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第三章 ♦ 頭領 ⑤




 そこは深い縦穴に突き当たる通路だった。


 明かりが届かず視認できない穴底は、岩壁沿いに木材で組んだ足場を下っていけば降りられるが、今はガスが溜まっていて行くことはできない。

 足場は何十年も前に建てられてたもので、安全性に欠けている。


「……報告の通りだね」


 現在この坑道を管理している初老の鉱夫、ミルコにアルベルトは言った。


「こっから下の穴は、他の穴には通じてませんから、この通路さえ塞いじまえばいいでしょう」

「念の為、封鎖の範囲を広げてもいいかもしれない。どうせこの辺はほとんど掘り尽くしてるしね」


 アルベルトとミルコが話し合っている横で、スイが足場の下の方を覗いている。


「下の段に人がいるわ」


 アルベルトも覗いてみると、足場を一段降りたところに四人の鉱夫がいた。


「道具や資材を回収してるんですわ。あんまり深いとこには行かんよう言うとります」


 ミルコが説明する。確かに、通路には回収したと思しき資材の山があった。


「私、手伝ってくるわ」

「大丈夫?」

「軽い人間の方が危なくないでしょ?」


 スイは足先で床板をみしみし言わせてから、軽やかに足場を下っていった。


「回収はほどほどでいいよ。木材がちょっと勿体ないけど、足場もこのまま放置するしかないね」

「そうですねぇ。下の奴らが戻ってきたらそれを最後にしますわ」


 アルベルトは、これで見納めになるかもしれない縦穴を見渡した。


 これから皆を引き連れて穴の外に戻って、封鎖の範囲をヤナクと話し合う。そして速やかに石を積んで穴を塞ぐよう指示を出す。何事も起こらないうちに。そうなると思っていた。


 不意に耳に響いたのは何かの破裂音だった。


 火薬なのか、木が裂ける音なのか判別もできないまま、ミルコに通路の奥へ引きずられた。


 尻餅をつきながら、視界の端に足場の右半分がゆっくりと、しかし容赦なく崩れていくのを見た。


「何だ……ッ!?」


 ついさっきのことを思い出す。右側の足場には、鉱夫たちがいたはずだ。それからスイも――


 通路の端へ取り付いて下を見る。裂けて崩壊した足場は最下層まで落ちていった。そこから足場がバラバラになる音と共に、複数の悲鳴が小さくこだまして聞こえた。遅れて土煙がここまで舞い上がった。


 ミルコや、通路にいた他の鉱夫たちがうめき声をあげる。


「なんてこった!」

「まずいぞ!」


 しばし全員が呆然としていた。ミルコが我に返って周囲を見渡す。


「……左側はまだ立ってる。けど乗るのは危ねぇ。ロープは回収したやつがわんさとある。どこかに結びつけるか……?」

 鉱夫たちもおろおろと動き出す。

「助けに行ってやりたいが……」


 誰もが顔を見合わせた。下層にはガスが充満している。無闇に降りれば救助者も危険に晒される。

 だが、放っておけば墜落者たちの中にいるかもしれない生存者は死んでしまう。


 この状況、似ているな、とアルベルトの頭の中で場違いに声がささやく。一八歳の頃、崖に落ちた父を見捨てて帰る決断をしたあの雨の日のようだ。

 いや、あの状況で父が生き延びたはずはない。だから今回ほど難しい判断ではなかった。今、縦穴の下にいる者たちは生きているかもしれない。


 生存を確認するために呼びかけようとするのを、皆がためらっていた。生きていると確認してしまえば、助けに行く責務を負うか、見殺しにする罪悪を負うか、二つに一つだ。


 苦渋の顔でミルコがアルベルトに顔を向けた。いや、そこにいる全員がアルベルトに、頭領に注目している。どちらの修羅を選ぶか、決めるのは自分しかない。それも今すぐに。


 アルベルトは前方を睨んで歯噛みする。


 合理的に考えれば、これ以上被害を出すことのない選択肢一択しかない。責任は全て自分が負うつもりだが、それでもここにいる者たち全員に、少しずつ業を負わせることになるだろう。かつてのあの日、アルベルトの選択でヤナクに盟友の息子を置いていく悲しみを背負わせたように。


 スイの言う通り、これはアルベルトの宿命だ。それで自分が苦しむのは別に構わないが、周りの仲間たちを否応なく巻き込んでいくのが何よりつらい。


 ふと、眼の前の土煙の中に、何かがちかちかと光っているのが見えた。


 残っている足場の柱の一本に細い紐が巻き付いている。それを固定している金具がランプの光を反射しているのだ。それは一定のリズムで軋んでいる。……登ってきている?


 アルベルトは慌てて下の闇に目を凝らした。紐を伝って小さな人影が徐々にこちらに近づいてくる。


「あぁ……」


 我知らずアルベルトは嘆息した。砂埃を被って白くなっているけれど、見覚えのある黒髪のお下げ――天辺に着く前に顔を上げた彼女は、大声で叫んだ。


「二人、まだ生きてるわ!」


 裂いた布で口を覆っているためにくぐもっていたがよく聞こえた。上にいる者たちがはっと息を呑む。登りながらスイは続けて叫ぶ。


「足場が落ちて空気が撹拌されて、一時的にガスが薄くなってるわ! 助けるなら今のうちよ!」


 その声は天啓のように激しくアルベルトの頭に響いた。

 一秒にも満たない時間で腹を括り、ミルコに顔を向けて命じる。


「――救助しよう!」


 ミルコは力強く頷いた。


「了解!」


 鉱夫全員が一斉に動き出す。

 スイが登頂してアルベルトの元へ戻って来る間に、ロープをつなげて岩壁に固定し、二人が降りていった。他の者たちは引き上げのために待機する。


「落ちたのがアルベルトじゃなくて私でよかったわ」


 登攀するのにつかった紐をポーチにしまいながら、スイは埃まみれの顔で笑った。


「念の為、命綱をつけといて良かった。これからは、お館様はもっと後ろにいなくちゃだめよ」


 見た所、スイに目立った外傷はなさそうだった。ひとまず安堵するが、残りの生存者の救助が終わるまでは気を抜けない。


 スイは”二人、まだ生きている”と言った。あとの二人は、もう手遅れということだ。

 そして、スイはそれを見たということ――父の末期を見ることはなかった母と、どっちが辛いことだろうか?


「私、一足先に外に出ていい?」


 そう提案したスイにアルベルトは頷いた。


「ああ、こんな恐ろしい現場からは離れたほうがいい……」

「そうじゃなくて」


 スイが怒ったような顔をする。


「この事故を外の人たちに知らせに行くの! 応援を連れて戻ってくるわ。道順は覚えてるし、御存知の通り、私は足が速いから」

「ああ……そうか」

「しっかりしてね。じゃないとアルベルトが腰抜かしてたってエリシュカに告げ口するわよ」


 スイの冗談に場違いに吹き出してしまった。無意識にかなり緊張していたようだ。こわばりが解ける。


「分かった。行って来てくれ。頼んだよ」


 スイはにっこり笑い、頼もしい足取りで出口へ走っていった。


 ♦


 その後、二人の生存者を辛くも救出することができた。怪我をしていたが、命に別状はない。


 更に、迅速に行動したおかげで死亡者の亡骸も回収することができた。救助者の中には、ガスを吸って体調を崩した者が出てしまったが、数日内に回復することができた。


 救助を終えて坑道を出たあと、ミルコがアルベルトを拝みながら泣いていた。


「俺は、びびっちまってた……お館様がああ言ってくれなかったら、仲間を見殺しにしてたかもしれねぇ……感謝してもし切れねぇ……」


 アルベルトは首を振る。


「君たちに危険を強いた。感謝される謂れはない」


 その言葉にはミルコが首を振った。


「いや、俺たちはよろこんでやったんだ。俺たちのしたいことをお館様は分かってくれた……」


 アルベルトはミルコの肩に手を置く。


「……僕こそ、君たちには感謝している」



 ミルコが他の鉱夫たちの元へ去ったあと、スイがやってきた。


「疲れただろう?」

「さすがに少し、ね」


 多少は振り払ったようだが、スイはまだ埃まみれだった。アルベルトも似たようなものだったが。


「アルベルトもお疲れ様」

「僕は……大したことはしてないよ」


 精々引き上げ作業を手伝ったくらいだ。


「あなたはあなたの仕事をしたのよ」


 スイは力強く言う。


「みんなそれぞれの仕事をした。だから最善の結果になったわ」

「僕の仕事、か……」


 そういう意味で言えば、アルベルトはずっと保留したままの仕事がある。


「……もっと、頼みにしてもいいんだろうか、皆を」

 そして、そばに立っているこの少女を。

「苦しみを背負わせることになったとしても……」


 スイは瞬きしてから答えた。


「……嫌だったら、走って逃げるわ」

「あはは」

「冗談よ」

 スイはアルベルトの腕に手を置いた。

「少なくとも私は、一緒に背負ってあげるわ」


 もし、ここに人目がなければ、その手にすがりついていたところだ。


 代わりにアルベルトは目を閉じて頷いた。


 ――身を任せてみよう、この宿命に。




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