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竜を喰らう月  作者: あたくる


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竜を喰らう月

学校からの帰り道、竜が満月を喰らっていた。


 もし私が今より十歳年老いていたならば、それはただの月夜に浮かぶ雲にしか見えなかっただろう。けれども、心幼き私にはその雲が(かつ)てこの地を支配していた「ティラノサウルス」なるものにしか見えなかったのである。


 私は、確かに彼ならあの美しき満月を喰らうに相応しい存在だと、勝手ながらに納得した。

 しかし、そんな軽薄な考えなど直ぐに吹き飛ばされた。

 私が目を離したその刹那、月を喰らい掛けていた竜はもうそこには存在しておらず、ただ残っていたのは汚らしい土竜だけであった。

 この地を制した恐竜の王ですら月の前では無力だったのだ。

 結局、月は誰にも食べられることなく静かな夜に妖美な光を灯しながら浮かんでいるままである。

 この時私は月に対して、なんとも恐ろしいものかと、初めて美しい以外の感情を持った。


 だが、そんな感情とは裏腹にこうとも思った。


「私も月を喰らいたい」と。



 月が少し欠け、下弦の月になる頃、私はまだ悩んでいた。


 月を喰うにしても一体どうすればよいのか。

 ただ、これ以上悩んでも時が進む一方であるので、遂に行動を起こすことにした。

 先ずは手元に無ければ喰えるものも喰えないと考え、何とか月に近付いてみる。


 夜、家の近辺で最も高い場所である小高い丘に登り、腕を伸ばし月に手をかざしてみた。

 当たり前な話だが、少し近付いた気がするだけで届く気配など全く無く、現状は何も変わらなかった。


「流石に無理か……。」


 と悩んでいると、烏がカァカァと嘲笑うかのように鳴き、目の前を飛び去った。

 それはそれは頭に血が上った。


 烏だって月まで飛んだことないじゃないか。それにもかかわらず、月に届かない私を馬鹿にするなんて。一体何処にそんな権利があるのだろうか。

 しかし、烏を羨ましくも思ってしまう。私にもあの黒き翼があったなら、月は喰えずともあの竜を超えることが出来ていたかもしれない。だが、結局齧ることも出来ないのであれば何の意味もないじゃないか。

 そう思い、私は丘から下った。

 旋回していた烏は、何も言わずただ去りゆく私の後ろ姿を見て笑っていた。


 数日が経ち、月はまた少し欠け、月明かりが消えた新月の夜、私は再びあの丘で月を見ていた。

 辛うじて輪郭が分かるが、ふと目を離すと直ぐに見失ってしまう。

「こんな薄っぺらな月など、食べても卵白よりも味が無いので、早急にかの妖美な光を取り戻していただきたいものだ。」


 なんて届くわけのない愚痴を零しながら、呆然と空を眺めた。


「そうだ。私が照らせばいいんじゃないか。」


 そう思いスマートフォンのライトを月に向けた。

 しかしいくらライトを照らせど、その光は闇に消え去り、月は依然として暗いままである。

 そりゃあそうだ。こんなもので月が照らせたら蚯蚓(みみず)だって月を食えている。こんなにも弱い存在な訳がないだろう。流石に軽んじ過ぎである。

 月が満ち切るまで後半月。その日までに具体的な喰う方策を考えつかねば。

 

 今回も特に進展もないまま、少年は下山した。

 夜空に浮かぶ黒目には、ただ一人でいそいそと働く(あり)が映っていた。


 月が満ち始め三日月になる頃、少年はまたもやあの丘に来ていた。

 しかし今日の少年の顔はいつもと違っていた。まるでノーベル賞を受賞出来るかのような大発見をしたと言わんばかりの自信で満ちていた。


「今こそ私は月を喰う。」


 そう意気込み月の前に立った。そして私は振り返り、月に背を向けスマートフォンを取り出し、カメラ機能を立ち上げた。

 トリックアートだ。

 遠近法を使う事で現実では起こりえない事象をあたかも実際に起きているかのように錯覚させる手法。これを使えば私でも月が喰える。

 そうして私は、顔にスマートフォンを近づけ大口を開け、月と共に写真を撮る。

 こうして大きな私が、小さき月を喰う絵が完成した。

 獲物を喰らう私の横顔は、あの日のティラノサウルスと不思議と重なる。しかも今日は三日月。この影の部分が齧られた跡となる。

 なんとも壮大な一枚絵が出来上がり、満足感に浸る。

 

 遂に終わったのだ。


 月を喰えたのだ……。


 ……違う。


 私は喰えてなんかいない。


 こんなものは月の味も分からないのに、喰えた気になっているだけで何も成し遂げられていないではないか。


 私は蝙蝠(こうもり)男になんかなりたくない。


 自分自身の事が情けなくなり、そのまま家に帰った。

 より一層満ちて上弦の月になる頃、私はとうに限界を迎えていた。アイデアは出し尽くし、何もできないまま時が過ぎ去る一方であり、心は疲弊しきっていた。


 明日が来るのを怯え、流れる現実を拒み続け、死人のような顔をしていた時に、私の唯一の友が尋ねて来てくれた。


「最近どうしたんだ。ずっと顔色が悪いぞ。」


「ああ、少しばかり行き詰っていてな。」


こんな私にも、心配をしてくれる人がいるなんて、なんと喜ばしいものだろうか。

少しばかり顔に光を取り戻した顔を見て友は言った。


「話せる事なら何でも相談してくれ。」


それならば、この難問の解決策を聞いてみるとするか。


「月の食べ方について何か思いつかないか。」


彼は想像のはるか斜め上を行く質問をされ、かなり戸惑った顔をしていたが、それでも真摯に答えてくれた。


「そうだな、実際の月を食べるというのは難しいから、何か月に模した物を食すというのはどうだろうか。」


「月に模した物?」


「ああ。焼き菓子や卵料理などを月に見立てるという感じだ。」


聖人(とも)は出来る限りの現実的な案を出してくれた。


「なるほど。いい案だな。」


私がそう返すと聖人はにっこりと笑い返した。

その後、彼の家に行き一緒にホットケーキを作り食べた。

この月は優しさの味がした。

しかしまだ月は喰えていない。友には申し訳ないが、もう少し抗ってみたいのだ。


私は友に別れを告げ自宅へ帰った。


 月は満ち切り、ついに来た満月の日。


 私はいつものあの場所に来ていた。

 正直なところ、この想いに対する答えが思いついている訳ではない。けれども、今日はこの夢に終止符を打てる気がした。


 だが、世界はそんなに甘くはなかった。

 タイムリミットがやってきた。


 私がここに来てから十分も経たないうちに、空がいつの間にか暗闇に包まれていた。南の山際にいたはずの雨雲が、すうすうと風に乗り私の頭上の月を覆い隠してしまった。


 結局私が喰う事などできないまま、月は雨雲に喰われてしまったのだ。

 

―――私は泣いていた。


 流した涙に共鳴するが如く雨も降ってきた。月を喰らえた痴に泣く雲が、ただただ鬱陶しく思えた。



 どれ程の時間が経ったのだろう。

 気がついた時には雨は止んでおり、涙も止まっていた。

 けれども私は目を開けられなかった。

 この現実を受け入れたくなかった。


 すると、ふと足元が明るく照っている事を感じた。何が起きたのかと思い、恐る恐るゆっくりと目を開けた。


 月が居た。


 喰われたはずの月が、潰えたはずの夢がそこに居た。


 流した涙と雨が混ざり、私の足元に生まれた水溜りに月明かりが反射していたのだ。

 私は月に届いたのだ。


 そして月を啜り喰った。


 泥臭く、じゃりじゃりし、えぐ味も有り、そして少ししょっぱかった。


 だが今まで食べてきた物の中で群を抜いて美味かった。


 月を喰らうその姿は、まるで(すっぽん)の様であり何とも酷い醜態であった。


 しかし、私は幸せだった。

 あの竜王ですら達成することの出来なかった野望を、私は成し遂げたのだから。




 時が経った今、あの日の事を思い出して気付いた事がある。


 竜が喰い損ねた訳でも、私が喰ったのでもない。


 私達が月を喰おうとした時、その時から既に、私達は月に喰われていたという事に。

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