8月30日
8月30日、私は宿舎の診察所に居た。
少佐が巣鴨に連れていかれてからなんだか我々軍医は暗い雰囲気だった。
怪我人も死亡者も相変わらず絶えず、外回りに行った日も、宿舎に帰ってからは一緒に遺体を運びだし、焼いた。
私はF軍医と簡易ベッドを見て回ったが、変わらないか酷くなっているかしかない患者を診るだけで会話は全然なかった。
喋らないでいると余計なことを考えてしまう。
F軍医に言われた『軍医の後の仕事』という言葉が胸に突き刺さっていた。
簡易ベッドを診終わったので、外来の患者をF軍医と待っていた。
何人か診た後40代ほどの男性が来た。
「何処が悪いですか。」
目立つ外傷は火傷くらいだった。
男はやけに落ち着いていた。
「いや…皆が行けって言うから来ました。」
F軍医が隣で別の人の火傷を診ながらも、眉を潜めて一瞬此方を見たのが分かった。
「自覚症状は?ありますか?」
「さあ…でも昨夜少し吐きました。ああ、でも大丈夫ですよ。隣の人の方がよっぽどえらそうでしたから。」
「…えらそう?」
私が恐らく方言であろう言葉に戸惑っていると後ろから声がした。
「えらそうはえらいって方言で、『辛い』『しんどい』って意味ですよ。」
Y先生だった。
「今日は随分来るのが早いですね。」
「歩き回って医療品はもうスッカラカンだ」
Y先生はため息をついた。
「先生はもしかして山口の人ですか。」
いきなり男がY先生に話しかけた。
広島と山口の方言は似ていると聞いていたが、えらいというのを使うのは山口らしい。
症状を聞くのに言葉がうまく伝わらないので方言を覚えなければ…と思った。
検査をすると男の白血球の数値が異常に低いことが分かった。
「安静が必要です。入院しましょう。」
そう男に告げると、困ったように笑われた。
「いやいや自分なんかよりもっと酷い人おるけぇ、ええですよ。」
入院を断られた。
『自分は大丈夫』何回聞いて何回裏切られた言葉だろうか。
その言葉にY先生が口を挟んだ。
「君は何故他人と比べる。」
男は少し考えた後
「比べなきゃ、やっとられませんよ。下を見ればまだ自分はマシだと思える。」
「そりゃあ負け惜しみですね。」
相変わらず冷たい言葉を投げ掛ける人だ。
Y先生は私の手のカルテの数値を見ながら男に聞いた。
「昨日便は出ました?何色?」
「え…ええ、お腹下していて黒っぽかったような」
Y先生は鋭い目で男を見抜いていた。
「貴方、自分が助かる側だと思ってるでしょう。」
男は不快そうに目を逸らした。
「…自分はまだ動けてますし、周りの酷い人は皆動けてません。」
「阿Qだな。」
Y先生が言った唐突な一言に患者を診察し終わったF軍医が此方に参加してきた。
「魯迅の…ですか。」
「そう、殴られても"精神的には勝っている"と思い込む男だ。」
隣の患者が居なくなったのでY先生は煙草を吸い始めた。
「現実を直視すると怖くて仕方がない。だから、思う。自分は勝っている…他よりマシだってね」
「それは…それはいけないことですか!」
男が言い返した。
「いいえ?病は気からと言うように精神面で勝つのは大事ですよ。…しかし、それを医者の前で続ければ死にます。」
ごもっともな意見にその場には沈黙が落ちた。
この時代、こんな酷い場所では『自分を騙すことでしか生きていけない』人はごまんといる。
「入院してください。」
私はもう1度言った。
男は悩んだ挙げ句、頷いて看護師に案内されていった。
「…まあ、便が黒かったらもうほとんど助かりませんけど…ね。」
Y先生は平気でこういうことを言う人だ。
「そんなとこまで阿Qと一緒…ですか。」
F軍医がポツリと呟いた。
「そう、自分が負けたと思わず処刑された。」
私は魯迅を読んだことがなかったのでこれまた前のように置いてけぼりだった。
しかし、負けたと思わず処刑されたとは…良いと言えるのだろうか。
Y先生に話を聞けば、阿Qは教養もなく貧しくありながらも『精神勝利法』という方法で自分が上だと思い込むことで自尊心を保っている男だと言った。
結果それが原因で見せしめに殺されるというお話らしい。
「大本営が言っていた『大東亜共栄圏』…『同化政策』だって上にいるという『精神勝利法』なのかもしれませんねぇ」
正直、大声では言えないがそうだと思ってしまった。新聞社が勝った!勝った!と騒ぎ立て、全滅を"玉砕"という文字で彩り、"特攻"を生んだ。
「結局、欧米列強にも並べず貿易から追い出され…この始末なんですからね。…はあ、そして街には阿Qが溢れている。」
『阿Qが溢れている』
この言葉がよく私に突き刺さった。
「じゃあ、Y医師は我々が支那人(中国人)と同じ国民性だと…?」
F軍医が聞いた。誰だって自分の国を悪く言われたら嫌だろう。まあ、Y先生は論理的に話しているだけであって馬鹿にしている訳ではないのは分かった上だが。
「…国民性…っていうのはまた違うでしょうねえ。魯迅が『阿Q正伝』を出したとき沢山の支那人が自分のことか!?と思ったそうですよ。それだけ良くできていたって事です。日本でそうはなってません。」
さらにY先生は続ける。
「面白いのは魯迅は日本に来て文学の道を目指し、『阿Q正伝』を書いたんですよ。明治維新に成功した日本を見て自分の国の変わらない人達に向けて阿Qを書いたんです。」
「じゃあ先程の街には阿Qが溢れている…っていうのは何なんです?」
「注目すべきはそのときの支那も今の我々のように戦争に負けた後って事ですよ。もしかしたらそういった状況では支那だけでなく何処にでも阿Qが溢れているのかもしれませんね。」
そうか…と思った。そして、私はなんとなく軍医の後は精神学も勉強して精神科医になって阿Qの状態の患者を救いたいなぁと思った。
「…なら、我々も阿Qを辞めて動けば…日本はうまくいきますか。」
私はY先生に質問した。私は質問ばかりだ。でもY先生はいつもなにか返してくれる。
「魯迅はそこまで答えを書きませんでしたけどね。だから、アレを面白いという評価はあまり聞かない。ただ、阿Qの一生を書いただけだから。」
そうか…。答えは無いのか…。と思い、少しガッカリした。
「でも、街へ出れば答えが見つかると思いますよ。」
Y先生はそう言うと医療品を包んで、去っていってしまった。
答え…Y先生と街へ行けば見つかるのだろうか。
街へ行きたそうな私をみかねてF軍医が声をかけてくれた。
「今日は患者が少ないし、行ってきなよ。」
私はY先生を追いかけた。
「おや、F軍医と診察所では…?」
「今日は人が少ないのでいいんですよ!」
半ば投げやりな言い方だった。
瓦礫は段々と片付けられ、焼け跡の隙間に少しずつ家のようなものが建っていた。まあ形だけなので屋根はトタンや板切れなどで家というよりは居場所だった。
「皆…たくましいですね…」
「都会者には分からんだろうね、まあ広島も山口に比べれば都会だがね。」
通りを歩いていると小さな影が飛び出してきてY先生にぶつかった。
「御免なさい」
ぶつかったのは女の子で俯いたまま脇を通り抜けようとした。
その瞬間Y先生の手が女の子の腕を掴んだ。
思いの外強い力で私はぎょっとした。
──女の子の手の中に缶詰が有った。
「こんな歳で窃盗か。」
あの一瞬で女の子はY先生から食べ物を盗んでいた。
私はY先生なら子供に食べ物をあげる人だと知っていたので、胸がざわついた。
その時背後から声がした。
「あんた、巣鴨だろう?」
振り向くと、腰の曲がった老婆と赤ん坊を抱えた女性が立っていた。
『巣鴨』…この一言で事態を察した。
この子のお父さんは巣鴨に連れていかれたのだ。
親を失って戦犯の子だと噂されて、彷徨って窃盗をして食いつないできたのだろうと容易に想像ついた。
「うちに来な。どうせ、お母さんも死んだんだろう」
Y先生は暫く黙っていたが女の子を手を離して缶詰をそのままあげた。
「これはやる。」
女の子は怒られるとばかり思っていたのかきょとんとしていた。しかし息をつく間もなく身を翻して走りだし、路地の奥に消えていった。
「愛想が無いねぇ…」
女の人は肩をすくめた。
「まあ、生きてりゃ良いさ。」
老婆がそう言うと、2人…と赤ん坊は私達に軽く頭を下げて去っていった。
「答えは見つかったかい」
いきなりY先生に脈絡の無いことを言われて驚いた。
「え、ああ…阿Qが溢れているって話ですか。」
「そうだ、どう思った。」
私は考え込んだ。
「…確かに、患者を相手にしていると阿Qは溢れているなぁ…と感じましたよ。でも…」
「でも?なんだ?」
「よその子の子供を育ててあげようとしてあげるくらいには他人の事を考えてあげられる人は居ました。」
Y先生は笑わなかったものの、私の意見に満足したような表情を見せた。
「そうだ。人は変わっている…。否、もしかしたら変わっていなかったのかもしれない。…日本人の『精神勝利法』は自己完結できるものなのかも」
Y先生は言い終わる前に煙草を咥えた。
「さっき、赤ん坊も居たでしょう。この辺で吸うのは止して下さいよ。」
「自分の『精神勝利法』は、阿Qのように自分より下の人間を見ることではない。煙草を吸うことだ。」
Y先生は屁理屈を言ったまま歩くのをやめなかった。
丁度さしてきた夕日が目にしみた。




