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第二章 ♦ 女主人 ③



 数日後。朝食の後に郵便物を検分していたエリシュカがスイに告げる。


「今日はお茶の時間に訪問客があるわ」

「そうなの、どなた?」

「お兄様」


 スイは記憶を手繰って答える。


「ええと、ヴィクトル様ね。前に遠くからお見かけしたことはあるわ」


 スイが前に下働きしていた職場は宝石職人の工房だったから、商工会の長であるリンデン家の者が訪問する機会は度々あった。


「おもてなししないとね」

「略式の支度で結構よ。身内なんだから」


 ♦


 そしてお茶の時間より少しだけ早い時刻に、その人は現れた。


「すまない、少々早かったかな」


 エリシュカと同じ金髪に青灰色の瞳、その優しげな面差しは誰もが好青年だと評するだろう。

 深い青紫を基調にした〈帝国(ローマ)〉風の紳士服を華麗に着こなしていた。


「久しぶりに妹に会えると思ったら急いてしまったよ」

「久しぶりというほどでもないでしょう、ひと月くらいかしら」


 いつもの首元まで覆った古風なドレス姿でエリシュカはそっけなく答える。

 二人が揃ってテーブルに着いた姿は、画家が通りかかれば思わず絵の具箱を開けたくなるだろうほど絵になる光景だった。


「〈帝国(ローマ)〉はいかがでした?」

「相変わらず景気がいいよ。僕達のカレイズの価値も上がる一方だね」


 ヴィクトルは微笑んで話す。


「属州の有力者達も経済力をつけてきているからね、買い手には困らないよ」

「中央はちゃんと彼らを掌握できているのですか?」

「大丈夫じゃないかな。今の皇帝の統治は安定しているからね。あちらの動向は僕と部下たちでしっかり見張っておくから、君が心を悩ませることはないよ」

「……ええ」


 そばに控えながらスイはエリシュカの様子を見た。彼女は思案げに目を伏せている。

 ヴィクトルが居住まいを正す。


「そういえば、禁制品を持ち込んだ商人がいたと聞いたよ。水際で防ぐことができてよかった」

「ええ、わざわざお兄様の名前まで出して、白々しい方でしたわ」


 ヴィクトルは苦々しげに眉をひそめる。


「懇意にしてる商人に紹介された記憶があるけど、社交辞令を交わしたくらいだよ。やれやれ……商人という人種は、誠実な心を売ることであんなに金を稼いでいるのかな」


 ヴィクトルは優しげな目を妹に向ける。


「君が直接対応したらしいね。……怖かったろう?」

「……いいえ、平気です」

「アルベルトの奴、いつものように街をふらついているのかい? 君を守る責務があるというのに……」

「いいえ、私がやりたくてやっていることです」


 テーブルの上のエリシュカの手に己の手を重ねて、ヴィクトルは言葉を続ける。


「君が責任感の強い子だってことは知ってるよ。けど、表に出る仕事はアルベルトに任せておけばいいじゃないか。君が危ない目に遭ったり、つらい思いをするかもしれないと考えると、僕も心が痛いよ」


 エリシュカは目を伏せたままでいる。スイは新しく温かいお茶を淹れ、エリシュカの元に運ぶ。

 だが途中でカップを傾けてしまい、エリシュカのドレスにお茶をぶちまけてしまう。


「あ! ごめんなさい!」


 エリシュカとヴィクトルが唖然とスイを見上げる。


「火傷はしてませんか!?」

「……えぇ、大丈夫よ」

「でもドレスが汚れちゃいました! すぐ洗わないと……」


 わたわたするスイを見てヴィクトルが言う。


「見たことのない子だね」

「新しく雇った侍女です」

「申し訳ありません、まだお給仕は不慣れなもので……」


 スイは深々と頭を下げる。苦笑してヴィクトルは席を立つ。


「僕は顔を見に来ただけだから、そろそろ失礼するよ。着替えておいで」

「……ありがとうございます、お兄様」


 ♦


 ヴィクトルは退室し、エリシュカとスイは衣装部屋に行った。

 ドレスの背中のホックを外していくスイに、エリシュカはささやく。


「さっきの、わざとでしょ?」


 スイは肩をすくめる。


「わざとらしかった?」

「いえ、お兄様は気付いてないと思うけど……私はあなたが器用なこと知っているから」


 エリシュカは振り返ってスイを見る。


「なぜあんなことをしたの?」


 スイはこともなげに答える。


「エリシュカが困ってるみたいだったから……」


 小首を傾げてスイは続ける。


「お兄さんのことが、怖いのかなって」


 エリシュカは一瞬だけ体を固くした。すぐに内心で自分自身に舌打ちする。不意に放たれた言葉に顕著な反応をしてしまった。目敏いスイは見逃さなかっただろう。

 夫であるアルベルトでさえ気付いていないだろう、心の奥底の闇に沈めているもの。


「……どうして?」

「なんとなく、そうなのかなって。もしまた来たら、いないって言おうか?」


 スイがあどけなく言う口調に、エリシュカは肩の力を抜く。


「……そんなことできるわけないでしょう」

「そう?」

「そうなのよ、何もしないで」


 分かった、というようにスイが頷く。


「――私の問題は、私が自力で対処するわ。だから、今のことは他言無用よ」

「うん。でも、何かしてほしくなったら教えてね。あなたの手足になるって言ったでしょ?」


 エリシュカはもう一度スイに背中を向ける


「なら、ひとまず着替えを手伝ってちょうだい」



♦♦♦♦



 館の者たちが寝静まった晩、スイはひとりで廊下にいた。


 わずかな月明かりを頼りに、猫のように足音を立てずに目的の場所へ進む。宝物庫の扉には、しっかりとした錠前が掛かっている。だがスイにとっては大した障壁ではない。愛用のポーチの中の道具を使って容易く解錠した。


 部屋の中にも青い月の光がほんのりと差している。室内の中央にはいくつかのガラスケース、壁面にはひとつひとつ戸のついた収納棚が並んでいる。


 その中へスイはゆっくりと歩を進めた。切り出されたカレイズの大きな原石や、繊細に装飾された宝飾品がケースの中できらめいて誘ってくるが、いちいち中を検める必要はない。求める宝物があれば匂いで分かる。少し埃っぽい空気の中を呼吸しながら部屋を一周して、スイはため息をついた。


(ここには、無いわ)


 宝物庫に侵入する前から半ば予期していた結果だ。でもスイはまだ落胆しない。初めて〈ペトラム〉に足を踏み入れたとき、己に流れる旧い血が告げる声を聞いた。


 ――この場所のどこかに探し求めた宝はある。


 そして、己は必ずそれを探し出して手に入れる。スイは決意を新たに部屋を出て、元通り錠前を閉めてから、誰にも気付かれずに自室に帰った。



 ♦♦♦♦




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