あなたの真実の愛に従って
セシーリアの生まれ住む伯爵邸に、父に連れられ新しい家族がやってきた。
ちょうど十年前、それは薄暗い昼下がりのことで、そして母が亡くなってまだ喪も明けぬ冷たい雨の日だった。
「ご挨拶しろ、セシーリア。お前の新しいブレンダお継母様と、今日からお前の可愛い妹になるバーバラに」
「…………お継母様? ……妹?」
八歳のセシーリアはまず父の声に顔を上げ、それからその新しい家族に視線を向けた。
玄関ホールにたたずむ見慣れぬ母娘がいて、それはブレンダとバーバラという名らしい。
ブレンダお継母様は、セシーリアの亡くしたソフィーアお母様とは全然似ていない、ツンととがった鼻先が強気な印象を与えるご婦人だった。
そして隣でご婦人の肘にすがる可愛い妹バーバラは、たしかにブレンダとよく似た目鼻立ちをしていた。でもそれ以上に、セシーリアの父シェルマン伯爵によく似ているように見えた。
事態を飲み込むのに手間取って、それから一拍遅れてセシーリアは口もとを押さえながら「……あ!」と思わず小さく声を漏らした。
異母妹バーバラの瞳が、綺麗な金色だったからだ。
セシーリアの反応に満足したように、父が頷いて言った。
「バーバラは生まれつき金色の瞳、つまり聖女の証を授かって生まれた子だ。我が家の繁栄は、これで約束されたも同然。わかるな、セシーリア? 姉として、お前の全身全霊をもって可愛い妹バーバラを支えなさい」
それから十年がたった。
セシーリアはもう十八歳で、これまでの出来事からたいていのことを理解し、そして諦める癖が付いてしまっている。
父シェルマン伯爵の予言通り、この十年間はただただ可愛い妹バーバラを支え続けるためだけの日々だったのだ。
一つ下の異母妹バーバラはたしかに生まれつき金色の瞳をしていて、それはこの国で聖女の証とされる。
伝承の多くに、かつて国を救った聖女は金色の瞳だったという言説があるから。
おかげでバーバラは周りからいつも聖女として扱われ、常にチヤホヤされてきた。
父としてはもっと早くから聖女バーバラの存在を社交界にアピールしたかったのだろうが、さすがに当時の愛人ブレンダとの間にこしらえた子とあって、病弱な先妻が都合よく早逝してくれるまではそうもいかなかったらしい。
なんにせよ現在では、聖女を擁する名家としてシェルマン伯爵家の社会的評価は高まる一方だ。
実のところ、バーバラには言い伝えにあるような聖なる力など何一つ使えはしない。
それどころか、ずっと特別扱いされることに慣れきって内実の伴わない傲慢強欲な令嬢に育ってしまった。
もちろん、外面だけは聖女らしく可憐に振る舞うのだが。
いわゆる「名ばかり聖女」である。
次女バーバラが聖女をうたっている以上、シェルマン家にはその聖なる力を貸してほしいという依頼がこれまでに大なり小なり寄せられ、その件数はけして少なくはなかった。
ではそんな依頼のすべてに、いったい誰が応じてきたのか?
むろん、それは長女セシーリアだった。
――あなたは特別な力を持ってるわ、セシーリア。生きとし生けるものを真実の愛で癒す、「聖なる祈り」の力よ。
幼き頃、セシーリアの秘めた力を真っ先に認め、ギュッと抱きしめながら褒めたたえてくれたのは亡き母ソフィーアだった。
傷んだ植物の茎を両手に包んで治したり、庭へ迷い込んだ手負いの小鳥のために祈りを捧げ元気に羽ばたかせてやったりするセシーリアの姿を、母ソフィーアは亡くなるほんの少し前までいつも優しく見守ってくれた。
――自分の力をたいせつになさい。セシーリア、どんなことがあっても、ただ、あなたの真実の愛に従って。
それでも幼いセシーリアには、母の命を奪う病までは癒してあげることができなかった。
そして十年がたったいま、亡き母ソフィーアの残してくれた言葉にさえ自分は背いてばかりだ。
セシーリアが従ってきたもの。
それは、家長である父シェルマン伯爵とその新しい家族に過ぎない。
「金色の瞳を持たぬ女が特殊な力を使えたところで、世間では聖女どころか魔女扱いされるのが落ちだ。もう嫁の貰い手も付かんだろう。わかるな、セシーリア? お前の生きる道は、影の存在として可愛い妹バーバラを支え、その『聖なる祈り』でこの家に尽くすことのみだ」
「そうよ、聖女の資格を持っているのは私の可愛い娘、金色の瞳のバーバラだけよ。わかったらお前はさっさと祈りを続けて。その辛気臭い顔、見てるだけでうんざりだわ、セシーリア。自分の方が偉いとでも思っているんでしょう? バカにするんじゃないよお前、このっ」
「どうしてそんなに暗い顔をしているの、セシーリアお姉様? 少しは私の可愛さを分けてあげたいけど、金色の瞳はこのバーバラにしか授けられていないわ。でもほんと、全部お父様とお母様の言うとおりじゃない。聖女の私がいるから、お姉様だってこの家にいられるんだもの。これからもたくさん祈ってね。一緒に頑張りましょう」
――はい、お父様、お継母様、聖女様。
それ以外の言葉を、自分が最後に口にしたのはいつだったろう?
そんなことさえ、もうセシーリアにはわからない。
そしてそんなある日、シェルマン伯爵家に王命が下った。
***
王城、その謁見の間。
一段高い豪奢な玉座から、ロドム王は眼下に跪く伯爵一家を睥睨して問うた。
「シェルマン伯爵、そなたのその娘バーバラが聖女であるというのは真実かの?」
「はっ、はい、国王陛下。真実にございます。お許しいただけるなら、我が娘バーバラが顔を上げ金色の瞳をお目にかけます。聖女の証です」
「許す、見せてみよ」
ここぞとばかりバーバラが面を上げ、これみよがしにその金色の瞳をしばたたかせる。
そのはしたなさは、ロドム王が極めて温和な人柄の老君主でなければ、即座に首をはねられていてもおかしくはなかったが。
「なるほどのう、たしかに見事な金の瞳よの。さすれば聖女バーバラよ、そなたにぜひとも頼みたい。眠れる勇者エードヴァルドを看病し、かの者にかけられた呪いを解いてやってはくれぬか。むろん、礼は弾む」
王命は下された。
それは、眠れる勇者の看病。
魔王を討ち滅ぼし帰国した勇者エードヴァルドは、しかし呪いに侵され永遠の眠りに閉じ込められているという。
悪夢にさいなまれ続ける彼を救える者は、聖なる祈りによって呪いを浄化できるとされる本物の聖女だけ。
「三日三晩の聖女の祈りだけが、魔王の呪いを解きその悪夢から勇者を救えると伝承にはある。託したぞよ、聖女バーバラ。勇者はいま、南東の森の聖なる祠に眠っておる。さあ、行くがよい。務めを見事果たした暁には、そなたを国の聖女と認め、次期国王となる勇者エードヴァルドの妃に迎えさせよう。シェルマン家も間違いなく陞爵となろう」
こうして、シェルマン伯爵家は国王から大役を仰せつかった。
当主も後妻も、聖女の証とされる金色の瞳をした次女も、その場にいる三人ともが実に誇らしげな様子だった。
栄えある謁見の間に立ち入ることさえ許さず屋敷へ閉じ込めてきた長女に、彼らはきっといい土産話ができたことだろう。
***
父シェルマン伯爵は言った。
「わかるな、セシーリア? 絶対に失敗するなよ。お前の働きいかんで我が家の命運は決するのだから」
ブレンダお継母様は言った。
「かならず勇者様をお救いするのよ、セシーリア。もちろんお前としてではなく、聖女バーバラとして」
可愛い妹バーバラは言った。
「お願いね、セシーリアお姉様? 大丈夫よ。勇者様の呪いを解くとこだけやってくれたら、あとのことは全部私が受け持つわ。家族みんなで幸せになりましょう」
……そんなわけで、セシーリアは夜の森を歩いている。
王城の南東に繁る小さな木立ちだ。
月さえ灰雲に覆われた今宵、下草に浮かぶ夜露のかすかな光と、枝ぶりの細いたいまつの灯と、王から賜った秘密の地図だけを道しるべに。
容姿を隠すありあわせのローブの下で、セシーリアの体はともすれば人形のように冷たくこわばってしまいそうだ。
金色の瞳を持たぬ自分が、これから聖女バーバラの振りをし通さねばならないのだから。
聖なる祠が見えてきた。
しかしその鍾乳洞の入り口には、やはり門番が立っている。
おとがめなしに通り抜けることはできそうもなかった。
「ここから先は聖女しか入れない。聖女の証を見せろ」
「……あの、シェルマン伯爵家のバーバラと申します。国王陛下に命じられてきたのです。賜った地図も持っております」
「聞こえなかったのか? さっさとそのフードを取って聖女の証を、金色の瞳を見せろ。さもなくば」
門番が甲冑を軋ませ、立てた槍の石突で地面を叩いた。
――しかたないわ。こうなることはわかっていたもの……。
やはりこんな茶番がうまくいくわけはないのだ。
聖女を騙ろうとした不届き者として、金色の瞳を持たない自分はこの場で斬り捨てられてしまうだろう。
でもそれでいいのかもしれない。
こんな自分の人生に、都合よくこき使われ搾取され続けるだけの毎日に、きっともうなんの意味も価値もありはしないのだから。
セシーリアが諦めとともにフードを払ったそのとき、しかし彼女のあずかり知らぬところで奇妙なことが起こった。
夜空を覆う灰雲の切れ間から。
満ち満ちた月が顔を覗かせにわかに燃え立ち、その黄金の光を注ぎ込んでセシーリアの瞳を得も言われぬ金色に輝かせたのだ。
「おぉ」
その美しさに門番は思わず感嘆の吐息を漏らし、腰砕けになってしまいそうな身をどうにかこらえ直して礼を正した。
「お、お入りください、聖女様。祠の奥で、あなたの聖なる祈りを勇者殿が待っておいでです」
祠の奥の祭壇に、眠れる勇者は仰のいていた。
魔王を打ち滅ぼした勇敢なる青年、その名はエードヴァルド。
青銀髪の彼の美貌は、しかしいまだ魔王の残した呪いが見せる悪夢によってさいなまれ、かたくまぶたを閉ざしたまま苦しみに歪んでいた。
ぜえぜえとあえぎ波打つ精悍な胸板の上で、青い石の嵌まったペンダントが洞窟の闇に抗うように時折きらめいている。
三日三晩、セシーリアは彼のために祈りを捧げた。
苦しむ勇者をひと目見ただけで、体は自然と動き、何をどうすればいいのかセシーリアにはもうわかっていた。
そんなことは初めてだった。
けれど。
――あなたは特別な力を持ってるわ、セシーリア。生きとし生けるものを真実の愛で癒す、「聖なる祈り」の力よ。
近く遠く、亡き母の声がする。
――自分の力をたいせつになさい。セシーリア、どんなことがあっても、ただ、あなたの真実の愛に従って。
そう、ただ真実の愛に従って。
それはなんの因果かこの不思議な力をあたえられた娘の、聖女の本能とも呼ぶべき感覚だ。
極度の集中力と、揺るぎない胆力とを要する務め。
祭壇のすぐ傍らに跪き、悪夢にうなされる勇者の手を取ってセシーリアも静かに目を閉じる。
己の額にあてがう彼の手のわずかなぬくもり。
そこからすべてを始める。
邪悪な魔王の術式を見究め、荒れ狂う闇の澱を解きほぐし、勇者の魂を何度となく抱きしめ励ましてあらたな英気を、けがれのない生命力を呼び覚ます。
聖なる祈りを、捧げる。
勇者エードヴァルドの呪いが解け、まもなくの目覚めに彼のまぶたがかすかに引き攣れるその寸前に、そしてセシーリアは祠を去って姿を消した。
***
後日。
ふたたび王城、謁見の間。
「見事であったの、聖女よ。よくぞ勇者の呪いを解いてくれた」
「はい、国王陛下。聖女として、私バーバラも光栄の極みでございます」
したり顔で鼻息荒く、伯爵家の次女バーバラは淑女の礼を執った。
この日のために新調した桃色のドレスが揺れる。
なにしろこれから自分は王国の聖女として正式に認められ、次期国王となる勇者エードヴァルドの妃に迎えられるのだ。
「ああ、偉大なるロドム国王陛下。我が娘バーバラをお褒め下さり、このような晴れの舞台までご用意いただけるとは、シェルマンの当主として感に堪えません」
「主人の申す通りでございますわ。陛下、私も母として、バーバラを国の聖女に、妃にふさわしい娘に育てることができ感涙にむせぶ思いでございますの」
娘を両脇で挟む伯爵夫妻もまた、これからもたらされる褒美を確信していた。
勇者の呪いを解いた見返りに、シェルマン家の陞爵は織り込み済みである。
懸念点があるとすればセシーリアの顔を垣間見たらしい祠の門番のみだが、あの門番にはここへ来る前に金を握らせておいたので心配はない。
口止めにしては少なくない出費だったが、いまに侯爵位、いや、ことによっては公爵位へと格上げされる自分たちの収入増を思えば安いものだ。
王が温和な面差しでおっとりと口を開いたので、バーバラとその両親はいよいよかと血眼になってその言葉に耳をそばだてた。
「そうか、まっこと残念であることよ。この者らはあくまでシラを切る心づもりのようだ。――入りなさい、次期国王夫妻よ」
伯爵一家の背後で大扉が開き、晴れやかで美しい男女が連れ立って謁見の間に姿を見せた。
それは呪いから目覚めた勇者エードヴァルドと、そして。
「――お呼びでございますか、敬愛なるロドム国王陛下……?」
「うむ、聖女セシーリアよ。そして勇者エードヴァルドよ。両名ともその後は健勝であるかの」
「「「なっ?!」」」
言葉を失う伯爵一家を間に挟み、いや、完全に無視して、尊き者たちの挨拶が和やかに続く。
「すっかり元気になりました、国王陛下。このエードヴァルド、どんなに凶悪な魔物どもでもいまなら秒で斬り払えそうです」
「ほう、それは頼もしい。まさに勇者の物言いであるな」
「いえ、本当に称賛されるべきは、俺を救ってくれた彼女ですが」
愛おしげに勇者がそのまなざしを傍らの伴侶に向ける。
鍛え抜かれた彼の腕が抱き寄せずにいられないのは、真の聖女だ。
いま彼女は、妃だけが着ることを許される純白のドレスに身を包み、楚々とはにかんで小首を傾げる。
実に綺麗だ。
「セシーリア……」
思わず名を呼ぶ勇者の熱い吐息に、真の聖女は眉根を寄せて戸惑いがちにたずねた。
「……でも、エードヴァルド様。あなた様の呪いを解いて差し上げたのが私だと、なぜおわかりに――?」
「そっ、そうよ! エードヴァルド様。眠っているあなたの呪いを解いて差し上げたのはこの私、金の瞳を持つ聖女バーバラのはずですわ! 何を勘違いなさっているの!」
金切り声を上げたバーバラの存在にいま初めて気付いたといった風に、勇者エードヴァルドは伯爵家の次女を見た。
それから恐ろしく冷め切った声で吐き捨てた。
「何を言ってるんだ、君は? 聖女はセシーリアだよ。君なわけがないだろう」
それは歴戦の勇者のみが放ちうる、邪悪な魑魅魍魎を本能的にいすくませる声音だ。
その威力に耐えかねて、ひっ……とバーバラが尻もちついて腰を抜かす。
体型のわりに大きな尻に敷かれ、桃色のドレスに汚いしわが寄った。
「根拠ならいくらでもあるよ。たとえば祠の門番の証言とか、ああ、そちらのご両親から押し付けられた賄賂については、敬虔な彼が即座に国庫へ返納したさ。たぶん慈善事業の基金にでも回るんじゃないかな? ええとそれより、そうそう、セシーリアが聖女だという根拠……でしたね、ねえ――国王陛下?」
尊き者たちが、和やかな会話を再開する。
勇者が胸に提げたペンダントの青い石をぷらぷらと揺らして微笑んだ。
「出立の日に陛下からこれを賜っておいて、本当によかった」
「うむ、その『冒険者のペンダント』は、そなたの身に起こるあらゆることを記録する神具。まさに、勇者の冒険にはかかせぬ自動記録装置」
「ええ、これがあったから俺は魔王討伐を果たしえた。この石が蓄える膨大な経験値、剣技と魔法のレベル換算、不慮の昏睡から立ち上がる時の支えとなるセーブデータ、あらゆる冒険の記憶。おまけにこんなことだってできる」
勇者の掲げるペンダントの青い石が輝きを放射し、たちどころに光の像を生じさせた。
あの夜に聖なる祠で行われたすべてを、嘘偽りなくその映像が物語る。
王城の謁見の間に、献身的な聖女の祈りが描き出される。
そしてそれはほかでもない、健気なセシーリアの姿であった。
映像が終わると、勇者エードヴァルドはその淑やかな伴侶をもう一度かたく抱き寄せて王に誓った。
「陛下。真の聖女セシーリアの祈りによって、彼女の真実の愛で俺は目覚めたのです。彼女を妻とし、生涯守り抜くと誓います」
「うむ、聖女セシーリアよ、そなたはどうであるか?」
「――はい、敬愛なるロドム国王陛下……。もし許されるのなら、私もこの御方と共に歩み、王国のために聖なる祈りを捧げ続けたいと思います。偽りのない、この真実の愛に従って」
「よいよい、さあ、若き二人の宴の時だ。国を挙げて祝おうではないか、盛大にの」
ロドム王は、極めて温和な人柄の老君主だ。
にっこりとした穏やかな面差しで、王は品よくこう付け足すことを忘れなかった。
「余を欺いた傲慢強欲な偽聖女バーバラ、及びその酷薄な両親シェルマン夫妻は身分はく奪の上、鉱山送りとする。ええい、そんなことより宴の支度はまだかの? この老いぼれは、いささか短気であるぞ?」
お茶目な国王陛下のおどけぶりにつられて、心から幸せそうな笑い声がクスクスと城内にはじけた。
どういうわけか元伯爵シェルマン夫妻とその次女バーバラだけが場の空気を読めず、土気色の表情ですっかり床にうなだれている。
しかたなく衛兵たちがその片付けをしようと、重々しく、いやむしろ軽やかに甲冑を軋ませた。




