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第四章 ♦ 領土 ②



 "山分け"の日の夜は一週間の内で最も賑やかだ。

 大通りは群衆でごった返し、どの酒場も満杯で、煌々とランプが灯り、歌い騒ぐ声が表まで響いている。


 〈ペトラム〉で最も古い宿場のひとつであるハサンの宿には、食堂を兼ねた酒場もある。

 多くの住民はもっと新しくて広い酒場に好んで向かうが、ここも今夜は満杯といわずとも賑やかな雰囲気だ。

 アルベルトはカウンターに腰かけて、給仕をしているハサンの妻ナディヤに酒を奢ってもらっていた。


「奥方様も来たらいいのに。まとめて奢るわよ」

 ナディヤが麦酒(エール)を注ぎながら言う。

「エリシュカは酒が苦手だからなぁ……」

「呑まなくたって来てもいいのよ。今は丁度音楽もあるしね」


 少し前に流しの楽団がやってきて、譚歌バラードを奏でていた。

 すでに他の酒場を何軒か回ってきたのか、演奏が(こな)れて熱がこもっている。

 そのとき酒場の扉が勢いよく開いて、小柄は人影が飛び込んできた。


「アルベルト! やっぱりここにいたわね」


 そう声を上げたスイはもう一人の腕を引きながら近づいてきた。


「あれ?エリシュカじゃないか」


 寝起きのような顔のエリシュカがスイに引っ張られて、アルベルトの隣の席に座らされた。


「起きてる?」

「……起きてるわよ」


 あくびを噛み殺しながらエリシュカは答えた。


「せっかく街中が大騒ぎしてるのに、寝てるのはもったいないでしょ?」


 スイは溌剌とそう言った。


「そう言われて引っ張られてきたのかい?」


 エリシュカはアルベルトをちらりと見て答えた。


「……街へ出たらスイが歌ってくれるっていうから、気が向いたのよ」

「歌う?」

「楽しみね」


 いつの間にかスイは楽団に駆け寄って何か話していた。ナディヤがエリシュカに炭酸水を出している間に、スイは楽団から借りたらしき弦楽器(リュート)を抱えてフロアの真ん中に立っていた。


 慣れた様子で弦を弾き、物怖じせずに歌い出す。


――我らは雀 唄を歌うわ お好きな唄を

  お代を頂戴な 麦じゃなくて きれいな銀の小銭をね!


 唄に合わせて楽団が伴奏を始める。ギャロップで走るような軽快なリズムだ。


――我らは(つぐみ) 唄を歌うわ お好きな唄を

  お代を頂戴な 麦じゃなくて きれいな銀の小銭をね!


 愛らしいフレーズを弾むように繰り返す曲に、徐々に酒場の客たち高揚し始め、笑顔で手拍子を打つ。それを幾度か反復した後、おもむろに曲調が変わった。


――でもほんとに欲しいのは 旅の身空を温める 優しい人が待つ(ねぐら)……

 

 最後のフレーズはスイの弦楽器(リュート)手風琴(アコーディオン)がしっとりと締めくくった。余韻も消えぬ間に観客たちが沢山の拍手を送る。楽団のトランクには小銭やカレイズが次々投げ込まれた。


 演奏の興奮も冷めやらぬままに、スイがアルベルトとエリシュカの元へ駆け寄ってきた。


「聴いてくれた?」

「なかなかいいじゃない」


 拍手しながらエリシュカが褒める。それを聞いて得意げな様子のスイが可愛らしい。


「上手いから驚いた。君は音楽もできるのかい?」


 アルベルトの問いに、スイは麦酒(エール)を呷りながら事もなげに答える。


「流民だったときは稼げるなら何でもしたわ」


 酒場の空気が盛り上がっているのを逃さず、楽団は次の曲を奏で始めた。思わずステップを踏みたくなるようなダンスの曲だ。

 何だか楽しくなってきたアルベルトは、椅子から立ち上がる。


「唄を聴かせてくれたお礼に、ダンスのお誘いをしてもいいかな」


 そう言って手を差し出すと、スイの瞳が輝いた。


「もちろん、喜んで!」


 スイはアルベルトの手を取った。アルベルトは妻の方を振り返って言う。


「君もおいでよ」


 炭酸水に口をつけていたエリシュカは訝しげに顔を上げる。


「何?」

「君も踊ろう」

「……三人じゃ踊れないでしょ」

「何とかなるわよ」


 スイは笑いながら答えて、エリシュカに反対の手を伸ばした。二人を交互に睨みつけたエリシュカが、ため息をついて立ち上がる。


 フロアでは三々五々に集った客が思い思いに踊っている。アルベルトはスイとエリシュカと共に手をつないで輪を作った。スイの手は暖かくて、エリシュカの手は柔らかい。

 音楽に合わせてその輪を縮めたり、広げたり、回ってみたり、適当に動いているからお互いに体がぶつかったり、足を踏んだりしたけれど、笑い声を上げてしまうほど楽しかった。スイも、エリシュカでさえもこらえきれずに笑っている。

 その輪舞は演奏が終わるまで続いて、それは刹那の間のようにも、永遠のようにも感じられた。



 それから夜は更け、客がまばらになりつつある中、三人は隅のテーブルで軽食をつまみながらとりとめもないことを話していた。気がつくとエリシュカの手には麦酒(エール)のグラスがあって、それをちびちびと呑んでいた。

 彼女が普段呑まないのは体質の問題ではなく、酔うと喋りすぎるのを嫌がるためだ。今夜は羽目を外す気分になったらしい。


「……私には計画があるのよ」

 据わった目でエリシュカはつぶやいた。

「どんな計画?」

 炒った豆をかじりながらスイが問う。

「〈ペトラム〉の将来について」


 宙を見つめながらエリシュカが答える。


「……私たちの資源には限りがある。この岩山は土が少ないから、精々豆を育てるくらいで農業には向いてないし、カレイズだっていずれは枯渇するかもしれない」


 アルベルトは頷く。


「それに、此処の水源で養える人口は自ずと限られるから、人的資源も有限だ」

「そうよ。じゃあ〈ペトラム〉を維持するために何を殖やすか……」


 スイがにやりと笑って回答する。


「お金ね」

「そうよ。もっと言えば、両替業(アルゲンタリウス)に注力するべき。カレイズで得た財を元手にしてね」


 エリシュカの言葉に熱が入ってくる。


「今は成り行きで集まった両替商たちが幅を利かせているけれど、これからは、私たちが全ての通貨の両替を統括するべき。そして手数料を他国より優遇するわ」

「国を渡り歩く商人たちには両替は必須だからね。優遇措置で多くの商人たちの財産を集められれば、いい財源になるね」

「ゆくゆくは国際銀行を設立して、各国の交易の財をたんまり蓄えた場所にする。〈ペトラム〉を損なえば、各国の商人や資金主を敵に回すことになるようにする。私たちにおいそれと手を出せなくなる。私たちが奴隷にならないために……」


 エリシュカは麦酒を一口飲んだ。


「できれば、ベルナルトの代の間までに実現したいわね……」

「そんなことを企んでたなんて、知らなかったな」

「今……話したわ……」


 語尾を明瞭に言い切らないまま、エリシュカは眠たげに目を閉じた。酔いが回っているようだ。

 スイはアルベルトに目配せしながら言った。


「〈ペトラム〉には女王様もいるわね」

「頼もしいね。彼女に全部任せちゃおうかな」

「うふふ、サボっちゃダメよ」


 テーブルの下で、スイの足がアルベルトの足をつついた。


「エリシュカの計画を進めるためには、やることは山積みだわ」

「そうだね……」


 "龍の守護団"と呼ばれる盗賊団が東の土地から西へと向かってきている。先日も彼らに襲撃され燃やされた村があるという噂が〈ペトラム〉に届いていた。世情に敏感な商人たちは、徐々に〈ペトラム〉から引き上げ始めている。

 それは想定内であるから、随分前から備えの物資を買い貯めているが、盗賊団の進行は予想していたよりずっと早いようだ。対抗する準備を急がなくてはならない。


 何の不安もなく酒を呑んで過ごせる夜は、今夜のあとはしばらくお預けかもしれない。あるいは、永遠に失うことになるか――


 物思いに沈むアルベルトの気を引くように、スイの靴先がまた足を軽く叩いた。


「頭領は皆を信じて、落ち着いて笑っていて。そうしたら皆もあなたを信じるから」


 スイは優しい目でアルベルトを見つめている。

 お返しに、アルベルトも靴先でスイの足をくすぐった。


「……今は、それよりも帰ってゆっくり寝たいかな。エリシュカも眠そうだし」


 行儀悪く頬杖をついていたエリシュカが気怠げに頷く。


「私も帰るわ……」

「じゃあ皆で帰りましょ」


 酒場を出て館への帰路に着く。若干足元の覚束ないエリシュカの両脇から支えるように腕を組んで、三人は大通りを歩いた。

 刻が深くなって、酔客たちの喧騒は大分落ち着いている。夜の闇を柔らかに照らす灯りの群れが、今夜は一層美しく尊いもののように目に映った。


「ねぇ、今夜は一緒に寝ましょう?」

 不意にスイがつぶやいた。

「何だか離れがたいわ」


 アルベルトはスイをちらりと横目で見て、答える。


「……僕の部屋の寝台なら、三人並んでも問題ない広さかな」


 エリシュカは何も言わなかったが、組んでいた腕を少しだけ強い力で引き寄せられた。スイもそうされたのか、くすくすと笑っている。


「全会一致で決まりね、楽しみ!」


 そう言うスイの歩幅が広くなって、つられてアルベルトとエリシュカも歩く速度が僅かに早まる。その勢いに逆らわず身を委ねれば、優しい夜風が三人を撫でるように通り過ぎていった。



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