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その2 逃げるが勝ち

 そうこうしているうちに、周りの喧騒はいったん静まった。何故か、みんななんとか体勢を立て直し、自分の席におとなしくついているようだ。だが、ある種の緊張感がみなぎっているのは、痛いほど感じられる。みんながさりげなく、こちらのテーブルに注目しているのは間違いない。何事もなかったかのような顔をしているが、全員が全員ともこちらの様子に聞き耳を立てているらしいのは、張り詰めた空気でわかる。よく見るとみんな落ち着いて座っているように見えても、頭からエールをかぶっちまったやつや、料理を服にぶちまけたやつばかりだ。奪い合いで喧嘩になっていた一部の輩も、顔にあざを作ってたり服が一部破れてたりはするが、今は静かに腰かけているのが不思議だ。綺麗に磨かれていた木の床は、落とされた料理や割れた皿、こぼれた酒でひどいありさまになっている。


 やれやれ、だよ、まったく。あんまり事情なぞ知りたくないし、首を突っ込むとろくなことにならないと頭ではわかっているのに、俺はついに好奇心に負けた。

「めんどくさいな、もう。じゃあ、話くらいは聞いてやるよ。だいたい、なんでそんなヘンなもんぶら下げてあんたがこんなとこにいるんだか、そのあたりから知りたいね。ていうかさ、ここから出る気はないのか?」

 最後のとこで俺は声を落とした。これ以上、この宿に迷惑をかけていいものなのかどうなのか。マリオンがやはり小声で答えた。

「出てもいいけど、これだけひどいことになったらもう遅いよ」

「確かにそうかもな」

「重要な用事があったんだ、ここで。外で待とうと思ったんだけど、これが――と胸に手を当てるしぐさをした――外で待つのを嫌がったんだ」

 俺は笑った。が、声は少し震えていたかもしれない。

「なぁ、その袋の中身って物だよな? 精霊とか妖精とかでなくて。なんで物が嫌がるんだよ」「ああ、うまいこというね、そう、精霊と同じと考えていいよ」

 マリオンがため息混じりで答えた。

「ちょっと待てよ、話は長くなるんだよな?」

 俺は、空のジョッキを頭上高くかかげ、親方に向けて大きく振った。どうやらエールの樽は無事だったのか、カウンターの中で親方がうなずいたのを確認して再びマリオンのほうへ向き直る。

 ついでに貴石まみれになった鳥料理も、丁寧に石を取り除いて口に運ぶ。間違って石をかじったりしたら、歯が欠ける。それだけは避けたい。料理は美味かったが、今の状態ではあまり感激しないのがすごく残念だった。とりあえず、まだ腹は減ってる。食えるものは食えるときにちゃんと食っとかないとな。


「まず、これが」

 マリオンは、胸に手を当てた。

「僕がここにいる最大の理由なんだけどね」

 そこで軽くため息をつく。

「僕が魔法を使えない理由もこれなんだよね」

「もう不用意に出さないでくれよ?」

 俺の警戒した口調に、マリオンは小憎らしいことにくすくす笑った。だが、どこか少し投げやりでふてくされて聞こえる。

「出しても出さなくてもおんなじだよ。出たけりゃ勝手に出てきちゃうさ。さっきのを見たよね? このカードは、気まぐれだからね。僕の意思なんか酌んじゃくれないよ」

「カード?」

 そう、カード、とマリオンはうなずいた。

「占い札みたいなもんか?」

 俺は首をかしげた。

「そうだね、見た目は占い札みたいなものだけど、用途が違うんだよ。これは『太陽』のカード、いや精霊なんだけどね。たぶん、貴石が飛び出してきたのは、この子のほんの気まぐれだね。橄欖石や黄水晶は太陽石と呼ばれてるんだけど、それは、本来ならカードとはなんのかかわりもないんだ。人間が勝手にそう呼んでいるだけだからね。でも、気まぐれなこのカードは、それを自由に出して見せて、みんなに自分の力を誇示したかったんだろうね」

 精霊の気まぐれであの騒ぎか。とんだ災難だな、親方。

「それで? そもそもそのカードだか精霊だかってのは、いったいなんなんだ?」

 難しい顔の親方が速攻で届けてくれたエールを飲みながら、俺は今度はシチューの中から注意深く橄欖石と黄水晶を取り除け、口に運んだ。


「あんまり詳しく話せないし、長くなりすぎるから端折るけどね。ここの町からさらに北にあるイセンいや、アイゼンフラウという山でこのカードを必要としている人がいて、そこに僕はこれを届けないといけないんだ」

 アイゼンフラウ――このへんの年よりはイセンフラウと発音するらしい。彼も今そう言おうとしたよな? ――がこの先にある山の名前だ、ということはこの辺まで旅している者なら誰でも知っている。さして高い山ではないが、神聖な場所としてあまり人が立ち入らない、と聞いている。

「へえ? あの山って人が住んでるんか」

 俺も麓から何度も見あげたことはあるが、登ったことはない。神聖な場所かどうかは別にして、たまたま山やその向こう側に行くような仕事の依頼がなかったからだ。 しかし、マリオンが魔法のカードを持ってわざわざ行く山ということは、本当に神聖な山だったのか、と俺は妙なところへ感心していた。しかも誰か住んでいたとは驚きだ。

「それで? 魔法が使えないのはなんでだよ?」

 マリオンの眉間のしわがいっそう深くなった。

「そこが僕にとって、すっごく困ってるところなんだけど」

 その口ぶりから察するに、どうやら魔法が使えないのは、彼にとってかなりの痛手らしい。

「このカードは、魔法そのものだといったよね。創始、始まりの魔法といってもいい、古い魔法ですごく強力なものさ。それを持っていると、それだけで僕の魔法が無制限に増幅させられる。本人の意思はお構いなしにね」

 俺は首をひねった。

「増幅したら便利だろ?」

「無制限に、といっただろう? どこまで増幅されるかは魔術師の持つ技量と気まぐれなカード次第なんだよ」

 おれがわからない、という顔をしていたからだろう、彼は軽く肩をすくめる。

「じゃあ、もっとわかり易く言うよ。たとえば、僕が夜にろうそくを1本灯したいと思ったとしようか」

「いや、そこで魔法使うのか、お前」

 俺は思わずつっこんだが、マリオンはかまわず、ぱちんと指を鳴らすしぐさをしてみせた。音は鳴らない。

「もちろん使うよ、火打ち石で種火つけるの面倒でしょ。で、魔法を使ったら、町が丸ごとひとつ灰になってる、かもしれない」

「はぁ~?」

 思わずまぬけな声が出た。なにさらっと恐ろしいことを言ってのけるんだよ。

「たとえば、扉を開けようとして」

 また、ぱちんと指を鳴らすしぐさ。

「魔法を使うよね。一瞬で町中の家が崩壊する、かもしれない。そういうことだよ」

 いやいやいや、何を言ってるんだ。それ、全然冗談じゃないから。影響力と影響を受ける範囲がでかすぎ。町単位で崩壊なんて怖すぎ。俺はたぶんぽかんと口をあけていたと思う。彼の魔力自体が強力すぎるからか? カードとやらの創始の魔力とかが強いせいなのか? 簡単な魔法でそれならば、本気出した魔法が増幅されたらどうなるんだ? 世界中に異変が起きるってことか? たとえば彼が前に作った湖は、海のごときでかさになって近隣どころか国をも水没させるとか、そんな話?


 冷や汗が出てきた。ほんとに聞かなきゃよかったかもしれない。けど、ここまで聞いたらあとにはひけない。これはもしかして怖いもの見たさってやつか。

「そ、それ、危険すぎるだろ。なんでそんな危ないものをアイゼンフラウまで届けなきゃいけないんだよ?」

 気を取り直して、最初へ戻った。

「アイゼンフラウでなら、そんな危険なことは起きないんだ。カードは、きっちり守によって管理されるからね。その守に新しいカードがほしいと頼まれたんだよ」

 なるほど、わからん。よくはわからんが、つまり。

「アイゼンフラウに住んでいる誰かが、『太陽のカード』とやらがほしいとお前さんに依頼してきたと。そこで南の国でそいつを――どうやったかは知らないが――作って届ける途中だと、こういうことだな? 」

 そう、とマリオンはうなずいた。

「僕がカードを作るのに半年くらいかかっちゃってね。まぁ、はじめの目算では一年だったからそれよりは早かったんだけど、どうも向こうの古いカードに、限界がきちゃったみたいなんだ。本格的に雪が降り始める前になんとかしないと、たぶんこのへんの人たちがみんな困っちゃうからね」

 これまたよくわからん。

「えーと、また話が良くわからんのだが。古いカードってのはなんだ? 雪とカードとみんな困る? おれたちにいったい何の関係があるんだよ?」

 マリオンは、ちょっと首をかしげて言葉を選んでいるようだった。

「早く言えば、そのカードがないと、この大陸には太陽が出なくなるってことかな。毎日毎日、曇るか雨か雪が降るだけになる」

 へぇそう、といいかけて俺は目をむいた。

「え? 太陽のカードってのは、あのお天道様のほんとの太陽なのか? そいつでここらの天気をなんとかかんとかしているってことか?! そう言ってるのか?」

 ちょっと混乱しているが、意味は通じたらしい。

「まぁそう、簡単に言えばそういうことかな」

 涼しい顔でマリオンは答えた。 いや、簡単に言ってくれるなよ。ずっと毎日、太陽が出ないって、しかもこの大陸でとか。しばらく絶句する。なにそのでかい話。絶句する俺にかまわず、マリオンは淡々と話を続けた。


「そもそも、アイゼンフラウには、この大陸一帯を制御する天地天球儀というものがある。とてもとても大きな物なんだけど。その天球儀に創始の魔法によるカードがたくさんはめ込まれて、制御されているんだ。天気や季節、植物、自然のありとあらゆるいろんなものがね。まぁ、いろいろあってだいぶはしょるけど、大昔、この世界が始まったころに、天変を制御するために作られたものらしい。人間が安穏に暮らしていくために魔術師たちが総出で作成したんだよ」

 魔術師としてなのか少し誇らしげなマリオンの言葉に、俺はついていけてない。あまりの話のとっぴさに呆然とするだけで、相槌すら打てないでいた。

「で、その天地天球儀の太陽のカードにかすかなひびがはいったのが、半年前。それで僕がそのカードを作り直すことになったんだ。さっきも言ったけど、壊れたらこの辺の天候に影響が出ちゃうからね」

 くらくらとめまいがした。なんだかえらいさらっと言ってくれるけど、大変な事態じゃないのか、それ。

「壊れんのか、そんなもんが? いや、むしろ作れんのか、そんなもん」

 マリオンは重々しくうなずいた。

「千年ほどは持つんだけど、時々は作り直さないといけないらしいね。歴代のカードは、その時代の魔術師に修理依頼をしているらしいよ。今回はカードにちょっと無理させたせいで時期が百年ほど早まったみたいだけど」

「無理?」

 と、聞き返すと、何故かちょっとマリオンは目をそらして言葉を濁した。

「あ、いや、まぁね、いろいろあってさ」

 もしかして、原因はお前かよ。だが、俺はそれ以上つっこむのはやめといた。この際、原因はどうでもいい。

「それはともかく、アイゼンフラウ付近から北の地帯は、これから冬に向けて大変なことになりつつある、と言うことなんだよね。まったく太陽が出ないとかそういうことはないだろうけど、カードがないと力が不安定になってしまうから、かなり冬が厳しくなってしまうかもしれない。かもしれない、ばっかりで申し訳ないけど、今までどれかの制御カードがない状態になったことがないから、僕にも全ての事態は読めないんだ」

 そこで俺は、最初からずっと思ってた疑問をぶつけた。

「ということはだ、お前さん、アイゼンフラウに急いでるんじゃないのか? さっさとそれ持って行けばいいだけなんだろ、なんだってこんなとこで油売ってるんだよ?」

 あんな貴石なんぞそこら辺に見境なく振りまいて、いらん騒動を起こしながら、だ。不満げな俺の言葉に、まったく動じず――当たり前だが――彼はにこっと笑った。

「そう、そこが肝心なとこだよね。……ところで、ウォルター。君は仕事、終わったんだよね?」

 俺の質問には答えないで、マリオンは逆に質問をしてきた。そう、ちょうど俺は仕事を終えたところだ。何故、俺の仕事が終わったことを知ってるんだ?

「なんで知ってるんだよ?」

 マリオンは、またにっこり微笑んだ。俺はたじろいだ。この微笑が曲者なんだよ。

「だって、仕事中のウォルターは、いくら僕が勧めたってお酒は飲まないだろ? こんな人の多い宿にも泊まらないし」

 と、宿の食堂の高い天井を見上げてみせた。そうだな。俺は仕事中は一滴も酒を飲まない。人の多い宿にも泊まらない。余分なトラブルは避けたいんだ。大事な物や金を持ってるときは、できる限り人に会わないほうが安全だ。だが、何故それを知ってるよ? 俺はそんなこと一言も話してないぞ? さっきも言ったとおり、彼はあまり運び屋にぱしりもさせないってのに、俺たちの仕事について詳しいのは意外だった。

「まさか、俺に何かを頼もうとか思ってるわけじゃないよな? 」

 墓穴掘ってるかな? と思いながら、恐る恐る訊いてみる。

「ウォルターって勘もいいよね」 再びマリオンが例の微笑みを浮かべてそう言った。勘の他に何がいいと暗にほのめかしてるんだよ? 俺はそこまでお人よしじゃないぞ?

「さっきのお願いってのはこれなんだな」

「そう、実は僕はここで君を待ってたんだよ。近場に誰かいないか運び屋ギルドに聞いたら、ちょうどこの方面に君がいるっていうから」

「はぁ?」

 ギルドも口が軽すぎだろ。いつもなら、仕事の話は外へ漏らすなとうるさいくせに。

「ちゃんと即金でしかも金貨で払うと言ったら、いちもにもなく喜んで教えてくれたよ」

 いかにもありそうだ。金がはいるなら身内も売るわけだ、人使いが荒いったらない。

「僕の代わりに、これをアイゼンフラウに持っていってもらおうと思ってるんだ。運んでくれたら、金貨三十枚ってどうかな?」

 金貨三十枚なら、ギルドに紹介料を五分の一払っても半月くらい仕事しなくても遊んで暮らせる。あの距離でこの値段は、法外な高値といえるかもしれない。物がアレでさえなければ、な。

「絶対に断る」

 速攻で断りを入れた。やばいと思う仕事は、即座に断固として断れ、ってのはこの業界の鉄則だ。これはいろいろとわけがわからなすぎて、絶対やばい。


 だが、マリオンはあきらめる気配がない。

「魔力の無いウォルターが持つ分には、悪さをしたりはしないよ、このカード」

「怪しいもんだな」

 俺がいかにもうさんくさそうに言い返すと、マリオンは含み笑いをした。

「僕がそばで魔法を使うとまずいかもしれないけどね、反応するから」

「直接持ってなくてもだめなのか。ほんとに厄介なカードだな。でも、大体ここまで自力で持ってきたんだ、もうすぐそこじゃないか。なんで自分で行かないんだよ」

「だって、魔法が使えないじゃないか」

「はぁ?」

 やつは、ちょっと不満げに口をとがらした。

「僕にとって、魔法は僕のすべてといってもいいんだよ。それなのに、僕の魔力が全部このカードに吸い取られていくのがわかるんだ、そして、どんどんカードがわがままになってくんだよ」

 たまらなくいやな気分なんだ、とやつは、本気で嫌そうに顔をしかめた。

「さっきのあれだってそうだよ。カードのわがままだから、あれ。このまま僕が持ってたら、たぶんカードがもっと暴走する。僕はこれ以上カードを抑えていられないよ。しかも行く先があの山じゃ、何が起こっても不思議はないし。しかも、今にも雨が降りそうだろう。僕は水の魔術師なんだよ、ただでも雨は、僕の魔力を増幅させてしまうんだ」

 つまり、魔術師ってのは、水か火か土か風のうちどれかの力を使って魔法を使うのだそうだ。その属性は生まれた時から決まっているものなんだ。今の話を聞くに、どうやらやつは水の魔力を持ってるらしい。雨が降ると、水の力はそりゃ増幅するだろうな。で、カードがあったらさらに暴走するってことだな。いや、だからといって、俺にそんな仕事をおっつけられても困るんだけど。

「いやいや、なに言ってんだよ。あんたが抑えられないカードが、俺みたいなふつーの人間にになんとかできるはずないだろ。いくら俺が運び屋でも、そんなわけのわからんもんは無理だって」

 俺もやつに負けずに口をとがらして断った。

「わけはわかっただろ? 魔力がない君なら問題はないんだよ。君になら安心してこのカードも任せられるし、むしろ僕が持ってるほうが危ないんだ。うっかり魔法を使ってしまいそうになるし。何度思いとどまったか」

 マリオンは苦しげに顔をしかめ、大げさな身振りで胸を押さえた。

「・・・・・・あぶねーな、あんた。間違って町ぶっつぶしたらどうすんだよ」

「僕にとっては普通のことなんだよ、魔法を使うのは。息をするように使ってるといってもいいんだ。それこそ無意識にね。魔法が使えないのは、ずっと息を止めているに等しいんだ。そのうえ、このカードが僕に魔法を使わせようとしてる気がして」

 それは考えすぎ、妄想って奴だろ、という言葉を俺は飲み込んだ。もしかしたら妄想ではなくて、そのカードとやらが本当にそんなことを考えているかもしれないって気がしなくもない。

「ここまで来るだけで、ほんとに大変だったんだからね。だからお願いだよ、ウォルター。大丈夫、僕も二百ヤードほど離れてついていくことにするから。なにかあったらちゃんと駆けつけるし」

「二百ヤードって、そんなに離れないといけないのかよ」

「普通なら百も離れてたら大丈夫だと思うけど、念のためにね。ね、だから大丈夫だよ、ウォルター、君しか頼めないんだよ。もっと早く、向こうを出るときに頼めばよかったけど、こんなひどい有様になるなんて思わなかったんだ」

 なんだかすがりつくような眼で見られて、俺はちょっとだけ動揺した。人が困ってるってのに、いいのかお前、とどっからか声がする。落ち着くために俺はまた一口エールを飲んだ。

「だいたいにして、俺はあの山に行ったことが無いからな。道も知らないし」

 とりあえず、いいわけにもならないいいわけを言ってみる。でも実際は、道を知らないところにお届け物なんていくらでもあるんだよな。あーやばい、俺はちょっと落ちかけてるぜ。

「一本道だよ、大丈夫!」

 俺の口調に希望をもったらしいやつは、すかさず要領よくどこかから取り出した地図を指し示しながら、さっきよりずっと明るい声で道のりの説明をし出した。 それをいいかげんに眺めながら、説明を聞き流してもう一度きっぱりと断ろうとした時、不自然にやつの声が途切れた。


 不思議に思って地図から顔をあげると、マリオンの視線が俺の後ろに流れるのが見えた。

「君に精霊の祝福を贈るね、ウォルター」

 いきなりいつになく真剣な顔で、やつは自分の手首から青い飾り玉の太い腕輪をはずすと、身を乗り出し俺の手首に無理やりはめ込んだ。マリオンは続けて首元からあの袋を取り出そうとしたが、鎖がひっかかっているのか、カードが嫌がってるのかなかなか外すことができない。俺はと言えば、魔術師の唐突な行為よりも手首がぼうっと熱くなったほうに驚く。

「おい、このやろ、なんだよこれ。俺に何を押し付ける気だよ!」

 問いただそうと腰を上げかけて俺は、そこでようやく背中に不穏な気配を感じた。遅まきながら振り向くとそこに立っていたのは、どっから湧いて出たんだかガタイのいい、いかにも頭と根性は悪そうだが拳だけはまかしとき! な感じのおにいさん方が数人。その真ん中には、黒のマントを羽織ったド派手な化粧の若い女が立っていた。

 女の目の周りは広範囲にわたっていやに青い。唇は毒々しいほど赤い。いくらなんでも塗ったくりすぎだろ、それ。さらに女は、黒のドレスに趣味の悪いごてごてした首飾りだの耳飾りだの指輪だの腕輪だのジャラジャラつけていて、見るからに怪しげだ。おまけに表情はこれ以上ないというくらい狡猾な魔女そのもの。細身でスタイルもなかなかいいし、顔立ちも悪くなさそうだが、まったく俺の趣味じゃない。そもそも男も女も揃いも揃って目つきがあんまりよろしくないのは、こういう場合のお約束かね?

「なんだ、あんたら」

 女がずかずかと無遠慮に俺たちのテーブルのほうへ寄ってきた。

「あたしは、この町の魔術師オウロラ。お前が旅の魔術師ね?」

 気取った声に尊大な態度で、魔女がテーブル越しにマリオンの顔を斜めから見下ろした。格上の魔術師をお前呼ばわりか。化粧を落とせばそれなりに可愛い顔つきだろうが、そのでかい態度はまったく可愛げがない。


「だから、何の用だっての」

 マリオンの代わりに、俺がつい喧嘩腰で訊ねてしまった。 ふん、といった顔で魔女が俺をねめつけた。「お前などには用はない。お黙り」

 失敬な女だ、雑魚認定かよ。むっとして俺が黙ると、その魔女だかもどきだかは、マリオンのほうに視線を戻した。「おとなしく袋を渡してもらえるかしら? そこの二流魔術師さん」

 なるほど、こいつらは例のカードを狙っているのか。ここにいた誰かが、こいつに御注進に及んだわけだ、あのカードのおまけ欲しさに。いやに仕事が早いな。話のほうは小声でやってたから、他のテーブルに聞こえていたはずはないが、あんだけ派手なことをやらかしちゃ目立つなという方が無理だもんな。

 それにしても、こんなところでマリオンに喧嘩を売るとは、なかなかいい度胸だよな。同じ魔術師としてよっぽど自信があるのか、よっぽどのおバカさんかどっちかだ。いや、相手の魔法の気配が読めず、二流呼ばわりの時点でどう見ても三流、もしくはそれ以下のおバカさんだな。

 しかもこの取り巻き連中も、脳まで筋肉でできてそうな感じで、頭がよさそうには微塵もみえない。そもそも、なんで魔術師がこんな肉体派を取り巻きにしてるんだよ。自分の魔力に自信がないのか、ありすぎるのか。こんなやつら、あっという間にマリオンの餌食だ。どっか辺鄙な国へ飛ばされて、しかも忘れ去られるのがオチだぞ? そんなことあったっけ? 僕、覚えてないなーあはは、てなもんだ。こいつはほんとにそういうやつだからな。

 あー、だけど、今ここでマリオンが魔法を使うわけにはいかないんだったな、と思い出してうんざりする。この町ひとつ、綺麗にぶっ潰してもいいなら話は別だが。

 でも、あんまり無茶苦茶な展開になると、そんなこともありえそうだ。マリオンは顔立ちはいかにも繊細そうだが、実際は自分がめんどくさくなると、思いきりよく全部ぶっ飛ばして強引に終わりにする性質たちだからな。終わりよければすべてよし、ってやつの拡大解釈だ。まぁ、総じて魔術師なんてもんは、そんなもんみたいだが。だが、たとえ終わりがいい結果になったとしても、俺は断じて巻き添えくらうのだけはごめんだ。


 そんなことを考えている俺を尻目に、オウロラとかいう魔女はいかにも堂々とした態度で、まだ椅子に落着いて座っているマリオンに、生意気にも指輪だらけの指を突きつけた。

「もし渡さないなら、力ずくでいただくまでよ」

 マリオンは、いつもの笑顔よりもっと凄みのあるやつを浮かべた。見えているほうの右目がさすがにいつもより怖い。そして美形が怒るとさらに怖い。

「これは君には荷が重過ぎる。渡すわけにはいかないよ」

 だが、オウロラはそれにも怯まず、ふん、と赤い唇をゆがめて口の端で笑った。

「おまえは魔法が使えないんでしょ。勝ち目はないよ」

 なるほど、そこまで聞いてたんか。だから態度がでかいんか。俺は頭を抱えそうになった。こいつら、中途半端だなー。一番大事なところは聞いてないだろ?

「命が惜しいなら、ホントやめとけよ」

 思わず口を出した俺に、魔女が心底小馬鹿にしたような表情を浮かべた。本気でむかつく女だ。だが、これだけは言っておかないと、被害が自分にも及びかねない。

「そいつの前で魔法なんぞ使うと、この宿屋がぶっ飛ぶ可能性があるらしいぞ? 」

 それまで無視していたあたりのやつらが、一斉にぎょっとした顔で俺を見た。俺の指した『そいつ』というのがマリオンのことなのか、得体の知れない袋のことなのかわからなかったようで、オウロラは少し戸惑った目で俺の顔を見た。

「袋のことだよ、もちろん。魔法を使うなよ? どんなささいなやつでもやばいらしいからな。いいか、まじでや・ば・いんだよ」

 とりあえず俺は、町までぶっ飛ぶ、とは言わなかったが、それでもガタイのいいあんちゃんたちと、興味津々で話を聞いていた野次馬どもに動揺の波が走るのがわかった。後のほうでは、宿屋の親父が、口をぽかんと開けてあぜんとした顔をしている。すまん、親父。宿屋がぶっ飛んだら、マリオンがきっと建て直すから。


 あっぱれなことに、オウロラは自分の目に浮かんだ動揺をかくして、再びえらそうな態度でふんぞり返った。

「そぉお! ならば、わざわざあたしが魔法など使う必要はないね。魔法を使わなきゃいいんでしょ。腕ずくでいただくまで、だよ」

 口元にいやーな笑みを浮かべた魔女が、安全圏へ一歩下がって顎をしゃくると、代わりに男どもがずいっと前に出た。

「ウォルター、袋を預かってくれ」

 マリオンが、唇を動かさずに小声で俺に話し掛けた。俺としゃべりつつ、鎖をさぐっているようだが、どうやら袋はまだ彼のシャツの中から出てきたくないようだ。それとも、カードは、俺との取引が成立するまで出てこないつもりかも?

「いいぜ、ただし百だ」

 振り向いて、俺はにやっと笑ってやった。

「百!? ありえない! 高いじゃないか。足元を見る気か」

 マリオンが声を荒げて俺を睨んだが、かまうもんか。俺は動きやすいように椅子を蹴って横へどけた。

「だって、この荒事の分も入ってるんだろ。安いもんじゃん」

「・・・・・・くぅ、まぁそうだけど」

 悔しそうだ。してやったり、と俺はひそかにほくそ笑んだ。これでもまだ頼むつもりになるのか、あきらめて自分で届けようとするのか、その選択はやつに任せることにする。さすがにここまできちゃったら、ある程度は自分でも覚悟しておかないとな。となればその前にとりあえず、こいつらの始末をつけねば。

 俺を押しのけないと、テーブルの向こうにいるマリオンには手が出せない。一人が俺を横に払いのけようとしたとき、俺はテーブルに後ろ手をついてそのまま仰向けに体を倒した。そのまま反動で体を起こしつつ、縮めた両足を思い切り伸ばして相手の胸に強烈な蹴りを食らわせる。蹴られたやつは、後ろのやつとテーブルを巻き添えにしながら、派手に倒れた。

 いっきに野次馬の輪が、大きく広がる。おこぼれはいいけど、巻き添えはごめんだろうからな。 みんな食堂の壁にひっついてこちらを見ているが、手を出す気はまったくなさそうだった。

「この野郎!」

 蹴られたやつが怒りの形相で起き上がり、あとはそのまま乱戦になった。

「雑魚はほっときなさい。あっちの金髪よっ」

 金切り声でオウロラが叫ぶ。雑魚で悪かったなっ。とことん邪魔してやる。ニ人が俺に、三人がマリオンへ向かっている。俺のほうは、こんな騒ぎには慣れている。何しろ仕事柄、預かった金や買い付けた高価な頼まれ物を奪おうとする輩が多いわけで、身を護る術はいろいろ知っていなくてはおちおち旅もできない。剣やナイフ、飛び道具が出てこないだけ楽ってもんだ。


 だが、マリオンはどうだろう? 殴られたからって頭に血が上って魔法を使われたらかなわないぜ。一人目の顎にきっちり拳を叩き込んで、ニ人目の鳩尾にひざ蹴りを食らわせたところでちょっと余裕ができて振り向いてみると、ちょうどマリオンのきつい蹴りが、一番でかい図体の男の耳の後ろに綺麗に決まったところだった。大男は、白目をむき地響きを立てて床に倒れた。

 こいつ、魔術師のわりにいやに喧嘩慣れしてるな。蹴りが決まった瞬間に足首をうまく使って更にダメージを高めているあたり、相当場数を踏んでいると見た。マリオンはもう一人の男の腹に肘打ちを食らわせ、そのままこぶしを思い切り男の顔面に叩きつける。男が鼻を押さえてその場にしゃがみこむと、マリオンはそいつの首の後ろに手刀を食らわした。男はうめき声をあげてそのまま前のめりに倒れこむ。そのすきにマリオンは片手をひょいとテーブルについたかと思うと、上にふわっと飛び乗った。

 これで床にのびたのは二人。残った一人がやつの乗ったテーブルを引き倒そうとしたが、目的を達成する前に俺が背負いなげた別の男が思い切りよくぶつかり、二人ともテーブルをぶっ倒しながら折り重なるように床に倒れた。もちろんその前に、マリオンは隣のテーブルにすばやく飛び移っている。そこへのびていたはずの最初の大男がなんとか起き上がり、下からそのマリオンの足を捕らえようと手を伸ばした。だが、マリオンは軽やかに跳躍してその手を逃れ、ついでに前に乗り出していた相手の後頭部に鮮やかな蹴りの一撃を決めた。大男は今度は脳震盪を起こしたようで、もう一度床に白目をむいて倒れこんだ。これでおしまい。全員、仲良く床の上にのびている。やれやれだ。俺たちはようやくひと息ついた。

「久々の運動はきついなぁ」

 と、マリオンがいまだテーブルの上に乗ったまま、首をコキコキ鳴らしてぼやいているが、お前、息も切らしてないじゃないか。俺のほうが、少しだけ息が荒いのが癪に障る。しかも俺は何発か殴られたが、どうもやつは無傷のようだ。あいかわらず謎の多いやつだ。

 そして、ここまで黙って見ていただけのオウロラは、目をつり上げてきーっとなった顔で、俺たちと床の上にのびた男どもの両方をにらみつけた。

「ほんっと、図体ばっかりの役立たずどもね」

 いやいや、それを連れてきたの、あんただろ。そんなセリフは、鏡見ながら言えっての。


 さて、これでどうするのかと思ったら、オウロラは大げさな身振りつきで野次馬のほうを振り向くと、このうえもなくとーっても効果的なひと言を放ちやがった。

「ねぇ、あんたたち、あいつの持っている袋さえあたしに渡してくれれば、宝石は出し放題だよ。誰からやる?」

 おおっ、とどよめきが野次馬たちからあがる。冗談じゃねぇ。今度はこいつらが相手か。さすがにうんざりしてきた。

「次はやつらかよ」

「これじゃあキリが無いね。魔法が使えると早いんだけどなぁ。使っちゃおうかなぁ」

 マリオンもやはりうんざりしたように、つぶやくのが聞こえた。頼む、それだけはかんべんしてくれ。

 わかってないな、野次馬どもめ。あの袋がマリオンの手を離れたら最後、やつは魔法が使えるようになるんだぞ?  そうなったらあとはどうなるか、想像したら容易にわかるだろう。母ちゃんと魔術師は無駄に怒らすな、ってのは一般常識だろうが。誰だって知ってるぞ。

 ところが、どいつもこいつも脳みそをどっかへ落っことしてきたみたいな顔で、じりじりと俺たちのいるテーブルへ寄ってきた。

「俺たちに、もっと貴石をだしてくれよ」

「金が要るんだよ、頼むよ、その魔法の袋をくれ」

 口々に言いながら、十数人の男たちが目の色を変えてテーブルに群がってくる。金の力は恐ろしいね。さっきの話と喧嘩の腕前を見て、今はまだ押さえ気味ではあるが、誰か勇気のあるやつが飛びかかったらすぐにもたががはずれそうだ。逆に俺がまず殴ってそのたがを外そうかとも思ったが、マリオンに止められた。

「ウォルターは、店の出口へ行って」

「えっ!? あんたひとりでどうすんの」

「大丈夫だから、とにかく行って! 連中が必要なのは僕だけだから」

 確かにやつらにとって俺は勘定に入ってないようで、人垣が厚くなると、俺は自然に輪の外へ弾き出されてしまった。後ろから椅子で殴ってやろうかと思ったが、端から殴り倒すにしてもあまりにも人数が多すぎる。出口に向かってどうするんだよ、俺。

 迷っていると、一番奥のテーブルに仁王立ちしたマリオンが鋭い声で俺の名を呼んだ。

「ウォルター! 六十だ!」

 はっとしてやつの手元を見ると、高く掲げた右手にカードの入っている袋が握られている。

 やっぱり、引き受けるしかないよな、この状況じゃ。

「七十だ!」

 俺は怒鳴って、もうぐちゃぐちゃになっている店の中で自分の鞄を探した。隅に追いやられたそれを奇跡的に見つけ、肩に担ぐ。

 もうやつらは、マリオンのいるテーブルに迫ろうとしていた。

「のった!」

 マリオンの声とともに、革袋が鋭い軌跡を描いて天井に放られた。

「おーい、どこ投げてんだー」

 あまりにも見当違いの方向に、野次馬たちから遠慮のない嘲笑が飛ぶ。みんなの視線が袋が落ちそうな方向へいっせいに向いた。

 しかし、袋は宿の意外に高い天井に当たり、斜めに突き出した梁にぶつかり、下がっている古ぼけたシャンデリアもどきの角でもう一度大きく跳ねると、まったく別の方向、そう、出口のそばに立ってた俺の手の中へまっすぐ落ちてきた。おお、やるじゃん!

「契約成立! この仕事、めいに従い、謹んでお引き受けいたします!」

 すかさず俺は運び屋の決まり文句を叫んで、袋を引っつかむと同時に外へ走り出した。あっけにとられた連中が正気に戻る前に、食堂の扉を抜けた。戸をくぐり抜ける寸前に振り向くと、マリオンがテーブルの上で呪文を唱え始めているのがちらりと見えた。

 おいおい、冗談じゃねぇ。何の魔法を使うつもりなんだよ。カードの影響範囲は、さっきの話だと百ヤードだろ。悠長なことは言ってられない。とりあえず出来るだけ遠く離れていないと、カードがやつの魔法に反応したらやっかい極まりない。というより、命がいくつあってもたりない。

 食堂の扉の取っ手に、かんぬき代わりにそばにあった箒を差し込む。細い柄だから大した足止めにはならないだろうが、ちっとは役に立つだろう。そのまま玄関ホールを出て、俺は全速力で宿を後にした。


 足にはそこそこ自信がある。夕暮れの本街道を、しばらくは死ぬ気で走った。アイゼンフラウのある北方面へ向かう。落ち着いたころあいで振り返ってみたが、誰も追っては来ないようだ。それでも俺は、街道から少し外れた木の陰に隠れるように座り込んだ。猛烈に息があがって苦しかった。深呼吸をしてなんとか息を整える。さっき食べた夕飯を、吐かないですんだだけでも上出来だ。

 体が落ち着くと、今度は不安が押し寄せてくる。あの宿屋はどうなってしまったのだろう。もうここからは宿は見えず、耳を澄ましても何も聞こえない。誰も追って来ないのが、むしろ不気味だ。追ってこられないほどの何かが起きたのだろうか。あのとき、やつはいったい何の呪文を唱えたのか。俺は、迷った末にゆっくりと街道に戻って歩き始めた。表通りは人通りもまばらで特に変わった動きもない。見るからに旅人の俺に、誰一人として注意を払う様子も無かった。

 やがてとっぷりと日が暮れた。泊まり損ねた優雅な部屋――俺にしては――を思い出してため息をつく。前金で払った分もあとでやつに請求してやる。何でよりによって今日、この日に泊まろうなんて考えたんだろうな。もったいないことをしちまった。あいつにさえ会わなければ今ごろはいい気分で過ごせたものを。いや、もしかしたらどこに泊まろうとしても一緒だったかもしれない。やつは最初から俺を探していたんだから。いくらめんどくさがりで大雑把なマリオンといえども、あんまり無茶なことはやらないだろうとは思うが、あの宿は少なからず何か被害を受けるだろう。いや、すでに受けているのか。そして、やつも俺も二度とあそこへ泊りに行けないだろうことは、火を見るよりも明らかだ。ほどよく焼かれた鶏もシチューもエールも美味かったのに、食堂の親父にあわす顔がない。

「あーあ、もったいねぇ」

 俺は盛大にため息をついた。


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