曲解の果ての赤い糸
婚約破棄、断罪ストーリーを和風テイストで書けないかと思い書いてみた作品です。
戦がなくなり、これからは、武芸ではなく、財務こそが藩の行く末を左右すると考えた藩主・松木飛騨守は、筆頭家老(竹田家)の三男・竹田三郎衛門と、勘定奉行・梅村安兵衛の御息女・りつとの婚約を、評定の場で正式に発表した。
◇◇◇
婚約者発表から数日経ったある日のこと。
藩命とはいえ、一方的な縁組にむしゃくしゃし、当てもなく町を歩く三郎衛門のもとに、「きゃー! 御無体はおやめください。誰かー」と助けを求める声が聞こえ、声の方向へ駆け出した。
そこで見たのは、ならず者たち三人に囲まれて絡まれている、ゆきの姿であった。
駆けつけた三郎衛門が、
「貴様ら、天下の往来で何をやっている。女子供を誂って何が楽しい。力を持て余しているなら俺が相手してやるから、三人まとめてかかってこい」と一喝した。
三郎衛門の家紋に目をやるごろつきが、
「この若侍、御家老の一門衆か。相手にしても面倒なだけだ。引くぞ」と小声で仲間に囁く。
「覚えてやがれ」と捨て台詞を吐き、逃げ出すごろつき達。
「お侍様、この度は、危ないところをありがとうございました。越後屋の娘、ゆきにございます」
「大丈夫か? ゆき殿に怪我はないか。拙者は、竹田三郎衛門と申す」
「三郎衛門様、ゆきは本当に恐ろしゅうございました。でも、三郎衛門様が助けてくれて……本当に助かりました」
窮地を救ってくれた若侍に一目惚れし、白い肌を赤面させ、潤んだ瞳で見つめながら、何度も何度も感謝の言葉を口にするゆきであった。
「三郎衛門様、日を改めて、本日のお礼をさせてもらえませんか?」
お礼をきっかけに、幾度か逢瀬を重ね、町を散策し、他愛もない会話を交わす二人。
何気ない日常の中で、いつしか三郎衛門の心の天秤は、藩命で定められた未だ人となりを知らぬりつより、可憐で庇護欲をそそるゆきに大きく傾いた。
◇◇◇
ゆきの父、廻船問屋の越後屋は、ゆきが最近外出がちであることを気にかけていた。
「番頭さん、このところ、ゆきがよく外出しているが、何かきいているかい?」
「へぇ、何でもお嬢様に良い人が出来そうだと女中が話していました」
「悪い虫でないといいがね。番頭さん、ゆきに直接話を聞いてみるから、部屋に呼んでおくれ」
「はい、旦那様」
越後屋が部屋で待ち始め、しばらくすると、
「ゆきです。おとっちゃん、何か御用ですか?」
「お入り。単刀直入に聞くけど、ゆき、お前今想い人がいるのかい?」
「もう、おとっちゃんの耳にまで届いてるの。私の想い人は、竹田三郎衛門様。三郎衛門様もゆきのことを凄く大切にしてくれてるのよ」
「なんだって。竹田三郎衛門様と言えば、御家老様の御子息の三郎衛門様かい?」
「そうよ。町でならず者たちに絡まれたところを助けて貰った御縁でね。おとっちゃん、私、今凄く幸せなのよ!」
(あー、なんということだ。ゆきは、事の重大さ、危険性を全く理解出来てない。何故、家老の倅とはいえ、勘定奉行の御息女と婚約している男と恋仲になるんだ)
娘の危機感のない姿を見て、越後屋はゆきの片頬を平手で打つと、
「ゆき、目を醒ましなさい。家を潰す気ですか。その仲だけは絶対に認めませんからね」
「おとっちゃん、三郎衛門様とゆきは将来を誓いあった仲なんだから。なんで……」
「もういい。番頭さん、ゆきは当分の間、外出禁止です。手代、女中に言って奥の部屋から出ないよう見張らせておいてください。早く連れていきなさい」
(はぁー、金の強みを未だに知らないはまだしも、筋の通し方も知らず、思慮までも浅いときたもんだ。うちにとっては疫病神みたいな御仁ですね。明日にでも御家老様にご報告とお詫びに伺わないといけない)
ため息をつきながらも、冷静に次善策を見極める越後屋であった。
他方、蝶よ花よと育てられてきたお嬢様であるゆきには、怒り心頭で手を上げた父の変貌に戸惑うばかり。
「おとっちゃんは、急にどうしたのかしら? 外出禁止なんてあんまりだわ。明日朝も三郎衛門様と待ち合わせなのに、どうしましょう」
◇◇◇
翌朝。
「遅い、遅すぎる。なにかあったのではないか?」
待ち合わせの刻限を半刻過ぎてもゆきが来ないため、しびれを切らした三郎衛門は、ゆきが急な病やもしれぬと越後屋を訪れることを決意し、越後屋に駆け出す。
その頃、越後屋では、
「番頭さん、御家老様にご報告とお詫びに参りますから、後のことは頼みましたよ。あと、くれぐれも、ゆきを外に出さないように宜しくお願いしますね」と、越後屋が外出。
越後屋が出掛けて間もなくして、息を切らした三郎衛門が越後屋に到着した。
「越後屋、ゆき殿は大丈夫か。約束の刻限に待ち合わせ場所に来ないため、心配で見に参った」と店頭で大声で騒ぎ出す。
何事かと店頭にやってきた番頭は、
「竹田三郎衛門様でございますか。旦那様は現在、所用のため不在です。また、旦那様より、ゆき様への取り次ぎは相成らんと命じられております故、何卒、今日のところはお引き取りくださいませ」
「何故、ゆき殿に会うことが許されぬのじゃ」
「旦那様のお申し付け故、私には詳細は分かりかねますが、平にご容赦を」
「貴様では話しにならん。ゆき殿と直接話をさせろ」と、強引に奥に上がり込もうとする三郎衛門。
「なりませぬ。今日のところはお引き取りを」と必死に抑える番頭さん。
その時、ゆきの部屋では、
「あの声は三郎衛門様。私をお迎えに来てくださったのね」と歓喜するゆき。
「いけません、お嬢様。旦那様より、外出を控えるよう申し付けられておりますので、お部屋に留まりください」と、ゆきを留めようと必死な女中たち。
「嫌です。おとっちゃんも、邪魔するみんなも大嫌い。なんで分かってくれないの。三郎衛門様、ここです。ゆきはここにおります」と大声で叫び出す始末。
「ゆき殿、某はここだ、今参るぞ!」と、番頭さんを振り切り、ゆきのもとに駆けつける三郎衛門。
「その方たち、なぜゆき殿を押し込めるような真似を」
「三郎衛門様、昨日からおとっちゃんの態度が一変して、一切の外出はまかりならんと。優しいおとっちゃんが私に平手打ちをするなんて今まで一度もなかったのに、どうして……」
ゆきの言葉を聞き、三郎衛門の頭に、ハッと一つの構図が閃いた。
「ゆき殿、すまない。これは、某のせいだ。勘定奉行が、職権で越後屋に圧力をかけたに違いない」
「三郎衛門様、私はもう、この家に居とうございません。三郎衛門様のお側においてください」
「某の気持ちもゆき殿と同じだ。これより勘定奉行に直談判し、決着をつけにいこうぞ」
「はい」と、三郎衛門はゆきを越後屋から連れ出し、勘定奉行邸に向かうのであった。
◇◇◇
勘定奉行の差し金と曲解した二人は直談判のため、勘定奉行邸に、三郎衛門がゆきを伴い、突然の訪問。
「某は、竹田三郎衛門。勘定奉行を出せ。話がある」と勘定奉行邸の門前で叫ぶ三郎衛門。
下男からの竹田三郎衛門の突然の来訪を知らされた勘定奉行・梅村安兵衛は、渋々ながら広間の上座に通すように指示を出す。
騒ぎに、りつは、
「父上、あれが竹田三郎衛門殿ですか? 両家の顔合わせの前に、妾同伴で突然の来訪など、我が梅村家を愚弄するにも程があります。私の薙刀で一刀両断にして見せます故、何卒、御下命を」
「逸るでない。事の次第によっては、梅村家一族郎党に罪咎が及びやもしれぬ。それ故、この件は儂に任せろ。まして、あの両人を切り捨てる価値があるか。ないであろう。りつ、そなたは控えておるのじゃ」
りつをたしなめ、勘定奉行・梅村安兵衛は、三郎衛門とゆきの元に向かうのであった。
未だ怒り心頭の三郎衛門は、開口一番「遅いぞ、何をしておった」と挑戦的な発言。
しかし安兵衛は、何事もなかったかのように、
「三郎衛門殿、突然の訪問故、お出迎えの準備も碌に出来ておらず申し訳ございませんでした。両家の顔合わせは、来月の吉日と伺っておりましたが、何かございましたか」
その言葉に三郎衛門は激昂し、
「貴様、この期に及んで白を切るつもりか。某とゆき殿が真実の愛に目覚めたことが気に食わず、貴様らは、ゆきの生家の家業に圧力をかけるとは、武士にあるまじき所業。故に、婚約は破棄する」と一方的に三行半を宣言した。
「三郎衛門殿の言い分は承知した。しかしながら、ゆき殿の生家とはどちらの商家でしょうか?」
「何を白々しい。廻船問屋の越後屋の娘ゆき殿を知らぬと。外出禁止させるよう圧力をかけておった癖に」
「なるほど。(越後屋は聡い御仁だな。至極真っ当な対応をしているが、親の心子知らず、あの二人には理解できていないようだな)越後屋殿は、藩命を知り、藩に配慮されただけであろう。しかし、若いお二人には不便をかけた」と、頭を下げる安兵衛。
「既に、三郎衛門殿の御心がゆき殿へ傾いているなら、婚約破棄に、梅村家は異存ございません」
この言葉に破顔の笑みを浮かべる両名。
更に「然しながら、三郎衛門殿。御殿様、御家老様に申し開きするため、婚約破棄の経緯を、誓紙として一筆したためていただけますか。勿論、お手間をおかけした謝礼、未来ある若人への御祝儀として、五十両お渡ししましょう」と伝えると、喜び勇み、筆をとる三郎衛門。
「ゆき、これだけあると江戸にいけるな」
「三郎衛門様と江戸に物見遊山に参れるなんて、ゆきは幸せです」と小声で囁きあう二人。
「梅村殿、花押も入れたが、内容に相違ないか」と、誓紙を安兵衛に手渡す三郎衛門。
「では拝見仕る。……内容に問題ありませんな」
「では、早く御祝儀を」と浮ついた両名を冷めた目で見つめた。
そして安兵衛は、冷酷に家中の配下に向かい、「藩命に背きし、この痴れ者二人を束縛せよ!」と大声で指示。
しかし、襖が開いた瞬間飛び出してきたのは、鬼の形相をし、たんぽ槍を振るうりつであった。
何か言いたげな三郎衛門の喉元を一突きにし、そして素早く槍を引くと、続けざまに、ゆきの背中めがけ、たんぽ槍を強振し、またたく間に二人を制圧。
「二人を猿轡のうえ、簀巻きにして座敷牢へ入れておきなさい。……まずは、御殿様に、この誓紙と独断で婚約破棄した痴れ者を拘束した旨をご報告するため、側用人・田之倉様宛に書状をしたためる故、至急、お届けせよ」
書状をしたためたのち、家人に、万が一邸宅を明け渡すことになるかもしれぬため念入りに清掃を申し付け、勘定奉行と奥方、りつの三人は、仏間にて白装束で、藩主の沙汰を待つことにした。
◇◇◇
側用人・田之倉様より、
「御上意である。今回の婚約は一切合切破棄とする。また、竹田家、梅村家、越後屋は罪に問わない。ただ、痴れ者二人の処理は藩に一任するように」とのお沙汰が。
「まさか、白装束で出迎えられるとは思わなんだぞ、安兵衛」
「喧嘩両成敗でお家断絶まで覚悟してました故に。決着して何よりでございます」
◇◇◇
明くる日未明、川には小指に赤い糸を結びつけた相対死した、三郎衛門とゆきの遺体が浮かんでいた。
この相対死は、後日、劇作家の手により「身分差を超えた真実の愛のための、儚き心中事件」として、後に大人気の浄瑠璃演目になるのは、また別の話。
完
カタルシスが即物的でなく、政治決着の感が強い作品となりました。
貴重なお時間を割いて、読了頂きありがとうございました。




