第二章 ♦ 女主人 ②
やがて二人は大通りの反対端にたどり着いた。
眼の前には大きな櫓門がそびえ立つ。大街道につながる岩道と〈ペトラム〉の街の境界に立つその門は、今は落とし格子を上に上げて、人や馬車が行き来できるようになっている。
櫓門の両脇には大扉を解放した倉庫が立ち並び、商隊の荷馬車はそこに運び込まれ、禁制品の持ち込みがないか審査を受けていた。
ざわざわと活気に満ちた倉庫の中をエリシュカは悠然と歩きながら、商人たちが運んできた様々な商品や、それらを記録し審査している係員たちの働きぶりに目を走らせている。
スイはその後ろについて回りながら、各地から集められた物珍しい品々をわくわくしながら眺めていた。
小麦や大麦、根菜や干し果物、乳製品や酒類、毛織物や麻織物、宝飾細工のための金や銀、普請のための木材、そして街の人々を楽しませるための嗜好品――甘い菓子、装飾された陶器、花の香りの香油、骨牌や賽子、ぜんまい仕掛けの玩具、物語の書物、凝った意匠の絨毯、美しい声の小鳥、等々。
〈ペトラム〉の住民はカレイズの収益のおかげで普通の庶民よりも自由にできるお金が多い。それを狙って商人たちはあれやこれやを売りつけようと、いそいそときらびやかな品々を運んでくるのだ。
「これは奥方様!本日も麗しゅうございますな」
不意に一人の中年の商人がエリシュカに声をかけてきた。
「……こんにちは、ヨナーク氏だったかしら」
「はい!〈帝国〉を経つ際、兄君のヴィクトル様にお会い致しましたぞ。リンデン家にはいつもお世話になっておりまして、一度エリシュカ様ともゆっくりお話する機会があればと思っていたのですよ」
「そうですか」
スイがヨナークという商人の荷を眺めていると、あの侍女たちが持っていた聖人画を見つけた。後光が差した色々な男女の絵の他に、片手で持てる小さな石膏の胸像も置かれていた。
スイが注目していたのに気づいたエリシュカが目を向ける。
「あら、見たことのない商品ね」
「はい!〈帝国〉でもまだ珍しい新商品です。聖人のお姿を立体的に象ることで……」
商人が口上を述べる中、スイは胸像のひとつを手にとってみた。ふとした違和感。
「聖人の像ばかりね」
「オーダーメイドも承れますよ。うちの職人達は腕がいいのでひと月あれば受注から納品まで……」
商人と話していたエリシュカは、スイの様子に目を止める。
「どうしたの?」
スイは手にした胸像を見せて言った。
「これ、見た目より軽いのね。それに……」
スイが胸像を軽く振ると、かさかさと小さな音が胸像の中から聞こえる。エリシュカがすっと目を細めた。
笑みを引きつらせた商人が次の言葉を探し出す前に、エリシュカはスイに命令した。
「それ、割ってみて」
「あの奥方様!これは商品ですので……」
「今ここで買い取ってあげるわ、さぁやって」
スイは胸像をためらいなく地面に叩きつけた。
無惨に砕けた胸像の内部は空洞になっていて、ころりと油紙の包みが転がった。スイはそれを拾い上げて、そっと包みを開く。
その中には、くすんだ色の乾いた粘土のようなものがあった。
エリシュカが冷たい声で言う。
「――これはどうやら、阿片膏ね。禁制品よ」
ヨナークがわざとらしく目を剥いて叫ぶ。
「何と!? そんな商品が紛れ込んでいたとは……」
エリシュカはそれを無視して鋭く声を上げる。
「番人!こちらへ来て!この商人の身柄を抑えなさい!」
すぐさま数人の屈強な男たちがヨナークを取り囲んだ。
「この者の荷馬車とまとめて門の向こうへ放り出しなさい」
ヨナークが慌てて懇願する。
「エリシュカ様! 私は何も知りませんでした! きっと仕入れ先の工房に不届きな輩がいただけのこと、うちの商隊は何の関係も……」
それでもエリシュカは冷たい視線を和らげなかった。
「あなたさっき、”うちの職人達”と仰っていなかったかしら? あなた方の商隊は永久に立入禁止と致します。二度と顔を見せないで」
そして踵を返し、一度も振り返らずにエリシュカとスイは倉庫を立ち去った。
♦
その足でエリシュカは商工会館に立ち寄り、先程の騒動を報告し、件の商隊を追放する手続きが済むのを見届けた。会館の使用人が用意した小部屋で一息つく。
「……さっきは助かったわ。あなたが気付いてくれて」
「どういたしまして、私もあんなの初めて見た」
「あの手この手で持ち込もうとするのよね……気が抜けないわ」
エリシュカはふうとため息をつく。
「さっきのエリシュカ、格好良かったわ。泣く子も黙る女主人って感じね」
出窓に腰かけながら称賛するスイにエリシュカは小さく苦笑する。
「そうかしらね」
ほつれた髪の房をさっと整え、エリシュカはスイと向き直る。
「さっき見ての通り、〈ペトラム〉の街を食い散らかそうとする狐狸の類は狡猾な手段を使ってくるわ。それを全て見通す力を持ち続けるには、私には手足が足りない」
スイは頷く。
「だから新しい侍女を雇ったのね」
「そうよ。そしてあなたは、予想よりも使えそうね」
「でしょ?」
スイはにんまりと笑んだ。
「エリシュカは力が欲しいのね。いいわ、私の手足をあげる」
歩み寄って、エリシュカの手を取る。
「やりたいことがあったら何でも言って。叶えてあげるから」
眼の前に立つスイをエリシュカは見上げる。
「……何でも、なんて言っていいのかしら? 汚いことをやらせるかもしれないわよ」
「そんなの平気よ。それに、私の好きな人は、卑劣なことをやるのもやらせるのも嫌いな性格だと思うの」
出窓から差す陽の光に照らされて、スイの輪郭がやわらかに輝く。
その姿はなぜか少しだけ、あの後光差す聖人画を思い起こさせた。
「今日のお仕事はこれでおしまい? もうすぐ夕飯の時間だから帰りましょう」




