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第四章 ♦ 領土 ⑥

※水害の描写があります。ご注意下さい。



 スイが十五の齢になったとき、母から別れを告げられた。


 我らの一族は、何世代もかけて"龍の石"を集めていた。

 その卵に強大な力があると伝え聞いた為政者たちは、我が物にしようと地面を掘り漁り、見つけた石を宮廷の宝物庫や地下室や、秘密の場所の奥深くに閉じ込めた。

 その力の使い方も知らないくせに、愚かなことだ。


 とても希少な石だから滅多に発見されることはないけれど、この広い世界にはまだ孤独に私たちの迎えを待っている卵がいるかもしれない。

 だから一族の若者は一人前に鍛えられた後、"龍の石"を探す旅に出る責務があった。


――我らの宝を見つけるための手業はすべて教えたからね。首尾よく盗み仰せたら、また私たちのところへ帰っておいで。


 荒野の分かれ道で母は餞別にそう言った。

 そしてこうも言った。


――だけどもし、お前が骨を埋めるに値する国があったなら、そこを故郷にして幸せに暮らしなさい。


 祖母や叔母や、一族の他の女たちは、母のその言葉に肩をすくめた。

 私たちは雌の龍の血が混じっているから、生まれてくるのは皆女なのだ。


――今の時代に、そんな価値のある国はもう存在しない。我らが仕えるに値する国なんて……。

――賢帝はとうの昔に死んだのだから。

――いい男がいたら種をもらって、群れに帰ってくるのが一番いいわ。


 母は反論はせずに薄く笑っていた。

 母もそれを見つけられなかったから、群れに帰って子を産んだのだ。


 そうして、気高い"龍の血族"の誇りを胸に抱いてスイは旅に出た。


 そうして、見つけたのだ。我らにとってこの世で最も尊い石と、この力を捧げるに値する王と女王を。



 街の鐘が再び打ち鳴らされている。住民に"屋上に上がれ"と指示する合図だ。

 坑道へ逃げた者たちも、今頃は上へ上へと登っているはずだ。準備は整いつつある。


 西の空で、沈む陽光の最後の名残が消えようとしている。中天では早くも星が瞬き始める。


 スイは大通りの中間に建つメルクリウス像の下で駆けていた足を止めた。


 〈ペトラム〉の居住区は一見すると平らだが、実際は僅かに勾配がある。今スイが立っている地点が極々低い丘の頂上とすれば、ここから離れるにつれてほんの少しずつ高さを下げていた。


 そして、この大通りは櫓門まで続き、その向こうの岩道にまっすぐ繋がっている。現にここに立っているスイからは、櫓門(やぐらもん)を占拠する者たちが灯した明かりも、岩道が蛇行した向こうから徐々に近づいてくる大群の影も、すっかり見通せた。


 今からスイがしでかそうとしていることにおいては絶好の地形だった。


 スイは己の足元を見つめた。石畳の向こう、地面の下をどうどうと流れる水脈の気配を感じ取っていた。

 両手で包んだ"龍の石"を、恭しく包み込む。そして、そこに眠る精気を励起する。やり方は本能で知っている。

 恐れはない。むしろ、胸の中は歓びでいっぱいだった。


――我らは雀 唄を歌うわ お好きな唄を


 唇から自然と唄がこぼれた。あの酒場の夜の楽しさを思い出すだけで、勇気が溢れ出すようだった。


――お代を頂戴な 麦じゃなくて きれいな銀の小銭をね

 

 "龍の石"も音楽を楽しんでいるようだ。踊るように溢れ出す精気が燐光とともにスイの身体を伝って、地面の下へ下へと降りていく。

 石畳が、内圧に耐えきれずばきりばきりと裂け始める。


――でもほんとに欲しいのは 旅の身空を温める 優しい人が待つ(ねぐら)……

 

 〈ペトラム〉の住民の尊厳を守るために、悩み苦しんでいた優しい二人。ただ手先が器用なだけで、石が無ければただの小娘であるスイを、受け入れ信じてくれた優しい二人。


 賢く美しい彼と彼女のために尽くすことが宿命と悟った私は、世界一の果報者。

 たとえ今すぐ死んだとしても。


 龍の力がもたらす現象は、襲う対象を区別しない。それは石を励起したスイのことも同様だった。事が起きてしまえば、渦中にいる自分はどうなるか分からない。

 だがそれも大した問題ではないだろう。ここを骨を埋めるべき故国と見定めたのだから。


「アルベルト、エリシュカ、ありがとう……大好きよ――」


 スイの足元で、石畳ごと地面が大きく裂ける。ごぼり、とそこから水が溢れ始めた。



 ♦



 "龍の騎士団"は、ついに〈ペトラム〉の櫓門まで辿り着いた。


 手筈通り、格子戸は上がったままになっていた。"協力者"たちはうまくやったらしい。


 ほくそ笑んで馬を進めていたジルは、ふと違和感を覚えて目の前の光景を観察する。


 妙に閑散としている。櫓門の周りに積まれた土嚢の側にも、正面に続いている大通りにも、全く人気が無い。

 やってくる大群に恐れをなして逃げ出したと見ればそれまでだが、悪あがきで足止めしようとする戦闘員の一人もいないのは奇妙に感じる。石弓の矢ひとつ飛んでこない。

 だが隊の進みをすぐさま止めるほどの危機感ではない。


 大通りの向こうへ目を凝らしたとき、ジルははっとして遠眼鏡を取り出した。


「お頭、どうしました?」


 隣で馬を進めていた腹心の男が問う。

 ジルは答えることもせずに、レンズを注視した。


 夜闇に包まれつつある大通りの真ん中に立つ、小さな人影が見える。


 ――女だ。黒髪の東方人。妖精(ニンフ)のように微笑みながら、こちらをじっと見つめている。


「……あれは!」


 ジルが確信を得るのと同時に、女の足元から間欠泉のように水が吹き出し、その姿が見えなくなった。


 それによる振動がこちらまで伝わってきた頃には、その水柱はもはや遠眼鏡も必要ないほど大きくなり、溢れ出た水流は大通りを伝ってこちらへ流れてきた。


 ジルはとっさに馬を止めた。指示を出すまでもなく、獣たちは異変を察知して進軍を止めている。


 水流は正面からだけでなく、通りの左右からも続々と流れ出して本流と合わさり、水かさを増して、あっという間に目前へと迫っていた。その波打つ姿はまるで生き物のように――怒れる龍のように。


 ジルの前にいる突撃隊は大いに動揺して、逃げ道を探して馬の首を巡らせた。岩道の左右は切り立った崖である。来た道を戻る他なかった。


 瞬く間に全隊が混乱した。迫りくる鉄砲水を見た者は慌てて引き返そうとし、状況を把握していない後方の者は前進できずに立ちすくむ。混乱が伝播し、馬同士がぶつかり合って落馬する者もいた。


「どけ!馬鹿共!」


 退却する獣たちの合間を縫って、ジルは無謀にも前進しようとしていた。探し求めていたものをこの目で見つけたのに、手が届かないとは!


 腹心が止める声も聞かずにジルは馬を進めようとするが、すでに水の龍は逃げる者たちの背をその肚に飲み込み始めていた。


「くそが……!」


 喉から出たジルの悪態は、周囲の叫喚にかき消されて誰にも届くことはなく、獣の群れは荒れ狂う水流に押し流されていった。





 暗い坑道を突き進んでいたエリシュカは、突然響いた振動に驚いて足を止めた。


 岩山がわずかに揺れている。どこか遠くで水が轟々と流れる音が聞こえる。

 警戒して周囲の気配を伺ったが、異変が起きてるのは地上の辺りのようで、目指している方向は静まり返っている。道の崩落もなさそうだ。


 介助が必要な住民と共に進んでいたために進行速度はゆっくりだったが、岩山の上に出る脱出口に辿り着くまであと三分の一ほどまで来ていた。

 引き返して何があったか確かめるよりも、このまま進んだ方がいいだろう。


「……行きましょう」


 エリシュカは隣に立つシモナと後ろの住民たちに声をかけ、再び歩を進めた。


「お館様たちは……大丈夫でしょうか……」


 先程の揺れに不安を感じたのか、シモナがつぶやいた。


「きっと大丈夫よ」


 そうエリシュカが答えた。きっとスイが助けになっているはずだ。


「私たちが無事に脱出することをまず考えましょう」


 その言葉にシモナは頷いて、そこからは黙々と歩き続ける――はずだった。


 曲がり角のひとつを曲がったとき、不意に、目の前の暗闇がゆらりと動いた。


 ランプの火のゆらぎによる錯覚かと思ったが、違うと気付いてエリシュカは息を呑んだ。さっと横に片手を伸ばして、連れの者たちに止まるよう指示する。


 間もなく、闇の中から二人の屈強な男が現れる。明らかに〈ペトラム〉の住民ではなかった。揃って冷徹な目をして、傭兵らしき出で立ちをしている。


「――お前がエリシュカだな」


 男の一人が無機質な声で言った。


「……あなた方は誰かしら?」


 エリシュカは彼らを睨みつけながら問う。


「俺たちと来てもらおう」


 問いには答えず男は命じてきた。


「ついて行ったらどうなるの? 殺すの? それとももっと酷いこと?」


 斜め後ろでシモナがびくりと震えるのが視界の端に見えた。


「目的は何? 雇用主は誰?」


 男たちは黙って立っている。余計な口は利かない。やはり玄人だ。

 答える代わりに、二人は静かに剣を抜いた。狭い坑道でも取り回しやすい長さだ。


 隙を見せないよう相手に睨みを利かせながら、どう対処するべきか考えているエリシュカの前に、さっと人影が立ち塞がった。


「――奥方様、行っては駄目です」


 シモナがエリシュカを庇うように立って両手を広げる。


「逃げて下さい……!」


 そうエリシュカに訴えるシモナの背中は震えている。

 やめなさい、とエリシュカが彼女を引き戻そうとする前に、男の一人の片手が素早く動いた。

 何が為されたのか分かるよりも早く、シモナの身体の震えはぷつりと止まり、そしてゆっくりと崩折れた。


「シモナ……?」


 エリシュカの足元に転がったシモナの胸元には、深々と短剣(ダガー)が刺さっていた。心臓を貫かれた少女は、見る間に瞳から生気を失い、エリシュカの目の前で呆気なく事切れた。


 暫時、エリシュカは呼吸を忘れ、背後の住民たちの悲鳴によって我に返った。


「……何をするの!」


 男たちにエリシュカは怒鳴る。


「ついて来なければ、一人ずつ殺す」


 男は無感動にそれだけ告げた。


 エリシュカはほとんど崩れるように膝をつき、少女の亡骸を見つめた。

 スイとともに救った小さな命。こんな目に遭わせるためにそうしたのでは、決してない。

 こみ上げてくる涙は、悲しみや哀れみではない、怒りによるものだ。


「……分かったわ」


 シモナの半分開いていたまぶたを閉じさせ、涙を拭い、エリシュカは再び立ち上がる。


「お、奥方様……」

「あなたたちは、ここに留まって後続の避難者と合流しなさい」

 恐れで縮こまっている住民たちに、エリシュカは指示する。

「でも……」

「私は必ず戻ります。また会いましょう」


 エリシュカは力づけるように微笑んでみせる。そして側にいた者にランプを渡し、堂々とした足取りで男たちのもとへ歩み寄った。



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