終章
スイが重いまぶたをゆっくりと開くと、まばゆい光で視界がいっぱいに満たされていた。
――ここは彼岸だろうか……。
目が慣れてると、その光は燦々と降り注ぐ陽光が窓から入ってきているのだと分かった。外は晴天の昼日中だ。
自分の周囲を見渡してみると、スイはベッドに寝かされていた。どうやら頭領の館でスイに宛てがわれた私室のようだ。
そっと身を起こす。身体のあちこちが痛い。寝間着の下には包帯や湿布が巻かれている箇所がいくつかある。けれど骨は折れていないようだ。
それを確かめるとともに、自身の手の変化に気付いた。
爪が黒く変色し、鋭くなっている。指先から手の甲にかけて、皮膚が硬質化してまるで鱗のようになっている。
こめかみにも触れてみた。意識を失う前は髪の毛に隠せる程度の突起だった"角"が、指一本分の長さにまで伸長していた。
「……あらら」
声を出してみると、口の中にも違和感があった。歯の形状まで尖った形に変化している。
鏡を見ないと確信できないが、光をやたら眩しく感じることから、虹彩にも異変があるに違いない。きっと、記憶にある母の外見とそっくりな姿になっているのだろう。
――これが、龍の力を行使した代償……。
一族の女たちから教えられていたことだ。スイが励起した龍の精気は、龍の本領からすればほんのわずかの量だったが、スイの中の龍の血は大いに反応を示したようだ。
それでも、死の危険から生還できたのだから有り難いことだろう。“龍の血族"としてはむしろ誇らしい姿形だ。けれど――
不意に部屋の扉が開き、下女の一人が水盥を持って入ってきた。起き上がったスイを見て驚く。
「お館様! 奥方様!」
そう声を張り上げながらあっという間に出ていった。
そして間もなく、アルベルトとエリシュカが息を切らせて部屋に駆け込んできた。エリシュカは怪我をしているのか、片足を庇って隣のアルベルトに支えられている。
「スイ!」
「目が覚めたのね!」
スイは反射的に上掛けで身体を隠そうとした。だが、自分が救出された際にこの姿はとっくに目撃されていただろうと思い直し、そろそろと膝に手を戻す。
この怪物のような姿を、一族ではない人間たちがどう見るのかは分かっている。二人のために龍の力を使ったことは後悔していないけれど、拒否されたり敬遠されたりしてもおかしくはない。
それでも、〈ペトラム〉に居続けることを許してくれるだろうか……と不安になってきたスイのもとに、二人は駆け寄ってくる。
そしてエリシュカは迷わずスイの鱗の手をとって握った。
「よかった……! さすがのあなたでももう駄目かと思ったわ……」
アルベルトはスイの髪をなでる。
「顔色はよさそうだ。具合はどうだい?」
二人を見て呆けているスイに、アルベルトは怪訝そうに問う。
「どうしたんだスイ、もしかして喋れなくなった……?」
「ううん……大丈夫」
それを聞いてアルベルトは笑った。
「よかった。スイのお喋りが聞けなくなったら悲しいからね」
二人の親密な態度にスイは不思議な思いだった。
「私のこの姿……変だと思わない?」
そう聞いてみると、エリシュカはスイの手に頬を寄せた。
「そう? かっこいいわよ」
アルベルトはスイの顔を覗き込んだ。
「その金の瞳、とてもきれいだね」
スイは何だか急に照れくさくなって、頬が熱くなってくる。
「私もこんな爪が欲しいわ。職人に作ってもらおうかしら」
「何に使う気だい……? あ、そう言えば……」
アルベルトが思い出したように言った。
「君が夜這いしにきて僕のベッドからひっくり返ったことがあっただろう? あれって、僕がこめかみを触ろうとしたからだったのかい?」
スイは頷いた。あのときはまだ自身の出自について教えていなかったから、"角"に気付かれて不審に思われたくなかった。
「あのときは慌てちゃったわ……」
エリシュカがたまらずといったように吹き出す。
「そんな真相だったとはね」
なんてこともない話のように二人は笑っている。
「――それで、君の正体を晒したからといって、僕たちのそばからいなくなるなんてことはないよね?」
「え?」
「そんなのは駄目よ」
エリシュカがスイの手を強く握る。
「スイは今回働きすぎたから、これからは私が目一杯尽くしてあげるんだから」
「僕だって、君が望むなら何だってするよ。君を崇めるための神殿を建てたっていい」
「街中から供物が集まりそうね。でも、それじゃあ私たちだけのスイじゃなくなるわ」
「そうか、それは勿体ないかもしれない……」
「あはは!」
スイは思わず笑い声を上げた。同時に目尻に涙が浮かんだ。これは嬉し涙だ。
「私は、アルベルトとエリシュカのそばにいられたらそれで十分よ」
愛する人たちに受け入れられ、ともに居られるという世にも類まれなる奇跡。それを手に入れられたことを、いつか母に伝えられたらいいとスイは思った。
♦♦♦♦
“龍の守護団"の襲撃から一夜が明けていた。
彼らを退けた鉄砲水は、大通りに開いた大穴だけでなく、各地の井戸や坑道の地下からも吹き出して、街の半分が一階部分まで水没していた。溢れ出した大量の水が全て捌けた頃には、夜が明けていた。
櫓門の占拠者たちは、鉄砲水に呆然としている隙をつかれて全員倒されるか拘束された。ベルナルトは無事に保護された。
住民は建物の屋上や高所に避難していたためにほとんど人的被害はなかったが、水没した跡の始末に苦労することになるだろう。
占拠者たちに殺された鉱夫たちとシモナ、そしてヴィクトルの弔いもしなければならない。
水流の直撃を受けた盗賊たちは、溺れたり岩壁に叩きつけられたことで壊滅し、生存者は一割もいなかった。
ヤナタは果敢にも配下を連れて水没者たちの中を探索し、盗賊団の頭目を見つけ出していた。
"青髭"ジルはかろうじて生き延びていた。抵抗する力もない彼を引きずって、ひとまず倉庫の小部屋に閉じ込めて家畜用の鎖でつないだ。
しばらくして意識を取り戻したジルは、一つのことを嘆願した。
♦
「――そういうわけで、嬢ちゃんに来てもらったんだ」
「私?」
目を覚ましていくらも経たないうちに、スイはヤナタに呼び出されて倉庫に来ていた。付き添いのアルベルトとエリシュカも一緒だ。
小部屋に向かうと、まだ水で濡れている床に悄然と膝をついて座り込んでいる髭面の男がいた。盗賊の頭目らしく、戦いで鍛えられた筋肉で覆われた大きな身体をしている。
スイが姿を現すと、ジルははっと目を見開いた。
「ああ……やはりその面立ち……そっくりだ……!」
スイに向かって手を伸ばすが、ヤナタが手にした棒でそれを制した。鎖がじゃらりと鳴る音が響く。
「お前は何者だ……シンルゥの仲間か……血縁か……?」
スイはぱちくりと瞬く。
「それ、母さまの名前だわ」
「おお……!」
感極まったようにジルが震える。
「そうか、彼女の娘か……何という奇縁だ……今シンルゥはどこに居るんだ……」
「一族の群れに帰ったわ。探す方法はあるけど、絶対教えない」
冷たく返すスイをジルは見上げる。
「俺が……"龍の守護団"を作ったのは、シンルゥを……龍の女を我が物にして守り続けるためだ……。――彼女が捕まらないなら、せめてお前を俺の守護団に迎え入れたい」
ジルは震える声で嘆願した。
「「はぁ?」」
スイの後ろでアルベルトとエリシュカが同時に声を上げた。
「こいつ何様だ?!」
「スイはうちの子よ!」
ジルはそれでも熱っぽくスイを誘う。
「俺はそのためにここまでやってきた……本隊は壊滅したが、まだ潜伏させている分隊はいくらか残っている。隠匿している資産もある。俺のものになれば一生守ってやる……何だってしてやる……!」
スイはふんと鼻を鳴らして腰に手を当てる。
「何言ってるの? 今まで散々ひどいことをしてきたあなたたちのもとになんて、私が行くわけないでしょ」
「そんな……!」
「だいたい、主導権はもうこっちにあるのよ」
スイはジルを見下ろして告げた。
「どうしても私といたいなら、今までの行いを反省して、これからは〈ペトラム〉を守るために働いて罪滅ぼしするのよ。"龍の守護団"から"〈ペトラム〉の守護団"になったらどう? それが嫌なら、ここから永久追放するだけよ」
そうでしょ?とスイは二人を振り返った。
アルベルトは少し考えて答えた。
「確かに……〈ペトラム〉の最大の弱点は防衛力の弱さだ。それを補えるなら申し分ない」
エリシュカも頷いた。
「悪名高い"龍の守護団"が〈ペトラム〉に下ったと世の中に知れ渡れば、それだけで抑止力になるわね」
スイはジルに向き直って問う。
「お許しが出たわよ。さぁどうする?」
ジルは呆然とスイを見上げていたが、やがて、意を決したように己の胸に片手を当てた。
「仰せのままに……我が主」
様子を見ていたヤナタは、呆気にとられたようにスイを見た。
「なんつーか、すげぇな嬢ちゃん……」
アルベルトとエリシュカも頷いた。
「そう、スイはすごいんだ」
「皆がひれ伏すといいわ。いっそ女帝になる?」
スイは二人を見て苦笑した。
「そういうの、柄じゃないわ。私は侍女でいるのが向いているし、好きなのよ」
♦♦♦♦
それから――
〈ペトラム〉の街は少しずつ日常を取り戻していった。
極悪非道の盗賊である"龍の守護団"が〈ペトラム〉を襲撃したところ、天の采配のように水害が起こり、最終的に彼らは〈ペトラム〉の味方となったという噂は各地に伝播していった。
件の水害はある一人の少女が起こしたものだという噂も立ったが、天罰であるという流説のほうが人々が喜ぶ筋書きであったためにあまり流行らなかった。
脅威が去った今、商隊がまた〈ペトラム〉を訪れ、カレイズを買い付けたり商品を売り付けたりするようになった。更に、神の加護を受けた街を一目見てみたいとやってくる旅行者までもが現れるようになった。
〈ペトラム〉に頭領と女主人がいることは、この街に出入りする人々にとって周知のことだったが、彼らの寵愛を受け、付き従って巫女のように助言をする侍女がいることも、徐々に知られていくようになった。頭に角飾りをつけている不可思議な少女であるということも。
――その角が作り物ではないということは、〈ペトラム〉で暮らす住人たちだけが知っている。
♦
もしあなたが〈ペトラム〉の住人になりたいのであれば、身に付けられる以外の財産と地位は全て捨てて、一人の人間として門をくぐらなくてはならない。
そしてこの街のただ一つの掟に従わなければならない。――即ち"人を奴隷におとすべからず"。
そうすれば、何にも脅かされない自由で公平な生活を享受することができ、またそれを守るための礎になることができる。
"山分け"の日がやってくれば、美しい翠色のカレイズが飛び交い、温かい食事と美味い酒を愉しみ、音楽と踊りが華を添える。そしてときには、弦楽器を引きながら唄を歌う少女の声を聴くことができるかもしれない。
旅人が見出した故郷と、愛する者たちにまつわる唄を――
『竜の石 盗賊の国〜侍女の私はお館様と奥方様を愛することができて幸せです〜』 ♦ 終
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