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第一章 ♦ 侍女 ④




 夜が更けて、アルベルトが燭台の灯った寝室に入ると、綴織で彩られた上掛けが乗った寝台の上に、寝間着姿の一人の少女がぽつねんと座っていた。


「君は……?」

 首を傾げながらアルベルトは寝台に腰掛ける。

「見た記憶がある顔だね。確か、ククリクの店にいた子じゃなかったかい?」


 いかにも町娘といった風情の少女は頷いた。


「スイといいます。奥様に侍女として雇ってもらったんです」

「へぇ、エリシュカの侍女がなぜここに?」


 スイははにかみながら答えた。


「ええと……夜伽をしろと言われて来ました」


 アルベルトは思わず苦笑した。


「率直だね」

「だめですか?」

「うーん……」


 アルベルトはスイの隣にゆったり胡座をかく。


「彼女は大胆なことを考えるね……まぁ元より単刀直入な人だけど」


 スイがアルベルトの顔を覗き込む。


「お館様はもっと雰囲気が大事な方ですか?お酒でも召されます?お疲れでしたら肩でも揉みましょうか?」


 にじり寄ってきたスイをアルベルトは制する。


「いやいや、一人合点しないでくれ。僕は応えるつもりはないよ……」

「えぇ!」


 スイは目をぱちくりさせる。


「やっぱり奥様とでないと、だめですか?」

「僕のことより、君はどうなんだい。いくら命じられたからといって、よく知らない男の褥に潜り込めるのかい? そんな子には見えないけれど……」

「もちろん、誰でもいいわけじゃないですよ。お館様だからです」


 アルベルトは悪戯っぽく笑う。


「"お館様"の寵愛を得られれば、美味しい思いができそうだから?」

「まぁ!」


 スイは憤慨して腰に手を当てる。


「私はそんな打算で動くような凡人に見えますか!?」

「あはは!」


 あるベルトはこらえきれずに笑い声を上げた。


「もう雰囲気も何もないじゃないか」

「からかうのはやめて下さい!」


 ぷりぷり怒るスイにアルベルトは答える。


「ごめんごめん……エリシュカに何を吹き込まれたか知らないけど、お嬢さんはもう帰って寝るといい」

 そしておもむろにスイに顔を近づける。

「――お土産をあげるから」


 そう言って、アルベルトはスイの柔らかな片頬に軽く唇で触れた。それと同時に、反対の頬をそっと撫ぜ、その手をこめかみに――


「きゃあ!!」


 途端、スイが弾かれたようにのけぞって、支える間もなく寝台から落ちてしまった。

 どすん!と音を立てて絨毯に落下した音がした。

 呆気にとられたアルベルトはスイの様子をうかがう。


「……大丈夫かい?」


 スイは慌ててがばりと寝台に身を乗り出す。


「ちょっとびっくりしただけです……!やり直し……やり直しを……!」


 アルベルトは再び苦笑した。


「君の名誉のために聞かずにおこうと思ってたけれど……閨の経験は全然無いんだろう?」


 スイは悔しげな顔をした。


「うぅ……無いですけど……」

「今夜のことはなかったことにしてあげるから、出直したらどうだい? このままじゃ笑ってばかりで寝るに寝られないや」


 アルベルトの言葉にスイは首をふる。


「これでおめおめと帰ったら、奥様に侍女をクビにされちゃいます……それだけは嫌です」


 ふむ、とアルベルトは考える。


「じゃあ、添い寝だけでもするかい?」


 上掛けの下に滑り込んだアルベルトは、隣の敷布をぽんぽん叩く。


「温石代わりでも、それで面目が立つだろう」


 それを聞いて顰め面をほころばせたスイは、燭台の火を消してから嬉しげにいそいそと隣に寝そべった。


「……では、何か寝物語をしましょうか?」


 スイはアルベルトにそうささやいた。


「何だか子どもの頃を思い出すね。昔話でもするのかい?」

「そう、例えば……」

 星明りに淡く照らされながら、スイは語り出す。

「この世界のあちこちにある鉱脈から採れる宝石たちは、何でできているか知っています?」

「そりゃあ、岩が変じたものだろう。錬金術の話かい?」


 スイはうっそりとほほ笑んだ。


「――いいえ違うわ。地底にある宝石は、古の龍の血が凝ってできているのよ」

 

「……龍って、洞窟の奥で宝物を独り占めしている怪物のことかい? そういう昔話を聞いたことがあるよ」

 スイは小さく首をふる。


「龍はもっと気高い生き物です。でも遥か昔に肉体は衰えて、地層の奥深くに横たわっているの。〈ペトラム〉のみんなが掘ったり削ったりしているのは、そこから染み出した尊い血が硬まったもの……だから美しいの」


 アルベルトはふっと笑った。


「……それじゃあ、僕らは龍の死体を漁っている強欲な盗人たちってことだね。いつか罰が下るかな」

「大丈夫です。龍は定命の者たちがあくせくしている些細なことは、全然気にしませんから」


 スイはほほ笑む。


「些細なこと、か……」

 浮世離れした語りを聞いているうちに、アルベルトはうとうとと眠くなってくる。

「そうやって僕らはあくせくしながら……生きたり死んだりしている……」

「死ぬのは怖いですか?」

「そうだね。でもそれ以上に……」


 温かい褥にまどろみながらアルベルトは続ける。


「……僕は破滅が怖いかな」


 その横顔をスイは黙って見つめていた。


「明日も、平和だといいね……」


 そうして、窓の向こうの星空を眺めながら、二人はいつの間にか眠りに落ちた。



♦♦♦♦



 翌朝、頭領夫妻の居間では朝日が差し込む中、朝食を広げたテーブルでアルベルトとエリシュカがくつろいでいた。


「じゃあ、昨日バルコニーで言ってた話はぜーんぶデタラメってことですか!?」


 二人の眼の前で、朝食を配膳し終えたスイが仁王立ちで憤慨している。


「まぁ、そういうことになるわね」


 エリシュカは茶を一口飲んでから平然と答える。


「何か企んでるんじゃないかとは思ってたけど、何でそんな嘘言ったんですか!?」

「正体を見極めたかったからよ」


 蒸しパンをちぎりながらエリシュカは続ける。


「〈帝国(ローマ)〉か、あるいは近隣諸国の間諜が化けている可能性があるでしょう。実際、候補者の中にはそれらしい子もいたし……」

「間諜なんて、とっくにそこらの通りでうろうろしてるじゃないか」


 豆のポタージュをすすりながらアルベルトが口を挟む。


「街なかにいるのと、侍女としてそばに置くのとは大違いよ。尻尾を掴むなら早いほうがいいわ」

「そのために僕を使ったのか?」


 呆れたようにアルベルトが言う。


「もし女スパイなら、あなたに接近させる機会を与えれば喜んで食いつくでしょう? けど……」


 エリシュカは頬杖をついてため息をこぼした。


「……まさか龍のお伽噺をし始めるなんて……色気がなさすぎてびっくりしたわ……」

「聞いてたんだ。控えの間にいたのかい?」

「まぁ!!」


 アルベルトは肩をすくめて、スイは口をあんぐりと開ける。


「ついでに僕のことも試したのかな?」

「さぁ? どうでしょうね」

「それで、彼女は合格?」


 エリシュカはちらりとスイを見た。


「――そうね。本採用ということでいいわ。間諜にしては言動が面白すぎるもの」


 スイは憤りを込めた深くて長いため息をついた。


「……言いたいことは色々あるけれど、私たち、ほとんど初めましてだものね。信用がなかったのはしょうがないわ。許してあげる」


 スイは腰に手を当てて憤然と二人に言う。


「でも、晴れて正式な侍女になったのなら、これから私は全力であなた達に証明していくわ」

「何を証明するの?」


 スイは胸を張って答える。


「もちろん――愛よ!」


 アルベルトとエリシュカは揃ってぽかんとする。


「愛?」

「私は大好きなあなた達を裏切らないし、困ったときは手を貸すし、危ないときは助けるし、道を間違えそうなときは引き止めるわ」


 スイは優しげにほほ笑んで続けた。


「だから、あなた達も、安心して私のことを大好きになっていいのよ」


 朝の柔らかい光に照らされたその笑顔を見て、二人は不思議そうに顔を見合わせた。


「……やっぱり、変わった子だわ」

「……そうだね」




 第一章 ♦ 終




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