の銀河チャンピオンを予想しているのは、地元の評論家ですら極少数である。

「アイ、アム……ファン!?」

 アンドレ・サリスの言葉に、北嶋は動揺する。彼は壊し屋と名高い男で、荒っぽいレース運びをすることで有名な男である。自分のマシンも他人のマシンもよく壊すことが知られている。そんな男に『お前のファンだ』と言われても、素直に喜べないのは無理からぬ話だろう。裏に何か抱えているのではないかと疑いたくもなる。

「まさか、体当たりとかしてこないだろうな……?」

 冗談と思いつつも、素直に笑うことが出来ない北嶋であった。

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