閑話 天使が自動ドアをくぐった日
私の名前は美咲。
このコンビニでバイトを始めて、もうすぐ一年になる。
レジ打ちの速さはそこそこ、袋詰めはまあまあ、愛想笑いはたぶん得意。
ただし、釣り銭を渡すときに「ありがとうございましたー」の「ー」がやたら長くなる癖がある。
あと、暇な時間はついレジ下でお菓子の新作チェックをしてしまう。
店長には「真面目にやれ」と言われるけど、真面目にやってるつもりだ。
だって、暇なんだもん。
その日も、いつものように暇だった。
お客さんは、雑誌コーナーで立ち読みしてるおばちゃんと、飲料コーナーでペットボトルを選んでる主婦二人。
レジ前には誰もいない。
だから私は、手持ちのスキャナーをカチカチ握って「ピッ、ピッ」と空打ちしながら、頭の中で
「レジ横の唐揚げ棒、あれ何本までなら一気に食べられるかな」
という、どうでもいいことを真剣に考えていた。
(ちなみに今のところの自己ベストは二本)
――そのときだった。
自動ドアが「ウィーン」と開き、ひとりの子が入ってきた。
いや、「娘」じゃない。
男の子だ。
一瞬、脳がフリーズした。
この世界で男の子は百人に一人。
テレビやネットでしか見たことがない存在が、今、私の目の前にいる。
しかも、まだ中学生くらい。
髪はふわっとしてて、目はちょっと緊張してるけど、まっすぐで、なんか…光ってる。
いや、ほんとに。
自動ドアの向こうから差し込む光が、その子の輪郭をふわっと縁取ってて、まるでCMみたいだった。
「……天使?」って、口に出そうになった。
危ない危ない。
でも、たぶん顔には出てたと思う。
だって、おばちゃんがページをめくる手を止めて、主婦二人が「男の子?」って小声で言ってたし。
店内の空気が、ちょっとだけピリッとした。
男の子は、ゆっくりと店内を歩き、冷蔵ケースの前で立ち止まった。
透明な扉を開けると、冷気がふわっと広がって、髪が少し揺れた。
その仕草が、なんかもう…尊い。
選んだのは、透明な炭酸水。
ラベルの水滴が光って、宝石みたいに見えたのは、たぶん私の脳がバグってたせい。
そして、彼はレジにやってきた。
小さな手でペットボトルを置く。
私はできるだけ普通の声で「いらっしゃいませ」と言ったつもりだったけど、ちょっと声が裏返った。
バーコードを「ピッ」と読み取るとき、手がほんの少し震えた。
「百二十円になります」
彼はポケットから小銭を取り出し、私の手のひらにそっと乗せた。
その瞬間、心臓が「ドクン」と変な音を立てた。
小さくて、あたたかい重み。
なんだこれ、反則じゃない?
お釣りとレシートを渡すと、彼は小さく会釈をして、また自動ドアの向こうへ歩いていった。
背中が光に溶けていく。
ドアが閉まったあとも、私の胸の中には、あの透明な光が残っていた。
――あれは、きっと天使だった。
いや、天使って見たことないけど。
でも、もし天使がコンビニに来るなら、あんな感じだと思う。