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第四章 ♦ 領土 ⑤



 アルベルトとヤナタが櫓門(やぐらもん)に辿り着くより先に、血相を変えた鉱夫の一人が通りを駆けて来た。


「お館様! お頭! 大変だ!」


 全速力で走ってきたのか、ぜいぜいと呼吸を乱しながら二人に取りすがってくる。


「落ち着け、何があったんだ?」


 呼吸の苦しさだけではない悲痛を込めた顔で、鉱夫は告げる。


「櫓門の……格子戸が……降ろせません……!」

「何だって?」

「奴らが、奴らが……お館様を呼べと……!」



 アルベルトとヤナタは櫓門の正面に到着した。

 かの鉱夫が告げたように、門の格子戸は降りていなかった。


「何が起きてんだ!」


 ヤナタが吠える。門の前には数人の死体が転がっていた。様態からして、櫓門の上階から放り投げられたように見える。

 警備隊を始めとした戦闘員たちがこの場にいたが、櫓門から一定の距離を取って取り囲むようにしていた。近づきたくても近づけずに歯噛みしている様子だ。


 上階の狭間窓の一つから、見知った顔がこちらを見下ろした。


「お館様、ご機嫌いかがですか?」


 声をかけてきたのは、エリシュカの侍女のテレザとシモナだった。なぜ彼女たちがこんなところにいるのか。


「この櫓門は我々が占拠しています」


 他の狭間窓の向こうに、武装した男たちが複数いるように見える。


「我々がここにいる限り、格子戸は決して降ろしません。なので、あなた方がどうしても格子戸を降ろしたいなら、ここを攻めるしかありませんけれど――」


 そう言いながら侍女たちは、笑顔を浮かべながら小さな子どもを窓の高さに持ち上げた。


「もし一歩でも櫓門に侵入したら……この子をここから落としますね」


 その子どもは、恐怖にひきつった顔をしたベルナルトだった。


「な……!」


 アルベルトは驚愕で声を失った。ヤナタですら絶句していた。


 侍女たちは慇懃な手つきでベルナルトを窓の縁に座らせる。ここから落下すれば、子どもでなくともひとたまりもない。


「ほら、お父様に声をかけてあげてはどうですか?」


 ベルナルトは震える口を開いたが、何も言えないうちにぽろぽろと涙をこぼした。


「あらあら、可哀想に……」


 その姿を見て侍女たちがくすくすと笑っていた。


「腐れ外道が!」


 ヤナタが上階に向かって毒づいた。

 立ち尽くすアルベルトに苦渋の表情の警備隊長が近づく。


「……お館様、ここは一旦引いて策を練りましょう」


 侍女たちはアルベルトに向かって手を降った。


「ごゆっくりお考え下さいませ。間に合うといいですわね」



 アルベルトたちは、櫓門の脇に建つ小屋の中に集まった。ここは常なら様々な商隊の馬車が格納されていた賑やかな場所だったが、いまはがらんとして夕闇に沈んでいる。


「てめえら一体何してたんだ!? 安々と乗っ取られやがって!」


 ヤナタが激怒して怒鳴り散らす。


「すまない親父……」


 警備隊長はヤナタの息子でもあった。悔しげに顔を歪めて俯いている。


「……鼠には気をつけていた……だから〈ペトラム〉に三年以上住んでいる者だけが上階に登る権限を与えていた」

「そんなに前から鼠がいるわけがねぇ。ここの住民はそう簡単に買収なんてされねぇぞ!」

「そのはずだが……分からない……」

「……あの侍女たちはもっと以前から〈ペトラム〉にいた。結婚前からエリシュカの侍女だった」


 アルベルトは静かにつぶやく。


 うっすらと懸念していたことだった。"龍の騎士団"はもとはただの山賊だった。それが近年みるみる勢力を増してきたのは、奴らの略奪の成果によるものだけではあるまい。

 おそらく奴らを秘密裏に援助して操るだけの力がある、目に見えない大きな敵がいる。それはおそらく――


「……そんなことより、今僕たちは何をすべきかだ。悩んでいる時間はない」


 ヤナタと警備隊長ははっとして口をつぐむ。


 こうしている間にも”龍の騎士団”は接近している。

 門を開けたまま放っておけば当然、奴らは悠々と素通りして街に侵入してくる。すぐにでも急襲して門を奪還し、格子戸を降ろさないといけない。今すぐ実行したとしても、間に合うかどうか微妙なところだ。


「けどお前……くそ……」


 ヤナタはこらえきれないように目を覆った。ヤナタは人一倍ベルナルトを可愛がっていた。


 抱きしめるといい匂いがしたあの柔らかい髪の感触を、何の恐れもなく眠っているときのあの寝顔を、まだ軽さのあるあの足音を、不意にアルベルトは想起する。

 まだ何の業も抱えていない無垢な存在。いずれ成長すれば自分の後を継いで、〈ペトラム〉の住民の命と業を背負う宿命だったはずの存在。だが、それは今この時ではないはずだった。


「ヤナタ……こらえてくれるか」


 アルベルトは血を吐くような思いで声を絞り出した。


「俺なんかよりもお前が……くそ……あの悪魔ども……」

「お館様……!」


 警備隊長が悲痛な声を上げる。


「何か……御子息を救い出す策があるかも……人質交換の交渉をするとか……」

「そんな暇はない。交渉したところで、相手は時間稼ぎをするだけだ」


 手の震えを握りしめることで誤魔化しながら、アルベルトは言う。


「〈ペトラム〉を救うには、絶対に門を閉ざさなければ。もとより、僕はこの戦いで無傷でいられるとは思ってない」


 その場にいる全員が、掛ける言葉もないようだった。静かになると、遠くからの多勢の蹄の音が聞こえてくるような、地面が蹄の踏み鳴らす衝撃を伝えてきているような錯覚がする。


 それがどんなに非情で残酷でも、決断を下さねばならない。


 エリシュカは、きっと分かってくれる。〈ペトラム〉が生き残るためなら命を賭けると二人で誓った。掛けるものが互いの血を分けた者になったとしても……。


 スイは、一緒に苦しみを背負ってくれると言っていた。

 あぁ、今どうしているのだろうか。この切羽詰まった状況では、どんな託宣をしてくれるのだろう。

 女神のように、魔女のように微笑むあの笑顔を今ここで与えてくれるのなら、どんな宿命にも身を捧げよう――


「――アルベルト!」


 その涼やかな声は昏い倉庫に響き渡った。

 アルベルトが驚いて振り返ると、裏口の方から走ってくるスイの姿が目に入った。いつもと変わらない、長いお下げに黒いワンピース姿。

 他の者たちも驚いているから、アルベルトの都合のいい幻覚ではないらしい。


「……スイ?」

「嬢ちゃん!? こっちは今大変なことになってんだ!」


 そう息巻くヤナタを制してスイが答える。


「櫓門の様子は見てきた。状況は大体把握してるわ。人質なんて卑怯ね!」


 憤慨したようにそう言って、スイはアルベルトに向き直る。


「時間がないけど、決めるのはまだ待って。私の提案を聞いてからにして」


 アルベルトは目を瞬く。


「提案?」

「これが見つかるまで迂闊には言えなかったんだけど、間に合ってよかったわ」


 そう言って、スイはポシェットから何かを取り出した。

 その小さな手のひらに乗った小さな卵くらいの大きさの石は、しかし楕円ではなく真円に近い形で、ざらついた灰色の見た目だった。

 その辺に転がしたら、他の砂利石に紛れて見失ってしまいそうな平凡な石に見える。


 怪訝そうにする一同に向かってスイは言う。


「これは、"龍の石"よ」

「……龍?」

「正確には、雌の龍の肚の中にあった受精卵が、化石になったのものね」


 はぁ?と警備隊長は顔をしかめた。


「こんなときに冗談はやめてくれ……」


 スイは動じずに話を続ける。


「卵は龍の精気の塊よ。今〈ペトラム〉にいる者で、この中に孕まれた絶大な力を引き出せるのは、私だけ」


 そして、スイはもう片方の手で、おもむろに自分の分厚い前髪を掻き上げた。


「――これが、その証」


 スイのこめかみには、不可思議な突起があった。髪で隠せば分からなくなるくらいの大きさだが、明らかに人間の皮膚ではない質感の、言うなれば"角"と呼べるような物質が生えていた。


「私の一族には、太古の龍の血が混じっているの。"龍の血族(ドラコニア)"とは、そういう意味よ」

「あぁ!?」



 ヤナタが弾かれたように声を上げた。


「あの伝説の盗賊団!」


 スイは頷いてみせる。


「私の一族が色んな国の宝物庫に忍び込んでいたのは、私たちの宝である"龍の石"を盗むためだった」

「そう……なのか……? いやそんなことを言われても……」


 ヤナタは困惑している。その気持ちは分かる。ただでさえ混乱しているところに、こんな荒唐無稽な話をされても困るだろう。

 けれど、アルベルトはスイをまっすぐ見つめた。


「――僕は信じるよ」

 ずっと、彼女は徒人(ただびと)ではないと感じていた。その感覚の理由がやっと分かった。


「ほんとに神秘的な人だったんだね」

「ふふ、それほどでもないけれど」


 スイは肩をすくめて笑った。


「それで、君が引き出せる力って、一体何なんだい?」

「龍の力は、人間にとって災害のようなものよ。都合よく敵だけ狙ってはくれない」


 スイは真剣な顔で告げる。


「でも、こちらの被害を恐れなければ、あんな悪党どもはまとめて蹴散らしてやれるわ」


 スイは石をそっと握る。


「――この力を使うかどうか、決めるのはあなたよ。どうする?」


 その場の全員が、アルベルトに目を向けた。


 アルベルトはしばし黙考する。理性に従うなら、櫓門を再奪還する選択肢の方が現実的だ。

 だけれど直感では、もう一つの選択肢に全てを委ねることを欲している。己は冷静ではないだろう。だがそれの何がいけない。


「……ヤナタ」


 アルベルトは、信頼を置く老兵の名を呼ぶ。


「もとより、籠城したところで勝ち筋が薄いんだ。その盤面を逆転させる望みがあるのなら、僕はそれを選んで命を賭ける。これはただの山勘だ。お前も賭けてくれるか」


 ヤナタは白髪頭をがしがしと掻いて、苦笑する。


「……お前の祖父さんが、〈ペトラム〉を拓いたときもそうだった。命からがらこの岩山に落ち延びて、洞窟の奥にほんの少しのカレイズを見つけて……なけなしの金を注ぎ込んで開拓すると決めた。お前と同じ山勘でな」


 そして力強く頷いた。


「もう一度、乗っかってやろう」


 アルベルトも頷き返し、スイに向き直る。


「頼む。ぶちかましてくれ」


 スイは純朴な乙女のように、はにかみながら微笑んだ。


「ええ。やってやるわ」



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