35 新たな火種
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同じ週の水曜の放課後、一斉部会は全校各部で集まって、予定通り実施された。
トデン研でも新顧問の山田先生を含め、改めて部員の確認、今後の活動計画についての話、それに、この後提出予定の昨年度の活動報告書の最終チェックをした。
「よし、じゃあ、続けてボランティア部の部会を始めようか!」
山田先生がそう言うと、皆はさあ、終わった、終わったとばかりに、わらわらと一斉に立ち上がった。
「ああ、おい、コラ! お前らまだ終わってないぞ!!」
「よし、じゃ、悪いけど一年生は生徒会室までこの活動報告書を持って行ってくれるかい。その間にぼくらは今年度の活動計画をまとめておくから」黒子先輩が言った。
「おい。こら、お前ら聞いてんのか⁉」
先生には悪いがみんなで聞こえないふりをした。そこに居るのに、見えていない。この時山田先生は透明人間になってしまった。
「野原、悪いけど生徒会室へはあんた達で、持っててくれる? 私はちょっと行くところがあるから」美穂が何やら意味深な笑顔で言った。
「ああ、別にいいけど…」
「おいお前ら、シカトすんな!」
山田先生がまだ一人で騒いでいるが、相変わらず、まるでそこに誰も居ないかのように誰も反応しない。
「美穂さん、どちらへ?」橋野先輩が尋ねた。
「はっ? どこでもいいでしょ! ちょっとお花を摘みに行くだけよ」
怒ったような口調で答えるが、橋野先輩に対して、美穂はいつもこんな感じなので、先輩本人は気にする様子もなく、むしろ、ちょっと嬉しそうに笑みを浮かべている。
「よし、橋野君、早速始めようよ」
「めぐむ、ついでに何か飲み物買って来るけど、いつものでいい?」
「そうかい? 悪いね、じゃぁ、頼むよ」部室を出て行く美穂を追い掛けるように、黒子先輩が振り向いて答えた。
「オッケー」
廊下から美穂の声が聞こえた。
「おい、仲代、どこへ行く? あっ、こら野原まで!!」
さっきからすっかり透明人間になってしまった山田先生が叫ぶ。
先生の言葉は聞こえないふりをして、一人で廊下に出ると、「やっぱり私も一緒に行く」と言いながらさわこが追い掛けて来た。
「別にこれ出すだけだし、一人でいいよ」
「そうはいかないわよ。生徒会室みたいな危険な場所に、野原くんを一人で行かせるなんて」
なんだか知らないが、さわこは妙に気合の入った顔をしている。
「はあ? 何だ、それ」
生徒会執務室のドアをノックすると、「どうぞ」と返事があった。
「失礼しまーす」
言いながら中に入ると、会長席で書類に目を通していた岸野亜弥がふと顔を上げ、驚いたように立ち上がった。
「野原くん!!」
その隣には副会長の大野真人が立っていて、その様子を見て、途端に不機嫌そうな顔をしてこちらを睨んでいる。
「あの…、岸野会長、トデン研の活動報告書を持って来ました」
「そ、そうですか。では、どうぞこちらへ」
入り口の辺りに突っ立っていた俺を見て言った。
「ああそうだ、大野君、この予算関係の原稿、チェックが終わったので、西田先生に提出しに行ってもらえますか?」書類の束を差し出しながら、岸野会長が言った。
隣にいた大野副会長は、明らかに人払いされたような感じになって、一瞬意外そうな表情をしたが、「わかりました」と言ってそのまま部屋を出て行った。
「それじゃ、拝見しますね」そう言って俺から報告書を受け取った岸野会長は、後ろにいたさわこを見て、「あら、中臣さんもいたんですね」とわざとらしく言った。
珍しくさわこが一瞬むっとした表情をする。
しばらく報告書に目を落としていた岸野会長が視線を上げた。
「OKです。ではこちらを他の部のものと一緒に、報告冊子に載せますね。ご苦労様でした」
「そうですか。ありがとうございます。それじゃ、俺たちはこれで」
俺たちが生徒会執務室から出て行こうとすると、岸野会長は、
「あの、中臣さん」とさわこを呼び止めた。
「はい?」
警戒するようにさわこが振り返った。
「少しお話があるのですが、よろしいですか?」
岸野亜弥の表情からは笑顔が消えていた。
何の話だろうと気になりながらも、一人で先に生徒会執務室から出て来ると、ちょうど予算の書類を提出して戻ってきた大野副会長と出くわした。
俺が軽く会釈をして通り過ぎようとすると、「おい、ちょっと待てよ」と呼び止められた。
「はい?」恐る恐る振り返ると、明らかに仏頂面の大野副会長がこちらを見ている。
「なんでしょう?」
「お前、野原って言ったっけ?」
「はい…」
「お前、岸野会長のこと、前から知ってるのか?」
「えっ?」
「この間、あの中庭破壊騒ぎの会議の後、会長と何か話をしてたろ?」
「あ、ああ…」
――そう言えば、あの会議の後、岸野会長に呼び止められて話をしたっけ
「ええと、まあ、知っていると言うか、何というか…」いつものように煮え切らない俺が言葉を濁していると、
「なあ、どっちなんだ?」と問い詰められた。
「いえ、別にその、知っているというか、中学が同じだったって、だけです」
「それにしちゃ、随分と親しげに話をしてたじゃないか、ええ、妖怪くん!」
――なに! コイツも俺が妖怪と噂されてるの知ってんのか
「さ、さあ、久しぶりに、昔の知り合いに会ったから、気遣ってくれただけじゃないですか。別に俺だけじゃなく、誰にでも優しいですから、あの人」
「ほ~う。あの人のことを、よくわかっているじゃないか。そうさ、あの人は気高く美しい。そして誰にでも優しい。――だがな、あの人は特別なんだよ。話し掛けてくれたからと言って、お前なんかが気軽に口を利いていい存在じゃね~んだよ!!」
――ああ~、なにこれ~~。なんかすっごい感じ悪いんだけど~~
「俺はなあ、去年この学校に入学して、初めて彼女を見た時から、一目で好きになった」
「はっ?」
「彼女に憧れた。少しでも彼女の近くに、少しでも長くあの人と一緒に同じ空間に居たいと思った」
――一体何のカミングアウトだよ?
「だから、彼女が一年生ながらも生徒会長に立候補した時、俺は迷わず全力で彼女をサポートして、一緒に生徒会役員になると決心した。そうして俺は今日まで副会長として、彼女をずっと傍で支えてきたんだ。なのに、ポッと出の、同中だと言うだけのお前なんかが、彼女とあんな親しそうに話をしていい訳ねえだろうがぁ‼」
――うわぁー、この人、相当めんどくさいぞ~~
二人だけになった生徒会執務室で、岸野亜弥はスッ、とさわこに背を向けるようにして言った。
「この間の話、覚えてる? 中臣さん」
「この間の話って、・・・私が野原くんのことをどう思っているか、って話ですか?」
「ええ」亜弥が振り向いて頷いた。
「それだったら、野原くんは助手ではなく、今はパートナーだと思っています」
またはぐらかされたような気がして、亜弥は一瞬不愉快そうな顔をした。
「パートナーって、それじゃ助手から少し格上げしただけで、やっぱり単にビジネス上のパートナーってこと?」
「いいえ。確かに今は私がもののけハンターとして活動するために、野原くんはかけがえのないパートナーだと思っています。でもこれから先、それ以上の関係のパートナーになる可能性は十分あると思っています」
「ふっ、やっぱり、そんな遠回しな、まどろっこっしい言い方をするんだ」
今度は明らかに怒りを滲ませている。
「私、そういうの嫌いだから、はっきり言うね。私は一樹くんのことが好き! あなたはどう?」
「なっ⁉ わ、私は…」
あまりにもストレートな問いに、さわこが戸惑う。
「私はね、中臣さん。二年前、中学の時、一樹くんに命を救われたの。彼はそんなことない、自分は何もしていない、私の勘違いだって、今でも言うんだけど、でもそんなことない。彼は命懸けで私のことを守ってくれた」
「わ、私だって、今まで何度も野原くんに助けてもらいました」
これ以上ない真剣な亜弥の言葉に、さわこももう後へは引けなかった。
この人の真剣な気持ちに、自分の気持ちなど、まだよくわからないけれど、何とか自分も精一杯真剣に答えなければいけない、そう思った。
「そう? だったら、あなただって、彼が何か普通の人とは違うって、本当はわかっているんでしょう?」
「それは…」
はっきりと言葉にすることはできなかったが、さわこの表情から、亜弥はそのことを確信したようだった。
「やっぱりね。わかっていたんだ、彼のこと。そうじゃなきゃ、パッと見、冴えない感じの彼に目を付けて、パートナーにしようなんて思うはずないもの」
「そんなんじゃ、ありません!」さわこは納得のいかない、何かもどかしい顔をしている。
「もう一度言うね。私は一樹くんが好き。あの日からずっと、一日だって忘れたことはなかった。最初は私を助けてくれた彼に、いつかお礼がしたい、ってそんな気持ちだったと思う。だけど、この学校で偶然彼と再会して、本当の自分の気持ちに気が付いた。――私、彼のことがずっと好きだったんだって」
「そう、ですか…」
「だから、相手が誰であっても、たとえそれが、もののけハンターでも、絶対に彼は譲れない」最後は少し冗談っぽく言って笑った。
亜弥の気持ちに応えようと、意を決したように顔を上げたさわこが話し出した。
「私…、まだよくわからないんです。野原くんのこと。でも、これだけはわかります。私、野原くんといると楽しいし、これからもずっと一緒にいたい、と思っています。・・・だから、だからあなたにとられるのはイヤです。――あなたに、野原くんは渡しません‼」
「それは、私に対する宣戦布告ですか?」
亜弥の視線が鋭くなった。
「そう思ってもらっても構いません」
さわこも視線を逸らさない。
「よくわかりました。その言葉が聞きたかった」亜弥の表情が明るくなった。
その時・・・
「会長、予算計画書、出してきました…。って、お話し中でしたか、失礼しました」言いながらドアを開けて入って来た大野副会長が、ただならぬ様子の二人を見て慌てて出て行こうとした。
「ああ、大丈夫です。大野君、もう終わりましたから。書類提出、ご苦労様でした」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
部室棟のトイレは築年数が経っていて古くて嫌いなので、部活の時も美穂はいつもわざわざ本校舎のトイレまで戻るようにしている。
「ああ、面倒くさい」と思いながらも、一階のラウンジ傍の女子トイレの前まで来ると、入り口の前には「清掃中」の看板が立っていた。
「うそ! 清掃中? マジで」
このままだともう一階上のトイレまで上らなくてはいけない。なんとか使用できないかと、入り口から首を突っ込んで奥を覗いてみた。
と、突然奥からボサボサ頭の男が顔を出した。髪には軽くウェイブが掛かっている
グレーのつなぎタイプの作業着のその男は、「すみませんが、もう少しお持ちください」と言った。
抑揚のない、冷たく感情のない声だった。
「ひぇっ、ごめんなさい!」
驚いた美穂はそう言うと、後ろにぴょんと飛び退いて、急いでトイレ脇の階段を二階へと駆け上って行った。
――なに⁉ 今の人。気持ち悪い
自分の目の前から逃げるように飛び出して行った美穂を、このようなことには慣れているのか、無表情で見送った男は、静かに後ろを振り返った。
背後には得体の知れない黒いモノが、ぐるぐると静かに渦を巻いている。
――キューイ、キィー、キィー
「こらこら、お前達、そんなに興奮して。こんな所で出て来ちゃだめだよ、落ち着くんだ。しかしそれにしても、思っていた以上にこの学校にはお前たちの大好物がいるようだねぇ」
今まで能面のように冷たく、無表情だった男の口元が綻んだ。