3話 CクラスからFクラスになる
初対面の女に愛の告白をしてしまった俺は、周囲の熱狂から逃れるように、全速力で廊下を駆け抜けた。
心臓がうるさい。腹の傷も響く。だが、それ以上に精神の摩耗が激しい。
この学園、危険すぎる。今すぐ荷物をまとめて夜逃げだ。戦略もクソもない。
「はぁ、はぁ……。ここまで来れば……」
角を曲がった、その瞬間だった。
「――逃がさないわよ、このクズ。」
低い、だが鋼のように冷徹な声。
グイッ、と首根っこを掴まれ、俺の身体は宙に浮いた。
「……げぇっ!」
振り返れば、そこには輝くような金髪ショート。
アシュリー・ヴォル・アイギスが、般若のような笑顔で俺を見下ろしていた。
「あんた、医務室を抜け出して何してんのよ。あちこちで愛をささやいて、女子生徒を気絶させて回ってるって噂……アタシの耳にもバッチリ届いてるんだけど?」
(……筋肉王女! 離せ! 殺される! 俺はただ、検証をしていただけだ!)
「――あぁ、可憐な姫をこんな近くに感じられるなんて。噂?……噂なんて、俺たちの愛のノイズに過ぎないよ、アシュリー」
「…………。あんた、本当っっっに一発殴らせなさいよ!」
アシュリーの拳が、ミシミシと音を立てる。
俺の本音と、聖なる呪いが、最悪な女を本気で怒らせてしまった。
「――あがっ、がはっ……! 離せ、首が、頸椎がイく……!」
アシュリーに襟首を掴まれたまま、俺の身体は無慈悲にも石造りの廊下を引きずられていた。
王女様、馬力がありすぎる。地面と摩擦する俺の靴底が悲鳴を上げている。
(……ふざけんな! 離せよ筋肉ゴリラ! 俺は病人だぞ! 傷が開いたらどうすんだ、慰謝料に上乗せして請求してやるからな!)
俺は、精一杯の呪詛を吐き捨てた。
だが、喉を通り抜ける熱い吐息は、またしても世界を美しく塗り替える。
「――もっと、もっとしてくれ……。君のその力強い鼓動を感じていたいんだ。……この愛はプライスレス……」
「…………っ、あんたねぇ!!」
アシュリーの顔が、一瞬だけ朱に染まった。
が、次の瞬間には怒髪天を衝く勢いで拳が振り上げられる。
「言葉で煙に巻くのもいい加減にしなさいよ! 医務室から抜け出して、女の子を気絶させて回るヒマがあるなら、アタシの用事に付き合うこともできてるわよね!?せっかくお礼しようと思ったのにな〜」
(お礼!? 待て、金か!? 物理じゃなくて金でくれ!)
「――お礼?お礼なら、君からの拳がいいな。君からならどんな痛みも甘い蜜に変わるよ。さあ、俺を殴ってくれ……」
「あーっ、もう! 黙んなさいよ! 気味が悪い!!」
バキィッ、と。
空気を切り裂くような音がして、俺の意識は一瞬だけ遠のいた。
アシュリーのデコピン一発で、俺の頭蓋骨が軋む。この女、本当に加減というものを知らないのか。
◇
数分後。
俺が引きずられて連行されたのは、重厚な装飾が施された大きな扉の前だった。
そこには黄金の獅子が刻まれたプレート――学園長室の文字。
(……げぇっ、学園長!? マジかよ、夜逃げ前に退学処分か!?)
俺の内心の焦りを余所に、アシュリーは無造作に扉を蹴り開けた。
「失礼するわよ、学園長! 捕まえてきたわ、例のお騒がせ者を!」
「おお、アシュリー殿下。……そして、彼が噂のユウ・エゴ・イースト君か」
部屋の奥、巨大なマホガニーの机に座っていたのは、厳格そうな顔立ちをした老人だった。
アイギス王立騎士学園・学園長、ガリウス。
頭の中にコイツ(俺)の情報が流れ込んでくる。
どうやらこの男は国の最高戦力の一人であり、教育界の重鎮らしい。
(……やべぇ。威圧感あるじゃねえか。よし、ここは下手に出て記憶喪失なので退学させてくださいって泣きつくしかねぇ!)
俺は、ベッドから逃げ出したばかりの弱々しい少年のフリをして、精一杯の哀願を口にした。
「……学園長。今回の件で自分についてまた一つ理解できました。それは自分が未熟だということです。だからこの学園に残って改めて鍛え直さないとダメだと。」
だが、ガリウス学園長の瞳が、眼鏡の奥で鋭く光った。
「――素晴らしい。これほどの功績を上げながら、なおも自分の至らなさを悔い、金銭よりも強さを求めようとするとは。……アシュリー殿下が仰っていた通りだ。君の魂は、既存の枠組みに収まるほど小さくはないようだな」
(…………は?)
ガリウスは、ゆっくりと立ち上がり、机の上に置かれた一枚の羊皮紙を広げた。
「アシュリー殿下より強い推薦があった。王女の命を救った君の献身、そして先ほどの強さへの渇望。……君のような学生を、一般のクラスに留めておくのは、我が校、否、国家の損失だ」
アシュリーが、腕組みをしながら不敵に笑う。
「そういうことよ。あんた、面白いもの。その嘘くさい綺麗事がどこまで本物か、アタシが特等席で監視してあげるわ」
(……嘘だろ。お前、推薦なんて余計なことしやがって! 監視!? 毎日ボコられるってことじゃねぇか!)
「――本当か?……推薦、心から感謝する、アシュリー。俺を見守ってくれるんだね」
「…………ふん」
ガリウス学園長は、満足げに頷くと、デスクの引き出しから一つの小箱を取り出した。
パカリ、と開かれたその中には、鈍く、だが底知れぬ魔力を帯びた光を放つバッジが収められていた。
「ユウ・エゴ・イースト君。君を今日から、戦術学部の特待生として受け入れる。そして、君に特例中の特例……『Fランク』の称号と、この『プラチナバッジ』を授与しよう」
(……Fランク? コイツ(俺)は学院内ではCランクだったはす。まさかのランクダウンかよ。おまけに戦術学部って、あの万年予算不足でガラガラの不人気学部じゃねーか。……ん? でも待てよ、この白金バッジ、見た目は高そうだ。銀よりはマシか?)
バッジを品定めするように見つめていると、ガリウスが眼鏡を光らせて補足した。
「この白金は、学園の序列を超越した聖域の証だ。全学部の授業に自由に出入りできる特権を有する。……君は今日から全生徒の模範となり、その高潔な背中で、戦術学部の、そして騎士の在り方を示しなさい」
(……全学部の授業に出入り自由? つまり、どこへ行っても視察って言えばサボれる……最強のフリーパスか!?)
俺のかしこい脳細胞が、一瞬で最高のメリットを弾き出した。
(悪くない……。どの教室で寝ていても瞑想中とか戦術考案中で通るし、アシュリーから逃げるのも楽そうだ。不人気学部なら干渉も少ねぇ。よし、ここはひとまず受け入れて、隙を見て消えるか……!)
バッジを恭しく受け取ると、今日一番の偽りの決意をカオスコンバーターへと流し込んだ。
「――この白金の重みを、一生の誇りとします。……俺のすべてを捧げて、不遇の戦術学部に活気を取り戻しましょう。そしてこの学園に愛の光を灯し続けましょう」
(本音:このバッジ、質に入れたら三ヶ月は遊んで暮らせるんじゃねぇか!? よっしゃ、最高のサボり生活の始まりだぜ!)
「……よろしい。では早速だが、戦術学部の特待生である君の拠点を用意してある。戦術学部の旧校舎……あそこを君の好きに使いなさい」
「えっ……!?」
アシュリーが、ニヤリと笑ってユウの肩を叩いた。
「あそこなら誰も来ないわよ。あんたが崇高な計画を練るにはぴったりでしょ? ……もちろん、アタシも毎日監視に通わせてもらうけどね!」
(……誰も来ない!? 旧校舎を秘密基地として独占できるのかよ! ……アシュリーが来るのだけは誤算だが、隠れてポテチでも食うには十分だ!)
俺は、手にしたプラチナバッジを握りしめ、心の中で勝利の雄叫びを上げた。
呪いのおかげで、最高の拠点と全学部サボり権限を手に入れたのだ。
◇◆◇◆
「……ふふ、行きましたな。嵐のような少年だ」
ユウが「愛の光を灯し続けましょう(本音:換金させろ!)」と宣言して部屋を去った後、学園長ガリウスは深々と椅子に背を預けた。
先ほどまでの厳格な表情は消え、そこにあるのは老獪な政治家の顔だった。
「学園長、本当に良かったの? あんな得体の知れない奴に、戦術学部の旧校舎を丸ごと預けたりして。あそこ、幽霊が出るって噂で誰も近づかない禁忌の場所じゃない」
アシュリーが怪訝そうに尋ねると、ガリウスは眼鏡のブリッジを押し上げ、ククッと喉を鳴らした。
「アシュリー殿下、今の我が校において戦術学部は、剣術や魔術のような華々しい学部に予算を奪われ、廃部の危機にあります。……そこで、今最も学院の注目を浴びる者をあそこに据える。それだけで、あそこは広告塔と化すのです」
「……つまり、あいつを客寄せパンダにしたってわけ?」
「ほっほっほ。言い方が悪いですぞ、殿下。彼が旧校舎で瞑想していようが昼寝していようが、周りは勝手に注目を集め勝手に誇大解釈してくれる。……予算も寄付金も、面白いように集まるでしょうな。我々は彼に自由(という名の放置)を与え、我々は実利を得る。……これぞ戦術です」
ガリウスの瞳に、教育者らしからぬ算盤の輝きが宿る。
アシュリーは腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……食えない爺さんね。でも、あいつ……ユウ・エゴ・イーストをただの看板で終わらせるつもりなら、火傷するわよ。あいつの目は、そんな殊勝なものじゃなかった」
「ほう? 武道派の殿下が、そこまで一人の少年に固執するとは珍しい」
「直感よ。あいつは、あんたの想像を絶する何かを企んでる。……それを暴くまでは、アタシもあの旧校舎に通わせてもらうわ」
アシュリーはそう言い残すと、ユウを追うように部屋を飛び出していった。
一人残されたガリウスは、窓の外を眺めながら小さく呟く。
「……さて。あの少年が、我が校の救世主となるか、あるいは全てを壊す劇薬となるか。……楽しみですな」




