第1話 蒼月家の朝
初めまして、こちらの作品が処女作となります
つたない文章ですがお付き合いいただければ幸いです
蒼月ユウは十四歳。
外の世界では、男の子はとても少ない。およそ百人に一人ほどしかいないらしい。
ユウ自身はそのことを特別だと感じたことはないが、姉たちはよく「ユウは大事な存在なんだから」と笑いながら言う。
生まれてからずっと、家の門の外には出たことがない。
外の世界のことは、テレビや姉たちの話、そして少しのネット情報で知っている。
慎重で、少し怖がり。でも、知らないものにはつい目が向いてしまう。
母や姉たちはいつも優しく守ってくれるけれど、そのぶん、ユウの好奇心はそっと胸の中にしまわれたままだ。
「外に出たい」と言ったことはないけれど、夜、窓から街の灯りを眺める時間が好きだ。
遠くの光が静かにきらめいているのを見ると、なんだか少しだけ、わくわくする。
そんなユウが暮らす蒼月家は、外の世界の喧騒とは別の、家の中だけで完結するにぎやかさに包まれている。
二階建ての一軒家。外壁は少し色あせたクリーム色で、庭には色とりどりのハーブや花が並び、季節ごとに表情を変える。
ユウにとっては、この庭が「世界の端」だ。門の外に広がる道は、テレビやネットの中でしか見たことがない。
キッチンからはトーストの香りと甘いミルクティーの匂いが漂ってくる。
ダイニングテーブルには、姉妹三人がそれぞれの席に落ち着いていた。
誰かが誰かに合わせることはない。けれど、全員がそこにいることが、ユウには心地よかった。
一番端では、新聞を広げたひかりが背筋をぴんと伸ばして座っている。
シャツの襟はきちんと整えられ、髪もまとめられている。
彼女はいつも整っていて、整っていることに安心しているようだった。
「おはよう、ユウ。ちゃんと顔洗った?」
視線は紙面から外さないまま、声だけがユウに向けられる。
その声には、ほんの少しだけ柔らかさが混じっていた。
「うん。洗ったよ」
ユウはパンの耳をちぎりながら答える。
「今日、図書館の前でフリーマーケットやってるらしいわ。帰りに寄ってみようかな」
その口調には、特別感も期待もなく、ただ日常の予定を口にしているだけの軽さがあった。
隣では、スマホを片手にパンをかじるあおいが笑っている。
髪は明るい茶色で、爪には控えめなネイル。
鏡を覗き込みながら、唇の色を確認している。
「昨日さ、駅前のカフェで新作パフェ食べたんだけど、写真撮る前に溶けちゃってさー。最悪」
「それ、撮るの遅すぎたんじゃない?」
「違うって。店員が出すの遅かったの。あれは絶対、ミラスタ映え狙ってない」
テーブルの反対側では、牛乳を両手で抱えて飲んでいる、みくが笑顔で手を振る。
「お兄ちゃん、おはよ!」
「おはよう」
「今日ね、体育でグラウンド走るんだって! 芝生がふかふかで気持ちいいんだよ」
「ふかふか?」
「うん。昨日、先生が『今年は芝の育ちがいい』って言ってた」
ユウはその言葉に耳を傾ける。芝生の感触なんて、テレビでしか見たことがない。
キッチンからは、母・真白が現れる。
エプロン姿のまま、手には小さなメモ帳とペンを持っていた。
「ユウ、パンは焼きたてよ。熱いから気をつけてね」
「うん。ありがとう」
ユウはパンをかじりながら、姉たちの会話を聞いていた。
ひかりは新聞をめくりながら、時折「このニュース、ちょっと気になるわね」とつぶやく。
あおいはスマホをいじりながら、ミラスタに投稿する写真の構図を考えている。
みくは牛乳を飲みながら、今日の給食の話を始めた。
「今日はね、カレーうどんなんだって! でも、うどんにカレーって変じゃない?」
「それ、普通にあるよ」
「えー、でもカレーはごはんでしょ?」
「どっちでもいいんじゃない?」
「じゃあ、お兄ちゃんはどっち派?」
「……ごはんかな」
みくは満足げにうなずいた。
「やっぱり! お兄ちゃんはわかってる!」
朝食の時間は、家族の性格がよく表れる。
ひかりはニュースを読み上げ、あおいはそれに茶々を入れ、みくはユウに学校の話をする。
真白はそのやり取りを笑顔で見守りながら、時々「ユウ、野菜も食べなさい」と口を挟む。
ユウはその中心で、半分聞き流しながらパンをかじっている。
この家の空気は、外の世界とは無関係に回っているように思える。
十歳のとき、あおいが「庭の外に猫がいる」と言ったことがあった。
興味津々で門の前まで行ったユウは、真白に見つかり、慌てて家の中に引き戻された。
そのとき真白は泣きながら言った。
「お願いだから外に出ないで」
理由はやはり「危ないから」。
ユウはその涙を見て、それ以上外のことを聞くのをやめた。
しかし、心の奥には小さな疑問が残ったままだ。
姉たちは毎日外に出ている。
学校へ、バイトへ、買い物へ。
外の世界は彼女たちにとって、特別なものではない。
ひかりが図書館の話をするときも、あおいがカフェの話をするときも、みくがグラウンドの芝生を語るときも、そこに驚きや緊張はない。
それは、空気を吸うのと同じくらい自然なこと。
ユウはその違いを、言葉にできないまま感じていた。
自分だけが、何かを知らない。
自分だけが、何かを見ていない。
けれど、それが何なのかはまだわからない。
この朝も、特別なことは何もない。
家族の声と食器の音が混じり合う、いつもの蒼月家の風景。
ユウはパンをかじりながら、窓の外に広がる青空をちらりと見た。
その視線に気づいた真白が、優しく微笑む。
「ユウ、バター足りてる?」
「うん…」
返事は短く、それ以上は何も言わなかった。