46 収束
46
「野原くん! よかった‼」
いきなり両腕を首に回し、思い切り抱きついてきた。
「お、おい…」その勢いに少し慌てた。
二人の頬が触れ合った時、零れ落ちた彼女の涙も一緒に伝わってきた。
「な、なあ、さわこ…。ちょっとその、恥ずかしんいだが」
なんだか照れ臭くなって言った。
「ほんとうに…。よかった…」
耳元で囁く。
「…新しい助手を、探さなくて済んで!」
「・・・なぬ⁉」
がばっとさわこを引き剥がして、彼女の顔を見た。
さわこは、いつものいたずらっ子のような笑顔でじっと俺を見返している。
≪本気にするな、ただの照れかくしだ≫
冴子が直接俺の頭の中に話し掛け、可笑しそうに笑った。
「もうええわい!」
――さっきの感動を返せ!
『まあ、とにかく、生きててなによりだ』
「立てるか?」
「うん!」
肩を貸し、ゆっくりと一緒に立ち上がった。
少し向こうに、後ろ脚から半分消えかけているマザーが横たわっていた。
「マザー…」
その傍で、茫然と鵜飼が突っ立て、それを見つめていたが、ふと顔を上げてこちらを見た。
「お前、どうして…。なぜ生きている?」信じられないといった顔をしている。
「ふん。あんたと一緒で、俺も生まれた時からのバケモノなんでね。あの程度の傷なら、五分もしないで治っちまうのさ」
渇いてバリバリに固まった血で張り付いている腹部の辺りを捲って見せた。
「なるほど、こりゃ驚いた。恐れ入ったよ。ほんとバケモノだな、お前。認めるよ」
しかしそう言いながらも、その顔には侮蔑の色が張り付いている。
「——だがなお前たち、これで…、マザーを倒したら、それで終わりだと思うか?」
俺たちを睨むように眉を寄せた。そうして少し間を置くと、静かに話し出した。
「こいつら妖怪はこんなことで死にはしない。いや、たとえ死んでも、祓ったとしても、それはほんの一時だ。あいつらは何度でも蘇えるんだ。そうしてまた俺の目の前に現れる。俺だって、あいつらを殺して、殺して、何度それを繰り返したか…」
そう言って、突然ヒクヒクと片頬を引き攣らせたかと思うと、今度はアハアハと狂ったように笑い出した。
「あの男は俺が捕まえる」
前を向いたまま、小声で隣にいるさわこに言った。
「さわこはあの窮奇を最後まで、きっちりと祓ってくれ」
「うん、わかった」小さく頷く。
それを合図に、俺たちは二手に分かれて駆け出した。
「うかぁーい! こっちだ‼」
俺はさわこの「物の怪祓い」から鵜飼を引き離すため、素早く移動して、右手の拳で鵜飼に殴り掛かった。
狂ったように笑う、奴の不意を突いたつもりだったのだが、俺の動きに反応し、瞬時に鵜飼が身を躱した。
拳が空を斬り、バランスを崩したところを逆に鵜飼が後ろから俺を蹴りつけた。
「ぐえっ!」
思い切り顔面から地面に激突して転がった。すぐに身を起こして相手の位置を確認した。
すると、鵜飼は笑うのをやめ、ただ無表情でじっとこちらを見つめていた。
『気をつけろ、能力が目覚めた晃介の動きの速さは、お前と変わらんぞ!』
マザーの祓いの最中に、一瞬冴子に戻って叫んだ。目の前に横たわるマザーは、すでにほとんど消えかかっている。
「そーゆーのは、もっと早く言ってくれっての」
立ち上がって、左手で口の周りの血を拭う。少し口の中を切ったらしい。
「ぺっ!」
口内の血を吐き捨てた。
「これで終わりだ」
静かに言った鵜飼は、両手に溜めた気を、風の刃を、放とうとして構え、腰を低くして両足を踏みしめている。
――あれは…
気付いてすぐさま一足後ろに飛び退きながら、左手を右腕に添え、こちらも手の平に気を集める。
その瞬間、音もなく鵜飼の両手の間から尖鋭な風の刃が放たれた。
三本の槍の穂先のような風の刃が飛ぶ。さらにもう一歩後ろに飛び退いている暇はない。
仰け反りながら、右の掌に集めた空気の塊を、サイコキネシスで、向かって来る三本の風の刃目掛け、撃った。
「当たれッー‼」
勢いで、俺の身体がそのまま後ろに飛んで転がる。
バフッ! ばふっ! バフッ!
鵜飼の放った風の刃が、俺の撃った空気砲で相殺され、次々に弾け飛んだ。
強烈な大気同士が衝突した衝撃は、一本の太い柱のような竜巻を巻き起し、周囲に土煙が立ち昇る。
「くっ、何だこれは⁉」
何が起きたかわからずに、鵜飼は巻き起こった土煙に視界を遮られ、一瞬目を閉じ、腕で遮るようにして顔を背けた。
目を開けた次の瞬間、不意に目の前に人の姿が現れた。
「なに!」
そう思った時には、すでに両腕を掴まれていた。
バリバリバリバリ‼
蒼白い光と大きな音を発して、鵜飼の全身を雷が貫いた。
「うぐわあああぁぁ‼」
堪らず叫びながら暴れ、力任せに掴まれていた腕を滅茶苦茶に振り回した。
やっとのことで掴まれていた腕を振り解くと、全身から焦げ臭い匂いが立ち昇った。
「き、貴様ぁ…」
よろめきながら俺を見て、呻くように言う。
「鵜飼、お前の負けだ。大人しく警察に自首しろ!」
「ふざけるな、お前なんかに、お前なんかに…。俺の・・・」
ぬおぉぉぉぉー
大きく叫び、鵜飼が両手を挙げて、よろよろと二、三歩前に歩いたその時。
背後から一陣の風が吹き、一瞬のうちに彼の首をスパッと斬り落とした。切り口から鮮血が吹き出し、鵜飼の頭部がごろりと地面に転がった。
「なっ⁉」一瞬の出来事に、思わず息を呑んだ。
「野原くん、だいじょうぶー⁉」
マザーを祓い終えたさわこが、すぐ傍まで駆け寄って来ていた。
さわこの呼ぶ声とほぼ同時に、ドサッという鈍い音と共に、鵜飼の身体が地面に倒れた。
「えっ?」
その音に驚いたさわこが、向こうを覗き込むようにした。
「見るな!」
咄嗟にさわこの両肩を掴んで、後ろを向かせようとしたが間に合わなかった。
何かを凝視するように眼を見開いたまま、近くに転がっている鵜飼の顔を見たさわこが悲鳴を上げた。
「どうして…、捕まえるって」怯えたようにさわこが言う。
「違う、俺じゃない!」
――誰だ? 鵜飼を殺したヤツは! まだ近くにいたら、そいつは鵜飼よりもっと危険だ
睨むように辺りを見回して探した。俺よりも先にさわこが見つけた。
「野原くん、あれっ!」
さわこの指さす方を見た。
左手前方に雑木林の切れ目と舗装されたプロムナード、さらにその先に東屋が見えた。
その東屋の屋根の上に人影があり、座り込んでこちらの方を見ている。
「何だ、あれ?」
俺が誰だ、ではなく、何だ、と言ったのは、その人物が何やら仮面のような物で顔を隠していたからだ。あれは能面の一種だろうか?
すると、そいつはその場にスッと立ち上がったかと思うと、ひらりとそこから舞い降りて、素早い身のこなしで、まさしく跳ぶように、アッという間に、気が付くと俺たちの目の前に立っていた。いかにも怪しげな黒いスーツを着ている。
「誰だ、あんた?」
そいつは俺の問いには答えず、左手で持った面で顔を隠したまま、一方的に話し出した。
「君の超能力、見せてもらったよ。大したものだ。もっとも、我々のそれとは少し違うようだが」
「お前何者だ。あんたが鵜飼を殺したのか?」
「心配しないでいい、後始末は任せてくれ。迷惑を掛けたね、この男の回収はちゃんとするから」
柔らかい口調で、ゾッとするようなことを言った。
「何を言っている? なぜ鵜飼を殺した⁉」
同じ問いを繰り返す俺に、こちらを向いて、少し苛立ったように答えた。
「この男は我々の一族を裏切った女から生まれた出来損ないだ。おまけに一度ならず二度までも、派手に事件を起こした。だから、始末した」
「一族? 何のことだ?」
「そんなに知りたきゃ、そこに居る女に訊いたらどうだ」
そう言って隣にいるさわこを見た。
さわこは苦しげに、眉間にしわを寄せている。すでに冴子と入れ代わっているようだ。
『どうして…。一族の子ならば、どうして晃介を見捨てた?』
「我々に裏切り者や出来損ないは必要ない」
「冴子の婆さん、こいつら一体何者だ?」
訝しげに俺が尋ねた。
『大昔からこの日本で、物の怪達を支配し、使役してきた一族の末裔だ』
「なっ⁉…」
冴子はすぐにはとても理解できないことを口にした。
「さてと、それじゃ、そろそろ失礼するかな」
そう言うと、左手の面で顔を隠したまま、取り出した白い布で手早く鵜飼の首を包んだ。信じられないことに、片手で軽々と首と身体を一緒に引っ掴んだ。
「君らも早くここを離れた方がいい。あの窮奇が居なくなったから、この結界はあと半時も持たないだろう」
言いながら身を翻し、一瞬チラッと振り返えると、再び舞うように跳んで、目の前に現れた結界の割れ目から外へ飛び出して行った。
「ま、待て!」
すぐに後を追おうとした俺を、冴子が制した。
『追うな、一樹! 無駄だ』
「どうして?」
『見ただろう、あいつはもう結界の外だ。それより、あいつの言う通り、黒子と仲代を連れてここから脱出する方が先だ』
「そうか、二人は…」
二人のいる方を振り返った。
見ると、黒子先輩が座り込み、美穂を抱きかかえたまま呆然としている。