84話 竜に焦がれ
それから、パルナが落ち着いた事を確認すると、リアは〈因果の鮮血〉の騎士に格納庫の天井を開かせた。
「それじゃあパルナの事をよろしく頼むわね、あなた達」
リアは、ソラとプルームにそう告げると、すぐにヒポグリフを飛び立たせ、灰色の空へと飛び立っていった。
「ありがとう、リアお姉ちゃん」
格納庫の天井はすぐに閉じ、プルームはリアの飛び去った残影を暫く見つめていた。
すると、そんなパルナにソラが視線を向けた。そして頬を掻きながら声をかける。
「あのさパルナちゃん……フォルセス島に到着する前にしてた話の続きなんだけどさ」
改まったソラの態度に、プルームは少しだけ緊張しながら耳を傾けた。
「俺、パルナちゃんは当然として、ルナールの事だって別に恨んじゃいないよ」
「え?」
「ルナールは褒められるような人間じゃなかった、けどルナールが一つの島を救ったのは事実なんだ。それに封怨術師の人達が居なかったらこの世界はとっくに滅んでる」
「……ソラ」
「今はリアさんが作った浄化の宝珠なんて便利な物があるけど、昔は封怨の神子に怨気を封印するしかなかった。非人道的だって罵られて、心を痛めて、罪を背負って、自分を責め続けて、それでも世界を救って来た封怨術師の人達を……パルナちゃんの事を俺は尊敬してる」
ソラの言葉を聞き、それを胸に刻むようにパルナは胸にそっと手を当てた。そしてゆっくりと目を閉じた後、柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう……ありがとねソラ」
そして淀みの無い声でパルナは続けた。一度決めた筈だった、自分に出来る事をする、それがリュカに対する償いなのだから。しかし、いつの間にか自分がすべき事が分からなくなって、いつの間にか立ち止まりそうになっていたと。
「でももう大丈夫、リアお姉ちゃんとあんたが思い出させてくれたから」
迷いの無い声、そして瞳、それを見てソラはほっとしたように安堵の表情を浮かべた。
すると二人のやり取りを見ていたプルームが満面の笑みでソラに声をかけた。
「ソラ君て優しいね」
「え、そ、そうかな?」
突然のプルームのそんな言葉に、照れ臭そうに動揺して返すソラ。
「ほら、エイラの事もこないだ元気付けてくれたよね。エイラ言ってたよ、ソラ君に凄く感謝してる、吹っ切れる事が出来たんだって」
「あ、いやあ、あれはただ、本当に思った事を言っただけで……」
「ふふ、それが素敵なんだよ。ねっパルナ」
突然プルームから振られ、パルナは頬を赤くし、目を反らしながら答える。
「……うん」
こうして、フォルセス島の怨気封印任務が無事完了し、ソラ達はツァリス島本拠地へと帰陣するのだった。
※
それから本拠地聖堂にて、フォルセス島での出来事をヨクハに報告するソラ達。
「ふーむ、なるほどのう」
「いやあ、リアさんがたまたまたパルナちゃんの知り合いだったから助かったけど別の教団員だったらと思うと」
「しかし、腑に落ちんのう」
ヨクハは、醒玄竜教団は報酬が無ければ決して封怨は行わない。故に依頼があってから初めて動く集団であるのは誰もが知っている事で、今回のようにわざわざ怨気の発生源へ調査に来るなどとは、にわかには信じらないと語る。
そして、ヨクハは何かを考察するように口元に指を当てた。
「とはいえ、醒玄竜教団を今敵に回すのは得策とは言えんのは確かじゃ。暫くは怨気封印の依頼は受けないことにしておくのが無難じゃな」
すると、ヨクハはおもむろに団長席から立ち上がる。
「とりあえずこの話はこれで終わりじゃ、と言う訳でソラ」
名指しされ、ソラは一人嫌な予感を募らせた。
「闘技場に先に行って待っておれ」
「えーと、まさかまたあれをやるの?」
「当然じゃ、前回お主は情けなく気を失っていただけじゃろ、何故あれで終わりになると思った? 続きを始めるぞ」
それを聞き、ソラはまたあの恐怖を味わわなくてはならないのかと、がっくりと肩を落し、大きく溜息を吐くのだった。
※
それからおよそ一ヶ月の月日が経ち、エリギウス帝国側とは大きな戦闘も起きず、〈寄集の隻翼〉の団員達は各地でシーベットが受けて来た依頼をこなし、ソラはヨクハとの感情制御の修行を続けるのだった。
しかし結果は芳しくなく、気絶こそしなくなったものの、ヨクハが仕掛けるあらゆる行動に対し、ソラはミスティリオの種を発芽させずにおくことはただの一度も出来なかった。
そんなとある日。藐の空域、イルデベルク島、ウィンとアーラの自宅にソラの姿は在った。
塵の空域攻略戦から一ヶ月が過ぎ、ソラは改めてウィンにその時の礼を伝えがてら、アーラに会いに来ていたのだ。
久しぶりに訪れたソラの姿に、満面の笑みと頭へのしがみつきで歓迎を示すアーラを、ウィンが窘める。
「こ、こらアーラ、そんな事したらソラが重たいですよ」
「いいんだもん、せっかくソラが会いに来てくれたんだからアーラ今日はソラから離れないんだよ」
ウィンに無邪気な反抗をするアーラに対し、ソラは優しく微笑みながら伝える。
「はは、今日は俺色々と気分転換したいからアーラちゃんにとことん遊んでもらおうかなあ」
「へへへ、仕方ないなあ」
その後、ソラはアーラと共に追いかけっこやおままごと、隠れん坊やボードゲームなどに興じ、散々遊び尽くしたアーラは疲れと満足で、テーブルの椅子に腰掛けるソラの膝の上に座りながら、心地良さそうに寝息を立てていた。
ウィンはアーラの面倒を一日見てくれたソラを労うように、そっと煎れ立ての紅茶を差し出す。
「ソラも色々と忙しいのに、今日はアーラと遊んで貰ってありがとうございました」
「いえいえ、アーラちゃんが喜んでくれたみたいでよかったですよ」
「ははは、ソラはアーラの大のお気に入りですからね」
するとソラは少しだけ無理をして愛想笑いをしてみせた。そんなソラの様子を感じ取ったのかウィンが不意に言う。
「遠慮なく話してください」
「え?」
「ここに来たのは、何か悩みでも聞いて欲しかったんじゃないですか?」
自分の心情を見透かすようなウィンの言葉に、ソラは大きく息を吐くと打ち明けた。
「実は感情制御訓練が思うように上手くいかなくて」
「……感情制御ですか?」
「はい、ウィンさんは戦う時恐怖ってどうやって制御してますか?」
ソラの問いかけに、ウィンは腕を組んで難しそうな表情を浮かべた。
「僕は戦っている時、いつも怖いですよ」
意外な返答に、ソラは思わず素っ頓狂な声を出した。
「ウィンさんが?」
するとウィンは説く。自分だけでなく覚醒騎士は敵の苦痛や死の間際の怨念などの感情を無意識に感じ取ってしまう為、恐怖を完全に排除して戦うのは不可能だと。
また、自分が戦いで死ねばアーラを独りにしてしまう。大切な者を悲しませてしまうかもしれないという可能性の未来、或いは大切な者を失うかもしれないというそれ。
それらを持っている者は戦いの中で否が応でも恐怖を感じるのは必然なのだとウィンは言った。
「……でも俺は、何が何でも竜域を会得しなくちゃならないんです」
「何か並々ならない理由があるようですね」
ソラの眼光と、焦燥感を漂わせるその言葉を聞き、ウィンは改めて尋ねた。
そしてソラは語る、自分の過去を、エルの事を、オルタナ=ティーバの事を。ウィンはソラの話すそれらに、真剣に耳を傾けていた。
「……そうですか、その右頬の痣はやはり怨気の黒翼だったんですね」
「今まで黙っててすみません、何かアーラちゃんの居るここではあんまり重たい話はしたくなくて」
そうアーラを気遣いながら、ソラは続けて打ち明けた。感情制御訓練で恐怖を必要以上に感じるのは、あの日から、死ねない……死ぬわけにはいかないとずっと思って来た。そう思い続ける内にいつの間にか誰よりも死に対して臆病になっていったからだと。
それでもまずは訓練を乗り越えなければ竜域は会得出来ない。竜域を会得出来なければオルタナ=ティーバに勝つ事は出来ない。
ソラは、自分の中の焦燥を露わにするように目を伏せながらも強く拳を握り締めていた。そんなソラの様子を見て、ウィンは穏やかな口調で諭す。
「ソラ、僕は竜域には入れないので参考にならないかもしれませんが、竜域は無意識の極地……であれば今のソラのように入ろうと意識すればする程入れなくなる、感情制御訓練においても同じなのではないでしょうか?」
「…………」
「焦る気持ちは解ります、でも焦りは決して人を成長させたりしません。月並みですが、成すべき事があるのなら、今はただ己を信じてやれる事をやっていくしかないと思います」
そう言い終えるとウィンは少しだけ冷めてしまった紅茶をゆっくりと口に運んだ。すると突然。
「ソラ、竜になりたいの?」
寝息を立てていたと思われたアーラがいつの間にか目覚めており、不意にソラを見上げながら満面の笑みで語りかけた。
「じゃあアーラはソラのあこがれなんだね」
瞬間、ウィンは口に含んだ紅茶を勢い良く吹き出すと、激しく咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですかウィンさん?」
「す、すみませ……ゲホッ……ゲホッ!」
アーラの意味深? 不可解? な発言を気にする間も無く、ソラは咽せるウィンを心配するのだった。
そうしてソラは、この日イルデベルク島でしばしの休息をした後、島を後にしてツァリス島へと戻った。
84話まで読んでいただき本当にありがとうございます。
ブックマークしてくれた方、評価してくれた方、いつもいいねしてくれてる方、本当に本当に救われております。
誤字報告も大変助かります。これからも宜しくお願いします。