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37 結界

  37


「中臣さん、野原くん!」不意に後ろから名を呼ばれ、振り返った。

 少し先に、スーツ姿の田口刑事と湯浅刑事がこちらに向って歩いて来るところだった。


「刑事さんたち、どうしたんですか?」

 驚いた様子のさわこが尋ねた。


「やあ中臣さん、こんにちは」田口刑事が先に挨拶した。

「今日はこの前、被害届が出された、この学校で起きた『切り裂き魔』の事件で、被害にあった生徒さん達に話を聞きに来たんだよ」

 湯浅刑事が来校の理由を説明してくれた。


「先日来た時、校長先生にお願いしておいたんだけどね、中間テストも近いし、今週中の方がいいだろうということになってね」

「そうだったんですか」

「そうか、テスト、来週末からだっけ…」嫌なことを思い出したように俺がつぶやいた。


「ちょっと野原、誰、この人達?」美穂が俺の袖を引っ張って訊いた。

「ああ、深山さんの事件を調べている刑事さん達だよ」

「ええ⁉ どうしてあんた達がそんな人と知り合いなのよ?」

 思いも寄らない答えに、美穂が目を丸くして言った。

「あ~、いや~、それは、ちょっといろいろとあって…」

「なにそれ?」



「あの、お二人は今こちらにいらしたんですか?」

「ああ、そうだけど。どうかしたの?」

 さわこの問いに、湯浅刑事が不思議そうに言った。


「途中で、男の人を見ませんでしたか?」

「男の人? どんな?」田口刑事が訊き返した。


「えっと…、どんな人?」さわこが振り向いて美穂に尋ねた。

「あの、三十歳くらいで、グレーっぽい作業着を着た、ボサボサ頭の・・・」美穂が一歩前に出て答えた。


「おい、見たか?」田口刑事は、隣にいる湯浅刑事を見て言った。

「ああ、そう言えば、校舎脇の駐車場に車を止めている時、そんな男が入れ替わりに車に乗って出て行ったなぁ」


「それだ!」さわこが叫んだ。

「それって、その男がどうかしたのかい?」湯浅刑事が言った。

「あっ、いえ、そのちょっと女子トイレで…」


「なんだって! 高校の女子トイレで、って、まさか痴漢かい⁉」

「最近女子トイレで盗撮するとか、そういうけしからんやからが多からな。よし、すぐに手配しよう」

 田口刑事が背広の内ポケットからスマートフォンを取り出した。


「あっ、いえ、あの、違うんです。そうじゃなくて…」

 電話をしようとした田口刑事を止めようと、答えに窮したさわこが口籠くちごもっている。

「ん? どういうことだい?」


 するとその時、唐突に美穂が俺を指さした。

「刑事さん、やっぱり痴漢はコイツです。さっきから女子トイレの前でずっとウロウロしていました!」

「おい、ちょっと待て!」



    ◇◇◇◇◇◇◇



 土曜日から始まった一学期の中間テストが終わった。

 テストの一週間前から部活は活動禁止だったから、その日俺は久しぶりにトデン研の部室へと向かった。

 ただし、その前に職員室にちょっとした用があったので、一人で少し遅れて行ったのだが。

 

 あの日は、美穂の放った一言のせいで、全てが冗談になってしまい、大人を揶揄からかうんじゃない、と田口さん達に散々絞られてしまった。

 けれど、また妖怪云々と刑事さん達に話をするよりは、かえってその方が良かったのかもしれない。もっとも美穂にそんな計算があってああ言ったとはとても思えないが。


 でもそうなると、あの怪しい作業服の男がどこの誰で、これまでの事件や物の怪と何か関係があるのかないのか、俺たちには調べる術もなく、今日までそのままうやむやになってしまった。

 それに、バラバラ殺人事件は物の怪絡みの事件かもしれない、と意気込んでいたさわこも、再度刑事さん達に注意されたせいもあり、とりあえずここしばらくは大人しくしているようだ。


 あの後、例の女子トイレ付近の言われた辺りを、何度か一人でこっそりと確認してみたのだが、今までなら見えていたであろう妖怪の痕跡は、どんなに目を凝らしても俺には見つけることが出来なかった。

 やはり元の通り、俺には物の怪など、何も見えなくなってしまったらしい。



「ちーっす」言いながら部室のドアを開けた。すると案の定・・・。

 一瞬、美穂がチラリと俺の方を見て大笑いし出した。

「アハハハ! なに、その頭、どうしたの?」


「どうだった、野原くん、OK出た?」さわこが訊いた。

「ああ、まあな。これでダメならもう坊主にするしかないだろう」


「なに、なに? どーゆーこと?」興味津々で美穂が訊いてくる。

「野原くんの髪型、あの片目が隠れたケタロウカットが、ついに山田先生からダメ出しを喰らって。中間テストが終わるまでに切って来いって、ねっ!」

「うん…。まあ」


「中間最終日までに切って来るって約束を守らないと、その場で先生がバリカンで丸刈りにするって言われちゃって」

「なあ~る、それで」と言いながら、美穂はまだクッ、クッ、クッ、と笑っている。


――この野郎~~。人の不幸を笑いやがって


「いやあ、野原くん、逆に似合っていますよ、その髪型」橋野先輩が言った。

「いいですよ、先輩。別に慰めてくれなくても」

「いやいや、本当に。僕も今の短髪の方がいいと思うよ」黒子先輩も笑うことなく、真顔で褒めてくれた。

「そうですか?」

「そうだよ。スッキリして。野原くん、ちゃんと顔が見えた方が全然いいよ」

 本気かどうかわからないが、さわこもそう言った。


「どれどれ」美穂が近寄って来て、ニヤつきながら俺の顔を覗き込んだ。

「やめろよ!」ムッとして、顔を背けた。

「へえ~。あんたって、こんな顔してたんだ。――うん、確かに。ようやく妖怪から人間になれたって感じね。『はやく人間になりたぁ~い』ってか。ウキャキャキャ!」一人で受けてまた大笑いしている。


――コイツ、いつか絶対殴ってやる!



 俺の髪型で盛りあがっていたところに、不意に山田先生が部室に入って来た。

「お前らテスト終了後すぐに部室に集まっているとは、感心感心。よくわかってるじゃないか」

山田先生は、部室に入って来るなりそう言った。


「よし、じゃあ早速始めるぞ!」

「始めるって何をですか?」不思議そうに橋野先輩が訊いた。


「決まってるだろう。もちろん、ボランティア部恒例行事。テスト終了後の校内清掃だ!」

「なにそれ~」美穂が思いっきり渋面をつくって言った。


「あの、先生! ボランティア部は部員数不足で廃部になったのでは?」

「ああっ? なぁ~に言ってんだ野原。部員ならここにちゃんと五名いるじゃないか」


「そんな、私たち入部届なんか、出してませんけど!」美穂が言う。

「仲代、そんな心配は無用だ! 私が代筆して、ちゃんと提出しておいてやった」にやりと笑って、得意気に親指を立てた。



 生徒玄関の隅に設置された掃除用具入れの前に集合した俺たちを前に、早速先生が言った。


「いいか、テスト期間中は基本、清掃なしで下校だったからな、掃除し甲斐があるぞ。けどまあ、今回は実質今年最初の活動だからな、廊下だけで勘弁してやる。教室はいい。だから頑張れよ、お前ら!」


 それを聞いた美穂は、「なにそれ。全くもう、やんなちゃう!」とプリプリ怒りながら、自在ほうきを両手で握って、受け持ちの四階の廊下へと階段を昇って行った。 


 さわこは三階、黒子先輩が二階、橋野先輩は一階と、それぞれの受け持ちの廊下へと向かって行った。

「あの、先生、俺は?」

「ああ、そうか、お前もいたっけな」


――お~い! 俺、もう帰ってもいいですかぁー?


「よし、じゃあ、野原、お前は部室棟の廊下を掃除しろ」

「俺、何階ですか?」

「ああっ⁉ バッカヤロー、あそこは二階建てで小さいんだから、全部に決まってんだろ!」

「ええっー」




 四階の廊下を端からほうきで掃きながら、美穂は声を出してぼやいた。

「はぁ…、なんで私がこんなことしなきゃなんないのよ~」


 四日間の長きに渡る中間テストの呪縛からようやく解放されたためか、この時間まで教室に居残っている生徒はほとんど誰も居ないようで、今は教室も廊下もしんと静まり返っていた。


 イライラしながら、美穂が階段を挟んだ向こう側のトイレの前に来た時、入り口の前に、見覚えのある小さな看板が目に入った。

『清掃中』


――これって…。まさか


 そう思った時、ふうっと、影のように、中からグレーの作業着の例の男が姿を現した。


――あの男だ!


 男もすぐに目の前の美穂に気が付いたようだ。冷たく鋭い視線をこちらに向けてくる。

「まさか、ここでお会いできるとはね」

 気味の悪い薄笑いを口許に浮かべている。

「あなた、この間の…」


「偶然とは言え、そっちから来てくれるとは。こりゃ俺は運がいい。わざわざ君を捜す手間が省けたってもんだ」

「私を捜していた? 前から私のことを知っていたの?」

「いいや、この前お会いしたのが初めてだよ。だけど…。ねえ、お前たち」

  

 振り返った男の背後に、どす黒い小さな渦が巻き起こった。


 キューイ、キューイ、キイ、キイ…


「君、前にこの子たちと遊んでくれたんでしょ?」

 そう言った男の左腕に、見覚えのある小型の窮奇かまいたちが。しかしその姿は、見た目に以前より一回り以上大きくなっている。


「それって、あなたの…」たじろいだ美穂が二三歩後退(あとずさ)る。


「これが、見えるんだね」確かめるように言った。


「やはり、間違いないようだよ」

 男が後を向いてそう言った瞬間、突然気持ちの悪い臭気に満ちた風が、勢いよく美穂の全身を通り抜けた。


 思わず身を低くして目を閉じた。美穂の長い黒髪が乱れる。

「イヤッ、なによこれ!」


 顔を上げ、辺りを見回す。薄暗く、明らかに今までとは周囲の空気感が違う。


――これって、まさか結界!


 次の瞬間、美穂は息を呑んだ。

 気が付くと、目の前に、大きな黒豹のような獣が、血のように赤い双眸をギラつかせ、宙に浮かんでいた。

 

「さてと。もう一度遊んでもらいましょうか。この子達と」


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