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第二章 ♦ 女主人 ④



 今日は〈ペトラム〉の住民が待ちに待った”山分け”の日だ。


 一週間分の働きの対価を皆が受け取る日。その支払いは全てカレイズで配られる。名簿に記載された住民は労働に応じた分量のカレイズを受け取り、大通りへ繰り出して一晩中呑んで騒ぐ。

 〈ペトラム〉の中ではカレイズが通貨代わりであり、商人が営む両替所で各国の通貨に替えることもできる。


 スイが工房で下働きをしていた頃は、商工会を介して工房に分け前が受け渡され、主人が従業員に分配していた。そして今のスイは、エリシュカを手伝って分配をする側の仕事をしている。

 ”山分け”当日の朝までほとんど徹夜で名簿と帳簿を突き合わせて計算し、商工会や飯場、農場やその他様々な施設に分配する手筈を整える。


 手配が済んだ名簿から徐々に机から消えていき、最後に一綴りの薄い名簿が残った。目の下にうっすら隈をつくったエリシュカがそれをスイに手渡す。


「これは、アルベルトに渡してちょうだい……それが済んだらあなたも今日一日休みでいいわ」

「分かった。エリシュカもゆっくり休んでね」

「ええ、もちろんよ……」


 ♦


 スイは採掘されたカレイズを計量している倉庫へ向かった。そこにいたアルベルトに名簿を差し出す。


「あぁ、ありがとう」

「それはどんな人達の名簿なの?」


 主要な組織の名簿は一通り捌けていったのをスイは見ていた。スイの疑問にアルベルトはいたずらっぽく笑う。


「これは、〈カレイズ〉で最も高貴な人達の名簿だよ」

「高貴? 御三家よりも?」

「はは、僕らは真逆の低俗な輩たちだよ。彼らは生きるための労働とか、浅ましい物欲とかから解放された人達」


 改めて名簿を見れば、一人ひとりに配られるカレイズの量は、一週間分の水と食事を買って少しお釣りが残るくらいの量、つまり細々と生き続けるには十分な量であった。ピンときたスイは答える。


「清貧な人達ってことね。神に仕えてる人もいるの?」

「何人かはね。でもほとんどは勝手に神に試されて翻弄された不運な人達だよ」


 スイはアルベルトの顔を覗き込む。


「私も分配のお手伝いしてみたいわ」

「君みたいな若い女の子が来たら皆びっくりしちゃうかもな。彼らへ"山分け"する栄誉はいつも僕とレイゼクがやるから」


 アルベルトは可笑しそうに眉尻を下げる。それはスイが好きな彼の表情だ。

 スイは肩をすくめて微笑む。


「分かった。でも今度は手伝わせてね」


 ♦


 仕事から解放されたスイは大通りへ食事をしに向かった。

 ”山分け”の日は普段の倍も屋台が出現して、あちこちから湯気が立ち込めている。


 〈帝国(ローマ)〉のカルツォーネ、〈都市国(アレクサンドリア)〉のコシャリ、〈首長国(バグダード)〉のケバブの屋台を冷やかしながら通り過ぎ、その中のお気に入りの一軒にスイは席を取った。東方の料理を出す店だ。


 干し海老の出汁を利かせたスープに小麦の麺を入れ、叉焼(チャーシュー)筍絲(メンマ)を添えてある。麺をすすって舌鼓を打ちながら、エリシュカへのお土産について考える。

 彼女は食が細いから、ふわふわの饅頭(マントウ)の詰め合わせでどうだろうかと思案していると、後ろから声をかけられた。


「スイ! やっぱりここにいたわ」


 そこに立っていたのは、スイが以前働いていた工房にいた従業員の一人、フィオナだった。


「フィオナさん、元気だった?」

「私はいつも通りよ、あんたこそどうなの? 奥方様の侍女なんて大変じゃない?」


 スイは満面の笑みを返す。


「全然! とっても楽しいよ?」

「ふーん? 優雅なものねぇ」


 フィオナはスイの隣に座って餃子(チャオズ)を注文した。彼女は工房で接客の仕事をしている。いつもきれいに巻いている金髪を今は大雑把にくくった休日のラフな雰囲気だ。


「私を探してたの?」

「そうそう、ちょっと相談したいことがあったのよ」


 スイはフィオナと顔見知りではあるが、相談を受けるほど親しかったわけではない。スイが首をひねっているのをよそに、フィオナは食べながら話し始めた。


「昨日うちにきた客がさ、ちょっと気になるのよね……」


 昨日のこと、工房に羽振りの良さそうな商人の客が来たという。

 きれいな少女を一人連れていて、彼女にぴったり誂えた装飾品一式をつくってほしいとのことだった。

 職人と客がデザインについて話している間、フィオナは採寸しながら少女を観察した。


「何ていうか、素人っぽかったのよね。娼婦とか踊り子とか、その手の女はたくさん見てきたけど、その子は違った」


 だからフィオナは少女に何者なのかと耳打ちした。少女は無表情に伏せていた目をおずおずと上げ、フィオナだけに聞こえる小さな声で身の上を語った。


 彼女は流民で、街道の途中で行き合った商人に目をつけられた。家族は彼に彼女を端金と引き換えに売り、この〈ペトラム〉で着飾った後は、〈帝国(ローマ)〉でまた売られる予定なのだと。


「人買いの商人なのね」


 スイはフィオナにささやいた。


「そうね。これが玄人の女だったら私もこのまま見送るんだけど……」

「その子は売られることをどう思ってるの?」


 フィオナはうつむきながら言った。


「『助けてほしい』って、言ってたわ……」


 もどかしげに手元のフォークを弄ぶ。


「ひどい話よね。でも、私には何をしてあげることもできないし……それで、あんたのことを思い出したの。奥方様の侍女になったんなら、私よりは何か手立てがあるかもしれないでしょ? 私の知り合いの中では一番見込みがある」

「なるほど、そういうことね」

「ねえ、奥方様に相談したら何とかしてくれないかしら。その子は〈ペトラム〉の住民じゃないから、助ける義理なんてないと思うけど……このままほっとけなくて」


 スイは腕を組んで考える。


「うーん……でも、頼んでみる甲斐はあるわよね。ここで見捨てたら女が廃るわ!」


 フィオナがぱっと顔を輝かせる。


「そうよね! スイ様! 女神様! 何卒よろしくお願いします!」


 スイを拝むフィオナからその商人の詳細を聞き取って、スイは急ぎ足で屋台を去った。


 ♦


 深夜、頭領夫妻の居間で暖炉が赤々と燃えていた。

 肘掛け椅子に座ってその火を眺めながらエリシュカがつぶやく。


「その話は……聞き捨てならないわね」

「そうよね!」


 スイが土産といって買ってきた饅頭にかぶりつきながら答える。


「裏は取ったの?」

「うん。その商隊が人間も商品にしてるのを知ってる人が市場に何人かいたわ。泊まってる宿に聞いたら、女の子が一人いるって言ってた。あと一週間くらいで出発するみたい。名前はジークムント・バルテン」


 別の肘掛け椅子に座っていたアルベルトが言う。


「ハサンの宿だろう? そいつなら噂を聞いてるよ。一点物の高級品ばかりを扱う新興の商人だ。隊は小規模だけど、構成員のほとんどは商品を守る腕利きの護衛。厄介だね」

「さすが! いつも呑み歩いてるのはこういうときのためね!」

「はは、そういうことにしておこうかな」


 エリシュカはアルベルトに目を向けて尋ねる。


「……勝算は、あると思う?」


 スイにこの話をした工房の接客係と同じく、エリシュカにはその少女の境遇への義憤がある。

 できることなら助けたい。だが、解決は簡単ではないだろう。


「うーん」


 アルベルトは難しい顔をして答える。


「……僕らの掟は"人を奴隷におとすべからず"だ。けれど、バルテンは〈ペトラム〉でその少女を売買しようとしているわけじゃない。カレイズを買いに来ただけの客だ。その娘は商品じゃないと白を切られればそれ以上追求できない」

「……そうね」


 エリシュカが考えていたこととほぼ同じだ。


「バルデンから少女を無理やり奪うのは、もちろん論外だ。死人が出るし、そもそも僕らがそんな無法を犯せば〈ペトラム〉の秩序は終わる」

「その通りね」

「妥当な方法は一つだけかな。その少女を僕らが買い上げる」


 エリシュカはわずかに眉をひそめる。


「……掟に反するわね」

「そうだね。けど本気で助けたければ、それしかないんじゃないかな」

「そう、かもしれないわね……」


 三人の間に、しばしの沈黙が落ちる。窓の向こうからは、"山分け"の日で浮かれている人々の喧騒が遠くから聞こえてくる。その愉楽の声とは正反対の暗澹たる気分で、エリシュカは決断しなければならないと覚悟しようとしたとき、


「――エリシュカは、女の子をお金で買ったりしたくないのね」


 そっとスイがささやいた。

 エリシュカがそちらを見ると、スイは柔らかく目を細めてエリシュカを見つめている。


「それで目的は達せられるかもしれないけど、相手は足元を見てくるわ。きっと私達は大金と誇りを失ってしまう」


 スイは巫女のように、エリシュカの懸念をまさしく言い当てる。そして託宣した。


「方法はもう一つあるわ」

「……もう一つ?」


 スイはにっこり笑って言う。


「盗むのよ。それが盗賊の本懐でしょ?」





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