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第4話 初めてのコンビニ

門を出てから、まだ五分も歩いていない。

けれど、ユウの胸はもう少し高鳴っていた。


アスファルトの道は、家の廊下よりもずっと硬く、足音が小さく響く。

街路樹の影がまだらに落ちる歩道を進むと、前方に見慣れない光景が現れた。


白い看板に、緑と青のライン。

ガラス張りの自動ドアの向こうに、明るい店内。

――コンビニだ。


テレビや雑誌で見たことはあったけれど、実物は初めてだった。

立ち止まった瞬間、ふと喉の奥がからからに乾いていることに気づいた。

家を出てからずっと、外の空気は少し乾いていて、歩くたびに口の中の水分が少しずつ奪われていったらしい。


唾を飲み込むと、喉の壁がきゅっと擦れるような感覚があった。

冷たいものを一口飲めば、この渇きはすぐに消えるだろう。


そう思ったとき、目の前のガラス越しに見える明るい店内が、急に別の意味を持ちはじめた。

テレビで見たあの光景――棚にずらりと並んだ色とりどりのペットボトルや缶。

その中から、自分の手で選んで買う。

そんなこと、今まで一度もしたことがない。


胸の奥で、渇きと興味が同じ形になって重なった。

「飲み物を買ってみよう」


その考えは、喉の渇きよりも早く、ユウの足を自動ドアの方へと向かわせた。

自動ドアの前に立つと、「ウィーン」という音とともに扉が開く。


冷たい空気がふわりと顔にかかり、家の中とは違う匂いが鼻をくすぐった。

コーヒーの香りと、揚げ物の匂いが混ざったような、少し油っぽくて、それでいて甘い匂い。

その匂いだけで、テレビの中の世界に足を踏み入れたような気がした。


一歩、足を踏み入れる。

床はつるりとしていて、靴底が軽く鳴った。


右手には雑誌と漫画の棚、左手にはお弁当やパンが並んでいる。

奥の壁一面が、透明な扉の冷蔵ケースになっていた。


その瞬間、空気がわずかに変わった。

右手の雑誌コーナーで立ち読みしていた年配の女性が、ページをめくる手を止めた。

レジ奥の店員が、バーコードを読み取る手を一瞬止め、目だけこちらに向ける。


奥の飲料コーナーにいた、買い物帰りらしい主婦二人が、ひそひそ声を交わした。

「……男の子?」

「ほんとだ、珍しい……」


この世界では、男の子は百人に一人。

テレビやネットで見かけることはあっても、日常で出会うことはほとんどない。

だから、ユウの存在は、それだけで空気を変えてしまう。


ユウは冷蔵ケースに向かいながら、背中に視線が集まっていくのを感じた。

透明な扉の向こうに並ぶ飲み物たち――炭酸、ジュース、お茶、スポーツドリンク。

手を伸ばして扉を開けると、冷気が腕を包み込んだ。


その瞬間、背後から小さな声が聞こえた。

「ねえ、あの子、何買うんだろ」

「写真……撮っちゃだめだよね」

「当たり前でしょ」


視線は、好奇心と驚きと、少しの緊張が混ざったものだった。

ユウは透明な炭酸水を手に取り、ラベルの水滴が光を反射するのを見つめた。


テレビで見たことのあるスポーツドリンクもあったけれど、今日はこれにしようと思った。

レジへ向かうと、制服を着た店員が「いらっしゃいませー」と声をかけてきた。


その声は、店内のざわめきを一瞬だけ整えるように響いたが、すぐにまた小さな囁きが戻ってきた。

カウンターにペットボトルを置くと、店員が「ピッ」とバーコードを読み取り、「百二十円になります」と言った。


声は丁寧だが、どこか探るような響きがあった。

小銭を渡すと、店員は受け取る手をほんの一瞬ためらった。


それは、珍しいものに触れるときの、無意識の間合いだった。

お釣りとレシートを受け取り、ユウは小さく会釈をして店を出た。


外に出ると、昼の光が少し眩しかった。

背後で自動ドアが閉まる音と同時に、店内のざわめきがまた小さく膨らむのが聞こえた気がした。


――やっぱり、僕は珍しいんだ。

ペットボトルの冷たさを握りしめながら、ユウは駅前の自販機へと歩き出した。

胸の中のわくわくは、炭酸の泡のようにしゅわしゅわと広がっていった。


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