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第三章 ♦ 頭領 ④



「あなた、ちょっとお待ちなさいよ」


 大通りへ買い出しに行くために館を出ようとしていたスイは、テレザに呼び止められた。


「何ですか?」

「外出するのなら、ベルナルト様のお供をしてくれないかしら」


 後ろにはうきうきとしているベルナルトと困った表情のシモナがいる。


「私が?いいの?」


 テレザが苦々しい顔をする。


「……ベルナルト様は、飯場に行きたいと仰るの」

「ヤナタとあそぶの!」


 ベルナルトが元気よく両手を上げる。


「いつもなら、お館様が連れて行くのだけれど……今日は大事な用事があるとかで、お連れにならなかったみたい」


 シモナがベルナルトに噛んで含めるように言う。


「ベルナルト様。あんな場所は汚いし危ないし、遊びに行くところではないんですよ」

「やだ!いくもん!」


 はぁ、とテレザとシモナがため息をつく。


 なるほど、とスイは察した。

 テレザとシモナは鉱夫たちが集う飯場が好きではないから、行きたくないのだ。でもベルナルトを宥めすかすのに失敗したようだ。


「いいわよ。お遣いはすぐに済むから、私が連れて行ってあげる」


 ♦


 そういうわけで、スイはベルナルトと大通りを歩いていた。


「ベルナルト様はヤナタが好きなの?」

「うん!かたぐるましてくれるから。とってもたかい!」

「それはいいわね!」


 ベルナルトの外見はアルベルトによく似ている。そしてはきはきと喋る利発さはエリシュカに似ている。スイは嬉しい気持ちになってベルナルトに言った。


「私は肩車はできないけど、おんぶはできるわよ。どう?」

「やる!」


 目をきらめかせたベルナルトを背に負って、スイは走り出した。


「しっかり捕まっててね!」

「わ!」


 小路をいくつも曲がって踊るように駆ける。


「はやーい!」


 ベルナルトが背中でけらけらと笑っている。


 そうしてあっという間に目的の飯場まで辿り着いた。

 掘り出したカレイズを運び込む倉庫、食堂の小屋、トロッコや木箱などがひしめき合っている。


 駆け続けて少し汗ばんだスイはベルナルトを降ろした。


「スイ、ありがとう」

「あら、私の名前覚えてくれたの。賢いのね!」


 スイがベルナルトの頭を撫でていると、詰所からアルベルトとヤナタが出てくるところだった。


「あれ? 来たのかい」

「坊主じゃないか」

「ヤナター!」


 ベルナルトが弾丸のように駆けていってヤナタの太い足に抱きつく。


「今日はスイがお供か」

「大事な用があるんでしょう? それが終わるまでここでおちびちゃんを見てるわ」


 アルベルトが坑道の方を見やる。


「旧い坑道を閉めるかどうか検討してるんだ。奥の方はガスが出ていてね。場合によっては第一坑道の殆どを封鎖しないといけないかも」

「それは大変」

「今からヤナタと見に行くところだから。その間ベルナルトはスイに……」

 だが、ベルナルトはヤナタの足から離れようとしない。


「かたぐるま……」


 涙ぐんで大人たちを見上げている。ちょっとあざといくらいだ。


「ははは、俺はもう何度も見に行ってる。現場には他の奴らも待機してるから、お前だけで行けばいいさ」


 そう言ってヤナタはベルナルトを高く持ち上げた。きゃっきゃと笑う子どもを肩に乗せてあやしてやっている。


「しょうがないなぁ……」


 アルベルトは肩をすくめて笑った。


「そういうことなら、私も行ってみたいわ。坑道にはまだ入ったことないの。いいでしょ?」


 スイは片手を挙げて主張する。


「面白いものじゃないよ。老朽化して崩れやすくなってるし……」

「危ないと思ったら、すぐに走って逃げるわ」

「スイははしるのがはやい!」


 ヤナタの上でベルナルトが高らかに言った。


「……分かったよ。じゃあ一緒に行こう」


 ♦


 アルベルトはランプに火を灯し、スイと共に〈ペトラム〉で一番最初に拓かれた坑道に入った。


 旧い穴は新しいものより幅が狭く、奥は深い。おおむね等間隔で天井を支える木柱に取り付けられた松明(たいまつ)はあれど、ここは暗闇が支配する地中の虫穴だ。


 闇を分け入って進むアルベルトの後ろからスイがついてくる。アルベルトは慣れているから臆せず歩けるが、スイもまた恐れていないようだった。

 もし曲がり角から突然怪物が現れたとしても、叫ぶのではなく笑い出すんじゃないかと思わせるような気楽な足取りだ。


 元より、女性とは不可思議なものだけれど、彼女はふわりと地から浮いているように見えるときがある。もちろん、地面に足はしっかり着いているのだが。


「……君は、どこから来たんだい?」


 思わずそんな問いが口から出た。


「どこでもないわ。流民の出だって知ってるでしょ?」

「そうだけど……何だか、森の奥の泉から生まれたと聞いても不思議に思わない気がしてね」

「それどういう意味?」

「神秘的ってことさ」


 スイはくすくすと笑った。


「私にも母さまがいるわ。母さまの母さまもね。私の一族は、歴史があるのよ」

「……流民なのに?」


 アルベルトは興味をそそられてスイをちらりと振り返る。


「――何百年も昔、大陸の東に賢帝が治める国があったの」


 松明の光がスイの瞳をきらめかせる。


「その治世の間は、国は豊かで人々は安寧で……私の祖先は偉大なその人に仕えてた。でも、代替わりしていくうちに、落ちぶれてしまった」


 静かな穴ぐらにスイの声が響く。


「だから私の一族は国を去って、次に仕えるべき国を探して放浪しているの。何百年経った今でもね……」


 それは、かつてスイが寝物語にしていたお伽噺のように耳に響いた。


「それはどうにも……寂しい話だね」

「そうね、でもそれが宿命だから。宿命を悟った者はそれだけで幸せよ」


 あっさりとそうスイは言った。


「そういうものかな」

「そういうものよ」


 坑道は水平方向に広がるだけでなく、上にも下にも掘り進められている。目的の場所は、もっと深い地下の方だ。岩を削った階段を降りたり、はしごを降りたりして先へ進む。それに比して闇はどんどん深くなる。


「……でもそれで言ったら、君はその宿命とやらを達成できていないね」

「そう思うの?」


 スイが不思議そうに聞き返した。


「だって、こんな吹き溜まりみたいな場所にいたって仕方ないじゃないか。ここを出て、宮廷があって立派な国を探しに行くべきでは?」


 あはは、とスイが笑い声を上げた。


「国って、そんな御大層なものじゃないのよ。土地と、民と、王がいればいいの」


 スイが両手を広げ、空気がふわりと動く。


「――ここには全て揃ってる」


 その言葉の意味を一歩遅れて理解して、


「……ここに王はいないよ」


 アルベルトは反駁する。しなければならない。


「僕がやっていることと言えば、その場の空気を読んだり、皆の話を聞いたりして、何かを決めたり決めなかったりするだけだ。あまり格好良くないものだよ」

「それが王の仕事よ」


 スイが優しく言う。


「冠も笏もいらないわ。剣が必要なときはあるけどね」

「敵を殺すため?」

「断罪するかどうかを決めるときのためよ」


 アルベルトはため息をつく。


「……言葉遊びだ。君がどう定義しようとここは国じゃないし、僕は王じゃないよ」


 それでもスイは怯まない。


「これまではそれでも良かったかもしれないけれど、これからは無理よ。だって、私がこの土地を、あなたを選んだから」


 その言葉は何故かアルベルトをぞくりとさせた。


「我らが一族の力を預かりし者が玉座を得る」


 わずかな動揺でランプの明かりが揺れる。


「これがあなたの宿命なの。あきらめて、受け入れて」


 後ろから、小ぶりなスイの手がそっと肩に乗せられる。ただそれだけで、大蛇に巻き付かれたような感覚があった。恐ろしいけれど、身を任せてみたくなるような――


 思わず足を止めてしまう前に、曲がり角の向こうからランプの明かりと話し声がした。





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