89話 両手の傷と心の傷
それから私と彼女の激闘は一時間にも及び、遂には決着する。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、わしがここまで追い込まれるのは久しぶりじゃ……やるな」
守衛騎士と近衛騎士との連戦の末、私との一騎討ち。彼女は私の猛攻により全身から流血し、片膝を付いて激しく肩で息をしていた。
「馬鹿な……私が敗れたというのか?」
しかし、その猛攻を凌ぎ切られた私は刃力も血液量も限界を迎えており、更には彼女の凄まじい剣技の前に敗北を喫し、両膝を地に付いて茫然としていた。
そんな私に彼女が言う。
「それ程の力を持ちながら、最後まで抗う事もせずエリギウス帝国に屈しようとするとはな」
「……なぜそれを?」
「とある筋からの情報でな、メルグレイン王国の国王は元老院の圧におされ、降伏の準備を進めていると」
「…………」
「確かにここで降伏をすれば、それを主導した元老院の連中はある程度の地位を約束され、自分達は最小限の被害でエリギウスの民として迎えられる。だがお主とメルグレインの民達はどうなる?」
そんなことはわかっている。わかっていた。
私は恐らく処刑され、民達は騎士師団長による独裁の中圧政を強いられ、刃狩りと称して多くの子供達が騎士に強制登用される。更にはエリギウスの民となった後も元敗戦国の民という肩書は消えない、長らく苦渋を舐める事になるのは明らかだ。
わかっている、それでも……
「……それを私に言ってどうなる? 私は王としての資質を持たないただの操り人形、誰もが知っている事だ。決定権など始めからありはしない」
「だから元老院の傀儡となり、抗いもせず沈みゆく国と心中するというのか? それがお主の父ブルート=ベルク=メルグレインの望み、お主に託した未来だというのか?」
見透かされたようだった、自分の葛藤や迷いを。そして代弁しているようだった、まるで父の言葉を。
だが私にはどうする事も出来ない。私は父にはなれない。私は資質を持たない仮初の王だ。
「黙れ黙れ黙れ! お前などに私の何がわかる!?」
私はあらゆる感情を噴出させ、再度竜殲術〈血殺〉を発動させると、血液の短剣を何とか形成させた。
そして力を振り絞るように立ち上がると、彼女に向かって突進する。
「カハッ」
感情に任せた真っ直ぐな刺突は、彼女の脇腹に突き刺さっていた。避けられない筈は無い、彼女がわざと私の一撃を受けたのは明白だった。
「な、なぜ避けない?」
更に彼女は、自身の脇腹に刺さった血の短剣を掴む私の手を優しく包み込むように触れた。そして言う。
「己を否定するな。家臣の為に怒り、民の為に自ら傷付き己の血を流して来た。お主以上に国王たる資質を持つ者が何処にいる!?」
――口先だけの言葉の筈だ。私に取り入る為の建前の筈だ。筈……なのに、何故こいつの言葉はこんなにも刺さる……心を揺さぶるんだ。
気が付けば、私の両の眼からは溢れんばかりの涙が零れ落ちていた。
次の瞬間、体力の限界に加え先程の私の一撃による出血により、彼女は力尽きその場に倒れ込んだ。
「陛下、無事ですか?」
すると、パンツァーステッチャー数器に加え、騎士達が増援として次々と城門前に集結してくる。
「そいつが狼藉者ですか? 既に倒しているとはさすが陛下です」
「我々が不甲斐ないばかりに、またしても陛下が傷を」
「この者はここで処刑致しますか? それとも牢へと投獄致しますか?」
増援にやって来た騎士達は剣を抜き、彼女を取り囲み始めた。
「ならん!」
直後、私は彼女を庇うように両手を広げ、立ち塞がった。
「これ以上この者を傷付ける事は私が許さん」
「へ、陛下、なぜそのような奴を庇うのです?」
「黙れ……運んで手当をしてやれ、いいな」
狼藉者である筈の彼女を、私は王城へと運び手当させるように命令した。
彼女は絶対にここで死なせてはいけない人間だと、私は心の奥底で確信してしまっていたからだ。
※
数時間後。
彼女が王城の医務室で目を覚ました。
その空間には私と彼女と、そして彼女の仲間であるという一人の少女が居た。
「う……ん」
「目覚めたか」
私が声をかけると、彼女はゆっくりと身体を起こし、さして動揺した様子もなく口を開く。
「お主は、アルテーリエ殿……」
たった独りで王国に乗り込んで来た挙句、あえて私の一撃を受けるなど無謀もいいところ、治癒の竜殲術を持つエイラリィとやらが駆け付けていなかったら死んでいたかもしれんぞ、と苦言を呈する私に対し、彼女は表情を変えることもなく冷静に返す。それが単なる強がりでない事はすぐに解った。
そして言う。こうなる事を予測してエイラリィには時間差でメルグレインに到着するように指示を出していたのだと。
「なに?」
それとエイラリィに来てもらったのにはもう一つ理由があるのだと彼女が告げると、エイラリィという名の少女が私にそっと両手を差し出した。
「アルテーリエ様、御手を」
エイラリィに言われるがまま、私は恐る恐る両手を差し出す。するとエイラリィの額に剣の紋章が浮かび上がり、先程彼女を治癒した時と同じように淡く青白い光が私の両手を包み込む。
どこか懐かしさを感じさせるような心地よい温かさと共に、私の両手に刻まれた無数の傷跡が消えていく。勿論古い傷痕が完全に消え去る事は無かったが、それでも傷跡は目を凝らして見なければ分からない程に薄くなっていた。
「……両手の傷跡が」
彼女は告げる。〈血殺〉は強力だが血を流さなくては発動しない厄介な竜殲術。私は一国の王とはいえ年頃の娘、傷が残っていては辛いだろうと。
長らく刻み込まれていた醜い傷跡が消えた事、私を一人の少女として見てくれた事、彼女の心遣いに私は胸打たれ、顔が熱くなった。そして赤くなったであろう顔を隠すようにそっぽを向きながら問う。
「どこのどいつかは知らないが全てはお前の掌の上か……お前、名は何という?」
すると彼女は、初めて柔らかに微笑んだ。それは王家の血を引く私が見惚れる程美しく、どこか気品に満ち溢れていた。
「ヨクハ……ホウリュウイン=ヨクハじゃ」
「ホウリュウイン=ヨクハか、お前の騎士団との同盟の件は考えてやってもいい」
「本当か!?」
「ただし条件がある」
「条件?」
その条件を提示する事が私は気恥ずかしく、両手の指を絡めるようにしながらしどろもどろで言う。
「お、お前の事、ヨクハちゃんと呼んでもいいか?」
「ヨクハちゃん……うーむ、ま、まあそのくらいなら」
渋々といった様子で了承する彼女。
「あと私の事はアルテと呼べ、いいな?」
「条件二つになっておらんか?」
「いいだろ、そのくらい!」
初めて私自身と向き合ってくれた。初めて私が心の内を叫んだ。勝手な事ではあるが、私は彼女の事を友と……そう思ってしまっていた。
その後、私は私欲塗れの元老院を解体し、自らが主導となって再びレファノス王国と、そして後の〈寄集の隻翼〉と共に戦う事を決意した。両手の傷と心の傷と共に、いつの間にか迷いは消えていた。
例え荊棘の道になろうとも、例え重い運命を背負おうとも、私はこの国を守る王なのだから。
※ ※ ※
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