79話 竜域
するとヨクハの話を聞く内に、ソラの表情が次第に明るくなっていった。
「え、それじゃあ俺もやろうと思えばその状態になれるのか?」
「まあ理論的には蒼衣騎士であれば誰でも竜域に達することは可能じゃ」
「蒼衣騎士であればってことは、銀衣騎士や聖衣騎士は駄目ってこと?」
竜域は完全なる無の領域に達し、潜在能力を解放する状態。銀衣騎士や聖衣騎士のような覚醒騎士は優れた先読み能力や感情受信能力が備わっている為、竜域のように完全な無の状態になる事は出来ない。そもそも覚醒騎士は常時潜在能力が解放されている状態であるから、仮に竜域に達したとしもそれ程変わらないとヨクハは言う。
「つまり竜域は劣るわしらだからこそ達する事が出来る領域とも言える」
「……劣るからこそ」
何か思うことがあったのか、ソラはそう呟きながら一点を見つめていた。そんなソラにヨクハは続けた。
しかし、それでも竜域の騎士はやがて覚醒騎士に取って代わられた歴史があったのは事実である。そして常人を遥かに凌駕する力に目覚めた覚醒騎士は、天空界オルスティアからやって来た騎士、“オルスティアの騎士”と呼ばれるようになり、人間の力の延長でしか戦えない竜域の騎士は侮蔑の意味も込めて“ラドウィードの騎士”と呼ばれるようになった、と。
また、とあるきっかけで突然人知を超えた力を手に出来る覚醒騎士とは違い、竜域に達する為にはたゆまぬ訓練と長い時間が必要になる。そして竜域に達する事が出来たとしても元々の力が脆弱であれば、得られる力はそれなりでしかないのだ。
「ラドウィードの騎士……そういえば聞いたことが」
「そして諷意鳳龍院流の都牟羽とは、竜域に達している極限の集中状態の中で、体内の刃力の流れを無意識に読み取り、刃力を操って刀身に纏わせたり、刃のように放出する剣技の事なんじゃ」
そこまで聞いてソラは理解する。
「ってことは都牟羽を会得する為にはまずは……」
「そう、竜域を会得する必要があるということじゃ」
それを聞き、ソラは黙りこくった。何故なら技術を覚える剣技とは違い、竜域……つまり無の状態に達するというのは感覚的な話であり、単純に剣技を覚える事よりも遥かにハードルが高いように感じられたからだ。
「こう言っては何じゃが都牟羽は攻撃手段の一つにすぎん。聖霊騎装を使用する代わりに、剣を使用して強力な攻撃を放つだけのこと。覚醒騎士と互角以上に渡り合う為に必要なのはむしろ竜域の方であると言っても過言では無い」
ヨクハはそう言い終えると、神妙な面持ちでソラの目を見ながら続ける。
「と、言う訳で……やれ」
「えっと……何を?」
「何をって、さっさと竜域に入れと言っておるんじゃ」
「いや出来るかっ!」
突然の無茶振りに、ソラはたまらず叫びを上げた。
「そんないきなり言われて出来る訳ないだろ、前から言ってるでしょうが、俺はただの凡人なんだよヨクハ団長」
するとソラの自虐的な抗議に、ヨクハはたじろぎながら返す。
「いやさすがに冗談じゃ、本気にするでない」
「団長のは冗談なのか本気なのかいつも分かり辛いんだよ!」
そんなやり取りをしている内に、月に雲がかかり始め、辺りは闇に染まり始めていた。
「とりあえず、今日はここまでじゃな。竜域に入る為の訓練は明日から開始する、よいな?」
「了解、よろしく頼むよ、お師匠」
「だから師匠と呼ぶなと言っておるだろ!」
するとソラは突然、焦ったように懐の時計を取り出して時刻を確認する。時刻は21時、日付が変わる三時間前であった。
「ああっ、もうこんな時間だ」
「ん?」
「今日は朝から団長にしごかれてたから、まだ剣の素振りやってないんだよ」
「ああ、一日一万回剣を振るとかいうやつか?」
「そうそう、エルとの約束だからさ」
「わしとの模擬戦闘で一万回くらいは振ったじゃろ? それでは駄目なのか?」
「いや、それはそれ、これはこれって言うか……」
ソラはそう言い終えると、一心不乱に剣を振り始めた。その姿を見て、ヨクハは目を丸くした後、僅かに笑みを浮かべた。
「相変わらず、面白い奴じゃのう」
※
翌日の朝。
ソラは、島の端に設置された円形の闘技場でヨクハを待っていた。ここは以前、ソラがカナフとソードで模擬戦闘を行った場所であり、主にソードでの訓練に使用する場所であるが、何故かソラは身一つでこの場所に待機させられているのだった。
すると、少しして本拠地の方から高速で飛翔してくる灰色のソードが一騎、ヨクハのムラクモであった。
ムラクモは闘技場の上空で制動すると、ソラの前に降り立った。そして片膝を付き、鎧胸部が開放され、中からヨクハが飛び降りてソラの前に降り立つ。
「すまん、待たせたな」
「えっと、団長はソードで来たのに俺は身一つだけどいいの?」
ヨクハだけがソードを操刃して来たこの状況に、ソラが怪訝そうに尋ねると、ヨクハは懐から何かを取り出した。
「それってもしかして?」
ヨクハの取り出したもの、それは親指の先程の大きさの植物の種のようなものであった。するとソラはそれに見覚えがあるかのような反応を見せる。
「ミスティリオの種だよな?」
「なんじゃ、知っておったのか?」
「だって俺昔グリフォンの世話してたし、飼葉としてミスティリオも育ててたからね」
ミスティリオとは、生物の強い感情を餌にして一気に成長する植物で、栄養が豊富で飼葉としてもよく用いられており、この島では主にデゼルが育てている。
「この種を懐に仕舞え」
そう言うとヨクハはソラにミスティリオの種を手渡した。
「何で?」
「竜域に入る為には……そして自在に入れるようになる為にはどうしても感情制御が必要不可欠になる」
「はあ」
「これからわしがある事をする、お主は心を出来るだけ無にすることを意識しろ。ミスティリオの種が発芽したら失格じゃ」
「ある事?」
ソラの頭に嫌な予感が過る。同時にヨクハはムラクモの操刃室に乗り込み、鎧胸部を閉鎖した。するとムラクモの双眸が輝き、起動する。そしてムラクモは腰の鞘からおもむろに羽刀型刃力剣を抜き放ち、構えた。
ソラの嫌な予感が確信に変わる。
「あのー……まさか」
「うむ、今からわしがムラクモで斬撃を放ちお主に寸止めをする。お主は恐怖することなく立っていろ」
それを聞き、ソラの顔貌が蒼白となり、冷や汗が額に滲み出た。
「いや、無理でしょ! 手元が狂ったらどうするつもり?」
「……その時はすまん」
「すまんじゃすまないでしょうが! 絶対に嫌だ!」
「一々うるさいのう、こないだはオルタナを相手に勇敢に戦っておったろうが」
「それはそれ、これはこれ! うちはうち、よそはよそ!」
すると、散々渋りまくるソラに、ヨクハのムラクモが剣の切っ先を向けた。
「いい加減やかましい、さっさと覚悟を決めろ」
「……はい」
痺れを切らしたヨクハの迫力に圧され、直立不動になるソラ。
「というか、まさかとは思うが今のやり取りで発芽しておらんじゃろうな? 一度確認せい」
「ああ」
素直に懐からミスティリオの種を取り出し、ソラは目視した。
「この通り、ばっちり発芽しております!」
敬礼のポーズを取りながら芽が出たミスティリオの種を差し出すソラを見て、ヨクハはこめかみを押さえて大きく嘆息した。
※
「――と、言う訳で仕切り直しじゃ」
ヨクハに貰った新しいミスティリオの種を懐に仕舞い、ソラは魂が抜けたような表情で直立不動となっていた。
「はあもう、さっさとやっちゃってください」
半ば諦めたように、か細い声で呟くソラ。
「よし、いくぞ」
直後ムラクモは、羽刀型刃力剣を大上段に構え、一気にソラへ向けて振り下ろした。その風圧でソラの髪が激しく揺れた。
そして羽刀型刃力剣の刀身はソラの頭部の上すれすれで止められている。ソラは無表情で直立不動のままである。しかし、ピクリとも動かないソラ……立ったまま気を失っていたのだった。
懐からは、発芽どころか成長し、蔓を大量に生やしたミスティリオが生い茂っていた。
それを見てヨクハは、再びこめかみを押さえながら大きく嘆息した。
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