40 復活の宜野湾冴子
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「あの方、どなたですか? 清掃業者の方? 一樹くんの知っている人? 」
さっき結界だと聞いたその中に、見知らぬ男がいるのを見て、不思議そうに亜弥が言った。
「さあ…。誰でしょうね」
静かに答えて一緒に立ち上がり、さり気なく、亜弥を守ろうと自分の背後に隠すようにした。
「あんたが、あの妖怪達の親玉ってわけか?」
男の後ろに浮かんでいる二匹の物の怪に目を遣り、わざと注意をこちらに向けようとして言った。
「ふっ、いきなり出て来て悪党呼ばわりか。無断で人ん家の庭に入り込んで、ご挨拶だな。ええおい、小僧が!」半笑いの男が、忌々しそうな目付きで言い返してきた。
「ミホー、無事かぁ⁉」
その時、大声で叫びながら、黒子先輩がこちら側に飛び込んで来た。
「めぐむー‼」
それを目にした美穂が、飛び着くように先輩にしがみついた。
「もう! 遅い! 遅い! 遅い!」
「ごめんよ、でも無事でよかった」飛び着いて来た美穂を優しく抱き止めて言った。
「もう本当にダメかと思ったんだからね」
緊張が緩んだせいか、泣きそうになっている。
「とにかく偶然とは言え、間に合ってよかった」
「偶然?」
「ねえ、冴子さん!」言いながら黒子先輩が振り返った。
『結界にこんな穴が開くなんて、一体どういう仕掛けだ』
ゆらりと、さわこが壁の向こう側から姿を現し、俺の隣に立った。
聞き覚えがあるのか、その声を聞いて視線を移した男の表情が変わった。
「あんた、宜野湾冴子か! い、いや、そんなはずは…」
制服姿のさわこを見て、何やら混乱したように考え込んでいる。
『どうだ、一樹、見えるようになったか?』冴子が言った。
「ああ、どうやら戻ったみたいだよ、婆さん」
『そうかい、そりゃよかった』してやったりとばかり、ニヤリと笑う。
「けどなぁ…、もっと他にやり方があんだろ!」思い出したら少し腹がたってきた。
『ええ~! どうしてぇ? 私たち、いつだってあのくらいのこと、してるじゃなぁい!』
急に甘えたような声になって、恥ずかしそうに伏し目勝ちになって言った。
(おばあちゃん、変なこと言わないで!)
〈何を言う。あの女の前で、このくらいのアピールをしておかんでどうする〉
「お、お前、急に何言って…」
「ち、違う、今の私じゃないからぁ‼」
一瞬パッと表情が変わり、大慌てのさわこが叫んだ。
「いつもしてるですってぇ~⁉」反対側から亜弥が俺の腕を引っ張って怖い顔を寄せる。
「いや、ないない‼ 絶対。そんなこと・・・」
「ほんとう?」
すぐに手は離してくれたが、まだムッとして眉を寄せている。
スッと険しい表情に戻った冴子が前へ出た。
『しかし、まさかとは思ったが、やはりお前だったのか。鵜飼晃介』
「あんた、やっぱり宜野湾冴子か? ――だが有り得ねえ。あんた死んだんじゃ…」
『ああそうさ、ご推察の通り、あたしは死んでるよ』そう言って笑った。
「ねえ、ねえ、一樹くん、どういうこと? あれって中臣さんじゃないの?」
二人のやり取りを聞いて、今の今まで怒っていた亜弥が、困惑した顔で、隣にいる俺に尋ねた。
「ああ、それは…」
「いいえ、あれは紛れもなく、初代もののけハンター、宜野湾冴子です!」
どう説明したものかと、何も言えなかった俺に代わって、近くにいた黒子先輩が答えた。
「黒子君、それ、どういうことですか?」亜弥が不思議そうに言う。
「なにそれ?」美穂も驚きを隠せない、といった顔をしている。
「僕にもよくはわかりませんが、どうやら宜野湾冴子が中臣さんに乗り移っているみたいです」
「なに? すごい! もののけハンターってそんなこともできるの?」
興奮した亜弥が俺の方を見る。
「いや、俺に訊かれても…」
「死んでる? てことは・・・。――そうか、あんたら祓い屋がよく使う、降霊術とかいうヤツか」
『まぁ、ちょっと違うがそんなようなもんだ』冴子は何とも言えない、複雑な表情で答えた。
『お前こそ、どうしてまたこんなことを。あの時憑いていた物の怪は、確かに祓ったはず』
「ああ、そうだったな」一瞬視線を逸らした。
「確かに、あんたのお陰であれからの数年間、何事もなく俺は施設で平穏に過ごし、高校を出て普通に働くことができたよ」
『だったらなぜ、またこんなことを』
「俺だってまさかまたこんなことになるなんて、思わなかったさ」
鵜飼晃介と呼ばれた男は、自分の頭上にいる大きな窮奇を少し恨めし気に見上げると、静かに語り出した。
「何年か前、この世から、あんたの気配が完全に消えてしまった頃、しばらくして、またこいつが俺の前に現れたんだ。何度追い払おうとしても消えやしない。それで悟ったよ。やっぱり俺は生まれつき、こいつら物の怪の呪縛からは逃れられない体質なんだと。――結局のところ、嫌でも俺は…、たとえ人殺しをしてでも、こいつらと生きていくしかないんだとね」
『ううむ。それがお前たち一族の、血の定めというヤツか…』
「知らねえよ、そんなこと。あんたは前にもそんなことを言っていたが、一族とか、定めとか、俺はそんなこと何も知りやしないさ。言ったろ、俺は親の顔さえ覚えちゃいねえって」
『だがしかし、このままで良い訳はなかろう。私がまたこいつらを祓う。だからもうこんなことはやめろ』諭すよう言うと、
「やめてどうしろと?」
鵜飼の目が鋭くなった。
「こいつらが居なくなったところで、俺のやったことが、罪が消えるとでも言うのか? そんなら警察に自首でもなんでもしてやるよ。だけど、警察はこいつらの存在を認めやしない。――なあ、こいつらがここまで大きくなるのに、一体何人死んだと思う? それが全部、俺一人がやったことになるんだ。その罪を償えというのなら、間違いなく俺は死刑だろうな。けど、そんなのは御免だ」
冴子は黙ったまま、哀しげに鵜飼を見つめている。
「物の怪は人間のつくった法では裁けない。だからこそあんたも、あの時まだ子供だった俺を見逃してくれたんじゃないのか?」
『これ以上いくら話しても無駄と言う訳か。だがな、晃介よ。可哀そうだがお前をこのまま野放しにする訳にはいかぬ。ならばもう一度、そいつらを祓うしかあるまい!』
諦めたように冴子は眼を閉じ、スッと両手の掌を合わせた。
「待て! 宜野湾冴子、あんたは前に俺を助けてくれた。だから、今後俺たちの邪魔をしないと約束するなら、無駄な争いはしたくない、今回だけは見逃してやるが、どうだ?」
『そんな約束、できるとでも?』目を開けた冴子が言う。
「そうか、残念だ。なら仕方ない」
――マザー‼
鵜飼の呼ぶ声と共に、大きな母親の窮奇が甲高い鳴き声を上げた。再び周囲に異様な気配が漂い始める。黒く澱んだ空気が渦を巻く。
周囲を見回した冴子が叫んだ。
『まずい。結界が動くぞ! みんなすぐここから出るんだ!』
しかし、不意に足元が大きく波打つように揺れ出して、俺たちは誰一人、まともに立っていられなくなった。
『一樹、あいつらの狙いは若い女の血だ、すぐにあの二人を結界の外へ出せ!』
床に這いつくばるようにして俺を見た冴子が言う。
「二人って、あんたどうすんだ?」
『残って奴らを祓う。あたしなら大丈夫だ』
「ババアだからか?」
「何ですってぇ、もう一遍言ってみなさい!」不意にさわこに戻って俺の胸倉を掴んだ。
「いえ、何でもありません…」顔を背けた。
すぐさま地面の揺れを堪えながら気合を入れ、亜弥と美穂の二人をサイコキネシスでふわりと持ち上げた。
「えっ?」
「なに?」
急に地面の揺れから解放され、何事かと驚く二人を無視して、まずは亜弥から先に壁に開いた穴を目掛けて外へと投げ飛ばした。
宙に浮いた亜弥は、見えない空気の膜に包まれたように、回転しながら壁の向こうへ。一度床にバウンドして跳ねた時、その膜が弾けて廊下に転がった。
同じように美穂を穴から外へ出そうとした瞬間、いきなり開いていた穴が塞がって、結界の壁に弾き返されてその場に転がった。
「痛ぁい! もう、なんなのよ~‼」苦痛に顔を顰め、美穂が叫んだ。
しかし、考える間もなく、再び地面が大きく揺れたかと思うと、結界自体が大きくグルグルと回転し出した。
「ぐっ!」
もの凄い遠心力の負荷が全身に掛かって、美穂はそのまま気が遠くなっていく。
結界の外に飛ばされた亜弥が身を起こし、その場にペタリと座り込んで前を見ると、そこには何事もなかったかのように、校舎の端の向こうまで、ただ漫然といつもと変わらぬ廊下が続いているだけだった。
「なにこれ。どうなってるの? みんなどこへ行っちゃったの…」