第三章 ♦ 頭領 ⑥
夜。事故の後始末を終えて、アルベルトが寝室に横たわっていると、静かに扉が開いた。
「あれ、どうしたの?」
「妻が夫の寝室に来ちゃいけない?」
「そうは言ってないよ」
寝間着姿のエリシュカが、上掛けの中に滑り込んでアルベルトの隣に寝転がった。
「今日は大変だったそうだから、添い寝してあげようかと」
「スイみたいに、お話してくれるかい」
「あら、欲張りね」
アルベルトはエリシュカに腕を貸した。その腕に頭を乗せながら、エリシュカは問う。
「――それで、本当に"事故"だったの?」
「そんなこと聞かれてもな……」
「私はその場にいなかったんだから、聞くしか無いわ」
「……何とも言えない。どちらの可能性もあり得る。でも、僕を暗殺したいならもっと手軽な方法があったと思うけど。酔ってるときに階段から突き飛ばすとか」
「……狙いはあなたじゃないのかも。例えば、スイとか」
「え? どうして?」
エリシュカは目を伏せた。
「あの子が只者じゃないと気付いてる者はいるはず……とか、可能性を色々考えてるだけ。混乱を起こしたかっただけかもしれない」
「エリシュカはいつも色々と考えてる」
「今は特にそう。〈ペトラム〉は岐路に立ってるわ」
アルベルトは暗い天井を見上げた。
"龍の騎士団"の噂は毎日のようにささやかれている。脅威の予感はじわじわと確度を増している。
「……スイといえば、今日はあの子に誘惑されたよ」
「あら、どうやって」
「王になれって言われた」
エリシュカはくすくすと笑った。
「いい誘い文句ね。スイは妾姫になるの?」
「いや、黒幕になりたいみたいだ」
「まぁ、それは……倒錯的ね」
エリシュカはひとしきり含み笑いをして、アルベルトを見上げた。
「私は、それでもいいわよ。王妃になるのも悪くはないわ」
「え?」
「言ってなかったと思うけど、私、あなたのことは割と好きなのよ」
アルベルトはエリシュカの顔をまじまじと見た。
「そうなんだ、いつの間に?」
「いつかしらね……初夜のときかしら」
「意外と俗っぽい……」
エリシュカはわずかに目を細めてささやいた。
「……あなたが初めての男じゃないと、分かっても気にしてなさそうだったから」
「何だ、そんなこと」
アルベルトは破顔した。
「いくら君でも年頃に〈帝国〉の首都に三年もいたなら、どんな経験があっても不思議はないさ。ヴィクトルには何にも言ってないから、安心するといいよ」
「それは……そうでしょうね」
エリシュカはアルベルトの頬をそっとなでる。
「だから、あなたになら、スイを半分譲ってあげてもいいわ」
「おいおい……」
「スイがいれば、私達にも勝機がある。あの子はきっと、〈ペトラム〉の守り神になるために来たのよ。そんな気がするわ。メルクリウス様のご加護かしら」
「君まで変なことを言う」
「――そして彼女が求める生贄は、私とあなた」
エリシュカは半身を起こしてアルベルトを見下ろした。
「私は、〈ペトラム〉が生き残るためなら命を賭けられる。あなたは?」
アルベルトはエリシュカを見上げて答える。
「……この地で生まれたときから、そうだ」
エリシュカの金髪がうねって垂れて、アルベルトの額にかかる。
「なら、決まりね。あの子の望みを叶えましょう」
そして彼女は温かい唇で夫に口付けた。
♦♦♦♦
「――どうするか、決めたんだね」
頭領の館のテラスで、アルベルトとヴィクトルは並んで茶を飲んでいた。
「そうだね」
カップを置いてアルベルトは答える。
「辺境伯の申し出は有り難いけれど、丁重に辞退させてもらうよ」
ヴィクトルは小さくため息をついた。
「この、危険が差し迫っているかもしれない状況でも?」
「それでも回答は変わらない」
「……あの子が言ったことに、必要以上に影響を受けているんじゃないのかい?」
ヴィクトルが心配げに友を見やる。
「彼女こそが、"守護団"の尖兵であるという可能性は考えた?」
「うーん……」
アルベルトは唸る。
「何というか、あんまりそんな感じがしないんだよなぁ……」
「曖昧だなぁ」
ヴィクトルは肩を竦める。
「僕には、危険な存在に思えるね」
「取扱注意ではあるよ。君はあんまり近づかないほうがいいかも」
「どういうことだい、それは……」
昼下がりの陽光にアルベルトは目を細める。
「それに、決める前に皆の意見も聞いて回ったよ。ヤナタもラウラもハサンも、他の者達も、自力で戦うことを望んだ。僕らのただ一つの掟……"人を奴隷におとすべからず"を守ることを選んだよ」
ヴィクトルはテラスの向こうにある街の大通りに視線を馳せた。
「そうか……」
茶を一口飲んでヴィクトルは続ける。
「分かった。頭領の……親友の決断を尊重するよ」
「ありがとう」
ヴィクトルは微笑んだ。
「僕だって、〈ペトラム〉で育った住人だからね。出来得る限り、力を尽くそう」
「ああ、頼りにしている」
こんなに空は晴れているのに、〈ペトラム〉の未来は霧の中だ。破滅の恐れは付きまとう。
それを全て受け止めて、自分達の意志で決断し続けるしかない。それが自由ということだ。
そんな修羅の道の向こうで、宿命を司る魔女が少女の貌でにっこりと笑っていた。
第三章 ♦ 終
次の第四章から、毎日2話ずつ更新(8時/18時)になります。




