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無名の国手  作者: よよよ
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8月28日

私はこの日、子供の多くいる民間病院に派遣された。

病院は戦後の混乱にありながらも患者の声や看護師の足音が絶えず、どこか明るい雰囲気さえある。

正直、敗戦したので軍人同様軍医である私も冷たい視線を浴びると思っていたが、そうでもなかった。

医師を求めているのも有るだろうが、軍服を覆い隠すような白衣を貰えたのが有り難かった。


私が訪れた病院は広島市内にあるにしてはかなり綺麗な方であった。病院だからと赤十字を掲げていたのが幸いしたのだろうか。

しかし、後に分かったが別館も有ったそうだがそこは赤十字を掲げていても普通に被害に有ったらしく手の空いた人が建て直そうとしていたらしい。

このような赤十字を掲げていても被害に合うのは珍しくなかったらしく、サガレン(樺太)なんかは特に酷かったそうだ。軍人よりも民間人の方が殺されたらしい。

私は悔しい思いが有ったが、敗戦国になるというのはそういうことなのだ。

ジュネーブ条約とは一体なんであったのだろうか…


戦争は終わったが、軍医ということで国から派遣された医師といっても過言ではない私は人手不足の病院で大いに歓迎された。戦争にも結局参加はしなかったし経験も広島にきてからのものしかないので少し申し訳ない気持ちだった。


診察室に案内されて入った瞬間、思わず目を見開いた。

そこに居たのは金髪で色素の薄い肌、完全にアメリカ人であった。

「貴方がHさんですか。初めまして。Kです。よろしくお願いします。」

完全に見た目は外人なのに日本人並みの流暢な日本語を話したのには頭がクラクラした。

私が驚きで咄嗟に言葉が返せずにいたところ

「せんせーい!」

「Kせんせー!」

子供達が部屋に突進してきた。

K先生と呼ばれる彼の人気は一目で分かるもので、看護師の熱い視線も有った。

「失礼ですが日本語は何処で…?」

「あぁ…私日本出身でしてね。母は日本人。父がアメリカ人なんです。まあ、アメリカの地は1度も踏んだことがありませんけれどね。」

なるほど、と思った。だから日本語が達者なのか。

「これまで苦労されませんでした?」

「戦時中はやはりこの見た目ですから石を投げつけられたことも有りましたけど、ずっとこの病院に勤めていたので院長も看護師も匿ってくれましてね。あと子供達も私に懐いてくれていたもんですから…」

院長、と言われた時にそういえば院長に挨拶をしていないとハッとした。

「すみません、院長さんはどちらに…挨拶をしておかないと…」

「ああ…院長はもう亡くなられてまして…。この病院の1番上は私なんです。まあ英語が話せますから米兵から通訳に呼ばれたりもするもので、その時はO医師が病院を回してくれています。」

恐らく戦争中に亡くなったのだろう…まあいつものことといえばいつものことである。


私が診察室の机に目をやると海外文豪の本が置いてあった。Y先生には申し訳ないが実は私は海外文豪の方が好きで、あまりY先生の話しについていけずにいた。

「Kさんはディケンズをお読みなるんですか。」

「Hさんはディケンズを知ってますか!珍しいですね。」

「いえいえ、此方でもディケンズやチェーホフは有名ですよ。エフスキイほどでもないですけど。」

それから暫く本の話になった。数少ない語れる仲間だ。

「私はピクウィック・クラブが非常に好きでしてね。発音、あっているか分かりませんが…」

「伝わりますよ。イギリスを旅する小説でしょう」

「ええ!1度海外に行ってみたかったんですよ」

本というものは不思議で初めて会った人とも会話が盛り上がった。そして、本はこの暗い現実を吹き飛ばしてくれるものでもある。Y先生にこの事を言ったら、同意はしてくれたが医者は現実を見なければいない…とこれまた現実的に返された。

私はいつか、海外に行ける自由な時が来るのであろうか…。


私達の会話を不思議そうに見つめていた子供達は、診察室の窓の外を見て一目散に目を変え、ドタドタと部屋の外に出ていった。

私達が不思議がっていると

「せんせーだ!」

「Yせんせー!」

と聞き覚えの有る名前が聞こえてきた。

もしや、と思ったところ子供達は再び部屋に突進してきた。Y先生と一緒に…。

「Y先生、子供に大人気ですね」

「それは皮肉かな、H軍医…」

子供達に引っ張られ、連れてこられたであろうY先生は息を切らしていた。

「煙草、やめた方がいいのでは。だから息切れするんですよ。」

「唯の年だよ。年。」

Kさんは完全においてけぼりで…しかし、Y先生に目が釘付けだった。

「は、初めまして。貴方が噂のY先生…」

声が少し上ずっていた。

「…噂になっているんですか?」

Y先生が怪訝そうな顔を隠さずに聞いた。

「子供達が沢山貴方の話をしてくれたんですよ。」

その話を聞いていた私はY先生は本当に街で沢山の人を助けていたんだと実感した。


子供達は看護師さんと一緒に別の部屋に移っていった。

「ああ…紹介がまだでしたね。私はKと言います。よろしくお願いいたします。」

Y先生はKさんの容姿に大して驚いていないようだった。否、どうでもいいとか思っているのだろう。

「どうも。Yです。それでですね。ここにSさんという方来てませんかね。」

Y先生とよく一緒に行動していたのでここに来た理由を深く考えていなかった。人探ししているらしい。

ちょっと待ってくださいね、とカルテを捲り、看護師さんを呼んで事情を説明した。

「あぁ、Sさんいらっしゃいますよ。2歳の娘さんがいる人でしょう?」

Y先生を見ると頷いていたのでその人で間違いないだろう。

部屋に移動途中Y先生が癖で煙草を取り出しかけて、子供に気付いてそのまま仕舞った。いや、子供が居ても居なくても病院では吸わないでくれと思った。


案内された部屋はすぐ裏の別館が木っ端微塵だとは思えないほど綺麗な部屋で、ベッドの上に患者が寝ており、そのすぐ隣で看護師が赤ちゃんをあやしていた。

「あ、先生…」

「調子はどうですか。」

Y先生は淡々としていた。

「はい、あの時先生が言ってくださった通りに気分が優れなくてですね…」

話を聞けば、爆風で家を吹き飛ばされたものの、怪我はなく娘を抱えて逃げていたところ黒い雨にうたれたのだという。

原爆の被害に有った人の主な死因は何個かある。

熱線や爆風で直接火傷や怪我で亡くなった人。

その後の黒い雨にうたれて亡くなった人。

数年後、白血病として再来した原爆の被害で亡くなった人。


案の定、Sさんの白血球の数は通常より少なかった。

しかし、安静にしていれば大丈夫な程度の数だ。

結局Y先生は詳細な症状を言わず、安静にとだけ伝えた。

「先生本当に有り難うございました。」

「貴方がお世話になるのは看護師やK医師達なのですからお礼ならそちらに…」

ペラペラ紙を捲りながら素っ気なく答えるY先生に素直になれば良いのに…と思った。

「先生、よろしければこの子を抱いてやってください。」

Y先生は自分に言われたことを理解しているだろうのにKさんや私を見た。Sさんも苦笑いである。

「Y先生のことですよ」

と私が念押しするとY先生はぎこちなく看護師から渡されたSさんの娘さんを抱いた。

小さい体。温かく軽いだろう。

髪は触るなよ、と伝わるか分からないのに2歳児相手に真剣に言っているのはなんだか面白かった。

赤ん坊はY先生の顔を見て、彼の白衣をしっかり掴んでいた。

「顔を見て泣かないとはな…」

とY先生は自嘲気味に言った。

「佐々木禎子と、言うらしいんですよ。ですよね?」

とKさんが嬉しそうに言った。母親のSさんもええ、と答え命の恩人に抱かれている娘を見て嬉しそうだった。

「……これからの国の宝ですねぇ…」

Y先生は珍しく柔らかい表情をしていたと思う。


それから私は子供達や病院に居た患者を診察して回った。ここは清潔で戦後すぐにしては病院として成り立っていて安心した。

Y先生は暫く子供達に遊ばれていて、KさんはY先生と話をしてみたかったそうだが話す暇なく、Y先生は病院を去っていった。

「戦争は終わりましたからまた話す機会なんか訪れますよ。」

と私はKさんを元気付けた。

しかし、現実は残酷で残った放射能というものはいつまでも被害を残すことをこのときの私は知らなかった。

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