第一章 ♦ 侍女 ②
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一月ほど前のそのとき、スイは野次馬の中の一人としてそこにいた。
とっぷりと日の暮れた夜半、ランプの黄色い明かりが照らす広い共同倉庫の地べたに、四人の痩せて薄汚れた男たちがひとかたまりに集められ、縄をかけられて座り込んでいる。
周りには今夜の倉庫番の者たちがいて、厳しい顔で縛られた男たちを睨んでいる。
ただならぬ空気に野次馬がざわついていると、倉庫の外の夜闇の中から一人の人物が現れた。人々がはっとして口をつぐみ、数人は頭を下げる。
鷹揚に歩いてきたその人は、この〈ペトラム〉を采配している頭領、アルベルト・フヴァータルであった。
アルベルトは座り込む男たちの前で足を止めた。眉が太くおおらかな顔立ちに、がっしりと安定感のある体躯、それでいて程よく力の抜けたような立ち姿。流れる赤毛が灯火の明かりに溶け込んでいる。
彼はそこにいるだけで、周囲の者の緊張を解き、安心させるような雰囲気をまとっていた。
何でもないことのようにアルベルトは倉庫番たちに問う。
「彼らが今宵の盗人かい?」
「へぇ、これで全員のはずです」
「ご苦労さまだね、あとで酒を奢るよ」
「そりゃどうも。その前に、こいつらはどうします?」
「見ない顔だね、流れ者か……」
倉庫番たちは顔を見合わせて笑う。
「〈ペトラム〉の住民は盗みなんかしませんぜ」
「そんな必要ないほど稼いでるもんなぁ」
アルベルトは穏やかな顔で座している男たちに問うた。
「何か言いたいことはあるかい?」
すると、男たちの中の一人がキッと顔を上げた。
「フン、今更じたばたなんてしねぇ。おれが首謀者だ。首でも手足でも切りやがれ!」
その男はふてぶてしく周囲を睥睨する。
「後ろのこいつらは、のこのこ俺についてきた馬鹿どもだ。岩山のどこかにでも放り出しておけばいい」
首謀者という男の背後では仲間たちがしょげた顔をして周囲をうかがい、気遣わしげに彼らの頭目を見やっている。
アルベルトは感心したような顔をした。
「へぇ、なかなか立派な親分だね」
「何ぼさっとしてんだ。あんたが頭領なんだろ。ここのしきたりじゃ、盗人はどう裁くんだ?」
ふむ、とアルベルトは腰に手を当てた。
「我々の法が何かと問われれば、この〈ペトラム〉じゃたった一つだ。――"人を奴隷におとすべからず"」
男は怪訝そうな顔をする。
「はぁ?」
「では、君たちはそれに該当するだろうか。彼らはここへ侵入するときに誰かに暴力をふるったかい?」
それには倉庫番の一人が答える。
「いいえ、見張りの隙をついて忍び込んだらしいっす」
「そうか。そして君の言によれば、君の仲間は無理やりではなく自発的に君を手助けしたらしい。合っているかい?」
「はぁ……」
仲間たちは恐る恐る頷いている。
「なら、僕たちに君等を処罰する謂れはないね」
「いや……そうはいかねぇだろ……」
盗みに入った男たちは困惑していた。
「もし君等が見事に石を盗み出していたら、それを所持する予定だった権利者たちが訴える権利はあるだろう。ここに公証人を呼んできて、訴訟を起こす慣習はある……けどご覧の通り、それは失敗したようだしね」
アルベルトは苦笑した。それを受けて周囲の者たちからも笑い声がもれる。
妙に和やかになりつつある空気を割くように、頭目の男が声を上げた。
「何言ってやがる!〈帝国〉じゃ盗みを働いた奴は即刻縛り首だ!そうでなけりゃ利き手を斬られるかだ!お咎めなしなわけがねぇ!」
「うん……そうだね」
アルベルトはおもむろにしゃがみ込み、男と目線を合わせた。
「――僕の祖父も盗賊だった。だから〈帝国〉の役人に片手を落とされた。それでも彼は盗賊を続けた。片輪になってしまっては、最早まともな仕事などできないからね、当然ながら……」
遠くを見るような目でアルベルトは続ける。
「もし〈ペトラム〉に隠れ住んでカレイズの鉱脈を発見していなければ、僕は今ここに存在していなかったかもしれないね。まぁ何が言いたいかというと、僕だって君たちを裁けるほど大層な人間じゃないってことさ」
男は神妙な顔をして黙り込む。
やがて倉庫の入口から、数人の女たちがやってきた。
「そろそろ縄を解いてやったらどうなの」
先頭のエリシュカが盆を持って歩み寄る。拘束を解かれた男たちにそれを差し出す。
「豆のスープよ。温かいうちに食べなさい」
続いてきた女たちも食べ物の乗った盆を差し出している。
「たいていの盗人は食い詰めたから盗みを働くのよ。どうせあなたたちもそうでしょう?」
平然とエリシュカは言う。
「こんなことをする元気があるなら、ここで鉱夫にでもなればいいわ。〈帝国〉の銀山や銅山よりはずっと歩合が良いから稼げるわよ。やる気があればだけど」
困惑していた男たちは湯気の立つスープ椀を見つめていたが、頭目の男がそれを手に取ると仲間たちも次々スープに口をつけた。
エリシュカは無表情だが、どこか安堵したような顔をしている。
スープをすする音に、涙混じりの鼻をすする音が混じり始めた。頭目の男の目からも、一筋の涙がこぼれた。
「……妻と子が、まだ〈帝国〉の村にいる。連れてきてもいいだろうか……?」
エリシュカはためらいもなく答える。
「構わないわ。畑仕事も家畜の世話も、どこもかしこも人手不足で困っているところよ」
男は声もなく頷き、スープ椀を大事そうに抱えた。
「みんなも、これでいいだろうか?」
アルベルトが立ち上がって朗らかに言った。
周囲の人々は肩をすくめて苦笑していた。
「お館様がそう云うなら、俺たちもそれで構いませんよ」
アルベルトはにっこり笑う。
「今日も平和な一日だったね。もう夜も遅い。みんな家に帰って眠るといいよ」
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「――ああ、そんなこともあったわね」
エリシュカは思い出したようにそう言った。
「はい。あのときに私は、この〈ペトラム〉で一生を過ごすと決めたのです。私が根を下ろすべき場所を、ついに見つけたと思いました」
うっとりとしてスイは続ける。
「それから、お二人の心意気に惚れてしまったんです。もうメロメロです!」
エリシュカは目をぱちくりとさせる。
「二人って……もしかしてアルベルトと私……?」
「はい!」
元気よくスイは答える。
「キレイで、かっこよくて、慈悲深くて、私の理想のタイプがここにいたなんて……しかも二人も!」
エリシュカはふいと顔をそらす。
「別に……アルベルトはお人好しなだけで、私は損得を計ってああ振る舞っただけよ。偉いものではないわ」
スイはほほえむ。
「照れてるんですか? かわいいのね」
「な……!」
エリシュカは当惑したようにスイを見る。
「侍女の募集に応募した理由は、お二人の一番近くにいたいからです。絶対絶対、雇って下さいね! 手先が器用なのだけが取り柄ですけど、きっとお役に立ちます!」
花のような笑顔でスイは言う。
エリシュカは書類を叩きつけるようにテーブルに置く。
「面接は以上です……! 結果はあとで手紙を送るから、今日は帰りなさい」
スイは機敏に椅子から立ち上がる。
「では、失礼致しました!」
スイが部屋から出ていったのを見送ったあと、エリシュカはため息をついた。
「何だか……変わった子だったわ……」




