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無名の国手  作者: よよよ
11/11

9月1日

この日、Y先生に会うのは多少気まずかった。

昨日、取り乱してしまったし、失礼な態度で接してしまったと自分で分かっているからだ。


いつもは朝方からY先生は来ないので、油断していた。

まさか、私より先に診察室に腰掛けているやつがあるか…!と思った。

「…なんでまた、今日はお早いので?」

「…少し、用事が有ってね…。」

この時のY先生はなんというか…心ここに在らずという感じであった。

あのY先生でもやはり昨日のような事は気まずいのであろうか。

しかし、またその話題を蒸し返すのは躊躇われた。


なんとも気まずい空間の中、救世主が現れた。

「おや、Y先生今日はやけにお早いですね。」

F軍医だった。

F軍医とY先生の本の趣味が似通っているので、いつもは置いてけぼりの私だが、今回は非常に有り難い。

しかし、私の椅子は返してほしい。


「患者さんでーす!」

看護師の声が聞こえた。

患者が此方に来るより早く、部屋に顔を出してきて

「次の患者さんが、お爺さんなんですけど…

お話がとっても長くてですね…待合で時間を取られましたよ…。」

と言った。

これまた精神科医が必要な患者だろうか。

ならY先生を座らせておいても良いだろうと思った。





そして、老人が入ってきた。

F軍医がY先生の前の椅子を催促した。

Y先生は怪訝な顔でチラリとF軍医の方を見たが、患者の前な手前口論するわけにもいかない。

すると老人は椅子に座るでもなく、隣のベッドに寝転び始めた。

「先生方、死神は見えますかな?」

突拍子もない物言いに、F軍医と私…あとY先生も流石に老人の方を見た。

「…はい?」

私とF軍医は多いに混乱した。

「じゃあ蝋燭は見えますかな?」

F軍医が咳払いをして

「何処か具合が悪いんですか。」

と聞いた。

老人はよっこらせと体を起こしてベッドに座った。

「まあまあその前に話でもひとつ…」

ああ、看護師が言っていたのはこれかと思った。

F軍医がハイハイ…と言いながら診察した。

どうやら熱があるらしい。

しかし、白血球に異常はなく、ただの風邪だと思われた。

「安静にしておけば良くなりますよ。」

「ワシの話を聞いてくれる客達に言われて来たんじゃがのぅ…直ぐに良くはならんか?」

「直ぐには無理ですよ。もうお年なんですから、1週間程はゆっくりしてもらわないと。」

私はF軍医と老人の会話をぼんやり聞いていたが、自分の話を聞いてくれる人を客と呼ぶのはなんだかなぁ~と思った。

老人は診察が終わっても黙るということを知らなかった。

我々がどうしようかとわけのわからない質問をナアナアと答えていると


「『死神』…ですか。」

とY先生がいきなり言葉を発した。

老人がそれを聞くと目を輝かせた。

「おお、先生、話が早い!」

死神…?なんの話だろうか。

「非常に貧乏な男が死神と知り合う噺だ。落語の『死神』知らんのか…?」

Y先生はさも当然と言う風に解説をしてきた。

私の青春時代は軒並み戦時であったため、『贅沢は敵』であった。

勿論、映画も観に行かなかった。

あくまで私は、だが。

そしてここで、この老人は落語を皆に聞かせているのだと気づいた。客、とはそういう意味であったか。

「Y先生は逆に何故そこまで色々な分野にお詳しいのですか…」

「偶々だ。

この噺を作った…いや翻案したのは三遊亭圓朝で…その元の噺を三遊亭圓朝に伝えたとされる人が居るんだが…」

「福地桜痴!」

老人が意気揚々と答えた。

「…そうです。そう…福地桜痴…本名は源一郎ですね。大蔵省に入ったので有名かと思いますが…

彼の出身の長門国の中等学校。

自分の出身地でもあるんですよね。」

「おお!先生は下関の出身ですか!」

下関、と聞くと合点がいった。

日清講話条約(下関条約)が結ばれた場所だと聞く。

「良いですねぇ良いですねぇ…あの頃の我が国は勢いがありました…」

「そうだったらしいですねぇ」

Y先生は綺麗に受け流していた。


「それで…『死神』って言うのは…」

私は気になっていたことを聞いた。

「さっき言った通り貧乏な男が死神と知り合う噺で…」

「その後、死神から教えて貰った方法で医者になるんですよ!!」

Y先生が説明しながら、老人も解説に加わってきた。

「死神が言うには病人の生き死には、病床の傍らにいる死神の位置で決まるそうなんですね。

足元なら寿命がまだある。枕元なら直ぐに死ぬ運命…と言う風に。」

「死神が足元なら呪文を唱えれば死神は消え、病も癒えるという訳でですなぁ…」

そう言うと老人はブツブツと呪文を唱える真似事をしだした。

「それで医者になるってことですか!随分都合の良い医者だ…」

F軍医は呆れていた。


しかし噺はここからが本番だと老人が語り始める。

「金持ちから依頼が来るんだ。

だが、その金持ちは既に枕元に死神が居る…」

「じゃあ、無理じゃあないですか」

「いやそれがその貧乏人は欲が出て、大金ほしさにいけないことをやってしまったのさ。」

老人がおどろおどろしく語るのを他所にY先生はクツクツと笑いだした。

「ふふっ…こんなこと良く思い付いて実行したなあと思うんですがね…。

金持ちの病床をクルッと回したんです。

頭と足が入れ替わるようにね…。

そして呪文を唱えてハイお仕舞い。」

そんなことが許されるのか!と私は思った。

案外緩いものなのか…?

「…しかし、しかしですよ。

これは金持ちの運命と貧乏人自身の運命を入れ換えただけだったんですよ…!」

老人がこれまた熱をもった声で話すので段々聞き入ってしまった。

「死神が寿命が蝋燭として沢山おいてある洞穴に、貧乏人を案内するんです。なんと!貧乏人の蝋燭は死にかけていた金持ちの蝋燭と入れ替わり、今にも燃え付きそうではないか!

しかしね…死神も優しいのです。

この新品の蝋燭に炎を移せれば、お前の寿命はこの蝋燭通りになる…と蝋燭を渡すのです…。」

「…それで、どうなるんですか。」

老人は勿体ぶったように、黙りこくってしまった。

いや…結末が知りたいのだが…。

「これがですね。人によってサゲが違うんですよ。」

「サゲ…?」

「所謂、落ちというものですな!」

老人が答えた。

「元々のお話は結局、火を移す前にフッと消えてしまうんですが…生き残る場合もあれば、移すのに成功した後に消えてしまう…など本当に人各々なんですよ。」

「これだから落語は面白いんですな!!」

老人は笑いだした。本当に話すのが好きなようだ。


「…それで、死神は見えますかな?」

再び老人が聞いてきた。

落語の『死神』を理解しても答えられない質問であった。

私はY先生に期待をした。しかし

「自分には死神は見えませんね。」

とY先生は言いはなった。

果たしてこれで老人は帰ってくれるだろうか。

「医者に見えないなら、貴方は死なないってことです。

まずは病床に伏せるとこから始めなければ…」

Y先生が真剣にそんなことを言っているので老人は笑いだした。

「ワハハ、先生は火を移すのがうまい!」

そう言うと笑いながら部屋を出ていった。

助かった…。正直Y先生が居なければ永遠に老人は話を続けていただろう。


「…元気な方でしたね。」

「あれだけ元気なら大丈夫だろう。」

そう言うとY先生は肘を机について寝るような体勢で動かなくなってしまった。

いや私の席なのだが…。


そう思っていると部屋の外が騒がしい。

看護師や患者が待合の方でザワザワしていた。

F軍医はまさかまた巣鴨行きの人が出たのか…?と少し警戒しているようだった。

少佐の時もこのように騒がしかったのだろう。

すると看護師が入ってきた。

「米軍の医師の方かしら…白衣着た外人さんがいらしていて…」

と我々に相談してきた。

もしやと思い、私達がいる診察室へ入れるよう言った。

予想は的中、K医師であった。

「すみません。いきなり来てしまって…。

病院にばかり居たので忘れてましたが、私は見慣れない容姿でしたね…。」

と苦笑いしながら入ってきた。

F軍医は初対面であったため、K医師が日本語を話すのに驚いていた。

「今日は何か用事が有って来られたんです?」

「そうそう、とある女性からY先生を探すように頼まれていて」

K医師は机に肘をついているY先生を見た。

「忙しい。ここに連れてこい。」

Y先生は肘をついたまま顔をあげずに答えた。

「失礼ですが、その女性は何処に?」

「それがですね、私の居る病院に待っておられるんですよ。」

なるほど、完全に足として使われている!

「Y先生、K医師をわざわざ往復させるのは酷です。遠くないですし、行きましょう?」

私が嗜めると、Y先生はため息ついてよっこらせと動き出した。

「老人みたいな言動しないで下さいよ。」

「君と違って若くないんだよ」

軽口を叩きながらも私達は外へ出た。

F軍医を1人残してしまったが…まあいつものことか。


「貴方とY先生は仲が良いんですね」

「…え?」

いきなりK医師にそんなことを言われて驚いた。

「別に良くは無いですよ…冷たいですし」

「そうですか?貴方の言うことなら結構聞いてる気がしますけど」

Y先生は子供か?と思った。まあ確かにワガママというか私が理解できない事をし出す一面はある。

しかし、案外合理的…否、そういえば煙草が精神勝利法などと屁理屈を言って吸い続けるとんでもない医者であった。

いつも私を待たず、先に歩いていくY先生は私とK医師より後ろを怠そうに歩いていた。

「Y先生…そんなに嫌ですか」

「嫌だね!その呼んでいる女性とやらの目星がついているから嫌なんだ。」

K医師は意外そうな顔をした。

「てっきり、街で助けた患者の1人と思ってましたが…」

「Y先生、ああ見えて結構患者想いで、全員かは知りませんけど、かなりの人を覚えてますよ。」

私がそう返すとK医師はうーん、と困ったような顔を見せた。

「そんな感じには見えなかったんですけどねぇ」

「…?」

一体どんな女性が待っているというんだろうか。


病院につき、病室でも診察室でもない部屋に案内された。

中に居たのは若い女性だった。

思わず魅入ってしまうほど顔の整った女性で、派手さはなく、綺麗に背筋の伸びた佇まいだった。

「…Yさん!お待ちしておりました。」

名前を呼ぶ時、喜びを含んでいるのが分かるほど女性はY先生を待っていたのだと感じた。

Y先生は一瞬眉を潜めたが、直ぐにいつもの顔に戻り

「ご用件は」

とだけ言った。

「お時間をいただいて有り難うございます。

Yさんにどうしてもお礼を言いたくて…」

女性は深々と頭を下げた。

「街では数えきれないほどの人を助けた。

別に1人1人にお礼を言われるほどのことではない。」

そんな言い方しなくても…と思ったが、女性はY先生に慣れている様だった。

その女性の隣に、カメラを首から下げた男が立っていた。

埃まみれの病院には場違いなほど立派な機械だった。

「写真家です。私のお願いで来ていただきました。」

「…写真は撮らない。」

「貴方と、1枚だけ。」

「無理だ。」

「命の恩人ですから…。貴方の知り合いの方とも写って…お写真差し上げますから…ね。」

この時代に自分の写真を残せるのはかなり貴重な機会だ。

しかも私も写真を撮って貰えるとは…。

「Y先生、別に私達はいいですから、1枚だけでも撮って差し上げたらどうですか。」


沈黙を破ったのは女性だった。

「…実は私、もうすぐ広島を離れます。」

K医師も私も、Y先生も顔を上げた。


「……米兵さんと恋仲になりました」


空気が変わった。

「きっと直ぐに私のように米兵さんに嫁ぐ人が増えると思います。彼らはお金を持ってますし、食べ物も勿論私達には無いものを持ってます。」

女性は淡々とした口調で続けた。

「でも、それだけで行くのではありません。

彼は本当に優しい人です。大事にしてくれてます。

私がここに残っても穀潰し、家族に迷惑がかかるだけです。私も幸せですし、家族も幸せなんです。」


この頃、呼称はなかったが、こういった風に様々な理由で米兵に嫁いだ女性達を『戦争花嫁』と言った。

1946年には法整備まで行われ、多くの女性が渡米した。

これは日本だけではなく、ドイツなどどの敗戦国でも見られた。

渡米した先で幸せになるかは人各々で、ほとんどは差別という厳しい現実が待っていた。


「…良いでしょう。撮りましょう」

Y先生が観念したように言った。

「本当ですか…!」

「しかし、K医師とH軍医も後で入れて撮って渡してやってくれよ。自分1人では不公平だ。」

恐らく、Y先生は『恥ずかしい』のでその気持ちを我々に公平にあじあわせてやると意気込んで言ったのだろうが、私達は一緒に撮って貰って良いのですか!?という感じであった。


病院に綺麗な壁は少なく、かといって外は瓦礫なので一昔前の壁掛け電話がついている場所を背景に2人は写真を撮った。

さて、次は貴女方ですよと女性に私とK医師は背中を押された。

Y先生を挟み込む形で立たされた。

「アレ…貴方は写らなくていいんですか?」

私達男3人のみが立たされて、女性は写真家の隣に立ち、此方をニコニコ見ていた。

「私は良いんですよ。この写真は貴女方への贈り物ですから、私が写っては野暮な物でしょう?」

シャッターがきられた。

写真家は直ぐに現像すると言って部屋を出た。


部屋には4人だけが取り残された。

Y先生は唐突に聞いた。

「本当に好きで、ついていくんですか?」

女性は言葉を一瞬失った。しかし

「……酷い人」

と言って少し笑った。

「後悔はありません。彼は、本当に良い人です。」

私は彼女が『良い人』『優しい人』と言うのは聞いたが、『好きな人』とは言わなかったので本心は"そういうこと"なのだと察した。

そしてそれを表すかのように彼女の瞳には泪がいっぱい溜まっていた。

落ちないように必死に保っていた。


「では、現像出来たらH軍医か、K医師、持ってきて下さい。」

そう言うとY先生は踵を返して帰ろうとした。

「待って下さい。」

女性が1歩踏み出した。

「最後に…抱擁させてください…。」


Y先生が立ち止まり、少し考えてから言った。

「煙草臭いですよ。」

「構いません。」

女性は迷いなく抱きついた。

短い抱擁だったし、Y先生は抱き返すこともなかった。

彼女は泪を袖で拭い、背筋を伸ばした。

凛とした顔だった。

こういう人を"大和撫子"というのだろう…。


そして空気を読めない私でも…K医師も感じたようだった。


──きっと彼女はY先生のことが好きだったのだ。


これから彼女に訪れるであろう苦難を思うと、酷く静かな悲しみが胸に残った。


しかし、同時にY先生に"女性ができなかった"ことに何処か私は安堵してしまっていた。

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