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第一章 ♦ 侍女 ①



 岩山に囲まれたこの小さな街にも、春の陽気はやってくる。

 暖かな日差しに包まれた石畳の道に出て、スイは長い黒髪をひとつにまとめたお下げを揺らしながら振り向いた。


「それじゃあ、行ってくるからね」


 スイを下働きとして雇っていた宝飾職人の中年夫婦が、店の戸口に見送りに出てくる。ククリクの店はこの街の大通りに軒を連ねる立派な大店だ。


「スイちゃん、面接がんばるんだよ」

「奥方様に粗相のないようにね」


 二人の言葉に、スイは愛嬌のある顔をにっこり綻ばせる。


「はぁい!」


 仕事着でもある素朴な綿のワンピースをなびかせながら、大通りの先へ踊るような足取りで出発した。

 夫妻はその後ろ姿を見届けながら、顔を見合わせる。


「いい子だけどちょっと変わってるからね……どうなることやら」



 ♦♦♦♦



 スイが暮らしているこの街は、人里離れた岩山の狭間、楕円の形にくりぬかれたようなくぼみの中に存在している。その地形のため古くから〈卵形の岩床(オーヴァム・ペトラム)〉と呼ばれていた場所だ。


 その卵の外殻である岩壁には宝石を採掘するための坑道がいくつも開けられている。カレイズという名の翠色に輝く宝石は、近隣の国々に原石あるいは研磨し装飾した形で売られ、美しい婦人たちの身体を飾っている。

 高値で取引されるこの宝石は、鉱脈が見つかった日からこの荒涼とした岩山に人々を寄せ集め続けて、街をつくり上げるまでになった。

 〈帝国(ローマ)〉の重税を逃れてきた農夫が鉱夫になり、〈都市国(アレクサンドリア)〉の技術者たちが職人になり、〈首長国(バグダード)〉の商人たちが市場を立てて販路を広げた。


 そうして定住を始めた者たちが卵の中心部に家を立て、店を開いて、卵を縦に貫くように大通りができた。通りを端まで行って卵の末端にたどり着くと、各国につながる大交易路に出るための唯一の岩道がある。この道もまた左右を背の高い岩壁で挟まれている。

 〈ペトラム〉の出入り口はそこだけであるため、ここは天然の要塞でもある。


 そして、反対側の卵の突端の部分には、カレイズ鉱山を発見した者たちの子孫であり、現在も〈ペトラム〉を采配している頭領フヴァータル家の館がある。


 ♦


 今日のスイの目的地は、まさしくそのお館であった。

 三代目頭領アルベルト・フヴァータルの奥方、エリシュカが新たに侍女を採用するという報せを聞き及んで、これぞと意気込んで応募し、その面接のためにこうして馳せ参じたのであった。


 フヴァータル家の館は〈ペトラム〉で採れた岩石を積み上げてつくった石造りの重厚な建物である。召使に案内されて応接室の戸をくぐる。

 その部屋は、胡桃材の鏡板で壁を覆い、毛足の長い敷物を敷かれた温かみのある空間だった。その中央には同じく胡桃材の優美な足を持つ丸テーブルがあり、そこで物静かに座っていたのが、スイが会うのを楽しみにしていた人物、エリシュカその人であった。


「どうぞ、そこに座って」


 エリシュカはにこりともせず、目前の椅子を礼儀正しく指し示す。スイはいそいそと椅子に腰掛けて、そっとエリシュカに目を向けた。


 ウェーブのかかった金髪を清楚にまとめ上げ、青灰色の瞳は怜悧な光をたたえ、首元からくるぶしまでを包むクラシカルで美しいラインを描く紫色のドレスを着ている。胸元には大粒のカレイズのブローチが輝いている。水仙のようにすっと背筋を伸ばした流麗な姿形に、スイはしばし見惚れていた。

 エリシュカは手元の書類を見ながら言葉を続ける。


「スイ、というお名前の方で合っているかしら。歳は?」

「十八ですね」

「そう。今はククリクの店で住み込みで働いているらしいけど、それ以前の経歴は?」


 スイは厚い前髪の下でくりくりとした目を瞬かせて、柔らかく言葉を紡ぐ。


「物心ついたときから、流民の集まりの中にいました。そこから独り立ちして、半年前にここの街にたどり着いて、ククリクさんとこで拾ってもらったんです」

「そう……」


 エリシュカが書類から目を上げてスイに問う。


「それでは今回、侍女の募集に応募した理由は何かしら?」


 そう問われて、スイは胸の中の想いが込み上げてきて両手をぎゅっと握り合わせた。


「ちょっとばかり長い話になりますけど、ようございますか?」

「え? ……まぁ、構わないけれど」


 エリシュカは少し戸惑ったようだけれども、先を促した。スイは目を輝かせて身を乗り出す。


「覚えていますか? 一月ほど前に、共同倉庫であったあの出来事ですけど――」


 




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