53話 世界樹の女神
「あーー!」
するとその黒髪の少女を見て、プルームは心当たりがあるかのように指をさして声を上げた。
「世界樹の女神様だ!」
「せ、世界樹の女神様?」
プルームの突然の指摘に、少女は首を傾げた。
「本当だ、そっくりだ」
プルームに続きフリューゲルも同意する。
世界樹の女神とはエリギウス王国に伝わる伝承やそれを元にした絵本の中に登場する神で。竜牙の血戦の後で瀕死となった竜祖セリヲンアポカリュプシスの血液を吸収し、永遠の命を得た世界樹の化身となり、世界樹からこの世界を見守っていると言われている。そしてその絵本に出てくる世界樹の女神が腰まで伸びた黒髪の少女の姿をしていて、目の前の少女の容姿に似ていたのだ。
「世界樹の女神様は剣も使えるんですね?」
「世界樹の女神様はどうしてこんなところに?」
子供達の矢継ぎ早の質問にたじろぎながら少女は腰の鞘に剣を納める。
すると突然、空が一気に暗くなった。日が沈みきるにはまだ早く、それは流れてきた雨雲によるものであった。
やがて空から低い雷鳴が響き、激しい雨と共に風が吹き荒れ始めた。
「うわっ、やべえ嵐だ!」
突然の嵐にパニックになる四人。それを見て大きく溜息を吐く少女。
「ついておいで」
しかし、少女は四人にそう促すと、足早に山のふもとへと急ぐ。そんな少女に言われるがまま四人が後を付いて行くと、少女は小さな洞窟の前で立ち止まり、ゆっくりと中に入って行く。
※
それから一時間後。
木がくべられた火を囲み、五人は洞窟の中で腰を下ろして暖を取っていた。服が濡れ、寒さで凍える四人はしばし無言だった。
やがて服が乾き、四人の震えが治まったところで少女がふと口を開く。
「それで、君達はどうしてこんな所に?」
「俺達、エリギウス王国の騎士候補生なんだけど、早く銀衣騎士に覚醒したくてこの渓谷に来たんだ。ここでアンフィスバエナって魔獣と命懸けで戦えば銀衣騎士に覚醒出来るんじゃないかって」
「そっか、君達はまだ蒼衣騎士なんだね」
フリューゲルの返す言葉を聞き、少女は冷淡に呟いた。
「なら、あの時私が居なければ君達は確実に死んでいたよ」
「え?」
「アンフィスバエナは魔獣の中でも上位の存在と言っていい。だからこの渓谷は放置されていたんだ。蒼依騎士の……ましてや子供の手に負える相手じゃない」
「そ、そんな事やってみなけりゃ――」
「覚えておくといい、分かりきってる結果に向かって突き進むのは勇気でも何でもない……ただの無謀だよ」
少女の冷静で至極真っ当な物言いに、フリューゲル達は何も言えなくなってしまった。
「とは言っても多分この渓谷のアンフィスバエナはさっきので最後だと思う」
「どういう事なんですか?」
プルームが不思議そうに尋ねると、少女が答える。
この渓谷を拠点としてからアンフィスバエナに何度も襲われ、向かって来るから全部返り討ちにした事。先程襲いかかって来た個体は大きさから考えて恐らくアンフィスバエナの女王である事、そして女王自ら狩りに出て来たということは他の個体は全て居なくなったという事なのだ。
「えーじゃあ俺達完全に無駄足だったってことじゃん」
それを聞きがっくりと項垂れるフリューゲル。しかし他の三人はそれよりも別の事に興味が移っていた。
「あの、ところで世界樹の女神様こそどうしてこんな所に居るんですか?」
「私は世界樹の女神じゃ……まあいいか」
少女は否定しようとした途中で面倒になったのか、そのまま語り出す。
「私はこのエリギウス王国に殺さなきゃならない騎士が居てね、その騎士と戦う機会を伺っていたんだけど、王国の拠点城塞は鉄壁の守備を誇る。入り込むのはどうやっても不可能だった」
「ええっ、世界樹の女神ってもしかして俺達の敵なの?」
「うん、敵だよ」
少女が、敵であると一切の淀み無く答えた事にショックを受けたような様子の子供達。しかし、それに動じることもなく少女は再び淀みなく続けた。
「さっき君達がエリギウス王国の騎士である事に気付いて、君達を殺そうとした」
それを聞き、四人の体が凍り付く。だがそんな四人を余所に、少女は膝を抱えてそこに顔を埋め、更に続ける。
「でも出来なかった、そして一瞬でもそうしようと思った己を恥じた。いつかこの先の脅威になるとしても、まだ子供である君達を傷つけたりしたら、私も“あいつ”と同じになってしまう」
少女の哀しげで儚げな表情を見て、四人は少女が深く重い事情を抱いているのだと無意識に理解し、ただ言葉を失っていた。
「それと私の力だけじゃ大国に太刀打ちは出来ない事がよく分かった。もうこの大陸に用も無いけど、とある理由で今は帰る所が無くてね、まあもう少しだけここで過ごしたらこの大陸を去るよ」
「えっ、世界樹の女神様、世界樹から居なくなっちゃうの?」
「え、あ、うん。まあそういう事になるかな」
今まで世界樹にずっと居た筈の女神が消えてしまうとショックを受けたプルームに、悲しげな表情で顔を覗き込まれ、少女は気まずそうに返すのだった。
「さ、話はこの辺にしてもう寝ようか。朝になったら嵐も過ぎている筈だから、そしたら君達は騎士養成所に帰りな、きっと君達の教官の騎士も心配してるでしょ?」
少女の言葉に、四人はラッザの顔を思い出し。勝手に養成所を出てきてしまった事を今更後悔した。
「それじゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
四人は少女の言う通り眠って朝を待つ事にし、四人で身を寄せ合って床に就くのだった。
※
やがて夜が明け、朝日が洞窟の入口から差し込んでくる。嵐はすっかり過ぎ去り、心地よい温かなそよ風だけが吹いていた。
焚火の木はすっかり炭になっていて、火は消えていたが寒さは無かった。そしてそこには黒髪の少女の姿も既に無かった。
四人は洞窟の外に出て、青空を見上げる。すると、空からこちらに向かって飛翔してくる何かがあった。
次第にはっきりする輪郭。それは一頭のペガサスであり、そこには一人の人物が騎乗していた。
「あれってもしかして」
その人物とは、養成所から抜け出した四人を捜索しに来たラッザであり、ラッザは洞窟の前に立つ四人のそばにペガサスを降り立たせた。
「ラッザ先生!」
自分達を迎えに来たラッザに四人は思わず駆け寄った。
「ようやく見つけたぞ。やはりこの渓谷に来ていたのか」
「……ラッザ先生どうしてここが?」
言い淀みながらプルームが尋ねる。
「おおかた、銀衣騎士に覚醒する為に以前話した渓谷の魔獣と戦おうとした、そんな所だろうな」
自分達の浅知恵がラッザに見透かされていた事で、四人は何も言えなくなる。するとラッザは神妙な面持ちで問いかけた。
「この計画を最初に発案したのは誰だ?」
ラッザの厳しい口調の指摘に四人は俯き、しばし黙る。しかし少ししてフリューゲルがゆっくりと手を挙げた。
「俺だよ、俺が皆をけしかけたんだ。ラッザ先生の言う通り、実戦で、命懸けで戦えば皆が銀衣騎士になれるんじゃないかって、そしたらラッザ先生に――」
頬に感じる熱い痛み。フリューゲルの言葉を遮るように、ラッザはフリューゲルの頬をはっていた。
「お前の軽率な行動が、皆の命を危険に晒した」
ぶっきらぼうではあるがいつも優しかったラッザに、初めて手を上げられ、フリューゲルは何も言う事が出来なくなった。その目に涙がゆっくりと溜まっていく。
すると、フリューゲルより先にプルーム、エイラリィ、デゼルが号泣し始めた。
「ごめんなざいラッザ先生」
「……フリューゲル……だけが悪いんじゃ……ありません」
「僕達っ、少しでも早くっ、ラッザ先生をっ、安心させてあげたくてっ!」
わんわんと大声で泣く三人を見て、フリューゲルの涙は引き、ラッザはたじろいだ。そしてラッザが大きく嘆息すると、いつの間にか優しく微笑みを浮かべていた。
「まあいい、とりあえず説教はこのくらいにしといてやる、それから今日は課外授業にするからな」
「課外授業?」
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