80話 〈寄集の隻翼〉の封怨術師
それから数十分後。ソラは騎士宿舎の自室に居た。
畳の上に敷かれた布団で横になっているソラ。その傍らに置かれた座布団の上に座りながら、寝息を立てるソラの寝顔を神妙な面持ちで覗き込むヨクハの姿がそこにあった。
すると突然、ヨクハの後方の襖が開かれる。
「まさかお前がソラに都牟羽を……諷意鳳龍院流を伝授しようだなんてな」
ヨクハが声の元に振り返ると、そこにはシオンが腕を組んで立っていた。
「……師匠」
シオンに対し、“シオン殿”ではなく“師匠”と呼ぶヨクハ。するとシオンは小さく嘆息し、続けた。
「だがそれはちと無理があるんじゃねえか?」
「…………」
「ソラは良くやってる。こいつはこいつですげえ奴だよ、それは俺も認めてる。だが、それはあくまでただの蒼衣騎士としての話だ。竜域に達するには足りない物があまりにも多すぎる」
シオンの指摘に、ヨクハは目を伏せながら背を向け、再びソラの顔に視線を向けた。そんなヨクハにシオンは更に続ける。
「お前がもしソラを“レイ”と重ねて見ているんだとしたら、それはいささか残酷が過ぎると思うぞ」
そんなシオンの言葉を受け、ヨクハはシオンに背を向けたまま深く目を瞑って答える。
「冗談言わないでよ師匠。レイとソラとじゃ似ても似つかない。この子はレイと違って不器用で、要領が悪くて、諦めの悪さだけが取り柄のどうしようもなく泥臭い奴」
言いながらヨクハは目を開き、ソラの顔を見ながら優しく微笑んだ。
「そう、強いて言うならこの子が似ているのは……私の方なんだよ」
そしてヨクハは、ソラの頬を優しく突く。
「……だが、こいつはお前と違って不老でもなければ永い時がある訳でもない。お前の域にまで達するには時間が足りな――」
「師匠は意外と見る目が無いんだね」
ヨクハがシオンの言葉を遮った。
「大丈夫だよ、ソラならきっと」
するとヨクハは再びシオンの方に振り向き、真っ直ぐな目ではっきりと言い切った。
「まっ、何となくだけどね」
しかし涎を垂らしながらだらしのない顔ですやすや眠るソラを見ると、ヨクハはすぐさま頬を掻き、少しだけ自信なさげに呟くのだった。
※
翌朝。
本拠地の聖堂にはヨクハ、ソラ、プルーム、そしてパルナの姿があった。
ヨクハは聖堂の団長席に座りながら三人に伝える。
「今朝、〈因果の鮮血〉から任務の依頼があった」
「任務の依頼?」
するとプルームが周りを見回し、最後にパルナを見た後、何かを察したように掌を叩いた。
「あ、このメンバーって事はもしかして」
「そうじゃ」
それに対し、頷くヨクハ。
「以前の塵の空域攻略戦の影響で、フォルセス島に怨気が発生したとの事でな」
怨気、その言葉を聞き、ソラが大きく反応を見せ、神妙な面持ちになる。かつて封怨の神子として体内に怨気を封印されているソラにとって、並々ならない想いがあるからだ。しかしソラはすぐにハッとしていつもの砕けた表情で尋ねる。
「え、でもそれは俺達に言われても困るって話じゃないの? 封怨術師の派遣は普通、醒玄竜教団に依頼するもんだし」
醒玄竜教団、それは〈剣と黒き竜の火〉と呼ばれる人竜戦役の後に設立された教団である。かつてのラドウィードの民、そして現在のオルスティアの民の殆どが信仰する空地双神教と異なり、空の聖霊神カムルと地の聖霊神ラテラではなく、竜祖セリヲンアポカリュプシスを神として崇めている。
かつての人類の敵であったセリヲンアポカリュプシスを神として崇める醒玄竜教団は、オルスティアの民にとっては異端とも言える存在ではあるが、その地位は各国から保護の対象となり、特別な地位を築くに至る。
何故なら、人類にとって必要不可欠である封怨術は現在、醒玄竜教団に伝わる門外不出の術であり、唯一無二の存在だからだ。
そのような術を必要とする怨気封印の依頼が騎士団に来ることは通常有り得ず、ソラの指摘は尤もであった。
「なんじゃ、お主知らんかったのか?」
するとソラに対し、きょとんとした顔で答えるヨクハ。
「パルナは封怨術師じゃぞ」
「えっ!」
衝撃の事実にソラは目を丸くしてパルナの方に振り向く。
「そうだったのパルナちゃん?」
「あ、うん、まあね」
対し、パルナは伏せ目がちに少し沈んだような表情を浮かべて返した。
「醒玄竜教団に封怨術師派遣の依頼をすると莫大な金額を納めなくてはならんからのう、怨気封印の依頼は騎士団結成以前からうちによく来ておったんじゃ」
それを聞き、かつてルナールがレファノス王国から、多額の報酬で怨気封印の依頼を受けていた事をソラは思い返していた。
「あれ? でも何でこの場に三人も集まってるんだ? パルナちゃんと、パルナちゃんをフォルセス島に送る奴が一人いればいいんじゃないの?」
同時にソラは、ヨクハに任務という事で呼び出された者が三人いることを不思議に思った。
「送迎役は一人で十分じゃが、怨気封印任務はパルナの護衛も必要になるからのう」
「護衛?」
すると、先程から俯き気味であったパルナが自ら口を開く。
「私は元、醒玄竜教団の人間だから」
「…………」
封怨術は醒玄竜教団の門外不出の術。パルナが封怨術師という事は当然、醒玄竜教団に身を置いていた過去があるという事である。
「私はディナイン群島出身の戦争孤児でね、五歳の時に両親を失ってから醒玄竜教団に引き取られたの」
「……そうだったんだ」
「でも、八年前……十歳の時に色々あって私は醒玄竜教団から逃亡した。けど教団の追手に命を狙われるようになって、ついに殺されかけて、ペガサスに乗って命からがら彷徨うように逃げて、たまたま辿り着いた先、そこがこのツァリス島だった」
離反したとはいえ、教団の人間が元教団の人間を殺そうとする。その恐ろしい思想、そしてパルナもまた壮絶な過去を持っていた事にソラは言葉を失っていた。
「そしてエイラリィのおかげで一命を取り留めて、ヨクハ団長とシオンさんに引き取られて、私もいつの間にかこの騎士団の一員になってた」
するとヨクハが言う。怨気封印は醒玄竜教団が独占する生業。故に教団を離反した封怨術師はその命を狙われ続ける。だからパルナにはこの島で生きる以外の選択肢がなかったのかもしれず、そんなパルナが持つ貴重な力を利用してしまっているのは申し訳ないと思っていると。
少しだけ後ろめたそうに語るヨクハを見て、パルナをすぐに首を横に振った。
「違う、選択肢が無かったんじゃないわ。私は自分でこの道を選択したの。団長やシオンさん、皆の力になりたいって純粋に思ったから、そしてそれが私なりの……」
パルナは何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「そっか、だから今回の任務には送迎役と護衛役が必要ってことなんだな」
これまでの話を聞き、ソラは任務で自分が果たすべき役割を理解した。すると、ヨクハがソラに告げる。
「今回はパルナの護衛役としてプルーム、ソラに同行してもらうが、送迎役の兼任はソラ、お主がやれ」
「え、俺? そりゃ別に構わないけど」
そんなヨクハの提案に、パルナが突然顔色を変えた。
「え、ちょっ、ちょっとヨクハ団長! なんで送迎役がソラなの? 別にプルームでも……」
「えーと、そんなに露骨に嫌がられるとさすがにショックなんですけど」
パルナの動揺に、ショックを隠し切れないソラ。それに気付いたパルナがハッとしたようにソラに取り繕う。
「ご、ごめん、そうじゃなくてその……」
そして取り繕いながらも言い淀むパルナを見てヨクハが言う。
「パルナ、お主ソラに対して以前から思う事があったんじゃろ? 同じ騎士団の仲間に遠慮していてどうする?」
「……それは」
――えっ、俺パルナちゃんに何かしたっけ?
ヨクハとパルナとのやり取りに、ソラはパルナとのこれまでのやり取りを思い返すのだったが、心当たりを見つけられなかった。
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