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7話 カフェオーナーの話4

 閉店十五分前、客はもういない。カップを拭きながら、時計を見る。

(今日も来ないか)

 あれから三週間、彼女はLa Pace (ラ・パーチェ)には、来ていない。

 自分が他店舗を勧めた。それは分かってる。

 もしかしたら全然違う店に行ってしまったかもしれない。


 カウンターの端が空いたままの店内は、少しだけ広い。

「……そろそろ閉めるか」

 照明を一段落とそうとしたそのとき、ドアベルが鳴った。


(……来た)

 

 三週間ぶりの来店。心臓が、わずかに強く打つ。

 

「いらっしゃい」

 

 でも表情はいつも通りに、声は柔らかく出すように意識する。

 

「……遅い時間にすみません」

「大丈夫ですよ」

 嘘じゃない。本当に、大丈夫だ。

 むしろ「待ってた」とはとても言えないが。

 

「コーヒー、飲みます?」

 ふんわりと、いつもの調子で勧める。

「じゃあ、お願いします」

 彼女は少し迷って、自然に、カウンターの端へ向かった。

 

 その背中を見ながら、俺は静かに入口へ向かう。

 音を立てないように“CLOSE”の札をかけた。

 

「もう少ししたら閉めるところだったんです。ちょうどよかった」

 

 これは嘘。本当は閉めようとしていた。だが今日は、なぜかまだ豆を片付けていなかった。

 

(無意識、か)

 

 お湯を落とすと、静かなジャズのBGMが流れる店内に、抽出の音だけが響く。

 彼女と二人きりの時間。久しぶりなのに、空気は変わらない。

 彼女の前にカップを置く。

 

「お久しぶりです、って言ったほうがいいですか?」

「ただいま、って言っていいですか」

 冗談めかして言うと、彼女は少し笑い、少し困ったようにそう言った。

 胸の奥が、わずかに熱くなる。

 

(やめろ)

 

 顔には出さないようにするのが精一杯だった。

「別の店、どうでした?」

 彼女に自然な質問を投げる。

「おすすめしてもらった通り美味しかったです。ケーキも」

「それはよかった」

 よかった。それは本音だ。でも…

「……でも、なんか」

 彼女が言いかけて、止まる。

「なんか?」

「落ち着かなくて」

 視線が絡んだ。本当にそう思ってくれていると何故か分かった。

「じゃあ、ここが合ってるんですね」

 そう言って俺は笑った。内心安堵がじわじわと広がっていく。

 

(戻ってきた)

 

 静かに、確実に。自分の元に戻ってきた。

 彼女がカップを両手で包み、ほっとしたような顔をする。

 あの仕草は変わらない。


 外はもう優しい月の光が見える時刻。


 彼女の視線が、ふとカウンター横のチラシに向く。

 2周年イベントの告知、Hasta pronto.(アスタ・プロント)の名前。

 そして他店舗に置いていたLa Pace (ラ・パーチェ)のチラシ。

 ゆっくり、彼女がこちらを見る。

「……あの」

 その声に、視線に、彼女が悟った事を知る。

 

「この前おすすめしてくれたお店……ここ、関係あるんですか?」

 

 その声色は少し警戒色を含んでいた。

 俺は一瞬だけ黙った。その沈黙が、いつもより長い自覚はある。

 

 もう誤魔化せない。


「……気づきました?」

 俺はできるだけ穏やかに、柔らかく笑った。

 そう言った瞬間、彼女の指先がわずかにカップから離れる。

 ほんの少しの沈黙。それだけで分かる。

 

——怖がらせた。


 彼女の綺麗な瞳が、わずかにざわつくのを見て取る。

 俺はカウンターに手を置いて彼女を見つめた。

 彼女には一切触れないが、ただ、彼女の瞳の奥を覗き込むように意識して小さく首を傾げた。

「嫌でした?」

 そう静かに問うた。


 押し殺してた彼女への“欲”が、心の中で顔を覗かせていた。

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